2013年12月4日水曜日

短編小説の感想☆

久しぶりのブログアップです☆
短編小説の感想を書いてみました。素晴らしく良く書けている小説でした。
ますます素敵な作品を書いて下さいね!

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小説『おっとナンテン』に寄せて
—今は亡きものに物語ることー



先日、大学で新聞を一部渡された。講義の終わりに学生の一人が出席カードを出す代わりに新聞を渡してくれたのだ。
そっと差し出された山梨日日新聞の一面にその作品は書かれてあった。
小林けい子さん作の「おっとナンテン」である。
僕は早速帰宅するとその小説を読んでみた。

その短編の中には、昭和を生きた家族の肖像が書かれてあった。四人姉妹と父と母。そして、家族はやがてばらばらになるが、何かが微かに受け継がれていく風景がそこにあった。

家族と共に暮らすとき、人はその日常が永遠に続くような錯覚の中で生きている。やがて一人、また一人、と家族は姿を消していき、家自体も拡大したり縮小したり、場合によっては消滅する。しかし、その渦中にある時は、人はその栄枯盛衰に意識が及ばない。しかしながら、だからこそ我々人間は日々の暮らしを営んでいけるのだろう。

物語る人とは、その時間の中で変化し、遷ろう世界の有り様を魂に留め置き、それを言葉という手段や、絵画や彫刻、あるいは音楽という手段で他者に伝える人のことだ。人は記憶する生き物だが、己の人生を生きるのみ。従って、そもそも限定された経験枠の中で、物語を読んだり見たり聞いたりして、その不可能な経験を「追体験」として味わうのである。己自身の人生の枠を超えるとき、他者への「共感」も生まれるのかもしれない。
その意味では、この世界に、「私と無関係な物語」などないことになる。

まさしく、この「おっとナンテン」という小説も、作者自身の経験を描きながら、そこに読むものが己自身の経験を投影する「追体験」と「共感」の余地を残しているのだ。私自身、商売の家庭で育ってはいないけれど、キリスト教会で頑固に牧師にこだわっていた父や、貧しいその暮らしを支えた母を思い出さずにおれなかった。

物語を読むという行為は、そこに「私」を見いだすことだ。
「おっとナンテン」は、その「私」の物語なのだと思う。他人行儀な、観察に基づいたどこかで見た風景や知識で武装された物語世界ではなく、そこには自分自身の生きた日々と、読む者を裏切ることのない人間の「愚かさ」と「賢さ」が見事に書き込まれているのだ。
読み終わった後、不思議に涙が溢れてくる。それは単なる懐かしさではなく、失われいくものと、今もなお現在進行形のこの人生に対する愛惜の情から溢れ出た涙かもしれない。
それでも人生はつづく。そして、やがて誰かに何かを手渡してこの去って行くのだろう。
この短い小説の中に、人が此の世を生きる小さな小さな知恵があった。
それは、最後に出てくる言葉だ。

人生とは「懐かしく」「可笑しい」。
そして「愛おしい」。

素晴らしい物語を、ありがとうございました。