どんな本でも、どんな芝居でも、どんな映画でも、その結論が「人それぞれ」というものだったなら、そんなものは存在する価値がそもそもないと思う。
好きも嫌いも、幸も不幸も、喜びも悲しみも、怒りも笑いも、「人それぞれ」。
当たり前のことだ。
「人それぞれ」は結論にはなり得ない。いかにも「人それぞれ」というと、懐の深い物わかりの良い人格を思わせるが、実際は「どうでもいい」と言いたいところを「人それぞれ」と言い換えているに過ぎない。
「人それぞれ」という場所に、ドラマ性は生まれないと思う。
とても当たり前で普通だと思えたことが、実際はとても特殊で特別のものだったという発見こそが、ドラマ性である。逆に言えば、個性などと主張しなくても、僕らはほっといても普通にはなれない。
あるいは、そのなれないところが、普通なのである。
その意味で、「人それぞれ」はまったく基本なので、主張になり得ないし、結論にはなり得ない。
気をつけよう!
「人それぞれ」という心の広そうな物語の結論に。
その人は嘘をついているだけでなく、隠しているのだ。
自分がどうしょうもなく普通であるという「特殊性」を。
そして、物語の生まれる源泉を。
「人それぞれ」という言い回しは、無関心への扉である。
物語を「人それぞれ」でまとめてはならない。
でしょ?
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