2009年12月31日木曜日

もうすぐ

今年2009年が終わりますね☆

今年は本当にいろんなことがありましたが、その中でも大きな出来事は、様々な再会でした。

きっと個人的にも時代的にも大きな転換点にいるのだと思います。
自分自身の来し方行く末をしっかりと受け止め、見つめたいと思います。

おっと、年越しそばの準備ができたようです!


また、来年☆

皆さん、良いお年を!


☆上野火山☆

2009年12月30日水曜日

今日は同窓会☆

本当に珍しい集まりです。30年近くなるでしょうか。
大学で共に舞台を作った仲間たちと再会します。
まずは懐かしい祐天寺のカレー屋さんからゴー!


☆上野火山☆

2009年12月21日月曜日

たいせつなもの

ちょっとボケてますけど…。

先日、わが家の子どもたちが、本の整理をしました。
懐かしい絵本の数々に時間も忘れて見入ってしまいました。
でも、新しい本を収納するには、外へ出さないといけない。そこで自転車こいで近所のお馴染みの図書館へ運んで引き取ってもらったのでした。
お別れしても大好きな本と図書館で会えるので、子どもは大喜び☆

そして、数日経った今日、わが家のポストにこんな手紙が、

「きれいなよい本をたくさん
ありがとうございました。
中の一冊に大切なものがはさまっていたので
お返し致します。」


大切なもの。

それは、

四つ葉のクローバーでした。

ありがとうございます☆


☆上野火山☆

消費者という名の桎梏

現在仕事中。

窓の外は今日も気持ちよい青空です☆

頭によぎるあれこれを、ちょっと書いてみますね。


先日、テレビで「良質な番組(ドラマ)を観たければ、CS(有料放送)を観なさい」と、ある司会者が述べていました。まるで、ジョージ・オーウェルの登場人物のようでした。


民放と言えども、CMによって消費行動が伴うので、決して無料(ただ)の放送を視聴しているというわけではありません。ましてや日本放送協会の放送は、昨今企業の宣伝を巧みに埋め込んだニュースを朝から晩まで流しているように思えるのは僕だけでしょうか?すなわち、視聴する料金を支払った上で更にCMを擦り込まれているという状況です。

その上で、更に良質の番組を視聴するために別立てで課金されるんですね。

どこまでお金を払えばいいのだろう。観なけりゃ払う必要はないよという声が聞こえてきそうです。勿論、必要のないものは観ませんが、民放のCS放送の方が良質だとしたら、その他一般の番組は「手抜きです」って言ってるようなもんじゃないですか?ですよね?

実に不思議なことです。こうして僕らはたえず消費行動に駆り立てられているんでしょうね。

宮台の言った「まったり生きろ」というのは、まさにこのことだったのだな、とあらためて思います。


というわけで、今、世界のあらゆる部分で、市場経済の思想が行き渡り、国民であれ市民であれ、町民であれ村民であれ、小さな部族の一員であれ、全ての人は押し並べて「消費者」になってしまいました。

良いサービスを受けたいのなら、それ相応の料金を支払わなければなりません。当然です。

ですが、情報に対するアクセスや、最低限の基礎教育や、必要最低限の生活のインフラ、乃至はライフラインの確保、といったものは、消費行動などではなく、生活の基盤です。

しかしながら、食物の供給からはじまって、生活の細部にわたって今や市場経済の市場の競争というやつに人々はつきあわされ、右往左往しているだけのようです。

我々は今や選んではいません。与えられるのを待っているだけです。なぜなら、それこそが消費者の望ましい消費行動なのですから。


消費行動の中に「格差」が見え隠れするのです。

人は常に「差異」を抱えて生きている。

しかし、その差異を格差とは呼びません。格差は「消費社会構造」に特有のヒエラルキーのことでしょう。勝ち組み負け組という価値観は、芸術や文化には本来基本的には存在しないものですが、そうした分野にさえも「消費社会」が入り込んでくると、途端に芸術や文化の勝ち組み負け組が生まれてきます。たとえば、どこかの密林の奥地にいる部族の芸術作品と、ヨーロッパのルネサンス期の芸術作品と比べて、どちらがより勝っているなどと誰が言うことができますか?

にもかかわらず、「市場原理」の基づいた「消費社会」では、「売れる方が勝ち」ということになる。格差とは、たかがそんなものです。そろそろ目を覚ましたいものですね。


競争は素晴らしい人間生活の活力を生み出すエンジン部分です。競争なくして何も生まれません。

しかし、市場経済プラス消費社会という尺度で過度の競争を生みだし煽るのは、狂気の沙汰ではないでしょうか。


人を「消費者」としか観なくなったとき、ドラマに携わる人間にとって、真の観客、すなわち「共感を通して見守る観客」を失うのだということを肝に銘じておきたいと思います。

僕は「消費者」である前にまずは人生の「観客」、「買う者」ではなく「味わう者」、でありたいと思います。


☆上野火山☆

2009年12月20日日曜日

家族

ツキヤって言います。

ジャンガリアンです。

今日は日曜なので、ハム小屋の大掃除!
君もウキウキするかい?

☆上野火山☆

2009年12月19日土曜日

仕事部屋にて

窓の外には「青い空」。


白い雲もぽっかり浮かんでいました。久々の休日。

仕事部屋の大掃除をしました。

だいぶいろいろなものを捨てました。資料としてとっておいた雑誌やマニュアルの類はすべて捨てた。捨てることで空間が生まれ、風通しも良くなり、仕事環境が整ってきました。


小さな幸せだね。

仕事部屋の角の窓辺に、空が見える。

まるで、船の操舵室のようです。北と東の空が見渡せます。

己の鼓動を聴く。

4ビートか、8ビートか、時には16ビートかもしれない。

鼓動を聴く静けさと、鼓動を感じる激しさが、両方必要だ。


仕事部屋にて、静かに激しくロックする俺がいる。

なんてね!


必要最低限のものと共に、じっくりと生きるのがいい。

そういえば、今夜は「牡蠣のオイスター・ソース・ソテー」を作ると家族に約束してしまった。

鶏の胸肉と一緒にソテーを作ろう!

添えるのは昨日漬けておいた「人参の糠漬け」。うまいぜぇ~。


仕事部屋で、窓の外を眺めながら、こんなことを考えていました。

久々のゆったりした時間を満喫しております。

☆上野火山☆

2009年12月13日日曜日

銀座で

雨に煙る銀座、並木通りの向こうに小さな劇場があって、そこで『ブレーメンの自由』という芝居が上演されていました。1時間50分、集中して見せていただきました。


物語は、18世紀のドイツで十数人の人間を次々と毒殺したゲーシェ・ゴットフリードという女性の半生を辿るものでした。

古い因習の中で、偏見と差別と制限に曝されて苦しみながら、そのルサンチマン(恨み)を殺人という方法で昇華させながら、徐々にふてぶてしい女に変貌していく。

しかし、最後には自分の順番が巡ってくることも予測している。舞台では、彼女が振り返り「今度はあたしの番」という所でエンディングを迎えるけれど、実際、この女性は公開処刑になったそうです。

実在した一人の女性を通し、過去の陰惨な出来事が、実は今日的な問題をはらんでいることに気づかされます。すなわち、封建的な価値観の内包する閉鎖性は、実は今日的な価値観の閉鎖性と通底し、人々をルサンチマンの虜にしていく。人は、時代の檻の中に無意識に押し込められ、もがき続けている。気づく人間と気づかぬ人間がいるだけかもしれません。

21世紀の初頭に暮らす僕らは、18世紀のゲーシェという名の毒婦と何ら変わることのない封建的ではないかもしれませんが、今の常識的価値観、貨幣的価値観に取り込まれ、勝ったの負けたのと騒いでいるわけです。


1人の女性の犯罪は、一時的なカタルシスを生みながらも、本人自身を蝕んでいく。


救いのない物語ではありましたが、その救いのなさが、妙にリアルに迫ってきました。今の時代を彷彿とさせながら。


銀座の夜の町を、雨に濡れながら、いろんなことを考えてしまいました。

良い舞台をありがとうございました☆

高瀬さん、中村さん、感謝です!!

またお会いしましょう☆


☆上野火山☆

2009年12月11日金曜日

チェーホフの短編を観る☆本気の話

昨日、日頃お世話になっております「劇団TAG」の芝居を観てきました。

我が演劇ユニット「空中スケッチ」のメンバー、佐々木隆夫君が客演しております。

チェーホフの短編を中心に上演している彼らの芝居は、とてもとても熟成していました。とにかく作り手の成熟の度合いをあらために認識させられました。観ているこちら側の成熟度も同時に測るいいチャンスだった思います。チェーホフをただの尊敬心というリスペクトだけではなく、より深く原題とリンクさせた作りは、非常に創造性に富んだものでした。
二十代から知っている鎌田さんと御嵩さんが織り成す大人の古典劇の趣ですね。

若い俳優である佐々木君も、とても良い経験をさせてもらったようです。

この場を借りて、劇団TAGの皆さんに感謝!です☆

今回は百年前のロシアの女たちをめぐる物語のオムにバス。いいんだな、これが。奥ゆかしさと同時に、現代の日本にも在り得るリアリティーのある物語世界が繰り広げられていました。
チェーホフは「書けと言われれば、あの灰皿からでも物語を書く」と言っておりますが、まさにその言葉通り、日常の些細な事柄が物語として色鮮やかに彩なされる様は、まさに職人芸。
チェーホフは実に職人(アルチザン)であった芸術家の一人です。そして、それを感じさせてくれる舞台でした。

いい舞台を観て、その余韻に浸りながら、夕方から大学へ!
昨日の講義は、講義ではなく珍しく劇映画を観ることにしました。授業中にDVDを観たのは今年は三回のみ。その中で劇映画はこの作品一本でした。
それは「竜二」。金子正次のデビュー作にして遺作。
学生たちは三十年近くも前の、しかもニューヤクザ映画などというジャンルの映画に大いに戸惑ったかもしれません。でも、若い彼らにぜひ見せたかった。
本気の映画の一本だったから。

昼間の舞台にしても、大学の映画にしても、どちらも本気なんだな。
「本気」はとても大事な姿勢です。
本気だけが、意味あるものを提示できる。
本気を嘲笑うより、本気で馬鹿と呼ばれたい。それこそが本望。

チェーホフも金子もどちらも若くして亡くなったけれど、その魂は受け継がれていると思う。
本気で人生を遊びたいと思います。

さて、今夜は、雨の中銀座へ向かいます。
銀座で一本芝居を観せていただきます。前回「エクスタシー」という翻訳劇を上演された演出家・高瀬一樹さんの新作翻訳劇「ブレーメンの自由」を観ます。小さな劇場で、人間心理を抉るように描くその舞台に期待したいと思います。
ここにもまた一人、本気の人がいるようです。

2009年12月10日木曜日

フレディー☆

昨日の朝、見つけました☆


ホンモノのフレディーを!


たった一枚。


寒空の中、がんばっていました。


こうやって気づくことがなかったら、人知れず地面へ落ちていたのでしょう。


たまたま、こうして見つけることができた。


そのことの必然を感じました。


誰かがきっと気がつき、


誰かがきっと見ていてくれる。


それが、一枚の葉っぱの教えかもしれません。


さて、今日はとても良い天気です。


もうすぐ家を出て、劇団TAGの公演に顔を出します。


みなさんも、もしお時間があれば、ぜひ!


劇団TAG:公演告知

『愛しき女たち』


原作:A・チェーホフ


[コーラスガール]

[意地っぱりとお嬢さん]

[誘惑]

[じつは彼女だった!]

[ある令嬢の話]


以上短編5作品のオムニバス公演を行います。




〈タイムスケジュール〉


12月

9日(水) 19:00~

10日(木) 14:00~ 19:00~

11日(金) 14:00~ 19:00~

12日(土) 14:00~ 19:00~

13日(日) 14:00~ 




〈劇場〉


荻窪 アール・コリン

(荻窪駅の南口、もしくは南口bを出まして青梅街道方面に直進{南口の場合左に直進、南口bの場合右手に直進}、約8分程で青梅街道に出て右手に劇場が見えます)

住所:東京都杉並区荻窪34718 第五野村ビル1階

TEL0333929623



〈チケット〉

前売り 3000

当日  3300


〈問い合わせ/チケット予約〉

TELFAX03-5372-1839(ナカヤ)

E-MAILt_a_g@infoseek.jp 



未就学児童はご入場出来ませんので、ご了承ください。



☆上野火山☆

2009年12月8日火曜日

生活の中の音楽

生活の中に音楽なければ生きていけない、と以前書いたことがあります。


音楽は形を伴わないので、それはまるで空気のようなモノです。


演劇を音楽のように行いたいと強く望みながら生きております。



今朝、不思議なことがありました。


我が家の上の子が、スライスしたパンにチョコレートシロップをかけていたとき、


パンのはしっこから垂れたシロップが、コップにくっつき、見事な♪音符になりました。


僕は、こういうの偶然と思えないんですよね。


いや、この世界に偶然なんかあるはずがない。むしろ、かなりの割合で意味に満ちあふれているように思います。すなわち、偶然は必然の無意識の現れである、と思っているわけです。


で、この音符、見事な8分音符なわけで、4分音符の半分。タタタタ、タタタタ・・・って感じ。。。

一曲浮かんだんで、テキトーにピアノで弾いてみた。

テキトーが良いんです。


こうして我が家では、今日も朝から音楽のある暮らしでした。


「偶然の音符」が奇跡だと知りました。

奇跡なんか信じないという人もおりますが、人生、奇跡の連続です。

それも小さな奇跡が。いつも最後の奇跡なんだろうなぁ。



☆上野火山☆

2009年12月7日月曜日

シンプルについて

しばらくネットから遠ざかって仕事をしておりました。
ふたたびしっかりと日々の思考の記録を書き残していきたいと思います。
時々ですが、ネットから遠ざかりたくなり、実際に遠ざかるようにしています。
己の気持ちに忠実に生きていきたいものです。
そろそろ、ネットに戻りましょうか。

ブログなど、いずれ別の形態に取って代わられてしまうのでしょう。ですが、今はこんな「ブログ」であっても、貴重な日々の思考の記録になり得る道具だと思いますので、それを使っていこうと思います。

『生活を「整理」し「単純」にする』

これが今の僕の生き方の中心にあるように思います。テーマです、まさに。
というのも、経済的にも政治的にも複雑で煩雑で、見通しの悪い、それでいて決して光の見えない「悪意」がそこら中に溢れる時代にあって、シンプルで居る、というのはとても重要な戦略だと思うんです。
生活のあらゆる部分で、複雑になっている糸の絡まりをほどき始めるとき、単純さの「明快さ」と「痛快さ」を感じます。

『なにごとも、シンプルであれ』

この姿勢は、必要以上のものを持つ「重さ」からの解放であり、同時に本当に必要とする必需品の「軽さ」の発見に繋がります。本当に必要なものは、以外に軽い。
シンプル・ライフとは八十年代の標語でもありましたが、実は今こそ相応しい時代なのではないかと思うのです。
余計なもの、いらないもの、普段使わないもの、ただ保存していたもの・・・等々を出してしまえば、残った本当に必要なものとの生活に没頭することができます。
そしてそれは生活全般にわたるコンセプト。
資料としてとっておいた雑誌なども、この際思い切って出しました。すると、意外なほどスッキリとした空間が生まれ、何が大事だったのかに気づかされるんですね。

『Simple is Best!』

僕には勿論、家族の1人1人が大事。そして、この人生で出会った1人1人が大事。さらに、この人生の積み重なって最後に残った小さな物が大事です。
僕の演劇は「小さな演劇」です。
それは登場人物が少ないという意味ではありません。
実際は登場人物はそんなに少なくないかもしれません。
でも、小さい演劇です。
小さくて、単純で、欠くことのできない大切なモノと瞬間。
もし、僕の演劇にテーマがあるとすれば、それだと思います。

シンプルに大切なモノと暮らしていきたい。そして、それこそが究極のロックの精神だと思う。
シンプルにロックな生活をすること。
それが僕の望みなのかもしれない。