2011年1月12日水曜日

年の初めに

一月も半ばです。
あっという間に時は過ぎていきますね☆
こんな言葉があります。

『あきらめるな」とよく言います。だから誰でもあきらめさえしなければ夢がかなうような気がしてきますが、そんなことはあまりない。頑張れば何でもできると思うのは幻想だと僕は思う。成功した人にインタビューするからそうなるのであって、失敗者には誰もインタビューしてないじゃないですか。
人間は、生まれ落ちた時からものすごく不平等なものです。国籍も容姿も選べない。親も子供も選べない。配偶者だって、2、3の候補の中から選ぶのがせいぜいで、それでもいいくらいのものでしょう?つまり限界だらけで僕らは生きているわけで、そんなにうまくいかないのが普通なんです。その普通がいいんだと思わなければ、挫折感ばかり抱えて心を病んでしまう。
僕は一握りの成功者が「頑張れば夢はかなう」というのは傲慢だと思っています。多くの人が前向きに生きるには、可能性のよき断念こそ必要ではないでしょうか。』
                                                                ー 山田太一

やはり山田さんは鋭いことを言いますね。確かに「諦める」ことは大切ですから。「諦める」とは「明らかにする」こと。
本質的に、諦めない限り物事の本質は見えてきません。その意味では可能性の断念というのは正しい、そして必要なことだと思われます。

だが、僕はあえてここで言いたい。
この考え方は大きく間違っている!
「そんなにうまくいかないのが普通なんです。その普通がいいんだと思わなければ、挫折感ばかり抱えて心を病んでしまう。」
ここがまずおかしい。
「うまくいかない」のが普通なのではなく、「うまくいかないがうまくいかせようと努力する」ことが普通なんだよ。
「挫折感ばかりで心が病んでしまう」というのも過剰な期待と過剰な前向きの結果でしょう。
むしろ、日々淡々と努力する姿勢以外に物事を為し得る土台は存在しないのではないですか。

僕らは過剰に期待したり、過剰に前向きになろうとする必要はありません。
しかし、うまくいかないことが普通だと己に言い聞かせる必要もない。

一握りの成功者が「頑張れば夢はかなう」というのは傲慢かもしれないけれど、「可能性を断念せよ」と他人に言われる筋合いは誰にもないのである。そして、その「可能性を断念した方がいい」としたり顔で語る姿勢こそ成功者の視線ではないだろうか。

年頭に当たって確認しておきたいのは、「普通」というのは挫折することではない。「普通」というのは「挫折してもなお努力する姿勢」のことなのだということ。
真に諦めるとは、飽くなき努力を愚か者のように続ける勇気の証なのだ。

今年もロックするぜ!!!!!!
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