2009年3月31日火曜日

雨の中の涙のように-like tears in rain-

Blade Runner:1982

八十年代で圧倒的に記憶に残る映画のひとつが、この「ブレードランナー」だと思う。
ちなみにもうひとつは「Blues Brothers」ですけど。

この映画だけを語る専門サイトがあったり、コアなファンを持つ映画であることは確かです。
P.K.ディックの原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」もよかったし、当時のサイバーパンクと呼ばれた電脳都市の表現に、この後出現するアキハバラが見事に予言されていたような気がします。
ギブソンのチバシティーより、この映画の未来のロスの風景の方がよっぽどアキハバラです。
もっとも、今ではこの風景はフランスの漫画家メビウスが描いたバンド・デシネ短編作品「ロング・トゥモロー」だと言われているんですが。
監督は原作を読んでないらしい。そんなお話しもあります。

“The line "like tears in rain" was never scripted. Rutger Hauer just said that while filming. It became one of the most famous scenes in movie history.”
これはYouTubeにこの映画の有名なシーンをアップした方のコメントです。
なかなか良いこと言ってるよ。

死ぬ間際に、レプリカント(人造人間)のバッティが雨に打たれながら、救った相手のデッカードに向かって語る台詞がこれ。

「俺はこれまでいろいろなものを見てきた。君ら人間には信じられないようなものを・・・でも、やがて、その全ての記憶も失われるだろう・・・まるで雨の中の、涙のように・・・」

埋め込まれた記憶を頼りに、人間になることを望んだ人造人間の、哀しみが思いっきり凝縮したシーンです。
コメントで述べられているように、これは元々脚本に書かれてはいなかった台詞。すべてここは俳優の即興で行われ、撮影されました。
俳優ルトガー・ハウアーは雨の中でレプリカントとして生き、レプリカントとして死んだ。
俳優の仕事の素晴らしさがここにある。
脚本家が脚本通りを常に主張する虚しさがここに見える。
人はそれぞれの場所で、より良くするために貢献すればそれでいいんだよな。
見栄やエゴや体裁や立場は、この際必要ないな!
そんなつまらないものに囚われている奴は、このシーンを見よ!
これこそ、インプロビゼーションの極致である。

撮影中は様々な問題と混乱に捲き込まれた作品だったようですが、記憶すべき、価値ある作品のひとつになりました。
九十年代初頭、アメリカがギブソンのサイバーパンク小説「New Rose Hotel」を映画化しようと頑張っていたのを僕は知っていますが、実現しませんでした。実現していたら日本を舞台にした、サイバーパンク活劇の傑作になっていたでしょう。
でも、このブレードランナーがあるから、僕は許せるな。
もう数え切れないほど、この映画を僕は観ましたが、また観たくなってきたなぁ。
そんな映画ですよ、これは。


二人


ディランとギンズバーグが語り合ってる写真。

いったい何を話しているんだろう?

二人はそれぞれ自分の世界を言葉に載せた詩人たち。

二人の道は似てはいても、違っていた。

それでいいんだよな、

それでいいんだ。


人は、人生のどこかで、ときどき、すれ違いながら、

生きる。

それでいいんだ。

そうやって、僕らは、二人になる。


僕たちは、孤独だが、

決して、

寂しくはない。


僕たちは、二人だ。

2009年3月30日月曜日

宇宙へつづく夕陽に

どうです?
今日の夕陽は宇宙に向かって光を放ってました!

実はこの数年で視力がだいぶ落ちました。それでも、自分の目でものが見えるというのは幸福なことですね。こうして、宇宙に広がるような夕陽まで見ることができるんですから。

娘がベランダから声をかけてくれなかったら、見逃していたはずの夕陽のスペクタクルでした。

でも彼女は僕が「夕陽倶楽部」のメンバーであることを知っているので、スッゴイ夕陽の時は必ず声をかけてくれるんだなぁ。

まだしばらくは、お嫁に行かないで。。。。

☆上野火山☆

空色


劇団のバナー作成にあたって、「SorairoTelegraph」さんにご協力頂きました!
この場を借りて、御礼申し上げます。
ありがとうございました!

今日も晴れて天気の良い日ですが、雲の輝きが美しい写真を頂きました。
海上に出ると、空と海の区別がつかなくなり、非常に危険だという話をどこかで聞いたことがあります。
確かに、こうしてみると、空色は海色でもあり、区別がつかなくなるかもしれません。
どこか吸い込まれそうな気がする。

雲は空の波。
空中で、水と空気はひとつになる。
空と海は地上を挟んだ対称形。

だから、空色はときどき海の色なんだ。

2009年3月29日日曜日

ギンズバーグが吠える!

Photo by John Hopkins 
in London
  • Allen Ginsberg's "Howl" 
  • I saw the best minds of my generation destroyed by
  • madness, starving hysterical naked,
  • dragging themselves through the negro streets at 
  • dawn looking for an angry fix,
  • angelheaded hipsters burning for the ancient 
  • heavenly connection to the starry dynamo in the
  • machinery of night,
  • who poverty and tatters and hollow-eyed and high
  • sat up smoking in the supernatural darkness of
  • cold-water flats floating across the tops of cities
  • contemplating jazz,..............................
ビート詩人と呼ばれたアレン・ギンズバーグの「吠える」の冒頭です。
二十代の後半、僕は友人と彼の朗読会に行ったときのことを忘れることができない。

ジャズベースとともに、そのビートに乗りながら、まさに吠えるように、汗を滴らせながら、彼は詩を読んでいた。
詩は声に出して初めてこの世に存在する事を許される。
それはプネウマ(息)そのものだ。

何故意味あるものが失われ、何故無意味がはびこり、何故愚かさが賢明さを破壊しようとするのか、
時代が変わろうと、不安は変わらず、むしろ、狂気の度合いは増しているのかもしれない。

現代という「狂気の時代」にこそギンズバーグは読まれるべきもののような気がします。

狂気の時代に、人は自分たちが狂っているという自覚を失っているものです。
だからこそ、この時代は、今という時代は、確実に狂っているのではないですか?

吠えるべき対象は、古い時代の誰かではなく、我々自身でしょう。
たとえば、ヒトラーやナチスが悪いというのは容易い。
むしろ、今目に見えないものの中にこそ、狂気の原因と、策略が隠されている。
我々自身の中に深く浸透している価値観にこそ、狂気の因子は潜んでいる。

ギンズバーグはこの世を去りましたが、残された我々がどう生きるのかが今試されているのだと思う。

酔狂な、そして同時に、真剣そのものの生き方が、今試されているのだと思う。

次に、この時代に向かって吠えるのは、僕らの番なのだ。

桜のアーケード

気温は相変わらず低いのに、近所の桜は満開です ♪

こんな春の日も、あっという間なんだろうな。

今日は午後一に、今後の仕事の打ち合わせ。

さてまた何かしら新たな流れが生まれるだろうか。

いずれにしても、5月本番まで1日も休みがありません(泣)
でも、走る時期だからこそ、走れるだけ走りましょう☆

最高の人生だなぁ!!


☆上野火山☆

2009年3月28日土曜日

アデンの想い出




ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどと誰にも言わせまい。

「旅にまっとうなものはひとつしかない。それは、人間に向かって進んでいくものだ。それがオデュッセウスの旅なのだ。僕が無駄に古典の勉強をしていたのでなかったのなら、そんなことはわかっていて当然だったのに。そしてこの旅はもちろん帰還することで終わる。旅の価値はその最後の日に決まる。」

          ーポール・ニザン『アデン・アラビア』より


僕に言葉の持つ真の美しさを教えてくれた師の一人がポール・ニザンだ。
そして、十九歳の人生をやり直すことで懸命だった頃、僕を支え、鼓舞してくれたのはアデン・アラビアだった。

この美しい本は、青春の屈折した感情を実に上手くすくい取り、僕たちに指先からこぼれ落ちる滴のように、煌めいて見せてくれた。
観念と詩とリアルが同居するあの青春の日々。
その時代に、この書物と出逢えて、僕は幸運だったと思う。
成人式に出る必要もないと結論づけたのも、まさにこの本の影響。
僕は二十歳を美しく彩ることを拒絶し、全てを諦めて、浪人していたのだ。
その惨めな暮らしの中で、腹を減らしながら読んだ言葉は、僕を更に一日生かしてくれたのだと思う。
飯が食えなくても、人は生きることができる。
勿論数日間ぐらいは。
ただ、生きた言葉がなければ、僕らは生きながら死に果てる。

ニザンの言う「旅」とは、人生だ。
人生の価値は、その最後の日に決まる。

青春とは、死を想うことなんだ。
死を想うことなしに、二十代を過ごすことがあるとすれば、それは青春を生きていることにはならないんだ。
逆に、死を想いながら生きる八十代は、見事な青春を生きているのかもしれない。

アデン・アラビアは光を屈折させる、一種のプリズムだったんじゃないかな。
全ての常識的価値観の転倒。
彼自身が、共産党員から、やがて脱退、そして
オードリュイクで戦死という三十五歳の短い生涯を選んだ。
イデオロギーに対する絶望感とそれを乗り越えようとする希望。
人は自分の選び取った人生しか生きることができない、というのが僕の二十歳の頃のこの本に対する感想だったような気がする。

決して忘れることのない一冊です。

去年の雪

まるで咲き乱れる桜の花のように見えますが、去年の年の初め頃の雪景色です。

この冬はほとんど雪らしい雪は降りませんでしたが、去年は降ったんだね。

桜の木に降りかかる雪の美しさを思い出しました☆

☆上野火山☆

2009年3月27日金曜日

夜の公園

今夜は稽古が終わった後、ひと仕事して帰宅する頃には、すっかり夜。
家に帰る途中で、ライトに照らされた公園を発見☆

早速一枚スナップをいっちゃいました!

人気(ひとけ)のない静かな空気が伝わります?

緑の下草がまるで絨毯のようです。
夜の公園の風景ですが、いいよね♪


☆上野火山☆

一日がはじまる




少し気温が下がっていますが、今日も晴れそうです。

先日、ライカについてちょっと書きましたが、今の生活、っていうか、今の時代の在り方で、スナップ写真というのは、いわゆるカメラじゃなくて携帯に取って代わられてしまったのかな、などと考えます。
仕事の道具として、携帯は欠かせないものになっていますが、電話、メールといった機能以外で最も使うのが写真でしょう。シャメばかりでなく、なにげないスナップ写真も携帯のお世話になります。
かつて、カルティエ・ブレッソンは決定的瞬間などと言って、スナップのドラマ性を僕らに教えてくれました。そして、ライカというシャッター音の異常に小さなカメラの素晴らしさも伝えてくれました。でも、今はそれが携帯になってしまった。

味も素っ気もないといったらそれまでですが、それでもなお、確かに携帯の機動性には素晴らしいものがありますね。

それでも、事故現場や他人の不幸をシャメする姿には、未だに違和感を覚えます。
数年前、四谷のホームで線路に落ちた人を助け上げたとき、ホームにいたはずの人々の姿が消え、気がつくと、皆反対側のホームに移動して、こちらに向かってシャメしてました。
どうかと思うよ。
シャメするぐらいなら、もっと他にやることがあるだろう?

まぁ、それでも、純粋に携帯のスナップ機能ということになると、それは今のところカメラ自体より高いのかもしれないね。

今日は素敵な朝陽の写真から始めましょう!
これが今日1発目のブログ。

2009年3月26日木曜日

ジブリの森

娘たちのたっての願いで、本日、三鷹のジブリ美術館に行ってみた。
思いのほかナイスプレイス!
アニメーションの作業行程を楽しめました☆

あんまり混んでなかったしね。よかったよかった。

僕は本を一冊購入し、幸せな気持ちで帰ってきました。
明日は稽古だ!


☆上野火山☆

マンハッタンの光


Manhattanhenge on 42nd Street on July 13, 2006
http://www.flickr.com/photos/tags/manhattanhenge/interesting/

九十年代にニューヨークで妻と過ごしました。
リンカーンセンターでは、Play Structureという僕のその頃最も気なっていた部分を埋めるため、何度も通っては調べたり、資料を見たりしていました。
今ではもう観ることのできない古い時代のブロードウェイの舞台のビデオ資料も観ました。

あの頃は、まだ貿易センタービルもあって、ビルのすぐ下の通りはバッテリーパークの船着き場まで、街路樹が綺麗に立ち並ぶお散歩コースでした。
その木立の中に、ベンチが置かれてあって、座って本を読んだりできるんだな。
あるベンチには、ビジネスマンが座っているんですが、よく見ると銅像なんだ。良くできていて、遠目には本物の人物のように見える。そのとなりに座ったりしました。

あれから、世界はいろいろあって、マンハッタンは本当にストーンヘンジじゃないけど、マンハッタンヘンジと呼んでもよさそうな遺跡のような場所になりつつある。
インターネットには、マンハッタンヘンジというサイトが実際にあって、マンハッタンの写真を多数掲載しています。
その中から、一枚。
実際はね、めったに見ることのできない夕陽だそうです。
42ストリートにまっすぐ伸びるオレンジの輝き。

ブロードウェイは不況だけではなく、呆れるほど徹底した商業プロデュース・システムのおかげで死にかけていますが、どっこい人間は大丈夫。
人間が大丈夫なら、未来は必ず輝く☆
最悪のシステムの中で、最良の人間が形成される場合もある。
それは、まるで、射し込む光のように危ういけれど、でもリアルです。

遠いブロードウェイのお話しは、この日本にも当てはまるお話しだと、僕は思うんですが。

2009年3月25日水曜日

人間は

http://people.bu.edu/dix/walden3.html 

Walden Pond at sunset. (Photo courtesy M. Rowinski)

人間は道具の道具になり果ててしまった、と言ったのはヘンリー・ソローですが、そのソローの暮らしたウォールデンの森の中にある湖がこれ。
素晴らしいよな!!
夕焼け倶楽部の僕としては、この写真に「★★★★★」を付けたいと思う!


さて、環境問題、エコロジー運動、などと叫ばれて、自然が破壊され人間生活が脅かされている。それ故に、我々は生活スタイルを改める時期に来ているのではないか、という話をよく耳にする。勿論、これはその通りで、我々の生活スタイルの歪みは大いに正す必要があるだろう。
ただし、ひとつだけ心に留めておきたいことがある。
それは、現代の英語表現でかつてはなかったひとつのフレーズである。

“ You had better waste it! ”

訳せば、「そんなものは棄ててしまえばいいよ」という言い回しである。
かつて、アメリカではDoggy Bagなどと言って、レストランの食べ残しは家に持って帰る習慣がありました。ですが現在ではDoggy Bagは廃れ、代わりに出てきた表現が上の言い回しなんだな。
日本でも、鮮度の問題もあるので、レストランによっては持ち帰りは出来なくなってきていますが、少なくとも、棄てることを推奨はしない。ですが、今や限りなくアメリカに追随する我が国ですから、遅かれ早かれ、“ You had better waste it! ”が常識化するでしょう。
でも、“ You had better waste it! ”するのは誰だろう?
食うに困る人たちが“ You had better waste it! ”すると思いますか?
するはずがない。
“ You had better waste it! ”するのは、余裕のある人たちだけです。
現在、かつての幻想のような一億総中流といった意識が崩れ、格差が意識化されてしまうと、モノに対する意識にも格差が現れてくる。
僕は今若者の間で、安い良いものを求めて大事に長く使う習慣が生まれているような気がしてなりません。たとえば「サイゼする(サイゼリアで飯を食おう)」という言い方は典型的な経済的感覚からくる選択とその表現。大人にはあまりありません。
実際、若いあまりお金のない人たちから“ You had better waste it! ”という感覚は受けないのです。
アメリカでも、“ You had better waste it! ”という表現は、お金に余裕のあるセレブリティのものです。

さて、こうして考えてみると、本当に、無駄使い、浪費し、消費し、環境を痛めつけているのは、世界の全ての人間のせいなのだろうか?
“ You had better waste it! ”できる人間集団と、“ You had better waste it! ”できない人間集団が、厳然と存在するでしょう。
そして、当然のことながら、“ You had better waste it! ”できる集団の人数は、その逆の集団より遥かに少ない。ごくごく少数なのです。
つまり、忘れてはいけないのは、この地球上のごく少数の数パーセントにすぎない人間たちの「浪費」「無駄遣い」の責任を、他の大多数が肩代わりしているという事実でしょう。

僕たちはこんな時代に生きている。
責任をとるべき人間が、知らん顔で他に責任を転嫁してるんじゃないですか?
その意味では、今の環境問題の扱われ方には、問題があると思います。
肝心の問題は隠されている。それは特権階級の浪費である。
そしてそれは、特定の国家に限らず、全地球的な明らかな傾向なのです。
まさにグローバリゼーションの為せる業。
なのに、メディアはそのことに関しては一切口をつぐんでいるのは何故だろう?

ウォールデンの湖の畔で「道具の道具に成り下がった人間」と嘆いたソローは、遥か昔に、人間の行く末を見ていたのではないですか?
人間は今テクノロジーという道具の道具に成り下がり、慌てふためきながら、肝心の問題から目を逸らされている。
僕たちは無知であることを利用されているんだな。

本当の責任を、とるべき人間がとるべきだと思うんですが。
十把一絡げはやばいぜ。
美味しいところは少人数で、その責任はみんなで、というのはどう考えてもおかしいのだよ。
だろ?

2009年3月24日火曜日

思いの強さ

Dylan Thomas’s Room


いろんなことを実現させていくには、何が必要なんだろう。
こんなことを考えても、しょうがないことかもしれない。

でも、何かものを生み出し、事を成し遂げるにはどうしても必要な要素があるような気がしてなりません。

それは「思いの強さ」なんじゃないかな。

思いの強さ。

僕らは、どれほど願っても、願いが叶うとは限らない、とたえず思っています。
上手くいくことも、いかないこともある。
だから、可能性は常に半々だと、たえず思っている。
でも果たしてそうなのかな?
もしだよ、強い強い思いがあったなら、それだけで、可能性は半分以上に増えるんじゃないかな。
だって、
思いが強ければ強いほど、様々な可能性を、知らない間に引き寄せてしまうから。
思いが強ければ強いほど、突破口は、必ず見つかるから。
思いが強ければ強いほど、決して逃げることがないから。

僕たちは、あまりにも大人になりすぎて、あまりにも理性的になりすぎて、あまりにも夢を見なくなり、あまりにも不安になりすぎて、思いを自ら弱めてしまうことってないですか?

たぶん、まず好きに生きようとするところからはじまるんだろうなぁ。
ちゃんと我が儘になって、やりたいことをやりはじめるところはからはじまるのでしょう。

やりたいこと。
それは強い思いのあること。
だから、
思いの強さだけが、僕たちを前へ駆り立ててくれるんだと、僕は思うな。
思いの強さとは、逃げない力のことだと思う。

君は、今、何がしたいですか?

2009年3月23日月曜日

ライカM8.2


写真は、小学校五年からのお付き合い。
密かにカメラ部や写真部を作ったりしてました。
写真歴、四十年近くになります。
昔は、一眼レフの時代もありましたが、この十年ほどは、なんて言ったってレンジファインダーです。
故に、実を言うと、昔からライカに惚れてます。

バルナックタイプのⅢF、M型のM5、M6が僕のライカです。
ですが、時代はデジタルに移行し、フィルムの塩銀カメラはデータの処理が大変な時代になりました。
だから、デジタルデータの使い回しの便利さ故に、デジカメのライカがぜひ欲しいと思っていたら、知らない間に、しかも何年も前から、ライカはM8というデジタルライカを発売してたんだな!!
気づくの遅すぎ!?

そして、今やM8.2だとぉ!
こりゃあ、見た目はM3そっくりじゃん!

いずれ手にしてみたいものだと思います。

今は携帯で撮って、とりあえずデジタルなんてこんなものか、なんて満足してますが、ライカM8.2だったら、これも変わっちゃうんだろうなぁ。。。
たまんねぇなぁ。。。俺のズミルックスとノクチルックスで撮ったらデジタルデータも変わるんだろうな。何か夢みたいだな。
あのライカ特有のボケ味をデジタルで。。。

そろそろ、もうちょっと、デジタルカメラライフの方に向かっても良い時期かもね。

なんかこう、あれだな、ざわざわ心の中で言ってんな。
うん。

ライカM8.2。ブラックペイント。いいなぁ。。。

今回は趣味のお話しでした。
妄想あしからず。

晴れときどき風

本日は天気快晴☆

でも風がすんごい強いです♪

風よ吹け!
風の中を歩くから!
光よ照らせ!
光の中を歩くから!
闇よやがてやってこい!闇を始めとして生きるから!

先日の桜がまだちょこんっと咲いております。
生は短くとも、しぶとく生きれ!と俺は心の中でいった☆☆

また今日も熱血ぅ〜だぁ〜よぉ〜!!★

なッ♪


☆上野火山☆

2009年3月22日日曜日

ラウンド・ミッドナイト


マイルスもよろしく☆というメールをもらったので、今日のブログの締めはマイルス・デイビスのラウンド・ミッドナイトにしてみた。これもいいよなぁ!ちょっとJazzしてみような。

Miles Davis Quintet - 'Round Midnight

Miles Davis , Wayne Shorter Herbie Hancock , Ron Carter , Tony Williams Stockholm,1967

Oyasumi-nasai!

僕の未来へ

日曜日、外は雨なので、僕の未来は、お部屋でお勉強。

君のおやじは、君に負けずに、今日も書きまくるぜ!

未来は君たちに任せた☆

このおやじは、とりあえず今に生きるぜ!

☆上野火山☆

高校時代、そしてジャズ


高校時代、僕の通った一関一高の正門のすぐそばにあるジャズ喫茶「べーシー」に入り浸っていたことは、前に書いた。
その頃の僕を思い出すような写真を見つけたのでアップします。
(写真をありがとう!)
まさにこんな感じで「K旗(K-flag)」というのを振っていたんだな。写真は僕の後輩だと思うけど。
僕は昔々はコワ~い応援団幹部でもあったのだ。
今思い出しても恥ずかしいエピソードの数々。
ボロボロの学生服に、マントを羽織り、ボロボロの帽子をかぶって、下駄はいて、腰に手拭いで、髪は何年も切らず、がんばってたなぁ。。。

その頃の僕は、頭ん中はロックしてるんだけど、ブラバン(吹奏楽部)の連中に誘われてジャズも聴くようになったわけです。
勿論、ジャズ喫茶べーシーでね。

マイルスも聴いたしコルトレーンも聴いた。
その中で、一曲挙げろと言われればこの曲かも。
後半のMcCoy Tyner のピアノを聴いたら、ジャズもいいなぁって思うと思うよ。
高校生の分際で、一生懸命大人になろうともがいていた時期の音楽でもありまする。
人生はどこか音楽と共に流れているんじゃないかな。
このブログも、好きな音楽や好きな映画や好きな本や、とにかく今もなお演劇に生きる自分を形成している様々なものを紹介しつつ、まったりゆっくり続けたいものだと思っています。

John Coltrane - Every Time We Say Goodbye - 1961

1961 in Baden-Baden Germany John Coltrane - soprano sax, tenor sax Eric Dolphy - flute, alto sax McCoy Tyner - piano Reggie Workman - bass Elvin Jones - drums

昭和か。。


                             ※ 写真『土門拳の昭和』より
                         
   僕もこんなふうにチャンバラばっかりだったなぁ☆
   オヤジの本物の刀を持ち出して、公園で遊んで、ぶん殴られました!

平成になって、二十年以上が過ぎ、昭和はノスタルジーの向こう側にいってしまった。
小学生の頃、日本の総理大臣は、ずっと佐藤栄作という人だと思っていたし、昭和天皇はずっと天皇のままだと思っていた。
そして、昭和もずっと昭和のままだと思い込んでいた。
なんともはや、ゆるゆるな感じだった。

なのに、いつの間にか昭和は平成に代わり、「平成」という語の違和感もいつの間にかなくなっていた。

だけど、僕の二十代までの人生は確実に「昭和」の中にあったな。
舞台に立ち始めた頃、渋谷でバイトに明け暮れた頃、喧嘩ばかりで路上で気を失っていた頃、バイクで246や甲州街道をぶっ飛ばした頃、彼女と出逢い別れた頃、女を泣かせ女に泣かされた頃、いつも磨り減ったコンバースの黒のオールスターを履いていた頃、シカゴでリーバイスの古ジーンズを買っていた頃、いつも腹を空かしていた頃、ジーンズが穴だらけだった頃、本と音楽と芝居が命だった頃・・・・・。

僕は、あの頃、確かに昭和に生きていた。

そして、今、この時代を生きている。
いろいろ変化はあったが、実際、たいして本質的には変わってないんだよな。
なにしろ、小学生の頃、21世紀は遥かな未来でした。
今はその21世紀に生きているんだから、不思議な気がします。
いつの間にやら、「2001年宇宙の旅」を遥かに超えてしまった。

昭和か。。
いつまでも懐かしがってないで、先へ行こうぜ。
勿論、確認は必要だけどな。生きてたことのな。
しっかり確認しつつ、前へ進もう!!

2009年3月21日土曜日

ケルアックの詩と朗読

詩は目で読むものではなく、耳で聴くものだということを教えてくれたのは、アレン・ギンズバーグだった。
二十代の時、ギンズバーグの詩の朗読会に友人といった時、詩というものに僕は少しばかり開眼したように思う。

ここに三つの映像作品がある。
とても興味深く、そしてとても面白い作品。

ひとつめは、ウッディー・アレン監督の名作『Manhattan』の冒頭の映像に、Jack Kerouac 自身の「路上にて」の朗読が被さっている作品。
これがめちゃめちゃぴったりなんですね。
[Jack Kerouac - Woody Allen' s Manhattan. Kerouac reading Visions of Cody & On the Road to Steve Allen's jazz piano, & the opening to Woody Allen's 1979 masterpiece, Manhattan. Buy the Woody Allen DVDs, and also the Kerouac books & CDs / DVDs.]



次は、ジョニー・デップによって引用され、朗読されるケルアック。
ケルアックの普遍性がわかるな。
ジョニー・デップはすでにケルアックの世界の住人。
詩と演劇と音楽の境目は最早なくなっている。

Jack Kerouac - (Johnny Depp)


そして最後に、Jack Kerouac に捧げられたトリビュートビデオ☆



詩と演劇と音楽は、実は同じ現象の異なった現れ方なのではないか、と思っている。
この三つを完全に区別して扱うことに、僕は元々抵抗感があるんです。
区別できない、むしろ融合したもの。
そして、眼で聞き、耳で見て、全身で感じるのがいい。
これらの不思議な映像作品が伝えているのは、そんな自由への意志だろう。
それこそ、ケルアックの残したものだ。

僕はやっぱり、Jack Kerouac が大好きだ!!

The Journey to the Center of the Mind

同じ曲の二つのヴァージョンを聴き比べると、普通はその差異に驚いたり、気になったりするものですが、中には四十年の時を経てもなお、変わらぬ悦びが感じられるものもあるんですね。

たとえば、これ。
『Amboy Dukes, The Journey to the Center of the Mind』
1968年の名曲です。
グルーブするギターの音が最高なんだな☆
そのギターこそアンクル・テッドでお馴染みの「Ted Nugent」



そして、次が「The Masked Musician of Orange County」の同じ曲。
こちらはつい最近のもの。
インストルメンタルですが、ギターが歌ってるんだなぁ!!
素晴らしいぞ!
こんなに嬉しそうにギターを弾くおじさんはめったにいないぜ☆
ロックしてるオヤジは最高さ!



つかさ、この人、「Ted Nugent」本人じゃないの?
え?ちがうの?

桜咲きました☆

今日、東京は桜が開花しました!

近所の桜並木の幹の部分に一番桜がちょこんっと咲いております♪

見えますか?

元々は枝のあったところに花が咲いたのだそうです。

春になりました。

☆上野火山☆

2009年3月20日金曜日

外で風吹く日に

本当に難しいのは、感謝することだ。

いろいろな人と出会い、

いろいろな出来事を経て、

いろいろな可能性が生まれ、

そして、

人は何者かになったような気がする。

でも、

それはぜんぶ幻想だ。

人は何ものにもなれない。

どこまでいっても、

自分である以外、

馬鹿も利口も、

ひっくるめて、

何ものにもなれやしない。

だからこそ、

今ここにある自分は、

すべての出逢いのおかげ、

出逢った人々のおかげ、

出逢いは、

出愛だ。


感謝こそが、

愛だろう。

僕はいまだに、

愛が何なのか、

何もわからないが、

感謝の意味だけは、

忘れまい。

感謝を、

嘲笑うことだけは、

すまい。

ここに、

こうして立っているのは、

出逢ったすべての人と出来事のおかげ。


感謝です。

そして、

ありがとう。


外は、

今、

強い風が吹いています。

熱いトタン屋根の上の猫

といえば、すぐ思い出すのがテネシー・ウィリアムズの名作戯曲。
でもそれは、演劇人間の場合。

ロック野郎、もしくはロカビリー野郎なら、ブライアン・セッツァーでしょう☆
いずれ、彼の曲だけで舞台を作ろうと思っています。
大好きなんだよなぁ~!

もうすぐ稽古に行かなくちゃいけないんですけど、雨が降ってるんで、景気づけのためにロカビリーをアップ!!

行ってきま〜す☆

Brian Setzer - This Cats On A Hot Tin Roof



今朝は

外は雨。

窓から下を見ると桜がピンク色の蕾を膨らませていました。

雨に打たれながら、もうすぐやって来る春を待っているのでしょう☆

今日は午後から稽古!

また先へ進みましょう!

☆上野火山☆

2009年3月19日木曜日

公園の光


我が家の近所に、大きな広~い公園があります。

その公園の中には、野鳥たちが暮らす「バード・サンクチュアリ」という場所があったり、噴水があったり、季節の様々な花を咲かせる花壇があったり、とにかく良い場所なんだな。とにかく広いので、みんな走ってます。

昔、妻はこの公園で自転車の練習をし、僕は夏になると娘たちと朝早くカブトムシを捕りに歩き回った。時には気球に乗って空高く舞い上がり、時には噴水に飛び込んで水浴びをする。
なんでもありだな。

ところで、この公園の端っこには林があるんです。
カブトムシやクワガタの幼虫たちが住み、木洩れ日が優しく降りかかる場所。
その林の、どこか涼しげで瑞々しい雰囲気を伝える写真を発見したのでアップします☆
素敵なお写真ありがとうございます。

この写真の緑の感じは、実にリアル。

今日は天気が良いので、ちょっと公園へ行ってきましょうか!!

もうすぐ春です☆

2009年3月18日水曜日

『泥の河』を忘れまい


(C)木村プロダクション

八十年代という、ニューウェーブの名の下に限りなく広がる虚無の時代がはじまろうとしていたまさにその初頭、一本の映画が公開されました。

それが『泥の河』です。

まったく時代の流れとは逆行した徹底的にリアリズムで作りこまれたこの作品は、モノクロの光と影で、豊かさに狂い始めた時代にあって、人々の無意識に語りかけていた。
「本当に生きているのか?」と。
自主制作で作られたこの作品の強さは、人間の本質へ迫ろうとするあの作り手の誠実さから生じているのだと、僕は思っています。
原作は宮本輝。監督は小栗康平(そして、これが彼の初監督作品でもありました)。

少年たちのひと夏の出会いと別れ。それは、時にグロテスクであり、時に恥ずかしく、時に心が震え、時に恐く、そして切なく、はかないものでした。
だからこそ、美しかった!
沢ガニに火を付けるシーン、夏祭りで落とした十円玉を必死にさがすシーン・・・シーンの一つ一つが心の中に刻み込まれています。

映画のラスト、どこまでも、友達の乗った舟を追いかけて走る少年の姿は、かつての僕であり、誰もがどこかで経験した出来事と重なってくるような気がします。
そこには、個人的経験が普遍化する一瞬があるのです。

金網にすがりながら少年は友の名を呼ぶ。
返事はない。
人生の出会いと別れが、これほど鋭利な刃物のように容赦なく描かれたことがあっただろうか。
そうだ、ただひとつ、思い出した別の映画がある。
それは「禁じられた遊び」。
少女が少年の名を呼びながら、雑踏に消えていくラストシーンは、僕の中で「泥の河」のラストシーンと重なる痛切なものだった。
「泥の河」という作品は日本における「禁じられた遊び」あるいは「シベールの日曜日」だと思う。

「三丁目の夕日」もよいけれど、この映画を観て欲しい。
名作というのは、実は時代と逆行するようです。その時代の中で多くの人々があえて創り出そうとしないものの中にこそ、次の時代へ続くものや、その時代に対する批評から生まれた作品があるのかもしれません。






コリン・ヒギンズ


コリン・ヒギンズという劇作家をご存じだろうか?

以下はWikiからの引用です。

「UCLA在学中に卒業制作作品(the UCLA screenwriting MFA program)として『ハロルドとモード』のシナリオを執筆し、これを基に1971年に映画を制作した。 この作品は現在でもカルト的な人気を博しているが、日本では家庭用ビデオ等で販売されたことがない。自らノベライズ(「少年は虹を渡る : ハロルドとモード」枝川公一訳 二見書房 1972年出版)したが、絶版となっている。
1988年にエイズで早世したため作品数は少ないが、コメディーで秀逸な作品がある。」(Wikipedia)

舞台に詳しい方は、『ハロルドとモード』という老女と少年の物語をご存じかもしれない。
本当に早く亡くなった方なので、作品が少ないのです。脚本を書き、監督したのですが、何しろ作品の数が少なくて、ほとんど名前を耳にすることはないでしょう。
ですが、才能を感じさせる素晴らしい人でした。
僕は彼の作品のファンでした。
勿論、今もね。

僕は1977年、映画館で彼のコメディー『Foul Play』と出会って、ロマンティック・コメディー・サスペンスというジャンルが本当にあるんだと確信させられたんだな。なぜなら、抜群によい出来だったのさ!
今ではビデオでも手に入らない作品になってしまいました。今から三十一年も前の映画で、しかも日本ではすっかり忘れ去られた感のある映画です。
でもね、今見ても古くないのよ☆
やっぱり完成度がぜんぜん違うんだな。
いつか機会があったら、観て欲しい。

You Tubeで見つけた編集されたトリビュート・ビデオです。
今でもファンがいるんだなぁ。
わかります。
僕もこの映画の大ファンですから☆
8分間、映画の世界に浸ってください。細かいギャグとセンスの良さを感じさせてくれるぞ!
全篇ヒッチコックのマニアックなパロディでもあるんだよな。

Manufacturing Consent Trailer



ノーム・チョムスキーは「生成文法」で知られる著名な言語学者です。

しかし、言語の専門家からは叱られるかもしれませんが、彼の素晴らしさは、その言語学における業績よりむしろ、その政治的発言と無数の政治評論の方にあると、僕は思っている。

その代表的な著作のひとつに「Manufacturing Consent」(邦訳:マニュファクチャリング・コンセント:合意の捏造)があります。
面白いのは本とならんで、同じタイトルのDVDもあるんですね。
DVDの日本語タイトルは『チョムスキーとメディア』。

テーマは、大衆は知らない間に様々な政治判断に合意させられていて、しかも、そのことにほとんど気づくこともなく操作されている、ということ。
それを細かい事実を積み上げることで証明していく気の遠くなるような作業の結果が、本になって結実しているわけなんです。

彼の多くの著作の中心テーマは、マスメディアの崩壊です。
今やネットが主流になったから、既成のメディアが駄目になったなどというようなどうでもいい話では到底ありません。
メディアは体制と利害を一致させ、たえず後押しするか、共謀してきた。
客観的に正しいメディアなどひとつもないし、ニュースも新聞記事も、懐疑的な目で見てはじめて、裏の意味が見えてくる。
我々は一部の人間たちに操作されていることに自覚的にならなくてはならない。
メディアで垂れ流されている情報を、鵜呑みにするほど愚かなことはない。
そうなると、ネットの方がぜんぜんいいじゃない、などと主張する人も出てくるわけですが、そんなことはない。カオスの状態のサイバー空間中に迷い込み、判断不能の状態に陥るのが関の山。
だとすれば、大切なのは何?ということになる。
あえていえば、それは懐疑的で、しかも表面的な価値観や評価に踊らされない、強い意志が問われているのだと思うよ。大切なのはそれ。

言葉を額面通りに受け取らず、反芻し、確認し、判断する。
我々は、こんな風に試される時代に入ってしまったのだと、つくづく感じます。
簡単に納得するのは、やめましょう☆

the corporation: documentary trailer


かつて、どなたか有名な作家が、多摩ニュータウン辺りの風景がネオリベ(新自由主義)のひとつの現れ、乃至は象徴的姿だと仰ったが、果たしてそうだろうか。
本当に眼を開けて現実を見ているのか?
なにか自己保身とごまかしから、そんなことを言っていないか?

むしろ、そんな静かな姿ではなく、もっとあられもない形でネオリベは我々の前に姿を現している。そんな気がします。

そのあられもなさ、あまりにもあられもない恥知らずな存在の仕方に、人は慣れてしまい、逆に気づかなくなっている。これが現状ではありませんか?
かつて作られたニュータウンが今高齢化し、小綺麗だがデオドラントで非人間的環境だなどというのは、ネオリベとはほとんど無関係である。こうした言質は、むしろ本質的な問題から目を逸らさせる有害なものだと僕は思う。

そしてまさに、ネオリベラルな価値観がはびこる原因は、無数のそれを語る人間による、意味ありげな煙幕で本当は何が問題なのかわからなくなるところにある。たとえば、最近の金融破綻でいえば、以前も書いたように、サブプライムで失敗し破綻したメリルリンチをはじめとする金融会社のトップは大失敗したはずなのに、何十億円という莫大な報酬を得ている。失敗したにもかかわらず、報酬を受けるというこのカラクリがわからないわけだ。
理由は単純、彼らははじめからなにひとつ失敗はしていないし、損はしていないから報酬をもらえるのである。
損はすべて住む家を失ってホームレスになった人々に押しつけられ、彼らから搾取し、国からは公的資金注入で、企業は損失を出すことは絶対にないのである。ここでいう企業とは、勿論一部の大企業の上層部をさしているわけだが。そうした企業にとっては、破綻すら全体的な搾取の計画の一部になり得るのだ。

ネオリベラリズムとは、企業主体で世界がひとつになっていく謂わばグローバリゼーションのことを今では示しているようだ。だから、彼らは「Free Trade(自由貿易)」を主張して、各国の保護貿易主義を破壊し続けているのである。その意味で、オバマの保護主義もアリバイ、あるいは免罪符としての存在意義ぐらいしかないのではあるまいか。企業の前で政府は無力になる。
現在様々な国で見られる「小さな政府」「(企業に対する)規制緩和」「民営化」「(企業の)自由」という合言葉はここから生まれてくるのである。
日本の場合、「経団連」が影の内閣と呼ばれる所以である。

さて、このような現代の異様な状況を巧みに分析したドキュメンタリーがある。
書籍にもなっているが、『ザ・コーポレーション』というのがそれだ。

この作品は、企業の、特に「株式会社(大企業)」というものの、法人という、法の下で人間的人格が認められているはずの、その企業の「人格崩壊」を見つめ分析しているのである。
企業がもし人間であったなら、一人の「社会病質者(ソシオパス)」だと診断できるようだ。
今年は、機会があったなら、大学の講義でも紹介しようと思っているのですが、まずはこのDVDのトレイラーをご覧頂きたい。

金融が破綻する以前に、何よりもまず企業という人格が今や完全に破綻しているのである。
企業という人格の破綻したマシーンが、今、如何に牙をむき、暴走し始めているのかがおわかり頂けるのではないだろうか。
今や企業は「利潤の追求」という表現を嫌う。本質的に利潤の追求マシーンと化した企業は、その正体を隠そうと躍起なっているからである。
企業というものが一体誰のためのものなのか、見失われた時代。
株主と一部の経営陣という少数の利益の追求のために、多数が切り捨てられていく時代。
僕たちはこんな時代に生きている。
違いますか?
勿論、この作品の中で語られている項目で、僕自身、異論のあるものもある。
だが、一度は見てみるべきドキュメンタリーのひとつであることにかわりはないと思うのです。




2009年3月17日火曜日

龍馬暗殺という映画


東京で暮らし始めた頃、「ぴあ」や「シティーロード」を頼りに東京の様々な名画座に通いました。
その頃は、手元にあるお金の大半を、本か映画か芝居に使っていた。
なにしろ、人生の準備期間。
僕は高校生の頃は、演劇にはちっとも興味がなく、むしろ「あんな恥ずかしいことよくやるよなぁ〜」というスタンス。
ところが、東京に出てきてから、名画座に通い、舞台に通ううちに、これこそ「我が人生」とはっきりと思うようになったんだな。
今のように、ネットで情報が手に入り、携帯で何でも調べられて、ソフトも自宅で視聴可能みたいな時代じゃなかったからこそ、逆に思いばかりが強くなっていたのかもしれません。

池袋文芸地下という映画館は、その中でもATG作品を頻繁に上映してくれた貴重な劇場で、そこで本当にオールナイトで何本も観ましたね。

「龍馬暗殺」(1974)もその中の一本です。
監督は僕の大好きな黒木和雄監督。
そして、脚本は清水邦夫、田辺泰志。出演は原田芳雄、石橋蓮司、中川梨絵、松田優作、桃井かおり他。
原田芳雄さんの龍馬があまりによくて、特に雨の中を革のドタ靴でひたすら走るシーンとか、額を流れ落ちる黒い鮮血とか・・・挙げればきりがないほど。
光と影、笑いと哀しみの映画です。

随分後に、原田芳雄さんとは映画を一本ご一緒しましたが、年輪を重ねた今は、以前とはまた違った味わいのある俳優として存在していらっしゃると思います。
いずれまたお会いしたい方の一人です。お身体大切に!

ATG(アート・シアター・ギルド)は日本のニュー・シネマを撮っていたんですね。その前に日活ニュー・アクションというのもありました。

名作「龍馬暗殺」のワンシーン。無声映画のパロディーです。

2009年3月16日月曜日

Joey Ramoneの“What a wonderful world”

最近聴いてる曲をアップして、今日のお仕事はおしまいです。

Joey Ramoneの“What a wonderful world”

一度は聞いて欲しい曲だよね。
サッチモとはだいぶ違いますが、Joeyの別の面が垣間見えるんだな。
本当は絶叫型のスピーディーな曲より、こんな楽曲の方が好きだったんだろうな、って気がします。
病に苦しみながら、“Don’t worry about me.”と呟く彼の世界が、ちょっとだけ見えるような気がします。
時々、電車の中でこの曲を聴いて、あれこれ考える自分がいます。

Joey Ramone - "What a Wonderful World" Sanctuary Records



Good night!
 Have a good sleep!

ラストシーン


ラストシーンは映画でも芝居でも、その作品を特徴付ける重要な部分だと思う。
仮に、アンチ・テアトロめいたドラマ否定論者から見れば、どう終わろうが関係ないということなのかもしれない。むしろ、予定調和的に収斂していくそのドラマのプロセスに虫酸が走るというところか。

だが、僕は思う。
よいラストシーンは、人生そのもの。
よいラストシーンに出会うと、その作品を忘れられなくなる。
ラストシーンから現在を考えることもある。
ラストシーンこそが僕らのめざす場所かもしれない。
ラストシーン。
僕らは一人一人が、それぞれのラストシーンに向かっている。

だから、ラストシーンなんてどうでもいいとは僕には思えない。

ラストシーンにこだわりたい。
ラストシーンから、今を始めたい。

ラストシーンをセピア色にして、ストップモーションの中に、死を封じ込めた作品がある。

それが「明日に向かって撃て」だ。
(原題)「Buch Cassidy and the Sundance Kid」1969年

中学、高校を通して、アメリカン・ニュー・シネマの洗礼を受けた僕は、主人公が消えていく映画を何本も観た。それまで、主人公は決して死ぬことはなかったが、あの時代から、主人公も死ぬかもしれない、いやむしろ我々と同じ死の運命にいることを痛切に感じさせられるようになっていった。
今では当たり前かもしれないが、アメリカン・ニュー・シネマという作品群がなかったら、主人公だけは決して死ぬことはなかったかもしれない。勿論、それ以前のフランスのニューベルバーグもそうなんだが。


ここに見事なラストシーンがある。
明日を信じながら、人は命を落とす。
そんな単純で明白なことが、ラスト1分47秒でわかる。
僕は四十年も前に観た映画なのに、このラスト1分47秒が忘れられないのだ。

失われつつあるもの


たとえば、『ミツバチのささやき』という映画がある。
村にやってきた映画「フランケンシュタイン」。彼に会いたいと望む少女の物語。
静寂とそれを見つめる眼差しが、丁寧で、しかも繊細。
映画が、或いはドラマが、詩になる瞬間を垣間見ることができる。
そんな映画。

1973年にビクトル・エリセ監督によって制作され、日本では1985年にフランス映画社から公開されました。
この美しい映画も、今ではDVDさえも廃盤になり、なかなか見る機会もなくなってしまったようです。

不思議だな。

かつてのATGの作品だって、今やまず観る機会はないだろう。だから、そんな機会があったなら、ぜひ逃さないで欲しい。
大切なものほど、失われやすく、壊れやすく、二度と戻ることがないのだから。
いいものや素敵なものが失われていくことに敏感になりたいものですね。

映画の中でも特に僕の好きな線路のシーンがあるので、観て欲しい。
映像と音響の美がここにある。



映画『ミツバチのささやき』のワン・シーンから。

2009年3月15日日曜日

森田童子を聴こうか

    森田童子 『僕たちの失敗』




そして、
もう一本、 
    
    森田童子『みんな夢でありました』


こうして時代は変わってきたんだな。
心に刻もうぜ。

僕たちみんなの、挫折と絶望を!
そして、すべてはそこからはじまるんだ!

さぁ、そろそろ立ち上がろうぜ。
自分の足で。
地面を踏みしめるんだ!

何がくだらなく、何が大切なのか、
何が許せなくて、何が愛しいのか。

僕らは、今、試されていることを忘れまい。
冗談で言い逃れができる時代ではないことを、
忘れまい。


ラモーンズは永遠に☆

The Ramones ; 1975

Photo by Bob Gruen ; Rock n’ Roll Photographer


パンクの神様は実はSex Pistols ではなく”The Ramones”だったんだぞ。
と、呟いてみる。

Joeyの歌は頭上2メートルから振り落とされるナタだ。
いや、チェインソーだ☆

パンク・ロックはグラム・ロックを食っちまったが、
それも仕方のないこと。

方や、一種の様式だったのに対し、

方や、破れかぶれだから。

破れかぶれのパンクの原型がここにある。

Hey ☆ Ho ☆ Let’s Go ☆

The Ramones - "Blitzkrieg Bop" (Live) Studio Hamburg




どう?

ナイスでしょ?


仕事してまっせ♪


今日も天気がいいのに、机にかじりついてます☆
そんな僕のデスク周りをご紹介?

んなもの、関係なかですか。
家族はここをコックピットと呼んでますが。

でも、携帯でブログを更新できるようになったら、ほんとに更新率アップしたな。

ライブで様々な状況をお伝えすることもできるんだね。

携帯ジャンキーじゃありませんし、つうかむしろ、携帯に関しては完全に老人の域じゃね?オレ。

そういや、前に俳優のジェイ・カビラ君に「火山さん、完全にジジィ」って罵られたもんな。

あれは、ひど〜く傷ついた想い出のひとつよね。

でもね、ぜんぜんトロいのよ、指先が。携帯のキーが上手に打てまっしぇ〜ん☆

親指が太すぎます。

これが精一杯ですわ。これで機動力って言えんのか???

うあッ、また間違えた。。。。。。あれ?おお?ええ!!!


さてと、仕事に戻ります。


☆上野火山☆

ディラン


Bob Dylan : 1973

Photo by Bob Gruen ; Rock n’ Roll Photographer


THE TIMES THEY ARE A-CHANGIN'
Words and Music by Bob Dylan
1963, 1968 Warner Bros. Inc
Renewed 1991 Special Rider Music

Come gather 'round people
Wherever you roam
And admit that the waters
Around you have grown
And accept it that soon
You'll be drenched to the bone.
If your time to you
Is worth savin'
Then you better start swimmin'
Or you'll sink like a stone
For the times they are a-changin'.


石のように沈む前に、泳ぎ出せ!
ディランの言葉は、今だからこそ、僕らに伝わってくるものがあるんじゃないか?
薄ら笑いを浮かべている連中は、放っておこう!

新しいとか、古いとか、馬鹿だとか、利口だとか、金があるとか、ないとか、
どうでもいい。

今は本当に薄ら寒いどうしょうもない時代だ。
ひどい時代だからこそ、真に変化する機会はある。
それは、どこかの選挙でうんざりするほど耳にした、あの変化じゃない。

それは、国でもなく、社会でもなく、
制度でも、システムでも、慣習でもない、

それは

俺達自身。

変化がおこるとすれば、それだけだろう。

ディランの歌は、そんな俺達のために存在している。




Someone said ; People, Obama isn't going to bring change. He's another puppet in the stage that is the New World Order. Broaden your perspective to beyond what CNN tells you, yeah?

I think this must be true, don’t you think?

This song’s“ change” is completely different from what Obama talked about in his uncountable speeches!
Remember!

2009年3月14日土曜日

シド

Sid Vicious:SEX PISTOLS (1978)

Photo by Bob Gruen ; Rock n’ Roll Photographer



パンクの中のパンクだった、伝説の中のシドは。

シド・ビシャス。享年21歳。



愚かさと弱さと卑屈さと情けなさがすべてだった。

ベースを弾けないベースマン。

かっこよさげなワルの風情は演技だったと思うよ。


だけど、死んで灰になって

恋人ナンシーの墓の上に撒かれ

その短い人生が

一篇の詩になりました。

それが

シド

Hey! Sid, it’s your way, right?


くだらないとか無意味とか


「くだらない」とか「無意味」とかを、殊更テーマにするのは、

そろそろお終いにしないか。

それは、批判されたときの「身を守る術」にすぎなかったんだよ。

だからこそ、そんな姿勢がばれてしまった今、

とみに八十年代の終焉を感じています。

僕らはもっと先へ行かねばならない。

違うか?

僕らは空気にも、あの青い空にも、残念ながらなれない。

僕らは、空を見上げて、微笑んだり、溜息をついたり、悪態をつく人間だ。

人間的な、あまりに人間的な部分こそが、最後には残る。

残らなくていいなんて格好つけるなよ。

たぶん残るんだ、

何かが。

たぶん、

それは、

必死であるということ。

照れずに、恥ずかしさをこらえて、ドキドキしながら、

必死になって、自分の大切なものを、

伝えることだろう。

悪ぶってもだめだ。

そんな時代は過ぎ去ったんだから。

必死さこそが、

俺達の住処だ。



西荻ロフトで


西荻ロフトで「森田童子」を聴いたのは、1977年だったと思う。

友達と二人で、西荻北口のビルの地下の狭い階段を降りていって、更に狭さを増した空間に入り込む。そこが噂の西荻ロフトだった。
ステージを囲むように、いやステージに迫るように椅子が並び、客は黙ってただアーティストのギターと歌声に耳を澄ましていた。
静かな客席が、その静寂にもかかわらず、どこか涙に似た熱い湿気を帯びていたのを覚えている。

  春の木洩れ陽の中で・・・♪

森田童子の声はか細く、消え入りそうだった。
なのに、こちらの若い胸にナイフを突き立てるように、入り込んでくる。
あれは何だったんだろう?

僕は全共闘世代ではない。
そして、その世代に憧れを抱く人間ではなかった。
むしろ、その世代のむせ返るようなロマンティシズムに嫌悪感さえ抱いていた。

だが、
「僕たちの失敗」という曲は違った。
まさしく全共闘世代の挫折感、言い換えれば、ロマン破れ世間に同調していかざるを得ない青春の末期の姿を歌っているにもかかわらず、僕の心をうった。

たぶんね、本当の気持ちを歌うとね、それは世代を超えるんだと思うんだよ。
僕たちはみんなどこかで失敗してるんだ。
それを、嘲笑うことなく、歌っていたんだな。

この森田童子の曲も今では聴けないそうです。
全て絶版になりました。
こうして、愚かなる後の世代は、自分たちの失敗を振り返ることもなく笑っているのでしょう。
この愚かなる世代こそ、まさしく僕の属する世代であることを肝に銘じよう。

僕らは今も、僕たちの失敗を、生きている。

祭りの準備


このエッセー自体今から十一年も前に書いた小篇です。
ですが、ATGの名作『祭りの準備』をよく伝えていると思うので、アップします。
実際今では文芸座は復活してますね!
時が経つのは、本当に速い。

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『祭りの準備という映画』

去年、池袋の文芸座という映画館が閉館した。その地下には「文芸地下」という邦画専門の小屋があり、「ル・ピリエ」という小劇場が併設されていた。あそこは、いわば20代の僕のすべてが凝縮していた場所だった。

二十歳の時、友達とオールナイトでATGの作品を毎週のように見た。ATGというのは、当時今では考えられないほどの低予算で上質の映画を制作していこうと燃えていた一群の人々のことだ。
そして、その作品の中に「祭りの準備」という映画があった。

昭和三十年代初頭。主人公の楯男は高知の中村の信用金庫につとめていた。希望のない日々に疲れていた彼には、ひとつだけ夢があった。いつか東京に出て、シナリオ作家になるという夢。様々な出来事があり、やがて、彼は故郷を捨てる決心をする。誰も見送りに来ない駅。だが、たまたま一人だけ人の眼を盗むようにして彼に近づいてきた男がいる。殺人を犯し、警察に追われる友達の利広だ。彼は楯男の決心を知らない。ただ、逃げるため、金をせびりに来たのだ。
楯男が東京に行く決心を知ると、利広は、せびり取った金と、食いかけのあんパンを、楯男に突っ返す。
列車の発車時刻になる。.........

○国鉄窪川駅ーホーム

        列車のデッキに立った楯男。ホームで見送る利広が、急に大発見したように叫ぶ。

利広「楯男!わりゃ、菊男さんに作ってもろうた背広着ちょるじゃいか!」
楯男「うん......これか?」
利広「(ポンポン肩を叩き)これで、われ、東京の銀座歩いてみよ......菊男さんは大喜びぜよ!」
       
 発車のベルが鳴り響く。

利広「頑張ってやれや、楯男.....頑張れや!」
       
列車はゆっくり動き始める。
        突然、利広、吃驚するような大声で叫ぶ。

利広「バンザイ!バンザイ!」
楯男「(ギョッとして)利広さん....」
        
利広、ひどく興奮して、両手をあげてニワトリが羽ばたくように飛び上がる。

利広「バンザイッ!バーンザーイッ!」

中島丈博・シナリオ全集『祭りの準備』より引用


映画のラストシーン。列車は遠ざかり、利広がホームで見えなくなるまでバンザイする姿があった。あのバンザイに僕は何度励まされたことだろう。人生はバンザイなんだ!人生は捨てたもんじゃないんだ!理屈ばかり言って、行動を先延ばしにしている暇なんかないんだ!馬鹿野郎!今走り出さないで、いつ走り出すんだ!
僕はあのバンザイに、何度もゴツンゴツンと頭を殴られてきたように思う。

27歳。僕は文芸地下のル・ピリエで芝居を上演することが出来た。その年の芸術祭のノミネート作品にもなった。でもそれだけだ。僕にとって、あの文芸地下で、ル・ピリエで芝居が出来て、それだけで十分満足だった。

39歳。僕はまだ走っている。祭りはこれからだと思っている。まだまだ祭りの準備なのかもしれない。それでも、僕は走り続けるだろう。自分に馬鹿野郎!しっかりしろ!と渇を入れながら、僕は走る。
僕には聞こえるのだ。はるか遠い昔、田舎の駅を出発するとき、たった一人で見送ってくれた母の姿と、心の声が。
あの時、東京に旅立つ先の見えない息子に、心の中でつぶやいていたはずだ。
「バンザイ!バンザイ!」と。

夏は人生の祭りだ。そして、祭りの準備は今が佳境なのかもしれない。

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大好きなラストシーンです。監督は「龍馬暗殺」の黒木和雄、撮影は寺山の「田園に死す」の鈴木達夫。
すばらしい!!

そして、僕は、今も祭りの準備の真っ最中!
それでも、人生は続くんだ☆
でしょ?

旅の重さ


「ママ、びっくりしないで、泣かないで、落付いてね。そう、わたしは旅にでたの。ただの家出じやないの、旅にでたのよ。四国遍路のように海辺づたいに四国をぐるりと旅しようと思ってでてきたの。さわがないで。さわがないでね、ママ。いいえ、ママはそんな人ではないわね。」

「布団の上に寝ないで、大地の上に寝るってことが、どんなに素晴らしいか。
私は今まで、ロウソクの炎が美しいってことは知ってたわ、でも、あの炎を吹き消したあとの、匂いも素晴らしいってことを、初めて知ったの。
ママ。おやすみなさい。」
                                   素九鬼子「旅の重さ」より (筑摩書房/1972年)

ああ、古臭いとか野暮ったいとか、いろんな言われ方をしても、素晴らしい映画は必ず人の記憶に刻み込まれるようにして残る。
そして、好きな映画は語りたくてたまらなくなる。
映画「旅の重さ」もそうした作品の一篇です。

原作者の素九鬼子さんは覆面作家。いまだにどこにいらっしゃるかもわかりません。しかも、作品の全てが今や絶版です。この方の「大地の子守唄」も映画になり、傑作ですよ。
でも、
作品は決して忘れられることはないと思うよ。古本屋で見つけましょう。その価値は充分にあるから。
映画は斉藤耕一監督作品です。この方の「約束」というショーケンのデビュー作もよかったな。

日本の「路上にて」だよ、「旅の重さ」は。
主人公の十八歳の少女の瑞々しいモノローグで展開する物語は、けっして原作を裏切らないものでした。むしろ原作と同じ価値を持つ珍しい小説の映画化作品だと思います。そして、冒頭の四国の緑の風景と、それに重なる吉田拓郎の「今日までそして明日から」は作品のリリカルさを見事に伝えていました。
緑で始まった物語のラストは、モノクロのスティル写真のコラージュで終わるんです。
その写真の中で、少女は旅の途中で出会った男と一緒にリヤカーを押しています。
どの顔も笑顔です。
白い歯がこぼれるような笑顔。
そして、額から汗が流れ落ちる。
こんな汗の価値を僕らはいつの間にか失ってはいませんか?
こんな笑顔と汗を拭う姿を、遠くから嘲笑うようになってはいませんか?

日本の風俗の変化はそれにしても早く慌ただしいものだから、ともすると、古いものは、イコール時代遅れのような感じを持つものですが、それは明らかに間違っている。
温故知新ですよ。
古きを温ねて、新しきを知るです。

良いものを簡単に忘れないで生きていきたいものです。


映画『旅の重さ』予告編

西荻窪『登亭』のおやじ


「登亭のおやじの肖像」平民新聞より引用
http://d.hatena.ne.jp/heimin/20080106/p1



今はなき西荻窪の定食屋『登亭』

三十年ほど前に、ほぼ毎日お世話になりました。
毎日、僕は登亭の「トンカツ定食」を食べて、生き抜きました。
ああ、いとしのデミグラスソース。
閉店近くの頃は、もっぱら揚げ物ミックスだったそうですが、僕はやっぱり「トン定」ですね。

ホントにうまかった!
味噌汁に突っ込まれたパン粉だらけのおやじの指。
ギトギトのカウンター。
やむことのないジャイアンツ話。
そして、湯気と腹一杯になった幸せ。

登亭は、僕のもうひとつの故郷です。
東京で暮らし始めた僕をいつも暖かくかつハードに迎えてくれました。

毎日店の前に、僕は並んで立って待つことが苦にならなかった唯一のお店でもありました。

さらば登亭!
さらば登亭のおやじ!

今度の舞台にあなた方は三十年ぶりに登場します☆

登亭Forever !!

ワインズバーグの教会で


Imacon X5 / National Geographic Society
SPARTAN SPIRIT The Interior of an Iowa Church, Photographed in 1975



シャーウッド・アンダーソンの名作『ワインズバーグ・オハイオ』が、今回の舞台の重要な小道具として登場します。

ワインズバーグは作家が創り出した架空の町。
だから実在するはずもない。
ですが、この写真はなにか小説の中に登場するワンシーンのような感じがします。
実際はアイオワ州の教会の風景。

今から三十年以上前の写真ですが、空気感が新鮮に感じられます。

実際に行ったこともない、しかも物語の舞台のワインズバーグですらない、無名の教会の風景がこんなにも懐かしく感じられるのは何故だろう。

もしかしたら、ユングが言ったように、人間には人間の共通の精神的原点のようなものがあって、それは人種や宗教や個人的経験を越えて、息づいているのかもしれません。

ワインズバーグの教会で、射し込む光の中で、掃除しているこの女性は「母」なのかもしれない。
そして、時と場所を越えて、今僕はそれを見ている。

写真だけじゃないな。
物語だってなんだって、こうして残していきたいものだなぁ。

なぜなら、僕らは誰もがこの「ワインズバーグの教会」から「ここ」へ来たのだから。

忘れまいと誓った人間にのみ、ワインズバーグの教会は見えるのかもしれない。

忘れまい。今を。

2009年3月13日金曜日

弟について


こいつがオイラの弟、
上野吉一博士です☆
ゴリラが笑ってるようですが、人間です。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ

名古屋の東山動物園で頑張ってます!!
我が弟ながらスンバラスイ☆やつです。

現在、日本の多くの動物園では、動物たちはストレスに晒され「常同行動」という無目的に見える反復的行動をとるそうです。
彼は、その動物たちの心理面から動物福祉という観点で動物園を改革しようと頑張ってるんだな。
こんなことは、かの有名な旭山動物園にさえないことです。何故なら旭山は観客の視点で園が設計されているのに対し、東山では動物たち自身の視点からストレスフリーな園全体を設計しようとしているのですから。
これは動物園におけるコペルニクス的転回です。

「動物園で動物を見せるというのは
生きた剥製としてチンパンジーを見せているわけじゃなくて、
生き様を、生きている生活を見てもらうわけじゃないですか。
そういう意味では彼らが少しでも、
そこで必要としている機能を満たしてあげるような
環境を作り上げるということは、
彼らを理解するということにもなるし、
彼らが本来住んでいる環境とかにまで
思いが馳せるような世界を作り上げることができる・・・」
             (上野吉一談)

これは演劇にも通じることだと思います。
演劇はただ素敵な人々の格好良い見世物だけであるはずがない。
僕らは演劇を通して「人間の営み」を観たいんだ。
動物園は「動物の営み」を見せる。
動物たちが俳優なんだなぁ。

昨年、テレビの『情熱大陸』で特集されましたが、以後もなお苦労がたえないようです。苦労は買ってでもしろ!苦労の向こうに朝陽は昇るんだ!
俺は心の底から応援してるぜ!

東山動物園でこのゴリラのような彼を見かけたら、声をかけてくださいね☆
とっても優しいゴリラですからぁ。

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