2009年3月4日水曜日

人でなしの時代の演劇

日本というこの国の制度が、まったく民主国家という理想からかけ離れ、米国という魑魅魍魎のようなグロテスクに肥大化しつつある国の傀儡に堕していると言っても、今はなかなか人は理解しにくいかもしれない。
ブログなんてものは、所詮公共の場における独り言に過ぎません。
ですが、日々の雑多な出来事の中で、気がついたことはメモするようにブログに書き込んでみることもまた一興。
民主党が自民党よりマトモだなどというのは、幻想です。米国における民主党と共和党の差がほとんどないに等しいことも今や自明の事柄です。ここ日本においても、近年アメリカ型の二大政党制のふりをして、民主党と自民党が公明党を間に置きながら、対立しているように一見すると思えるのですが、実際はほとんど大差ない、互いに利害が一致した政治家達の集団に過ぎません。というのも、そもそも資本主義も共産主義もとどのつまりは国民の中のごく数パーセントのマイノリティーにとって都合の良い仕組みであるという点で、まったく違いがないのですから。
不思議なことに、我々は見た目の対立で、良いものと悪いものを判断している。いや、判断させられ、対立関係が実際に存在しているかのように思い込まされているわけです。
実際は誰一人対立と葛藤と軋轢の中にいるものはいません。
米国で言えば、オバマは良くて、ブッシュは悪いというイメージほど事実とかけ離れているものはありません。たとえばオバマはイラクから撤退し、アフガニスタンを増兵しています。これなどは、ただ戦場の場所を換えただけじゃありませんか?
実際、アメリカにとって都合の悪いことを行おうとする政治家は、かつての田中角栄を始め、ことごとく排除されてきました。今朝、小沢の献金問題でマスコミは大騒ぎですが、これも、先日の第七艦隊以外の米兵力は日本に必要なしと言った小沢の発言に対する米国側の圧力に決まってるじゃないか!
一劇作家の妄想ではありますが、世界は今グローバリズムの名の下に、非常に危険な時代に入ってしまったような気がします。アメリカの国家の全収益のうち95%を握っているのは、アメリカの5%のマイノリティーです。この5%を食わすために、世界が奴隷化しつつあるというのは、言い過ぎですか?
かつてマイノリティー(少数派)は被差別者のことでした。しかし、今はマイノリティーとは一部の特権階級をさすようです。

まさに人でなしの時代に入り、この世界で演劇に何ができるのか。
愛と平和を歌うだけでは綺麗事過ぎる。人間の醜さだけを暴くことに汲々とすることは、アパシー(無関心)へ至る虚しさがある。人情だけでは人は生きてはいけない。

だから、僕は思う。
この時代の価値観を疑え!と。
勝ち組みと負け組は一見自明のことのように思えるが、それは押しつけられた幻想に過ぎない。
幻想を棄てるには、人間のドラマ性を回復させる必要がある、と思う。
今、常識と思い込んでいる自分自身の価値観を疑うところから始めたい。
日常に存在する自分自身のドラマ性を、物語性を恢復しよう!

人でなしの時代に、演劇は真に「素朴」に戻らねばならない。

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