2009年8月31日月曜日

狂気と理性

寺山 修司 (てらやま しゅうじ、1935年12月10日 - 1983年5月4日)は、日本の詩人歌人俳人エッセイスト小説家評論家映画監督俳優作詞家写真家劇作家演出家など。演劇実験室・天井桟敷主宰。

寺山の亡くなった年齢をとうに超え、彼とは違った形で演劇を行うことを模索してきた。
何故違った形で、なのかと言えば、彼の信奉したアントナン・アルトーを僕は否定するからである。
アルトーの「演劇とその分身」に見る残酷演劇の在り方は、形而上学的であり観念的過ぎ、イメージに過ぎない。というのも、シュールレアリズムとはまさにリアリズムの純粋な追求であり、それゆえ、枠組みを逸脱しなくてはならない強迫観念を生み出していく。演劇という枠組みがシュールレアリストにとっては、まず最初の敵なのだ。
演劇とはこういうもんだ、というような短絡には陥るつもりはないが、それぞれの時代にそれぞれのリアルがあり、そのリアルをどう受けとめ理解するのか、そして、それでもなお変わらぬ普遍的なテーマがあるはずで、そのテーマは方法論が変化しても枯れ果てることはないと思うのだ。

寺山がアルトーを通じ、更に天井桟敷という装置を使って見つめようとしたのは、他ならぬ個人的な存在の意味、つまり実存の確認の問題であったと思う。
ペストが流行し、亡くなっていった多くの人々が、実はペストにかかっていなかったという事実が、人間の抱くリアリティーは妄想が生み出す側面があるのかもしれない、という寺山とアルトーの共通した出発点になり得ている。
演劇とは一種の妄想であり、もうひとつのリアリティーの現出装置である。

そうした中で、寺山が更にミッシェル・フーコーの「狂気の歴史」に関心を寄せていることもまたとても興味深いことだ。
まさにそのフーコーの「狂気の歴史」こそ時代によって狂気の定義が変わるという「狂気の恣意性」を発掘した書物だったからである。「監獄の歴史」も同様だが、このフーコーにならえば、「理性」こそが各時代の「狂気」を生み出してきたことになる。寺山に言わせれば、核爆弾を生み出したのは人間の狂気ではなく「理性」であるということになる。
まったく同感である。
しかし、それでも二人に共通したシュールレアリズム的アプローチは僕の方法ではない。なぜなら、他のリアリズムを禁止する強い力が働くからである。それは、芸術と芸能の差異として彼らが表現するものであり、彼らにとっては芸術は芸能より上位にあるという前提があるからである。この一点が大きな間違いなのだと僕は思っている。演劇は芸術であり同時に芸能である。天井桟敷はスタイルは河原乞食の大道芸能のスタイルを取ってはいるが、「芸術」を標榜していたのである。
僕は、もちろん殊更「芸能」でなければいけないとは思ってはいないが、むしろ「芸術」も「芸能」も同じ重さだと認識しているのである。
問題意識は共有しても、方法論はかくのごとく違っている。

だからこそ、僕は演劇的なアプローチを寺山に寄らずに実践していきたいと思う。

ただし忘れずにいよう。狂気とは理性によって生み出される。
感情ではないところが、重要だと思う。

寺山修司(1) 1982 at Plan B


寺山修司(2) 1982 at Plan B


寺山修司(3) 1982 at Plan B


寺山修司(4) 1982 at Plan B

2009年8月30日日曜日

思考の時間

やるべき事に追われ、あれやこれややっているうちに時が過ぎゆくようです。

久しぶりに日曜日らしい日曜日で、午後は自分の時間を過ごしています。

なんとなく引っ張り出して聴いているのが、The Doobie Brothersの「Listen to the Music」。

七十年代前半、よく聴いていました。

ハードな作風ではないのですが、カルフォルニアの感じ、太陽の燦々と降りしきる中で生み出された音楽。甘酸っぱい感じがして、僕は好きでした。この時代は他にも「フリートウッド・マック」や「オールマン・ブラザース・バンド」なんか聴いてたな。

本日の作業音楽、というわけで、

The Doobie Brothers「Listen to the Music」

Allman Brothers Band 「Jessica」:サザンロックの風格があるんだなぁ。


あれ?蝉が鳴き始めたみたいです。。。。

過ぎ去っていく

今朝、起きたらベランダの向こうから蝉の声が聞こえない。
聞こえるのは、虫の声。
天気予報では台風が近づいているそうです。
空は曇り、風は強い。

夏は過ぎ去っていくようです。

そして、秋が来る。
この秋を経験したくてもできなかった人がいるはずです。
夏が過ぎ、秋になろうとしているこの気配を味わうことの幸福。
それは、あまりにあたりまえすぎて、どうでもいいですか?

僕は、そんなあたりまえをたっぷり味わいたいと思う。

沖縄の海のビデオを見つけました。
なんとも美しい夏の海の風景です。

生きてるうちが華なのよ、死んだら、はいそれまでよ。
だから、
この世界をしっかり味あわなくちゃね。
日々のすべてが、貴重な出来事の連続。
嘲笑ったり、見下したりしている暇はありません。
今やれることを精一杯やって、楽しみたい。
そう思います。

くれぐれも、メディアのプロパガンダに惑わされずにね!
自分の頭で考えながら。
価値観は、無意識に植え付けられるものかもしれません。

過ぎ去っていく夏を思いながら、そんなことを考えました。

2009年8月29日土曜日

センチメンタル

センチメンタルなものの価値が下げられた時期がある。

八十年代。

価値のあるものは「センチメンタルを廃した」ものでした。

人の感情に訴えかけることやものが、低俗なものとして切り捨てられていた。

残ったものは、意味不明で乾いたカサつく理屈と理論だけだった。

僕らはセンチメンタルだけでは生きてはいけない。

けれど、

センチメンタルをしっかりうけとめなければ生きてはいけない。

あれから三十年以上がたとうとしている。

ポストモダンの時代はとうに過ぎ去っている。

感情を、心を、取り戻したい。

今は、時代の分岐点。



静かな、素晴らしい風景描写です。何気なさの中にセンチメンタルがある。
この動画を制作された方に感謝☆

2009年8月28日金曜日

独りの道

円谷幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち[1]1940年昭和15年)5月13日 - 1968年(昭和43年)1月9日)はマラソン選手。


「父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。干し柿、餅も美味しゆうございました。敏雄兄、姉上様、おすし美味しゆうございました。克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゆうございました。
 巌兄、姉上様、しめそし、南ばん漬け美味しゆうございました。喜久蔵兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゆうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
 幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難ううございました。モンゴいか美味しゆうございました。正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
 幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敦久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正祠君、立派な人になって下さい。
 父上様、母上様。幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。何卒お許し下さい。気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。」

(円谷幸吉(1968/01/09)ー遺書)


東京オリンピック最終日、マラソンで英国のヒートリーと競技場内でデッドヒートを行い抜かれはしましたが、史上初のマラソン男子銅メダルを獲得した円谷幸吉選手。
まだ幼かった僕の目にも焼き付く快挙でした。
その彼が「後ろをふりかえるな」という父の教えに従って、近づくヒートリーを感知できなかったという事実を僕が知ったのはだいぶ後のことでした。
最近、人が少し軽蔑的な意味を込めて呼ぶ「昭和」という時代に、まさに彗星のように現れて消えていった独りのマラソンランナーでした。
生前は、計り知れない葛藤と軋轢に苛まれ苦しんだと言われています。
そのあげく、メキシコ五輪を目前に自刃。

自殺を擁護するつもりはまったくありませんが、円谷幸吉選手の死は、それでもあまりに切ないものです。
オリンピックの期待の重圧、自衛隊内部の上司の無理解、練習の不足、ヘルニアの悪化、さらに、自衛隊上司によって結婚すら破談させられたこと・・・。
昭和も四十年代に入っていたとはいえ、この国の古い因習や偏見も彼を苦しめたのでしょう。
しかし、その結果命を絶つことを決意した彼の遺書に書かれてあることを読むと、今この時代に失われつつある、あるひとつの重要な要素に気づくのです。

それは、頂いた食べ物や、人々の善意に対する、ひたむきな「感謝」の言葉です。

僕はこの遺書ではじめて「三日とろろ」というものを知りました。正月の三日に頂く福島の風物だそうです。「・・・美味しゆうございました」という言葉のもつ律儀さと悲しみを、今、この時代は確実に失いつつある。

「昭和」などといって薄ら笑っている場合ではないと思う。
僕らは本当に感謝したいほど美味いものを食っているのか?
もし美味いものを食ったとして、心から感謝できるのか?
三島由紀夫が、円谷幸吉の遺書を読み、円谷幸吉を弱い人間だとか敗北だとかノイローゼだったなどと言い捨てている連中に向かって言ったそうだ。「・・・生きている人間の思い上がりの醜さは許し難い」と。
生きている人間の思い上がり。なんと鋭い言葉だろうと思う。僕らはいつのまにか「生きている人間の思い上がり」の中で暮らしているようだ。

僕らはみんな「独りの道」をひた走っている。
だからこそ、目を覚ましたい。
その、無意識の思い上がりから。


昨日は

この夏最後のプールに行ってきました☆

立川の昭和記念公園のレインボー・プール!!

一昨日とはうって変わって気温も上昇し、絶好のプール日和。

波のプールは人工とはいえ、なかなかですたい。プールサイドでお弁当を食べて、ちなみにお弁当はおにぎりで、我が家では僕が握るので、家の女子達はみんな「オトコのおにぎり」と呼んでます。正三角形です。生真面目なおにぎりです。好評です。
んで、僕はプールサイドでゴロリ昼寝をしました。うちの嫁は一冊本を読み切ってしまいました。
それなりに充実してたかな?

あとは、残っている花火をすべてやれば、この夏の行事はすべて終了。

もうすぐ秋。

夜は、虫の声もしてますね。


☆上野火山☆

2009年8月27日木曜日

マッハバロン☆

高校一年の頃、もはや高校生のお兄さんになってしまった僕は空想特撮モノのテレビは観なくなっていました。頭ん中は女の子とロックと映画で埋まってましたから。

そんな僕が唯一弟たちと観ていた特撮モノがあります。
それが「スーパーロボット マッハバロン」。

はい?って思う人もいるかもね。
ウルトラマンとかウルトラセブン、あるいはウルトラQについて語るならまだわかるけどマッハバロンだとぉ~!

油断している人のために言っておきますが、マッハバロンはただのスーパーロボットものではありません。
これはロック、それもバリバリのグラム・ロックなんじゃね?と言われるしろものだったんです。実はオープニングの曲はコピーさせて頂きました。はっきり言って、このオープニングを聴くためだけに観ていたといっても過言ではない。オープニングがすべてでした。
ロックもわからぬ子供たちに、こんなもったいない使い方をするのかってぐらい、無駄にロックしてんです。で、その無駄がいいんだな。バタイユの言うところの「蕩尽」とでもいうのでしょうか。なにしろ子供番組によくある「子供だまし」をまったくやってない。本気の曲作りなんだ。
恐らく、このオープニングを忘れられない中年たちも多いと思うよ。

<マッハバロン・データ>
ララーシュタイン率いるロボット帝国の世界征服を阻止するために戦う真紅の巨大ロボット。
身長:50.0メートル
体重:300.0トン
飛行速度:マッハ15
出力:200万馬力
主題歌1:『マッハバロン』(作詞:
阿久悠/作編:井上忠夫/歌:すぎうらよしひろ)
主題歌2:『眠れマッハバロン』(作詞:阿久悠/作曲:井上忠夫/歌:すぎうらよしひろ)

こんなにロックしてる子供番組は他になかったと思います。今でもね。すばらしいオープニング。学校で「スゲ~」って評判になり、コピー合戦でした。メチャメチャかっこよかった~☆

オープニング


そのオープニングのベースを見事にコピる素晴らしい人!

そして、エンディング。これもいいんだ。

朝4時のZep

Led Zeppelin

先日、レスポールが亡くなったというニュースがありました。
エレキ・ギターの発明家の死は、やっぱり時代の変わり目を感じます。レスポールからジャズギター、そしてロックそのものがはじまったといってもいいんだろうと思う。

演劇の歴史は、ロックのそれに比べればはるかに長いので、どうもその変化が感じられません。演劇の流行ってのもあるんだけど、一般にはそれほど意識されることはありません。
ところが、ポピュラー音楽の歴史の方はまだまだ浅いので、変化はたえず意識されるのかもしれません。例えば、レッド・ツェッペリンなど、このブログでご紹介している映画やアーティストのほぼすべての例に漏れず、とっくに忘れられた存在なのかもしれませんね。
なにそんな昭和のロックにこだわってんの?と思われるむきもあるでしょう。
でも、ロックのみならず、様々な時代や場所や自分自身を形成してきたモノを、簡単に水に流しすぎだって、僕は思うのよ。

そんな簡単に記憶喪失にはなれません。
いいと思うものは何故によかったのか。
何に憧れ、何に失望したのか。
失われたモノで記憶に留めておくべきモノは何か。
新しいモノにすぐ飛びつく安易さを捨てる。
文学も哲学も、社会学も心理学も、政治も経済も、地道に解釈し続ける鈍重さがなければ、本当の自信に満ちた軽快さとリズムは生まれないだろう。
だから、
簡単に忘れないこと。

レスポールさんは亡くなりましたが、僕の中のロック魂はまだ消えていない。
演劇のロック性をまだ実現できていないから。
それには、僕自身がどこから来たのか、しっかりと見据えなければならないから。

僕の中でレッド・ツェッペリンは、ディープ・パープルと並ぶ、ハードロックのイコンでした。
もし、アイドルというものが僕にあったとするなら、それはロバート・プラントであり、ジミー・ペイジであり、松田優作だった。それは確か。
七十年代後半の忘れてはいけないイコン達。
ロックンロールというものがキャロルとは違った形で存在し得ることを教えてもらったのでした。ハードロック系の音楽は、ロックンロールという単純なスリーコードの世界からすでに離脱してしまったモノなのかもしれないと思い込んでいた僕には、ツェッペリンの「ロックンロール」は新鮮かつ斬新で、ロック音楽を新たな視点で捉えるきっかけになりました。
十七歳の僕はちょうど日本映画(特に日活ニューアクション)にはまっていた頃で、古い中に新しさを見出す訓練に明け暮れていた時代だったのかもしれません。

レスポールと言えばジミー・ペイジです。
やはり、その人物には相応しいギターがあるようです。アンガス・ヤングにギブソンのSGがあるように。それは、人は常になにものかを選択しつつ、人生を生きていくということなんだよな。
僕らはそれぞれ、僕らに相応しい楽器を選ばなくてはならない。
それは、相応しい人生の選択に他ならないのだから。

2009年8月26日水曜日

Guitar Legend!!!

Rory Gallagher (pronounced "Roar-ie Gall-a-her")
(born Liam Rory Gallagher, 2 March, 1948– died 14 June, 1995) was an Irish blues/rock guitarist. Born in Ballyshannon, County Donegal, Ireland, he grew up in Cork City. He is best known for his solo albums, and for his tenure in the band Taste during the late 1960s. A multi-instrumentalist who gained a reputation as a gifted and charismatic live performer, Rory Gallagher's albums have sold in excess of 30 million copies worldwide


絶対に忘れられない人がいる。
先日、ご紹介したベースマン金田君の部屋に貼ってあったポスターではじめて知ったギタリスト。それが、ロリー・ギャラガーでした。
金田君の部屋のロバート・プラントの隣に何気に貼ってあったロリー・ギャラガー。
「あれ誰?」と僕が訊くと、
「ああ?あれがぁ~ありは、ロリー・ギャラガ~だぁ~・・・神様だぁ~」とベースマン金田君。
レコードを聴いてショッッッックゥ☆
なんだぁ~?このノリはぁ~?
その日から、ロリー・ギャラガーは僕の中で「神様」の一人になりました。
「ひとりツェッペリン」なんて呼ばれたこともありました。
以前、僕の友人の川本君から紹介されたスティービー・レイ・ボーンとも比べられることもある、元々はブルース・ギタリストだったんだな。

ロリー・ギャラガーは僕の高校時代の密かなヒーローだったんだ。
フェンダー・ストラトキャスターと言えば、クラプトンかロリー・ギャラガーです。
ロリーの傷だらけのストラトに憧れました!

考えてみれば当たり前なのですが、僕が高校生の頃、レコードで聴くことはあっても、コンサートやライブに行かない限り、まず演奏している本人を観る機会はないわけです。たまに、NHKの「ヤング・ミュージック・ショー」なんていう番組や、時々公民館で開かれる「フォルム・コンサート」なんていうものや、「ギミー・シェルター」や「ウッドストック」あるいは「ラスト・ワルツ」なんていう映画で観るしか方法はない、そんな時代でした。
写真以外でギターを弾いている姿を一度も見たことがないのに、レコードを聴けば彼が誰だかわかる。

ロリー・ギャラガーはギターの神様でした。
ツェッペリンのジミー・ペイジを遥かにしのぐ技術と、ストーンズに加わるよう求められる熱さがありました。そして、もうひとりの神様、スティービー・レイ・ボーンに匹敵する激しさと超絶さを欲しいままにしていました。
でも、そういう人物は召されるのが早い。46歳で旅立ちました。

1974年。
ロリー・ギャラガーはアイルランドでツアーを行いました。『アイリッシュ・ツアー'74』がそれです。政情不安な中で行われたコンサートは異様な緊張に包まれましたが、故郷に音楽の熱い魂を伝えたいと願ったロリーは、恐怖を捨ててステージに躍り出ます。そして、ロックの神様が降りてきたようなライブを繰り広げたんだ。言葉ではなく音楽で生き方を示した男。アイルランドは今でもこのツアーを忘れてはいないそうです。

確かに大酒飲みでダメダメだったかもしれない。でもロリー・ギャラガーはロックに散った男だった。彼も伝説を創り出し、伝説を生きたひとりの真のロッカーだったと思う。
今はそんな伝説のコンサートをYou Tubeで観られるんだね。驚きです!


『アイリッシュ・ツアー'74』から
Rory Gallagher Tatoo'd Lady 74' Irish Tour


Rory Gallagher - Bullfrog Blues ☆炸裂するロック!


“ Stevie Ray Vaughan “ vs “ Rory Gallagher “ 神様が二人で降臨!!!

2009年8月25日火曜日

明日が来るなら☆☆


Eurythmics

アニー・レノックスとデイブ・スチュワートの二人で結成された「ユーリズミックス」。

八十年代の良質な部分を体現するバンドでした。といっても、現在も再結成して活動中ですが。

ポップス寄りのようで、実際はロックしている二人。
アニー・レノックスのクールビューティーの向こう側にある知性と意識がEurythmicsをただの凡庸なバンドから遠く隔てたものにしています。
政治的に発言することを潔くよしとしている。
ラブソングに見せて、人間の挫折と理想を歌いこむ。
ロックがアフォな不良音楽などではないことを深く認識している。
その意味では、ロックが後世クラシックになることを知っているふしがある。

なんてね、こんな勝手な思い込みすら持ってしまうようなところがEurythmicsにはありました。

僕が特に好きなのが「When Tomorroe comes」。
この歌がただのラブソングだと思ったら大間違い。あの全世界的にバブルだった八十年代に世界の不穏を感じ取っていたことがよくわかる。すでにあの時代に、来たるべき不安と崩壊の足音を彼らは聞き取っていたのだと今更ながら思うのです。
ぼんやりと眠っているような人間の意識の向こう側で、様々な邪悪なことが行われ、目が覚めたとき、僕は君を救い出す、だから僕を信じて、と歌ってるんです。

いつか必ずこの曲は僕のドラマで使うはずです。最近いくつか映画を観てまた思いました。ドラマを生かすも殺すも、実は音楽にかかっているんじゃないだろうか?このブログでは何度も触れていることだけれど。素晴らしい曲を、素晴らしいと言い切れる人間でありたいと思う。それこそドラマを提供しようとする人間の責任なのだから。


“ When Tomorrow comes“
By Lennox/stewart/seymour

♪ Underneath your dreamlit eyes

Shades of sleep have driven you away.

The moon is pale outside

And you are far from here.

Breathing shifts your careless head

Untroubled by the chaos of our lives.

Another day - another night

Has taken you again my dear.

And you know that Im gonna be the one

Wholl be there

When you need someone to depend upon

When tomorrow comes...

When tomorrow comes...

Wait till tomorrow comes - yea yea...

Wait till tomorrow comes - yea yea...


Last night while you were

Lying in my arms

And I was wondering where you were

You know you looked just like a baby

Fast asleep in this dangerous world.

Every star was shining brightly

Just like a million years before.

And we were feeling very small

Underneath the universe.

And you know that Im gonna be the one

Wholl be there when you need

Someone to depend upon

When tomorrow comes...

When tomorrow comes...



1988/ネルソン・マンデラ記念

Eurythmics - When tomorrow comes wembley june 11th 1988 Mandela's 70th anniversary


2009年8月24日月曜日

映画と小説の間

ティファニーで朝食を:1961

原作モノと呼ばれる映画や舞台やテレビドラマがある。
今や漫画原作絶頂期を迎えているようです。

ところで、「ティファニーで朝食を」という古い映画は、原作と映像作品の娯楽性の違いを考える上で、面白い作品だと思う。

オードリー・ヘップバーン扮するホリー・ゴライトリーはとんでもなく自由気ままな女。掴み所のない小鳥のような人だ。同じアパートの上の階に住む作家のポール(ジョージ・ペパード)はそんな彼女を観察しつつ、好きになってしまう。
映画を知っている人にとって、この作品は典型的なハリウッドのロマンチック・コメディーだと思われる。パンをかじりながら、ティファニーの前をウロウロするホリーの姿はこの映画の象徴でもあるんです。
でも小説をじっくり読んだ人にとっては、随分違ったイメージを持つと思われます。というのも、この原作を書いたトルーマン・カポーティは他の作品でもそうですが、単純なロマンスなんか書くはずもない特異な作家です。「冷血」という作品では、実在した猟奇殺人の犯人を個人的に面接し物語を構築していきます。この小説「ティファニーで朝食を」では、恋愛はロマンチックに成就することはなく、自由気ままなホリーという女性のなにものにも拘束されない奔放な生き方を皮肉な感じで描いています。最後は、作家の所に写真と手紙が送られてきて、彼女はどうもアフリカで原住民達と暮らしているらしいという、生きてんだか死んでんだかわからない、なんとも不思議な終わり方をします。小説のホリーは実はアフリカで死んでいたという伝説まであるほどです。カポーティは、個人主義的な過剰なアメリカナイズした自由を一種の狂気、ホリーという映画ではロマンチックだった存在の隠された「狂気」を描いてさえいるような気がします。

大事なのは、これは原作と映画がまるで違うのに成功している、稀有な例ということです。

最近、ハリー・ポッターの最新作を観てきた娘が言うには、どうも原作には書かれていなかった深い人間の感情と葛藤の描写があるんだとか。これが本当だとすれば、原作でわりとあっさりスルーされた部分を、原作ありきのはずの映画の方がむしろ深く追求しているという逆転現象が生じているようです。

娯楽の質は文学と映画では似てはいても、本質的には大きく違っているのでしょう。
基本的には同じストーリーであっても、媒体(メディア)が異なれば、効果も違ってしまうから。
「ティファニーで朝食を」はその効果を、映画と小説のそれぞれが最大限生かしているところで、成功してるのだと思う。

与えられた媒体(メディア)の特性を生かしつつ、異なったジャンルを行き来することができれば、それは楽しいに違いない、などと考えます。

「ティファニーで朝食を」はそのタイトルの甘さから敬遠するむきもありましょうが、原作と読み比べ見比べてみると、面白さが倍増するんですが。
どう?

ささやかな心の歌

keikoさんという方からコメントを頂きました。
11月に斉藤哲夫さんのコンサートを企画なさっているそうです!
嬉しいですね☆
頑張って下さい!!

この世界には決して古びないものがあります。
それは、卑屈に時代に迎合しようとしないものです。
それははっきりしてるんだ。
みうらじゅんさんの「アイデン&ティティ」の第3部で、迎合しまくりだったロックシンガーが人生の最後に本気の歌を歌う場面が出てきます。病室で魂を吐き出すように作った曲。そしてそれが人を動かす。
自分自身から生まれたどうしょうもないものだけが結晶のように残る。それはとてつもない喜びだと思う。なぜなら、それこそが人がこの世に残すことのできた小さいけれど確かな爪痕だから。
後世に残すことなんか興味ない、などとうそぶくのは簡単です。昔からよく見かけた自意識たっぷりのスタイルですが。でもね、爪痕を残す本気は、必要だと思うよ。いや、創作の原点は好きな人に送るラブレターを書くことであり、この世に爪痕を残すことなんだ、ということ以外に何かあるのか?と問いたい。

久しぶりに斉藤哲夫さんの「バイバイ グッドバイ サラバイ」を聴く。
彼の歌の中でも、わりとポップスに近い路線の曲のひとつですが、時代に対する迎合を感じることはありません。これも斉藤哲夫という一人のシンガーの爪痕となって残っていく。そう思います。
ささやかな彼の心の歌が今日も聞こえます。
そして、明日に繋がっていく。

ささやかな、強さ。

斉藤哲夫『バイバイグッドバイサラバイ』1973

2009年8月23日日曜日

Stand By Me☆


“ Stand By Me ” by John Lennon

When the night has come

And the land is dark

And the moon is the only light we'll see

No I won't be afraid, no I won't be afraid

Just as long as you stand, stand by me

And darlin', darlin', stand by me, oh now now stand by me

Stand by me, stand by me

If the sky that we look upon

Should tumble and fall

And the mountains should crumble to the sea

I won't cry, I won't cry, no I won't shed a tear

Just as long as you stand, stand by me

And darlin', darlin', stand by me, oh stand by me

Stand by me, stand by me, stand by me-e, yeah

Whenever you're in trouble won't you stand by me, oh now now stand by me

Oh stand by me, stand by me, stand by me

Darlin', darlin', stand by me-e, stand by me

Oh stand by me, stand by me, stand by me



二十代の終わり頃、下北沢で翻訳物の芝居に出ることになりました。
その頃、とても人気のあったニール・サイモンの喜劇「第二章」。その劇の四人の登場人物の中のレオという主人公の作家の弟の役が僕。
これがダメな男なんだ。
家庭は冷え切り、女と遊ぶことばかり考えている。兄が妻を亡くし落ち込んでいるとき、励ましながら実際は自分の満足感のため、あるいは現実から逃避するために、新しい女性達を次から次に紹介する。兄はそんな中でたまたま出会った女優と恋に落ちる。弟の自分はといえば幸せそうな兄を尻目に惨めな浮気ばかりの人生がそこにあった。
第二章とは新しい人生を四人の愛すべき登場人物が如何にはじめるのかを描いたニール・サイモンの傑作でした。

その劇の中で、売れない女優と浮気する場面で、音楽が欲しいということになりました。
演出家からなかなかアイデアが出ないので、僕が用意したのがジョン・レノンのStand By Meでした。
浮気相手の気持ちを和らげて、踊りながらベッドへ戻ろうとするときの音楽。
この曲をバックに、僕は適当な歌詞を即興で歌ったものでした。適当、それが一番だったんだな。

情けないシーンが、この曲がかかると途端になにか意味のあるシーンに思えてくる。
音楽に力があるから、だからこそ俳優は音楽に負けない存在感が必要なんです。

この曲をベースに、S.キングの小説「死体」を原作にした映画も作られました。男女の歌にも聞こえるし、男同士、女同士の友情の歌にも聞こえます。
映画「スタンド・バイ・ミー」に主演したリバー・フェニックスも、もうこの世にはいません。それでも、「いつもそばにいて欲しい」というこの曲は多くの人の胸に染みこんでいるのではないでしょうか。Stand By Meという曲は、本当にいろんなことを思い出させる不思議な曲です。

サイクリング・ブギ

今日はちょっと曇ってましたが、近所の陸上競技場までサイクリング☆


サイクリングといえば、サディスティック・ミカ・バンドの「サイクリング・ブギ」でしょ!!!

頭の中でこの曲がなりっぱなし☆☆☆


我が家のお嬢が百メートルと二百メートルに出るというので、張り切って川と用水の脇のサイクリングロードを走るのです。

これが気持ちいい。


やがて現れたこの辺りでは有名な巨木!

その向こうに競技場がありました。


巷は世界陸上で盛り上がってますが、近所は中学対抗陸上で盛り上がってます。


ちなみに、「サイクリング・ブギ」ですが、この曲は中学から高校にかけて一緒にバンドをやった金田くんという友達の想い出でもあります。


中学二年のある日、音楽の時間にピアニカを弾くことになり、その試験を来週やると先生が言いました。みんな当然いきなり試験なので焦ったわけですが、僕ら二人はなぜかそんなことをすっかり忘れて、金田くんの家でミカ・バンドの曲を聴いて盛り上がっていたわけです。

僕らのお気に入りは「タイムマシンにお願い」と「サイクリング・ブギ」。

ウヒ~とかアハ~とか言いながら時は流れて試験の当日です。

すっかり試験のことを忘れていた僕と金田くんは、焦りの極致。そこで音楽の授業の前の十分間、学校の裏に行って相談開始。アタマ空っぽのオレらになにができる?ネタもなし、練習もなしのオレら二人でしたが、ミカ・バンドだけは死ぬほど聴いていた。


あッ!!と金田くんの俺より賢い頭の中に何かひらめく!!

「おれさ、ベースやっから、おめぇ、メロディー弾かねぇがい?」と金田くん。

「うん?どゆこと?」と僕。

「サイクリング・ブギさぁ!死ぬほど聴いたんだがらよぉ~それしかねぇべぇ~!!」


というわけで、僕らは二人でコンビで試験を受けることになりました。し~んと静まりかえった音楽室。いきなりC→F→Gで循環するロックンロールが鳴り響きました!

二台のピアニカで行われるサイクリング・ブギ。それは予想に反して、教室中を捲き込んで、先生も大騒ぎさ!え~マジかよ?マジですよ。

んで、翌週の月曜日の朝会で全校生徒の前で、僕ら二人はノリノリでピアニカやったんす☆

ピアニカがあんなにファンキーだなんて誰も知らなかったみたいです。

勿論、僕らも知りませんでした。

それから、金田くんは僕と一緒のバンドで、常にベースを弾くことになったのでした。

これが、これが金田隆くんというベースマンの誕生の物語です。

金田くん、元気?僕は元気です。

今日、自転車をこぎながら、君のことを思い出していました。

☆上野火山☆

2009年8月22日土曜日

グルジェフについて

ゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジエフ(Георгий Иванович Гурджиев, 1866年1月13日? - 1949年10月29日)は、ロシア神秘思想家
神秘思想家として紹介されることが多いが、著作・音楽・舞踏によっても知られる。ギリシャ系の父とアルメニア系の母のもとに当時ロシア領であったアルメニアに生まれ、東洋を長く遍歴したのちに西洋で活動した。20世紀最大の神秘思想家と見なされることもあれば、怪しい人物と見なされることもあるというように、その人物と業績の評価はさまざまに分かれる。欧米の一部の文学者と芸術家への影響、心理学の特定の分野への影響、いわゆる精神世界や心身統合的セラピーの領域への影響など、後代への間接的な影響は多岐にわたるが、それらとの関係でグルジエフが直接的に語られることは比較的に少ない。人間の個としての成長との関係での「ワーク」という言葉はグルジエフが最初に使ったものであり、近年ではもっぱら性格分析のツールとして使われている「
エニアグラム」はグルジエフが初めて一般に知らしめた。精神的な師としての一般的な概念にはあてはまらないところが多く、弟子が精神的な依存をするのを許容せず、揺さぶり続ける人物であった。(Wikiより)


演出家ピーター・ブルックを僕は個人的に敬愛するものだが、彼の自伝である『ピーター・ブルック回想録』を読み、何故演出家としてのピーター・ブルックに惹かれるのかよくわかった。
彼の回想録は単に演出家の仕事のメモワールではなく、むしろ本のほとんどが「G.I.グルジェフ」という一人の思想家に捧げられたものだった。偶然にも、八十年代に僕自身グルジェフと出逢い、ベルゼバブをはじめとするその著作に大いに影響を受けたのです。その謎の多い神秘思想家に紙面の大半をさくピーター・ブルックという人に、個人的に同志のような感覚さえ覚えました。

今でこそ、怪しいスピリチュアルブームが世間を騒がしていますが、八十年代頃にも、ニューアカデミズム以外に、神秘思想がニューエイジの名の下に流行していたのです。オームや人間啓発セミナーの問題もそんな中から登場しました。
ですが、ブラヴァツキー夫人やシュタイナー、そしてグルジェフといった謎や怪しさはつきまとうものの独自の思想という領域まで行き着こうとした骨太な人々の著作は意外なほど取り上げられなかったように思います。流行するにはヘビー級過ぎたのでしょう。ブラヴァツキー夫人の翻訳なども、代表作「秘密教義ーシークレット・ドクトリン」は未だ上巻しか出版されていません。これなども結局原点を読むしかないのです。九十年代、ロンドンの小さな本屋で一冊手に入れたのは、昨日のことのように覚えています。
ルドルフ・シュタイナーに関しては、またあらためて書こうと思います。この人の著作を読むことで、未だに愛読しているクリシュナ・ムルティの著作に出会うことができました。演劇と向き合う決心がついたのもシュタイナーの存在があったからだと思っています。

そして、グルジェフです。
「ベルゼバブの孫への手紙」という彼の代表作である寓話小説によれば、「人間が理解している正義は、客観的意味においては呪うべき迷妄である」ということになる。
これは第三の書・44章に記述されているんですが、そこで彼は、人間の精神の主たる欠陥、つまり宗教について述べたとき、人間の間で最も普及している有害な観念こそ「善と悪」と呼ばれるものだと述べています。
人間の行うあらゆる宗教的教義が、<外なる善と悪>を撒き散らし、その観念を受け入れ、行為によってこれを表現するよう強制していると説き。善を広める霊を「天使」。悪を広める霊を「悪魔」と名づけたのだ。そして、人間が悪魔をとらえる確率はその人の「公正さ」に比例している、と宗教教義は伝えている。
グルジェフはだからこそ人間の「善と悪」の観念は有害だと言い切るのです。

不意に思い当たることがある、アメリカが何故あれほどまでに自国がフェア(公正)であることを主張し、善と悪を明確にわけ、悪を攻撃するという前提で自国のテロを肯定するのか、そして、何故最近の中国は「友愛」の名の下に民族浄化というテロを公然と行っていられるのか。
すべては無批判のまま、様々な観念を簡単に受け入れてしまっている我々が引き起こしている出来事ではないのか?
我々自身が目をつむり、そこにある事実や真実を見ないようにしているだけなのではないのか?

グルジェフは言う。「人は生きながら死んでいるのだ」

この言葉は、怪しい神秘主義者のオカルトの話ではない、むしろ真のリアリストの言葉に僕には思えるのです。
古い書物も、新しい目で見ていれば、そこには今もなお続く出来事の本質を読み解くヒントがちりばめられていると思う。「正義」が怪しいと思えるクリアな精神が必要な時代に、僕らは生きているように思います。
僕らは、生き。目を覚まさなくてはならない。

2009年8月21日金曜日

緑のイルカ通りで

John Coltrane

外では蝉が鳴き今日も夏なのですが、なんかなぁ、今年はジリジリ照りつける夏の光が薄めのような気がします。夕方には虫が鳴き出し秋の気配がすぐそこまで来ているようです。

近所の湖に散歩に行こうと思います。
水の面を眺めながら、夕陽を見ながら、静かに時を過ごすのが好きだな。

頭の中では、ジャズがいいかも。
ジョン・コルトレーンで“On Green Dolphin Street”。

生活がどれほど紆余曲折しようと音楽はいつもそばにいてくれた。
たとえ、プレーヤーがなくても、楽譜がなくても、楽器がなくても、音楽は僕の頭の中と心の中に在る。東京に出てきたころは、ピアノが弾きたくても身近なところにはないので、紙に書いた八十八鍵の黒鍵と白鍵の書かれた紙だけがすべてだった時期がある。

今だってさほど変わらない。
一日の中で音楽と向き合う時間は大切。
演劇も物語りも、時には授業だって、音楽があってこそだ。
科白も動きもすべて、メロディーとリズムに還元できるような気がしてならない。ちょっと極端だけどね。でも、そう思う。人間の思考も行為も音楽に近い。メロディーとリズムから出来上がっているような気がするんだ。

文学にせよ、政治にせよ、経済にせよ、哲学にせよ、演劇にせよ、時々音楽性を省みることなく話が進む場合がある。僕はそんな時、リズムの不調和、コード進行に不可解さを感じ、騙されまいと眼をこらし耳を澄ますことにしている。「嘘」は、できすぎた音楽の形をとることが多い。耳に優しく、納得しやすい。思わず頷いてしまう。だが、そんなときこそ、懐疑的になりたいものだ。

それから、リズムの基本は「鼓動」だとも思っている。
己の鼓動に同期するリズムとメロディーを人は好むのかもしれない。だとすると、それはジャンルではなく、むしろ一曲一曲のもつ潜在的な力に僕らは惹かれているのではないかな。ジャンルにこだわる気持ちはわかるんだけど、音楽自体、曲自体にこだわりたいと僕は思うよ。

たまに、無性に聴きたくなるJohn Coltrane。
今日も、夕陽を見つめながら、聴くことにしよう。

John Coltrane: On Green Dolphin Street

2009年8月20日木曜日

誰も知らない

誰も知らない:2004

是枝裕和監督による巣鴨児童置き去り事件をモチーフにした映画作品。

現実の事件は、もっともっと救いようのないやりきれない話でした。この映画でも、実母に置き去りにされた幼い兄弟の現実をリアルに抉り出すように描いていますが、現実は更に悲惨なものだったようです。

ですが、事実を元にしたフィクションだと言い切る作者の姿勢は、本当に潔いものなので、観る者はドキュメンタリーを観ているような錯覚から、やがていつの間にか創作された舞台へ入り込んでいくのです。その境目があまりにも見事に処理されているので、出来事の重さに目眩を覚えるようです。

捨てられた子供たちが生き抜くために如何に必死に戦ったのかが描かれているのですが、年長の子供たちは年長らしく、我慢や忍耐を覚え、泣かずに現実に対処していきます。いつの間にか子供であることなど忘れてしまったかのように。
というのも、少年は母が家を出る日、朝方、布団から身体を起こし静かに泣く母を見るのです。母親の絶望を感じ取るので、途中、自分たちを放り出した母と会っても怒れないのです。子供はもう子供ではなくなっている。自分勝手な情けない大人たちより、責任を感じる大人になっている。それは、あまりにも過酷で悲しい現実です。

なのに、部屋に閉じこもっていることをやめた時、兄弟は近くの公園に行き、遊びます。
遊具で回転しながら見せるその表情があまりにも幼く、過酷な現実と落差があるので、公園のシーンは、この映画のもっとも幸福な瞬間の象徴になっているんです。
子供たちの表情を観るだけで、胸が熱くなってきます。

二段ベッドから落ちた末の幼い妹が亡くなります。
どうしたらいいのかわからない兄弟。主人公のお兄ちゃんは友達と供に都内を彷徨い、いつしか羽田のそばまで来てしまう。朝方、スコップで穴を掘り、妹を入れたトランクを埋めるのです。
朝陽が昇るころ、歩き、電車に乗り、家に戻ってきます。
このシーンは、二つ目の大きなヤマ場と言える部分です。
この場面の悲しみは、登場人物達に涙がないぶん、痛切に伝わる感情がある。
ここでも時間、場所、光、表情・・・そのすべてがこの作品のすべてを表している、そんな気さえします。

そしてラスト。
少年が一瞬振り向いた時、ストップモーションになるんです。

たぶん、この映画は科白の意味を聞き取る作品ではなく、登場人物の表情や温もりや匂いを感じるべき作品なのかもしれません。
少なくとも、僕は、子供たちの振る舞いだけで二時間過ごせたような気がします。
フィクションは時にノンフィクションを越えるんだ。
その時、実話は寓話になる。

リリカルとは、この映画のためにあるんじゃないかな。



『誰も知らない』外国向け予告編



『誰も知らない』
妹を埋めた後のシーン。涙のない痛切さがここにある。

2009年8月19日水曜日

セックス・ピストルズ☆☆☆

Sex Pistols

Punk Rockというスタイルを世界に広めたのは彼だった。
勿論、その前にラモーンズがいて、ラモーンズがいたからこそのピストルズだった。

ほぼ僕と同い年の彼らの軌跡は、僕らの世代の持つ軌跡に似ている。うん、共通の何かがある。
三十年ほど前にイギリスに現れた彼らは世間に唾する音楽をがなり立て、無軌道の典型のように思われた。とりたてて人生に目標があるわけじゃなく、前の世代のように社会革命を標榜するでもなく、かといって社会制度に過剰適応するわけでもない。つまり、シラケ世代から新人類といわれる世代への移行期だったのだ。
仮想敵が見つからない時代。すべてが許されながら、なにも許されていない感覚。豊かさと格差を徐々に感じ始めた時代。そろそろ誰もが金があれば何とかなると思い始めた時代。
まさに、現代に直接結びついている時代の夜明けが、あの三十年程前の風景だったのではないかと思う。
イギリスは1979年のサッチャー政権が登場するギリギリの時代。そのギリギリの時代にピストルズは現れ、サッチャー政権下でスターになり、潰れていく。イギリスは日本よりも一足早く構造改革と民営化を押しすすめ新自由主義的経済がまかり通る社会になってしまう。
そんな時代背景を背負いつつ、ピストルズは矛盾と嘘くささに牙をむいたのだ。
でも、単なる牙は自滅の一歩。真の敵を見出せずに空中分解してしまう。
シドの加入と、その死は、伝説化されてしまったが、まことに陳腐の極みであった。と同時に、その陳腐さこそがピストルズのいかがわしさのパワーの源でもあったのだが・・・。
彼らは挫折したのだ。
彼らは抵抗の、その直線的なスタイルに挫折したのだ。

だからこそ、三十年経った今、ジョニー・ロットンを中心に復活したピストルズを観ると、腹の出た中年のオッサンの未だ枯れることのない抵抗のスタイルが、最早直線的でなく「演技」であり「道化」であり、だからこそ時代は変わっても問題の所在は変わらず、その大げさなパンクスタイルでじっくりと生涯をかけて抵抗してやろうじゃないかという真の「ふてぶてしさ」を感じるのである。

真の「東京メリケンサック」がここにいる。
昭和が平成になろうとも、パンクはパンク、そしてロックはロックであることに変わりはない。
この世界には、結局、ロックする者とロックしない者だけがあるんだ。
俺は、ロックを信じる。
たとえ何度挫折しようとも、俺はロックを信じる☆

1977


2007

2009年8月16日日曜日

実は、ガリレオ

ドラマを観ていて、ドラマ自体よりも音楽に惹かれることが多々あります。

その代表のひとつが『ガリレオ』。

オープニングの「知覚と快楽の螺旋」は最高にイケてるインストルメンタル。なにしろ伸びのあるギターのイントロにやられます。それと、トレモロ。
そして、エンディングは「KISS」。これも、とぼけていながらメロディーラインが耳に残ります。

「知覚と快楽の螺旋」は古畑任三郎のオープニングに似すぎているともいわれますが、僕は気にならない。似たフレーズは確かにありますが、パスティーシュの範囲内。全体の音楽的イメージは向こうがビッグバンド・ジャズなのに対して、こちらは完全なロックだね。

ちょっと前のドラマだけど、時々曲が聴きたくなるんだな。
やはり、音楽は欠くことのできないドラマの要素だな。
音楽に頼りすぎるのは、どうかと思いますが、それでも音楽が大事にされることはよいことだと俺は思うな。

福山という人は、本体はMusicianなんだな。それが俳優の仕事にもいい影響与えていると思います。

「vs.~知覚と快楽の螺旋~」横浜ライブから。
フェンダー・ストラトキャスターが唸ってます☆最高!


「KISS」こっちはレスポールがギュインギュインいってますぅ~。

魔法のコトバ

うちのお嬢たちが還ってきます。

彼女たちのお気に入りはスピッツ。
九十年代から常に変わらない青春を歌い続けている彼らの音楽は、今や平成もだいぶ経ってから生まれた世代にもインパクトを与えています。

映画「ハチクロ」のテーマになったこの曲は、映画を越えて我が家の愛唱歌になりました。
英語でMagic Wordといえば“Please“のこと。
では、この歌の中の魔法のコトバってなんだろう?

とにもかくにも、僕たちには本当は二人だけの魔法のコトバがあって、その言葉さえ聞ければ生きていけそうな気がする、ってこと、そんなことが実際あるってことなのさ。

かつて恋人だった二人が、家庭を持ち、やがて子供たちがやって来る。
それでも、魔法のコトバは生きていて、今も時々僕らは魔法にかかる。
そうさ、あまりにも利口になりすぎて魔法のコトバを忘れたり、わからなくなったら、もう一度原点に戻ろうとすればいい。いつでも、最初に戻ろうとすればいい。絶対に戻ることはできないのだけれど、戻ろうとするとき、人は記憶喪失から解放されるんだよ。
さぁ、魔法のコトバを今日も使おう☆


『魔法のコトバ』作詞・作曲:草野正宗 by スピッツ

あふれそうな気持ち 無理やりかくして
今日もまた 遠くばっかり見ていた
君と語り合った 下らないアレコレ
抱きしめてどうにか生きてるけど

魔法のコトバ 二人だけにはわかる
夢見るとか そんな暇もないこの頃
思い出して おかしくてうれしくて
また会えるよ 約束しなくても

倒れるように寝て 泣きながら目覚めて
人混みの 中でボソボソ歌う
君は何してる? 笑顔が見たいぞ
振りかぶって わがまま空に投げた

魔法のコトバ 口にすれば短く
だけど効果は 凄いものがあるってことで
誰も知らない バレても色あせない
その後のストーリー 分け合える日まで

花は美しく トゲも美しく
根っこも美しいはずさ

魔法のコトバ 二人だけにはわかる
夢見るとか そんな暇もないこの頃
思い出して おかしくてうれしくて
また会えるよ 約束しなくても
会えるよ 会えるよ

サヨナラだけが人生だ


『生きていくことは 恥ずかしいことです』川島雄三

小型スパイカメラ「ミノックス」を愛した男。
いつもカメラを持ち歩き、ミノックス・ファンクラブまで作ってしまいました。
川島雄三という孤高の映画監督の短い生涯に関しては、藤本義一さんの『川島雄三、サヨナラだけが人生だ』やご本人の『花に嵐の映画もあるぞ』をぜひ一読して頂きたい。

彼のデビュー作「還ってきた男」の原作・脚本があの織田作之助だったと知れば、それだけでこの監督が「日本軽佻派」の代表などと呼ばれる所以に合点がいく。
お洒落なのにどこか不細工、人情を感じさせながら突き放し、笑いながら泣き、玉石混淆、朱に交われば赤になる的なハチャメチャさといかがわしさ、そして、どうしょうもない孤独と厭世観、にもかかわらず、人生と人をどこまでも愛する態度。
織田作之助も川島雄三も、ともに夭逝するが、二人には共通する何かがあったような気がするのです。

それは、太宰とも一致する川島の言葉。
「生きていくことは 恥ずかしいことです」に集約されているような気がします。

美しい女優を映したカットのすぐその後で、厠(かわや)から下肥をぼたぼたとすくいだすカットが来るかと思えば、撮影が天候不良でできなかったときに、「んじゃ、あれでいきますか?」といってスタッフ達と、いきなり、いつのまにか調達してきたホステスを囲んで、ヌード撮影会におよぶとか。
そのエピソードの数々に「恥ずかしくも愚かしい」見栄っ張りなのに正直者という「恥ずかしさ」を知る者特有の生活態度が垣間見えるんです。
生涯煩悩を背負った自分を意識するというのは、まさに創作者の才能だと僕には思われてならない。
筋萎縮性側索硬化症という難病に冒されながら、ユーモアとダンディーさを保って生きようとした川島雄三は意地の人でもありました。映画会社のプログラム・ピクチャーという商業資本的な作品作りの中に在りながら、それでもどこか既存の映画の文法を越えようとした形跡が、意地のように見えるのです。自分自身の運命を受け入れながら、抗い、同時にだからこそ人生を遊ぶ意地が彼にはあった。

「幕末太陽伝」、「わが町」・・・。
45歳の生涯の中で、51本にわたる作品を残し、そのひとつひとつが出来不出来の落差が激しく、だからこそ、僕はこの監督の作品に強く強く惹かれるのです。
破天荒に見えながら、実はそんなスタイルを演じている自分を冷徹に見据え、だからこそ、己自身の情けなさと恥ずかしさをたえず感じている。
揺れる生き方とはそんなものだろう。
確実で揺れることのない生き方などあるはずがない。揺れる生き方とはブレる生き方のことではない。揺れる生き方とは、人生の浮き沈みを受け入れた真摯で紳士な態度のことだと思う。
だから、彼、川島雄三の墓碑にはこう刻まれている。

「花に嵐のたとえもあるぞ、サヨナラだけが人生だ」川島雄三・碑文


#1.「幕末太陽伝」昭和32年(一部のみ)


#2.「幕末太陽伝」昭和32年(一部のみ)

2009年8月15日土曜日

ロックよ降臨せよ☆

AC/DC:Let there be rock 1977


ギブソンSGを振り回すアンガス・ヤングに乾杯!

ロックよ静かに激しく降臨せよ!

まだまだ本格的な夏って感じが来ないまま、もう八月半ば!

とにかく、今の課題をひとつずつ片付けていこうと思う!

ロックしてなッ!!

まだまだ穏やかになんかなってたまるか!

神様ぁ!ロックの魂を降臨させてください!

馬鹿と思われてもいい、俺は、いつも、ロックしてたい!

やっぱりAC/DCはいいなぁああああああ!!!!

2009年8月14日金曜日

The Obama Deception

The Obama Deception:

ついでながら、この映画も観てみるべき作品だと思うぜ。

今もなおオバマによってアメリカが変わり、世界も良くなると思い込んでいる人がいるかもしれない。でも、残念ながらそれは間違い。まったく良くなるどころか、悪化していくでしょう。
ブッシュは嫌いでオバマが好きというのは、要注意です。
今や共和党も民主党も差がないことがはっきりしてるんですから。

かつてのロマンチックなアメリカは消え果て、中国と利害関係を一致させ、ロシアを黙らせながら、日本を飼い犬にする。そして、その背後にイギリスがいる。この構図は否定しがたいものがあります。戦後日本は確実にアメリカのポチとして生かされてきました。無思考と無批判の学習がこの国の教育制度の基本となり、戦後世代は思考と批判をどこか罪悪のような感覚さえ持つようになりました。賢いとは知識の豊富なことで、覚えていることが多いこと。とどのつまりは思考し批判する者は賢さから程遠い者、つまり要領の悪い馬鹿ということになる。こんな教育システムの中で僕らは育ってきたし、今も子供たちや若者は苦しみつつその環境におかれている。
こういう事柄も、結局は国際金融支配者達の都合によって生み出された世界なのではないかと、今更ながら思うのである。
だから、新聞でもテレビでも報じないことは知らなくて良いことだし、報じられたことは少なくとも事実だろうと思い込む精神風土が作り上げられてきたのです。それでも、新聞の偏向報道や、テレビのやらせやご都合主義のニュース報道に、人々は少しずつ気がついてきているというのもまた事実だろうと思う。

アメリカが、それでも優れている部分があるのは、国内でこうしたするどい批判と批評に満ちた映像作品を作り出すことができるという点にある。レッドフォードの映画にしても、到底日本では不可能と思われるような本質的な批判と批評精神で作りこまれていたように思います。
日本は六十年以上の間に、自粛を仕込まれてしまった。
昨夜あるニュースで、戦意高揚のための紙芝居について報道されていました。
戦後、すぐにGHQによって廃棄された紙芝居を密かに保存していた方がいらっしゃったそうです。
戦争中、軍部の検閲を受けて作られた戦争賛美の紙芝居が、如何に人々の精神に影響を与えプロパガンダの機能を有していたかを明らかにしていました。そして、軍部による検閲はあってはならないことだと、その番組は締めていましたが、あれ?うん?日本の軍部の検閲はわかりましたが、米軍による検閲で紙芝居自体が廃棄処分になったんでしょ?だとしたら、それは一種の焚書じゃないか?
米軍による検閲と焚書に関しては、あっさりスルーしてました。
こんなところに、日常のニュース報道の偏向ぶりが見えるんです。

まともなドキュメンタリーを観ようぜ☆

『The Obama Deception』Full version:字幕はありませんが一気に観られます!


『The Obama Deception』字幕付き:ただし1/11(11分割です)

Monopoly Men

オーソン・ウェルズ:なぜ彼は「火星人襲来」を作ったのか?
ショービジネス、メディアと資本の関係とは?


長い作品ですが、もし時間があったら観てみてください。

日本のマスメディアではまったく取り上げられることのない様々な事実が語られています。

今現在の不透明なありとあらゆる出来事の背後には、国際金融資本の影があります。
民営化の嵐も留まるところを知らぬ勢いです。
アメリカを描きながら、日本の状況を想像せずにはいられない。

FRB(連邦準備銀行)とは何か?金融とは何だったのか?誰のための郵政民営化だったんだ?
少しだけ、立ち止まって考えてみてもいい時期じゃないかと思われます。
そして、演劇に携わる僕自身にとってもまったく関係のないことではないのです。
僕らはまさにこうした不透明な権力の行使の、その渦中にある。
ほんのわずか登場する若き日のオーソン・ウェルズの立場は明日の僕らの姿だと思う。

『Monopoly Men - Federal Reserve Fraud』という作品をご紹介します。
他の資料映像もいずれご紹介しますが、少なくとも今を考えるヒントのひとつにはなるはず。
じっくり観てくれ。
ロックしてる奴らはこういうことも考えておこうぜ☆

オモイッキリ夏ッ!!

オリーブの午後-大滝詠一:1982

青い葡萄を口に投げ入れたら
海に浮かぶ岬まで走ろう
これで二人きり
うるさい奴等をまいて
君は葉陰で水着に着換えるし
灼けた肌を太陽が見てるよ
夏の妖精が
ビーチへ駆けおりてゆく
いい景色だね
泳ぎ疲れたら
海の見渡せる丘で・・ちょっと うたたね
オリーブの樹にもたれたら
空を見ながら うとうとと・・
何もいらないよ
君が横にいればいい
丘の斜面にはライムの花とクローバー
時を抱き寄せて
海はコバルトに光り
君を照らした
何もいらないよ
君が横にいればいい
丘の斜面にはライムの花とクローバー
雲の帆船が空をゆっくりと滑る
君の寝顔にみとれてもいいだろう ♪

お恥ずかしい話ですがぁ、この曲が巷に流れていたころ、僕は青春真っ盛り、夏といえば湘南海岸か千葉辺りで友達や女の子たちとブイブイ暑い夏を過ごしておりました。。。。
ちょっとバブリーな時代でしたが、夏はやっぱり海だったなぁ。。
僕自身はバブルの恩恵など微塵も受けた覚えはないけどね。
ああ、でも大滝師匠の曲を聴くと、それはもうサザンとは別の意味で、海、です。

大滝師匠の音楽は八十年代の良質な作品群だと思われます、当たり前ですが。それ以前の様々な音楽のパスティーシュの傑作ともいわれている大滝作品ですが、ここにもエピゴーネンの光があったんだな。
で、この頃の日本映画はというと、う~ん、角川をはじめ商業的な映画作品は沢山ありましたが、今の日本映画にある味わいみたいなものがまだ現れてはいない過渡期だったと思います。ATGも末期だったしね。
八十年代は音楽の時代だったような気がします。
そして、九十年代に入って、バブルがはじけるのと同時に映画も音楽も冷え込みはじめる。
勿論、そんな中でも、独自の世界を切り開いていった人々はおりました。
元々は「はっぴいえんど」の人だった大滝師匠は、実は時代と無関係に好きな音楽に取り組むというその姿勢故に「古びる」ことなく、いまもなお、人々にパスティーシュに溢れた美しいメロディーを届けているんだと思う。

どうしょうもない馬鹿みたいな八十年代だったけど、この曲の「夏」を、僕は忘れない。

2009年8月13日木曜日

そして、もうひとつ☆

『落葉のコンチェルト』by アルバート・ハモンド


『落葉のコンチェルト』という曲があったのですが、これも原題はまったく違います。
原題は『For the Peace of All Mankind』1973。
「人類の平和のために」だぜ。すごいだろ?
何気なくこんな歌詞が存在できたんだな。それを聴いて育った今の大人たちがそんなことがなかったような顔をしてるのがおかしい。絶対におかしい。
すでにあの時代、この固い感じのする曲が題名を変えられてヒットしたとしても、内容に気がついた人間は沢山いたはずだ。なのにその人達が口をつぐんでいる。
この国の問題は、案外そんなつまらないところに原因があるのかもしれない。
本当のことは、耳を傾け眼をこらした者にしか受けとめることはできない。

ところで、
ドリカムの曲を思い出すかもしれません。はっきり言って、クリソツです。
でも、こちらが原曲ですよ。
こちらがあったから、あちらが生まれたの。
世界はエピゴーネンが祭りやってんです。

ともかく、この曲はまだまだ幼かった中坊の僕の心に焼き付いた1曲でした。
まったく、音楽と映画とクラブと、行ったり来たり忙しい日々でしたが、決して忘れられないものがある。
あっ、勉強だけはしませんでした。。。。

カリフォルニアの青い空に続いて、この曲も当時のラジオのヘビーローテーションの曲でした。
中坊がちょっぴり大人になった感じがしたんだよ。

It Never Rains In Southern California

「It Never Rains In Southern California(カリフォルニアの青い空)/Albert Hammond」1972年のヒット曲。


♪カリフォルニアの青い空 by アルバート・ハモンド


Got on board a westbound seven forty seven
Didn't think before deciding what to do
Ooh, that talk of opportunities, TV breaks and movies
Rang true, sure rang true
西行きボーイング747に搭乗した。
どうするか決める前に考えるなんてしなかったんで。
あのチャンスがあるって話やらテレビでブレイクして映画に出たりって話,
真実味があったけどね, 本当に。

Seems it never rains in southern California
Seems I've often heard that kind of talk before
It never rains in California,
But, girl,  don't they warn ya
It pours, man,  it pours
南カリフォルニアでは雨が降らない。
以前そんな話を聞いたことがある気がする。
南カリフォルニアでは雨が降らない。
でも, ねえ君, 注意しなくちゃね
降ったら土砂降り そうさ 土砂降りなんだ。

Out of work, I'm out of my head
Out of self respect, I'm out of bread
I'm underloved, I'm underfed, I wanna go home
It never rains in California,
But, girl,  don't they warn ya
It pours, man, it pours
仕事にあぶれて, 気が変になって,
自尊心もなくなって, 食いっぱぐれて,
愛され度ゼロ。 満腹度ゼロ。 家に帰りたいよ。
南カリフォルニアでは雨が降らない。
でも, ねえ君, 注意しなくちゃね
降ったら土砂降り そうさ 土砂降りなんだ。

(instrumental break)

Will you tell the folks back home I nearly made it
Had offers but didn't know which one to take
Please don't tell 'em how you found me
Don't tell 'em how you found me
Gimme a break, give me a break
故郷の両親にはボクはもうちょっとで成功するとこだったて言ってくれないか。
いろいろ話はあったけどどれに乗ったらいいかわからなかったんだ。
両親には言わないでくれないか, ボクがどんな様子だったかは。
両親には言わないでくれないか, ボクがどんな様子だったかは。
勘弁してくれよ 頼むよ。

Seems it never rains in southern California
Seems I've often heard that kind of talk before
It never rains in California,
But, girl,  don't they warn ya
It pours, man,  it pours
南カリフォルニアでは雨が降らない。
以前そんな話を聞いたことがある気がする。
南カリフォルニアでは雨が降らない。
でも, ねえ君, 注意しなくちゃね
降ったら土砂降り そうさ 土砂降りなんだ。

<訳:HideS>


七十年代初頭、ラジオの深夜放送で聴いたこの曲は、明るい中にどこかしんみりしていて、その正体がわからなかった。
そりゃそうだよ。
だって、中一だったんだから。この歌の持つ本当の意味なんかまったく理解できないままラジオに耳を傾けていたのでした。
「カリフォルニアの青い空」から想像もできないほどリアルな現実が歌われていたんだ。
そんなことに気づくのも随分後になってからです。
原題は「It never Rains In Southern California」。
アメリカ人ですら憧れるカリフォルニアの夢と現実の落差を僕らに伝えているんです。
このカリフォルニアを、僕ならすぐに東京に置き換えることができる。そして、アメリカには決してアメリカン・ドリームなどという生やさしいものはないということを明確に伝えている歌詞です。こんなリアルを1972年に歌っていたアメリカは、やがて、ラップやヒップホップ、あるいはアイドル歌手が席捲する商業のメッカに成り下がるのです。ヒットする歌にメッセージをまるで入れさせない体制と求めない大衆という名の消費者の群れ。反体制だったはずのラップやヒップホップすら商業的な暴力イメージで彩り、真の牙は抜かれている。
この「カリフォルニアの青い空」は単なる歌謡曲と思われがちですが、アルバート・ハモンドという一人の真摯なシンガーソングライターによって生み出されたリアリティーソングだと思う。
メロディーの甘さが客を惹きつけ、同時にその人々に甘さを越えたメッセージを突きつけていたんだと思うよ。ポップスの真骨頂☆
土砂降りの中で、それでも生きていくよ!と歌っているんです。

七十年代から八十年代中盤まで、僕の生活の中心はラジオだった気がする。
こんな曲をラジオで何度も何度も繰り返し聴いていたんだ。
そして、いつしか現実に目覚めていく。

素晴らしきこの世界


うん。
今日もいい天気だ☆

蝉が鳴いています。

まずは朝一番から清志郎さんを聴く。聴きながら作業を開始する。
やっぱり、俺ん中では清志郎さんはすぐそばにいる感じがするんだな。

どんな時も、気負わず、焦らず、いい感じで、慌てず、情けない自分を信じて、この世界の醜さを忘れずに、どうしようもない愚劣さから目をそらすことなく、それでも存在するこの世の美しいものを美しいと感じる自分でいたいです。

青空はキレイだ。
太陽はまぶしい。
音楽は命だ。
物語は空気だ。
人生は川だ。
そして、
君は、
僕の海だよ。

今日も一日、これからはじまるけど、確かに昨日とは違う今日を、明日にはもうない今日を、僕たちはみんな生きている。
たった一日だけの今日を、みんな生きている。


『素晴らしきこの世界』


『ドカドカうるさいRock & Roll Band』


2009年8月12日水曜日

夏の公園

子どもたちのいない夏の公園に蝉の声が響く。

青い空と白い雲。鉄棒とブランコ。そして緑の葉っぱ。

見慣れた風景も、よく見てみれば、昨日と違って見える。
これが僕らの世界。


夏の午後。

☆上野火山☆

2009年8月11日火曜日

今日の神戸☆

三宮にて。

大好きな高架下を歩く。閉店するという十年以上もお馴染みの靴屋さん。最後ということで、アダムズのブーツを購入。
もうネットでしか手に入れることができないのかなぁ。とてもとてもプロフェッショナルないい店でした。
おやじさん!ありがとう!

それから、六甲道に移動して、美味しいお寿司をごちそうになりました♪

さて、そろそろ東京に戻りましょうか。

台風と地震に見舞われた今回の旅もひとまずおしまい。
明日からは、また熱血な日々を!よろしく(^-^)/♪


☆上野火山☆

2009年8月10日月曜日

朝顔の棚

グルニエドールの向かいにある朝顔の棚。


毎年、これを確認してから京都を離れることにしているんですが。


雨もやみ、今年も穏やかな関西の旅です♪


☆上野火山☆

グルニエドール

グルニエドールでケーキを仕入れたら、大阪へゴー!

いつ来ても最高の作品に出会えるお店です☆

今日はナッツのタルトとミントのミルリトン、日向夏のゼリー、ルノアール♪


どれも素晴らしい☆

☆上野火山☆

おお!!八坂神社周辺

錦の辺りにあるこれもお馴染みグルニエドールめざして歩いてますよ♪


雨は上がりましたが、ムシムシします!
さすが京都!って感じ!


☆上野火山☆

鍵善良房にて

バスで京都市内を移動!
東山安井で下車して、坂を上ります。
途中、人力車を目撃!雨の中がんばってました☆

そして、ついに鍵善良房にて、葛きりを所望。うーん、毎年の行事とはいえ、やはりうれすい!

☆上野火山☆

雨の京都へ!

台風接近のため関西はすんごい雨っす。


そんな中、ぜひとも鍵善の葛きりを食べたいので、京都へゴーです☆


果たしてたどり着けるのか?

激しい雨の中、電車が走る!


☆上野火山☆

2009年8月8日土曜日

鵜沼にて

明日まで岐阜の鵜沼に滞在中☆

芝生の庭で、ロットワイラー犬のルナと遊びます。東京では久しぶりの太陽の光を、ここではたっぷり浴びることができてて気持ちいいですね♪

今年は残念ながら、木曽川の花火は見られませんが、燦々と降りそそぐ陽の光に感謝!

明日は午後から関西へ移動します。

高槻、京都、神戸と移動し東京へ戻ります!!

しばらく、携帯ブログでいきます。

よろしく(^-^)/♪


☆上野火山☆

2009年8月7日金曜日

Imagine

“ IMAGINE ” by John Lennon


Imagine there's no heaven

It's easy if you try

No hell below us

Above us only sky

Imagine all the people

Living for today...

Imagine there's no countries

It isn't hard to do

Nothing to kill or die for

And no religion too

Imagine all the people

Living life in peace...

You may say I'm a dreamer

But I'm not the only one

I hope someday you'll join us

And the world will be as one

Imagine no possessions

I wonder if you can

No need for greed or hunger

A brotherhood of man

Imagine all the people

Sharing all the world...

You may say I'm a dreamer

But I'm not the only one

I hope someday you'll join us

And the world will live as one



911以降、世界の狂いの速度は確実に加速している。911の隠された部分を知ることは不可能だろう。それでも、ひとつだけハッキリしていることがある。それは、この世界の住民に「想像力」を望まない者たちが、まさに存在しているという事実である。

あらゆる時代の中で、第二次大戦以降ほど、想像力を奪う実験が行われてきた時代はないように思う。
それはテクノロジーの異様なほど急速な進歩によるところもあるだろう。だが、常に真実を隠すメインストリームにいる連中、或いは不特定多数のエスタブリッシメントにとって、「想像力」こそ最も恐れ、避けなければならない「力」になったのだと思う。

先進国の教育が破壊されつつあるというのは自明のことだが、その破壊の仕方の典型は、学習を暗記型にすることで習慣的に創造する機会を奪うことにある。暗記することが学習の基本だと思い込まされた人間は、判断するための想像力よりも、知っている知識量の方を優先するようになる。かつて日本の学習の特徴といわれたこの暗記型学習が今や全世界に行き渡りつつある。つまり、判断力の基本である想像力、もっといえば「妄想力」が奪われつつあるのである。アメリカの教育制度の中身が、ブッシュによって大幅に軌道修正され、暗記型へ舵を切ったのも911以降であることは偶然ではない。今世紀に入り、冷戦構造という古い飽きられつつあった体制を捨て、新たにテロとの戦いに世界は突入したのである。新しい仮想的は東側でも西側でもないテロリストであり、民主国家は同盟国として連携しなければならない。正義の国アメリカとその一派 vs. テロリスト国家、という冷戦時と形を変えながら実はまったく同じ単純な二項対立の構図。善と悪の構図。そして、大切なのはこの構図を疑ってはならないということだ。

そして、911直後、ジョン・レノンの「イマジン」は放送禁止になるか、自粛された。

まず最初に放送禁止なったのが、戦意高揚を阻害する「想像力」の曲であったというのは象徴的だ。
ニール・ヤングは、911追悼式典で、あえてこの歌を歌うことで蔓延する「常識」に対する抵抗を試みた。

そして、僕もこの国を思う。
「自粛」と「無視」を常態化させているマスメディアの中で、戦おうとしている人間がどれだけいるのか。
アメリカは確かにあられもない姿をさらけ出しているけれど、日本はどうなんだ?
創造しよう。
この国もまた、内部から、様々な形で破壊され解体されつつあるのだ。それは、国家の枠組みというよりも、むしろ価値観の破壊といった方がいいかもしれない。文化的、伝統的、創造的な側面が痛めつけれれている。
僕たちは奴隷じゃない。
それは、想像力があるからなんだ。想像力がある限り、僕らは奴隷には決してならない。
想像力とは懐疑力のことだから。

ニール・ヤングのイマジンを聴こう☆

今日からしばらく僕は、東京を離れます。しばらく、携帯でブログ更新します!!
また!!!

2009年8月6日木曜日

Summertime Blues

Stray Cats :

明日からしばらく東京を離れます。

どうも夏ッ!って感じになりませんね。温暖化とはいうけれど、ほんとに温暖化してるんだろうか?
76年に東京に出てきたとき、寒い夏でした。夏なのに冬のコートを着ていたのを覚えています。その年の冬は大雪で中央線が止まってしまった。
あの頃、世間では「氷河期」が近いと言われていたのです。マジに。
地球全体が少なくとも「小氷河期」に入るだろうと専門家達は口をそろえて騒いでいました。

なのに、八十年代に入り、やがて、いつのまにか、ふと気がつくと・・・「地球温暖化」が騒がれていたわけですよ。だから、今の三十代ぐらいまでの人にはあまりピンとこないかもしれないけど、環境問題に関して専門家と呼ばれる人々の言説もどこか「変」なんだよ。
二酸化炭素排出量に関しては、今や国家間でまるで株の取引のように扱われ、知らないうちに、新しい金融商売が出来上がっている。
その意味では「地球温暖化」すら、政治的策略のひとつかもしれないと疑ってみる必要があるのかもしれない。懐疑主義的姿勢が必要な時代なのさ。懐疑主義を極力生まないように、思考力低下をめざしたのがこの国の戦後教育だったのでしょう。そして、まさにそれが今実現しつつある。
思考力とは懐疑力のことだと思うよ。

#1. 知識や情報を簡単に安易に「暗記しない」こと。
#2. 情報それぞれを鵜呑みにせず、たえず他と「比較する」こと。
#3. 自分自身に染みこんでいる「常識をまず疑ってみる」こと。


僕がロックするというとき、それは懐疑する力を高めることをいう。
ロックとは大人になるのを拒絶する成長不良のことではないだろう。まして、反体制を標榜し、殊更のように犯罪に手を染めてだらしなく生きることでもないだろう。
妙な比較かもしれないが、それこそ押尾学のロックと銀杏BOYZのロックの本質的で決定的な差異に他ならない。押尾はロックじゃないが、銀杏はロックなんだ。
押尾はカッコイイが、銀杏はカッコワルイ。押尾は他人の馬鹿を歌うが、銀杏は自分の馬鹿を歌う。
押尾は人を裸にするが、銀杏は自分が裸になる。押尾は酒を飲むが、銀杏は酒を飲まない。押尾のロックはスタイルだが、銀杏のロックは生活だ。押尾は政治に憧れるが、銀杏は政治とは無縁である。押尾は喧嘩が強いが、銀杏は情けない。押尾は非凡で、銀杏は平凡。押尾はお洒落なアメリカンだが、銀杏は限りなく田舎臭い。押尾は六本木の匂いがするが、銀杏は中央線と井の頭線の匂いがする。
だから、押尾学はロックじゃないが、銀杏BOYZはロックなんだ☆
ロックするとは自分と向き合うことだ。
謙虚な懐疑力が、僕らをロックさせるんだよ。
だとすれば、まずはその己の思い込みと常識から疑ってみるべきなんだ。

Stray Cats の Summer Time Bluesを聴きながら、そんなことを思った。

2009年8月5日水曜日

ホルモン最大限の魂☆

マキシマムザホルモン:MTH


なにしろ嬉しそうなのがとてもいい!!
音楽すること、ロックすることが嬉しくてしょうがない、それが伝わってくるんだよ。

本日の仕事の合間に癒された2曲でございます。

いろいろ煮詰まってますからね。。。。そんなときには「ホルモン最大限」だッ☆

思いっきりハッキリ、レッチリ(Red Hot Chili Peppers)とレイジ(Rage against the Machine)を意識しているバンド。気持ちいいぐらいまんまだね。
「Carry on ぶっ生き返す!!!」と叫びながら目をぐるんぐるんさせる魂を、俺は買う!

Carry On!!!!!

俺も止まらないぜぇええええええ!!!!!!!

『ぶっ生き返す』


『恋のメガラバ』