2009年12月31日木曜日

もうすぐ

今年2009年が終わりますね☆

今年は本当にいろんなことがありましたが、その中でも大きな出来事は、様々な再会でした。

きっと個人的にも時代的にも大きな転換点にいるのだと思います。
自分自身の来し方行く末をしっかりと受け止め、見つめたいと思います。

おっと、年越しそばの準備ができたようです!


また、来年☆

皆さん、良いお年を!


☆上野火山☆

2009年12月30日水曜日

今日は同窓会☆

本当に珍しい集まりです。30年近くなるでしょうか。
大学で共に舞台を作った仲間たちと再会します。
まずは懐かしい祐天寺のカレー屋さんからゴー!


☆上野火山☆

2009年12月21日月曜日

たいせつなもの

ちょっとボケてますけど…。

先日、わが家の子どもたちが、本の整理をしました。
懐かしい絵本の数々に時間も忘れて見入ってしまいました。
でも、新しい本を収納するには、外へ出さないといけない。そこで自転車こいで近所のお馴染みの図書館へ運んで引き取ってもらったのでした。
お別れしても大好きな本と図書館で会えるので、子どもは大喜び☆

そして、数日経った今日、わが家のポストにこんな手紙が、

「きれいなよい本をたくさん
ありがとうございました。
中の一冊に大切なものがはさまっていたので
お返し致します。」


大切なもの。

それは、

四つ葉のクローバーでした。

ありがとうございます☆


☆上野火山☆

消費者という名の桎梏

現在仕事中。

窓の外は今日も気持ちよい青空です☆

頭によぎるあれこれを、ちょっと書いてみますね。


先日、テレビで「良質な番組(ドラマ)を観たければ、CS(有料放送)を観なさい」と、ある司会者が述べていました。まるで、ジョージ・オーウェルの登場人物のようでした。


民放と言えども、CMによって消費行動が伴うので、決して無料(ただ)の放送を視聴しているというわけではありません。ましてや日本放送協会の放送は、昨今企業の宣伝を巧みに埋め込んだニュースを朝から晩まで流しているように思えるのは僕だけでしょうか?すなわち、視聴する料金を支払った上で更にCMを擦り込まれているという状況です。

その上で、更に良質の番組を視聴するために別立てで課金されるんですね。

どこまでお金を払えばいいのだろう。観なけりゃ払う必要はないよという声が聞こえてきそうです。勿論、必要のないものは観ませんが、民放のCS放送の方が良質だとしたら、その他一般の番組は「手抜きです」って言ってるようなもんじゃないですか?ですよね?

実に不思議なことです。こうして僕らはたえず消費行動に駆り立てられているんでしょうね。

宮台の言った「まったり生きろ」というのは、まさにこのことだったのだな、とあらためて思います。


というわけで、今、世界のあらゆる部分で、市場経済の思想が行き渡り、国民であれ市民であれ、町民であれ村民であれ、小さな部族の一員であれ、全ての人は押し並べて「消費者」になってしまいました。

良いサービスを受けたいのなら、それ相応の料金を支払わなければなりません。当然です。

ですが、情報に対するアクセスや、最低限の基礎教育や、必要最低限の生活のインフラ、乃至はライフラインの確保、といったものは、消費行動などではなく、生活の基盤です。

しかしながら、食物の供給からはじまって、生活の細部にわたって今や市場経済の市場の競争というやつに人々はつきあわされ、右往左往しているだけのようです。

我々は今や選んではいません。与えられるのを待っているだけです。なぜなら、それこそが消費者の望ましい消費行動なのですから。


消費行動の中に「格差」が見え隠れするのです。

人は常に「差異」を抱えて生きている。

しかし、その差異を格差とは呼びません。格差は「消費社会構造」に特有のヒエラルキーのことでしょう。勝ち組み負け組という価値観は、芸術や文化には本来基本的には存在しないものですが、そうした分野にさえも「消費社会」が入り込んでくると、途端に芸術や文化の勝ち組み負け組が生まれてきます。たとえば、どこかの密林の奥地にいる部族の芸術作品と、ヨーロッパのルネサンス期の芸術作品と比べて、どちらがより勝っているなどと誰が言うことができますか?

にもかかわらず、「市場原理」の基づいた「消費社会」では、「売れる方が勝ち」ということになる。格差とは、たかがそんなものです。そろそろ目を覚ましたいものですね。


競争は素晴らしい人間生活の活力を生み出すエンジン部分です。競争なくして何も生まれません。

しかし、市場経済プラス消費社会という尺度で過度の競争を生みだし煽るのは、狂気の沙汰ではないでしょうか。


人を「消費者」としか観なくなったとき、ドラマに携わる人間にとって、真の観客、すなわち「共感を通して見守る観客」を失うのだということを肝に銘じておきたいと思います。

僕は「消費者」である前にまずは人生の「観客」、「買う者」ではなく「味わう者」、でありたいと思います。


☆上野火山☆

2009年12月20日日曜日

家族

ツキヤって言います。

ジャンガリアンです。

今日は日曜なので、ハム小屋の大掃除!
君もウキウキするかい?

☆上野火山☆

2009年12月19日土曜日

仕事部屋にて

窓の外には「青い空」。


白い雲もぽっかり浮かんでいました。久々の休日。

仕事部屋の大掃除をしました。

だいぶいろいろなものを捨てました。資料としてとっておいた雑誌やマニュアルの類はすべて捨てた。捨てることで空間が生まれ、風通しも良くなり、仕事環境が整ってきました。


小さな幸せだね。

仕事部屋の角の窓辺に、空が見える。

まるで、船の操舵室のようです。北と東の空が見渡せます。

己の鼓動を聴く。

4ビートか、8ビートか、時には16ビートかもしれない。

鼓動を聴く静けさと、鼓動を感じる激しさが、両方必要だ。


仕事部屋にて、静かに激しくロックする俺がいる。

なんてね!


必要最低限のものと共に、じっくりと生きるのがいい。

そういえば、今夜は「牡蠣のオイスター・ソース・ソテー」を作ると家族に約束してしまった。

鶏の胸肉と一緒にソテーを作ろう!

添えるのは昨日漬けておいた「人参の糠漬け」。うまいぜぇ~。


仕事部屋で、窓の外を眺めながら、こんなことを考えていました。

久々のゆったりした時間を満喫しております。

☆上野火山☆

2009年12月13日日曜日

銀座で

雨に煙る銀座、並木通りの向こうに小さな劇場があって、そこで『ブレーメンの自由』という芝居が上演されていました。1時間50分、集中して見せていただきました。


物語は、18世紀のドイツで十数人の人間を次々と毒殺したゲーシェ・ゴットフリードという女性の半生を辿るものでした。

古い因習の中で、偏見と差別と制限に曝されて苦しみながら、そのルサンチマン(恨み)を殺人という方法で昇華させながら、徐々にふてぶてしい女に変貌していく。

しかし、最後には自分の順番が巡ってくることも予測している。舞台では、彼女が振り返り「今度はあたしの番」という所でエンディングを迎えるけれど、実際、この女性は公開処刑になったそうです。

実在した一人の女性を通し、過去の陰惨な出来事が、実は今日的な問題をはらんでいることに気づかされます。すなわち、封建的な価値観の内包する閉鎖性は、実は今日的な価値観の閉鎖性と通底し、人々をルサンチマンの虜にしていく。人は、時代の檻の中に無意識に押し込められ、もがき続けている。気づく人間と気づかぬ人間がいるだけかもしれません。

21世紀の初頭に暮らす僕らは、18世紀のゲーシェという名の毒婦と何ら変わることのない封建的ではないかもしれませんが、今の常識的価値観、貨幣的価値観に取り込まれ、勝ったの負けたのと騒いでいるわけです。


1人の女性の犯罪は、一時的なカタルシスを生みながらも、本人自身を蝕んでいく。


救いのない物語ではありましたが、その救いのなさが、妙にリアルに迫ってきました。今の時代を彷彿とさせながら。


銀座の夜の町を、雨に濡れながら、いろんなことを考えてしまいました。

良い舞台をありがとうございました☆

高瀬さん、中村さん、感謝です!!

またお会いしましょう☆


☆上野火山☆

2009年12月11日金曜日

チェーホフの短編を観る☆本気の話

昨日、日頃お世話になっております「劇団TAG」の芝居を観てきました。

我が演劇ユニット「空中スケッチ」のメンバー、佐々木隆夫君が客演しております。

チェーホフの短編を中心に上演している彼らの芝居は、とてもとても熟成していました。とにかく作り手の成熟の度合いをあらために認識させられました。観ているこちら側の成熟度も同時に測るいいチャンスだった思います。チェーホフをただの尊敬心というリスペクトだけではなく、より深く原題とリンクさせた作りは、非常に創造性に富んだものでした。
二十代から知っている鎌田さんと御嵩さんが織り成す大人の古典劇の趣ですね。

若い俳優である佐々木君も、とても良い経験をさせてもらったようです。

この場を借りて、劇団TAGの皆さんに感謝!です☆

今回は百年前のロシアの女たちをめぐる物語のオムにバス。いいんだな、これが。奥ゆかしさと同時に、現代の日本にも在り得るリアリティーのある物語世界が繰り広げられていました。
チェーホフは「書けと言われれば、あの灰皿からでも物語を書く」と言っておりますが、まさにその言葉通り、日常の些細な事柄が物語として色鮮やかに彩なされる様は、まさに職人芸。
チェーホフは実に職人(アルチザン)であった芸術家の一人です。そして、それを感じさせてくれる舞台でした。

いい舞台を観て、その余韻に浸りながら、夕方から大学へ!
昨日の講義は、講義ではなく珍しく劇映画を観ることにしました。授業中にDVDを観たのは今年は三回のみ。その中で劇映画はこの作品一本でした。
それは「竜二」。金子正次のデビュー作にして遺作。
学生たちは三十年近くも前の、しかもニューヤクザ映画などというジャンルの映画に大いに戸惑ったかもしれません。でも、若い彼らにぜひ見せたかった。
本気の映画の一本だったから。

昼間の舞台にしても、大学の映画にしても、どちらも本気なんだな。
「本気」はとても大事な姿勢です。
本気だけが、意味あるものを提示できる。
本気を嘲笑うより、本気で馬鹿と呼ばれたい。それこそが本望。

チェーホフも金子もどちらも若くして亡くなったけれど、その魂は受け継がれていると思う。
本気で人生を遊びたいと思います。

さて、今夜は、雨の中銀座へ向かいます。
銀座で一本芝居を観せていただきます。前回「エクスタシー」という翻訳劇を上演された演出家・高瀬一樹さんの新作翻訳劇「ブレーメンの自由」を観ます。小さな劇場で、人間心理を抉るように描くその舞台に期待したいと思います。
ここにもまた一人、本気の人がいるようです。

2009年12月10日木曜日

フレディー☆

昨日の朝、見つけました☆


ホンモノのフレディーを!


たった一枚。


寒空の中、がんばっていました。


こうやって気づくことがなかったら、人知れず地面へ落ちていたのでしょう。


たまたま、こうして見つけることができた。


そのことの必然を感じました。


誰かがきっと気がつき、


誰かがきっと見ていてくれる。


それが、一枚の葉っぱの教えかもしれません。


さて、今日はとても良い天気です。


もうすぐ家を出て、劇団TAGの公演に顔を出します。


みなさんも、もしお時間があれば、ぜひ!


劇団TAG:公演告知

『愛しき女たち』


原作:A・チェーホフ


[コーラスガール]

[意地っぱりとお嬢さん]

[誘惑]

[じつは彼女だった!]

[ある令嬢の話]


以上短編5作品のオムニバス公演を行います。




〈タイムスケジュール〉


12月

9日(水) 19:00~

10日(木) 14:00~ 19:00~

11日(金) 14:00~ 19:00~

12日(土) 14:00~ 19:00~

13日(日) 14:00~ 




〈劇場〉


荻窪 アール・コリン

(荻窪駅の南口、もしくは南口bを出まして青梅街道方面に直進{南口の場合左に直進、南口bの場合右手に直進}、約8分程で青梅街道に出て右手に劇場が見えます)

住所:東京都杉並区荻窪34718 第五野村ビル1階

TEL0333929623



〈チケット〉

前売り 3000

当日  3300


〈問い合わせ/チケット予約〉

TELFAX03-5372-1839(ナカヤ)

E-MAILt_a_g@infoseek.jp 



未就学児童はご入場出来ませんので、ご了承ください。



☆上野火山☆

2009年12月8日火曜日

生活の中の音楽

生活の中に音楽なければ生きていけない、と以前書いたことがあります。


音楽は形を伴わないので、それはまるで空気のようなモノです。


演劇を音楽のように行いたいと強く望みながら生きております。



今朝、不思議なことがありました。


我が家の上の子が、スライスしたパンにチョコレートシロップをかけていたとき、


パンのはしっこから垂れたシロップが、コップにくっつき、見事な♪音符になりました。


僕は、こういうの偶然と思えないんですよね。


いや、この世界に偶然なんかあるはずがない。むしろ、かなりの割合で意味に満ちあふれているように思います。すなわち、偶然は必然の無意識の現れである、と思っているわけです。


で、この音符、見事な8分音符なわけで、4分音符の半分。タタタタ、タタタタ・・・って感じ。。。

一曲浮かんだんで、テキトーにピアノで弾いてみた。

テキトーが良いんです。


こうして我が家では、今日も朝から音楽のある暮らしでした。


「偶然の音符」が奇跡だと知りました。

奇跡なんか信じないという人もおりますが、人生、奇跡の連続です。

それも小さな奇跡が。いつも最後の奇跡なんだろうなぁ。



☆上野火山☆

2009年12月7日月曜日

シンプルについて

しばらくネットから遠ざかって仕事をしておりました。
ふたたびしっかりと日々の思考の記録を書き残していきたいと思います。
時々ですが、ネットから遠ざかりたくなり、実際に遠ざかるようにしています。
己の気持ちに忠実に生きていきたいものです。
そろそろ、ネットに戻りましょうか。

ブログなど、いずれ別の形態に取って代わられてしまうのでしょう。ですが、今はこんな「ブログ」であっても、貴重な日々の思考の記録になり得る道具だと思いますので、それを使っていこうと思います。

『生活を「整理」し「単純」にする』

これが今の僕の生き方の中心にあるように思います。テーマです、まさに。
というのも、経済的にも政治的にも複雑で煩雑で、見通しの悪い、それでいて決して光の見えない「悪意」がそこら中に溢れる時代にあって、シンプルで居る、というのはとても重要な戦略だと思うんです。
生活のあらゆる部分で、複雑になっている糸の絡まりをほどき始めるとき、単純さの「明快さ」と「痛快さ」を感じます。

『なにごとも、シンプルであれ』

この姿勢は、必要以上のものを持つ「重さ」からの解放であり、同時に本当に必要とする必需品の「軽さ」の発見に繋がります。本当に必要なものは、以外に軽い。
シンプル・ライフとは八十年代の標語でもありましたが、実は今こそ相応しい時代なのではないかと思うのです。
余計なもの、いらないもの、普段使わないもの、ただ保存していたもの・・・等々を出してしまえば、残った本当に必要なものとの生活に没頭することができます。
そしてそれは生活全般にわたるコンセプト。
資料としてとっておいた雑誌なども、この際思い切って出しました。すると、意外なほどスッキリとした空間が生まれ、何が大事だったのかに気づかされるんですね。

『Simple is Best!』

僕には勿論、家族の1人1人が大事。そして、この人生で出会った1人1人が大事。さらに、この人生の積み重なって最後に残った小さな物が大事です。
僕の演劇は「小さな演劇」です。
それは登場人物が少ないという意味ではありません。
実際は登場人物はそんなに少なくないかもしれません。
でも、小さい演劇です。
小さくて、単純で、欠くことのできない大切なモノと瞬間。
もし、僕の演劇にテーマがあるとすれば、それだと思います。

シンプルに大切なモノと暮らしていきたい。そして、それこそが究極のロックの精神だと思う。
シンプルにロックな生活をすること。
それが僕の望みなのかもしれない。

2009年11月29日日曜日

Keikoさんへ☆

しばらく、ブログを更新できませんでした。ごめんなさい!
今、我が家の大掃除(模様替え)&原稿書きに追われております。

先日、徳島のKeikoさんから「斉藤哲夫さんのライブ」のお話しを書きこんでいただきました!
本日は、そのご返事をアップさせていただきます。

Dear Keikoさん

斉藤哲夫さんのライブ・コンサートご成功おめでとうございます☆
そして、丁寧なブログのコメント、ありがとうございます!

遠く東京の空の下で、今頃コンサートだろうなぁ、と思っておりました。斉藤さんをご存じない方も多かったと思います。でも、そんな方たちにこそ知っていただきたい曲の数々です。
僕はこの世の出逢いは、すべて「再会」だと思っています。
始めて会う人でも、実は「ここにいたのか!」という感覚があります。はじめて彼の曲を聴いた人も、「これかぁ」と再会したんだと思いますよ。心のどこかで在ると思っていた音楽、そして言葉と、人は人生のどこかで必ず「再会」するんです。それが、徳島で起こったのだと思います。

静かに胸に迫る音楽は、現在派手な商業主義の蔓延する中で、失われつつあります。
同時に、本当に良いものを求める人びとも増えているような気がします。
商業主義を全て否定することはもちろんできませんが、本来売れてよいはずのものが、様々な思惑の中で埋もれていくのは、本当に残念です。誰かが気がつき後押しすることでそれらは生きながらえることができる。今回のコンサートのご成功は、まさにそうした現在の主流とは別の、本物を強く求める気持ちが生み出したものでしょう。僕はそのことに感激します。本当に嬉しい。

今日も僕は吉祥寺を歩きましたが、斉藤哲夫さんの「吉祥寺」がずっと頭の中に流れておりました。

人生は再会の連続。
だから、捨てたもんじゃない!
前を向いて、僕も歩いていこうと思います。
来年、僕もぜひ魂のこもった演劇を行いたいと思います。

Keikoさんもお身体大切に!また!

  上野火山

斉藤哲夫 吉祥寺 1973

2009年11月22日日曜日

落ち葉 雨

先日見かけた落ち葉と雨の風景です。


今日も午後から雨が降るらしい。昨日は天気がよかったですが、またすぐに寒い雨。

雨が本当に寒く感じる季節になりました。


いろいろな方から舞台のお知らせを受けています。

全部に顔を出したいのはやまやまなれど、なかなか顔を出せていません。

みなさん、お許しを!

時間のある限り、また必ず行きますから連絡はぜひ絶やさずにいてくだされ☆


我が家で現在プチブーム中の「侍言葉」がつい出てしまう今日この頃。

政治や経済の動向に、つい「笑止!!」と心の中で叫んでおりまするぞ。


さてさて、今日も一日張り切っていきましょうぞ☆☆☆

「馬に乗って、戦うとな???」


☆上野火山☆

2009年11月20日金曜日

一丁目の夕日

山の向こうに日が沈む。


今日最後の光が金色に輝いていました。


☆上野火山☆

2009年11月18日水曜日

河原にて


コスモス(転載)

今日は昨日とうって変わって曇りから晴れ。
青空の下に秋の花が咲いておりました。
残念ながら携帯を持って出なかったので、その写真は撮れませんでしたが、同じ感覚と思える写真を引用転載させていただきました。

川の畔にまさにこんな感じでコスモスが咲き乱れておりました。
白とピンクの可憐な花。
しかし、外来種なので河原に繁殖させることは在来種の生育に対する脅威となる環境破壊とも言われているそうです。
でも、秋の桜コスモスは、どこか寂しげで美しい。

東京に暮らしながら、しっかり季節を楽しみたいと思います。
旬の食べ物がやっぱり美味しいだけでなく滋養も溢れているというのは、それだけで充分な贅沢。季節外れのビニールハウス食品よりもよっぽど今となっては贅沢で豊かなことなのかもしれません。
花や植物にもそれは言えるんでしょうね。
旬の花を愛でる生活。
うん、なかなかいいもんです。

2009年11月17日火曜日

文化系をなめんじゃねぇ!!

色即ぜねれいしょん:2009

みうらじゅんさんは同い年の人間として、共感できるアーティストの一人です。
1958年生まれにロクな奴はいねぇ、ってことはよくわかっていたつもりですが、彼は58年生まれの中でも珍しく熱い人だと思います。そこが嬉しい!

ロック精神のバイブル「アイデン&ティティ」も最近きっちり読ませていただき、そこに流れる共通するロックに対する熱き思いに心打たれましたよ☆
そして、この映画「色即ぜねれいしょん」は彼の小説を原作に、同世代の真面目なロック野郎・田口トモロヲ氏がメガホンをとったお馬鹿で明るい胸に迫る青春グラフィティです。

フリーセックスとロックに憧れて、夏休みに仲間と島に渡った少年の切なくも苦く、笑っちゃうほど切ないロックなエピソード。ロックするってことは、これほど恥ずかしいことなんだな。で、恥ずかしさと共に生きることなんだ。簡単にわかった風な口をきけないほど愚かであることの自覚がロックなんだ。他人の失敗をニヤつきながら見るんじゃなく、阿呆のように自ら失敗しようとする馬鹿さ加減がロックなんだ。路で奇声を発することがロックじゃない。静かに燃えるのがロックなんだ。ロックはチャラチャラしてない。ロックは険しい。ロックは、なめた人間には到底到達できない魂の境地のことだ。
笑いながら、こんなことを考えていましたよ。

決して懐かしい話ではありません。ただ、今時のリアリズムでは、どこかで無視を決め込まれている物語なのかもしれません。
この馬鹿のように一つのことに夢中になって取り組むことが嘲笑われる時代において、取り戻すべきは「愚かなロックの精神」なのではないだろうか?

最近、ロックしてますか?おやじロックという意味じゃありません。ロックの魂ってことです。
魂はロックしてますか?
金勘定ばっかりしている奴らめ、文化系をなめんじゃねぇ!!

映画『色即ぜねれいしょん』予告編!!

2009年11月16日月曜日

二人のトム・ウルフ

Thomas Wolfe:1937.4

米国には二人のトム・ウルフがいる。

一人はエスタブリッシュメントを自負するオッチョコチョイのベストセラー作家。そしてもう一人は、1938年にこの世を去った身長2メートルの作家。

今はほとんど話題にされることもない人物かもしれませんが、僕はこの身長2メートルの作家トーマス・ウルフに惹かれます。
日本語で翻訳されている本は、僕の知る限りでは「天使よ故郷を見よ」しかないと思われます。

NOVELS
「天使よ故郷を見よ」:Look Homeward, Angel, A Story of the Buried Life
New York, C. Scribner's Sons 1929.

Of Time and the River; a Legend of Man's Hunger in His Youth
New York, C. Scribner's sons, 1935.

The web and the rock.
New York, Harper & brothers, 1939.

You can't go home again.
New York, Harper & Brothers, 1940

SHORT STORIES AND VARIOUS COLLECTED WRITINGS
From Death to Morning
New York, Scribner's Sons, 1935

The Story of a Novel
New York, Scribner's Sons, 1936

The Face of a Nation; Poetical Passages from the Writings of
Thomas Wolfe

New York, Scribner's Sons, 1939

The Hills Beyond
New York, Harper 1941

A Stone, A Leaf, A Door; Poems by Thomas Wolfe,
selected and arranged in verse
by John S. Barns
New York, Scribner's Sons, 1945

A Western Journal: A Daily Log of the Great Parks Trip,
June 20 - July 2, 1938

Pittsburgh, University of Pittsburgh Press, 1951

Short Novels. Edited, with an introduction and notes,
by C. Hugh Holman
New York, Scribner's Sons, 1961

Thomas Wolfe's Purdue Speech: Writing and Living.
Edited from the dictated and revised typescript
West Lafayette, Ind.: Purdue University, 1964

The Notebooks of Thomas Wolfe. Edited by
Richard S. Kennedy and Paschal Reeves
Chapel Hill, University Of North Carolina Press, 1970

A Prologue to America.
Edited and with a Foreword by Aldo P. Magi
Athens, OH: Croissant and Company, 1978

The Autobiography of an American Novelist.
Edited by Leslie Field
Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1983

The Complete Short Stories of Thomas Wolfe.
Edited by Francis E. Skipp; introduction by James Dickey
New York: Scribner, 1987

The Good Child's River.
Edited and with an introduction by Suzanne Stutman
Chapel Hill: University of North Carolina Press, 1991

The Lost Boy: a Novella.
Edited and with an introduction by James W. Clark, Jr.;
illustrations by Ed Lindlof
Chapel Hill: University of North Carolina Press, 1992

The Party at Jack's.
Edited and with an introduction by Suzanne Stutman
and John L. Idol, Jr.
Chapel Hill: University of North Carolina Press, 1995

フィクション(小説)だけでもこれだけあるのに、日本語で読むことが実は難しい作家ではあります。故に、ほとんどの日本人は知ることのない作家なのかもしれません。
彼は泥臭く自伝的な物語を通して米国の庶民の歴史を描きました。米国の当時ですら徐々に失われつつあった米国人の真の生活とその周辺の細かなリアリティーを記述することで、アメリカ人の内省を実行した人物でした。多くの同世代の「失われた世代」のようにヨーロッパに逃避することなく、冷蔵庫の上をデスク代わりに執筆したという話は、今もなお伝説として残っています。

今時代が変わりつつあって、この日本にも古い時代の米国を描いたこの作家の作品を受け入れる土壌が出来上がってきているのではないかと思うのです。というのも、彼の描いた過酷な時代の米国の風土が今の日本の風土に限りなく近い感じがするからです。八十年代や、バブルのはじけたといわれた九十年代よりも、今がトーマス・ウルフの生きた人でなしの時代の米国に似ている。
デビュー作である「天使よ故郷を見よ」は、まさに世界大恐慌のはじまるその直前に書かれているのです。
まさに、人でなしな時代に「人になる」ために読むべき書物が、彼トーマス・ウルフの小説のような気がします。
まずは新潮文庫で「天使よ故郷を見よ」を読んでみてください。
そこに描かれるのは、どうしょうもない人間の世界で、より良く生きようと苦闘する人間の物語です。物語る原点がここにあると、僕は思う。

四十代まで生きることのなかったトーマス・ウルフに感謝☆
あなたの作品で僕の立ち位置が見えてきましたよ。

Creative Quotations from Thomas Wolfe for Oct 3

2009年11月15日日曜日

窓の向こうの青空



ここ数日の中で珍しいぐらい今日は晴れました☆

雲ひとつない青空とはまさに今日の空ですね。
窓から透き通るような青空が見えて思わずシャッターを切ってしまいました。
屋根と電線の向こうに、限りなく続く空があります。

本当に大変な時代になってきましたが、それでもしっかりと地面に足を付けて生きていきたいものです。なぜなら今ここにしか己の人生は存在しないから。その人生を深く味わおうとしなかったら、なにも味わうことなく日々を過ごしてしまうでしょう。
人生は一度きり。
そんなの誰もが先刻ご承知。でも、リアルに一回きりだと思う必要があるんだろうな。

窓の向こうの空も、この一瞬しか存在しない。
すべてが一瞬にして忘却の彼方へ消えていく。
時間は不可逆だし、人生も不可逆。しかし、人間精神は不可逆ではありません。遡ることも、まだ見ぬことを想像することもできるんです。従って、生きた人間の精神のみが可逆であり、自由を本来獲得していると考えるべきなのでしょう。

青空を見ながら、自由意志ということを考えました。
この時代の問題とは、自由意志の無言の剥奪なのではないだろうか。金融と資本による支配の中で、いつしか人は「自由意志」を奪われている。問題は、そのことに人がなかなか自覚的になれないということなんだろうと思う。
かく言う僕自身、自身の自由意志がどこまで確立しているのかは不明のまま。
それほど、危ういメディアによって吹き込まれた幻想の中で僕らは暮らしている。

覚醒しようとする意志だけが、己にカツを入れ足下と空を見せてくれる。

青い空を見ながら、足下のぐらつきに、気がつきつつある今日このごろです。


☆上野火山☆

2009年11月14日土曜日

今も昔も

Soldier Blue 1970

「世界」を考えることない「個」は自閉している。
今、リアリズムの名において「個に自閉した演劇」が蔓延し始めているように思えます。

自閉した個にとって、自己の周辺の出来事しかリアルに感じられないので、自ずと社会性もしくは世界性といった感覚が麻痺してくる。つまり、自分以外には関心を抱かない無関心(アパシー)の状態に陥るのだと思う。

最近、またもや古いアメリカン・ニューシネマの一本を思い出したんだな。
「ソルジャーブルー」という1970年の米国映画です。

内容は、1864年11月29日、コロラドのサンドクリークで起こった騎兵隊によるシャイアン族の大量虐殺を描いたものです。この事件はアメリカ史では「サンドクリークの虐殺」と呼ばれているものです。
チビングトン大佐という指導者が八百人の騎兵隊を率いて、アメリカ・インディアン(Native Amerian)のシャイアン族の老人や女子供、あわせて二百人ほどをなぶり殺しにしたのです。
大佐はこの出来事で英雄になりました。
しかし、やがて行った内容が虐殺であったことが判明し、彼は失脚します。世論が彼を許さなかった。

映画は、出来事をインディアン側から忠実に再現し描いていると言われています。公開当時、映画館で観てショックを感じたのを覚えています。それほどリアルで生々し映像でした。なのに、日本ではほんのちょっと公開されただけで、テレビは勿論、その後映画館ですら観られることはなかったと思います。日本では知っている人も少ないかもしれません。ある意味幻の名作です。
ベトナム戦争当時の気骨のある映画制作者による、正しい「反米映画」です。今やハリウッドがほとんど描くことがなくなってしまったアメリカの負の歴史、即ち歴史のダークサイドをしっかり描ききっているんですね。

今や日本も米国の片棒を担ぐ時代。
昨日の報道によれば、ニューヨークタイムズに「日本は米国を見捨て裏切っている!」という記事が載ったそうです。今は日米関係が最悪の時だそうです。一方、ワシントンポストの記事によれば、「日本は盲目的に米国の指図に従うことはない」ということになります。
いずれにしても、米国の傘の下で長いこと時間を過ごしてしまった日本は、ソルジャーブルーの騎兵隊側にいることは、まず間違いと思われます。

今も昔も、変わらない「狂った価値観」による虐殺は後を絶ちません。
この映画の一場面を観て、遠い西部劇の面白可笑しい一場面だなどと思えるとしたら、それはどこか自己に閉塞し病んでしまっているのかもしれません。
これと同じ事が今世界中で行われているし、目の前でも形を変えて行われていることに気づきたい。
時代はここに来て、以前よりも増して残虐さを深めているような気さえします。
世界を覆う金融や、そこにまつわる貨幣的価値観(拝金主義)の嵐もまた、虐殺を彷彿とさせる一種の「暴力」に他なりません。

目の前の状況は、時や場所を超えてやってきた状況と、実は一致していると見た方が、より健全な感じがします。
僕らは世界に対し無関心ではいられない時代を生きているんだと思うんですが。
個に閉じこもるリアリティーより、勇気を持って世界と対峙し、世界に自己を見出すリアリティーを求めたいと思います。

SOLDIER BLUE-1970-THE MASSACRE

2009年11月12日木曜日

可愛い生徒たちさ☆

文化学院の授業は今年で最後になります。
おお、思い返せばもう十一年もやってきました。時が過ぎるのは本当に早い!

最後の年の最後の学生たち☆
みんな女子高生みたいなカッコしてますが、女優の卵です。

やっと卵の殻から顔を出した感じだな。
昨日は本当に充実した場面を見せてくれました。
未来は決して暗くないな。
こんな元気な女の子たちが、世界を創っていくんだから。
最後の授業を、僕は楽しんでるぜぃ!!!

また、来週会おう☆


☆上野火山☆

2009年11月11日水曜日

雨の日だけど。。

昨夜から雨が降り始め、これから数日雨降りだそうです。

かなり雨脚が激しくなってきました。

季節もだんだん冬に近づいているんだけど、何故か我が家のお嬢たちが夏をテーマにしたアニメで盛り上がっておりました。
たとえば、ずいぶん前に観た「時をかける少女」。
青空と蝉の声、そして夕陽、とどこか懐かしい風景と空気を伝えてくれる作品でした。
モデルになった高校が、国分寺高校だと知ったのはだいぶ後でしたが、なるほど納得の風景描写だと思いました。絵なのに絵ではすまない空気が宿っていたんだな。

男女の恋愛感情もまだまだ幼くて、高校生の生活のある断片が刻まれている気がしました。誰もがどこかで体験したであろう瞬間が描かれていた。たとえファンタジー作品であってもリアルな感情がそこにあり、時代が変わっても在り得る「生活」が表現されていました。

今度実写版がまた作られるそうですが、そんなことで我が家でもアニメ版が話題になったわけです。アニメの雰囲気があまりによかったので、今度の実写版もリアルな感じが失われていなければいいな、と思います。なにしろアニメ版の主人公の声担当した女優さんが、実写版でも主人公を演じます。期待したいと思いますよ。

You TubeでMAD版の「時をかける少女」を見つけました。
RADWIMPSの音楽が画面にピッタリ!これは良いと思うよ!
時をかける少女  RADWIMPS『トレモロ』

2009年11月10日火曜日

Unhappy Ending ‘70s

去年までは八十年代を考える機会が多かったのですが、今年はなぜか七十年代を考察する機会が増えています。それも時代の要請なのかもしれません。

「イージー☆ライダー」は七十年代アメリカの「アメリカン・ニューシネマ」の一本で、その特徴は「Unhappy Ending」にあると思われます。
勿論、後から人が名づけた呼称に過ぎませんが、アメリカン・ニューシネマと呼ばれる作品のほぼ全てが、主人公が死んで終わる作品です。そうでない作品もあるけれど、多くは主人公の死で終わります。仮に死ぬことはなくても、どこか解決不能の問題を残したまま物語は終わる。すなわち、映画が娯楽から文学的な芸術に位置に少しばかり階梯を昇った感じがしたのです。
わかりやすいから「意味の思考」を求める作品へと昇華した瞬間だったかもしれません。

八十年代。日本。
角川映画全盛の頃、「野性の証明」という映画がありました。勿論、娯楽大作ですから、大ヒットを記録した映画ですが、当時キネマ旬報に載ったシナリオとできあがった映画を見比べ、読み比べて、映画のできに感心したのを覚えています。
監督は佐藤純弥さん。「新幹線大爆破」という傑作サスペンスを撮った方ですが、娯楽作品をしっかり撮られる監督さんでした。
この作品は一人の寡黙な自衛隊員が、無実の罪で国家に抹殺される様子を描く悲劇的な物語です。まるで後の韓国映画「シルミド」を彷彿とさせるような、国家による個人の抹殺計画。勿論、アクション満載で描き、今となっては笑ってしまう箇所もありますが、それでも、ラストシーンは素晴らしかった!
自分が誤って殺してしまった村人の子を、自分の子として育てていた主人公が、殺されてしまったその子を背負い、戦車隊に向かっていくラストは、まさにアメリカン・ニューシネマの持っていた魂でした。血の気を失った高倉健さん演じる味澤が力なく背中にぶら下がる娘を身体に縛り付け、塹壕から出ていく姿は、鬼気迫るものがありました。

角川映画という売らんかな主義で作られた作品であっても、ラストは納得できるものでした。
実は、この映画のラストシーンはシナリオには書かれていません。恐らく編集の段階で創り上げていったものと思われます。シナリオでは主人公・味澤は死んだのかどうかわからない形になっていました。ですが、上映作品では味澤が突っ込んでいくところでストップモーションになる。
すなわち、死の暗示で終わるのです。
大野雄二さんの音楽がオーバーラップして、悲劇は神話になる。
こういうラスト、いいよなぁ・・・・。

「野性の証明」予告編


ラスト:Ending Theme 悪夢は頼子とともに

2009年11月9日月曜日

台詞のないイントロ

芝居は台詞だと多くの人が思っています。

ですが、それは違います。台詞は芝居の一部であり、台詞以上にドラマを成立させている要素が、登場人物の「行動」なのです。
日本では「台詞術」という言葉があったりするぐらい台詞イコール演技イコール芝居みたいな感覚がありますが、それはちょっと極端すぎます。むしろ、台詞に対する疑いから始めたいと僕は思うんです。

台詞が説明に傾くとき、ドラマは死にます。
台詞は良い台詞であれ、出来の悪い台詞であれ、瞬間に消えていきます。状況を説明しようと説明に頼りすぎると、台詞はすぐにアリバイ証明の匂いを発し始めます。ドラマはアリバイの証明ではないので、説明は必要最低限です。この最低限であるという認識が理解されない場合もありますね。
しかしながら、説明の台詞は、不可欠な台詞と違って、実ははっきりと観る者に伝わってしまうのです。だからとても厄介。ドラマを殺さないためにも、台詞の説明は避けようと思いますね。

さて、だからこそ、登場人物の行動が問われるんだと思う。
行動の唐突さは台詞の説明がないときに感じるものですが、台詞に頼らずに「行動」を中心に戯曲なりシナリオを読めば、唐突ではないことが、実は多いのです。
台詞に頼りすぎる場合、台詞の説明で安心し、唐突な出来事がよく起きるものなのです。

ロック系の映画でサイケデリックの傾向もある「イージー☆ライダー」という映画の導入部分はほとんど台詞らしい台詞がありません。
登場人物達が何をやっているのかは、観る者が理解しようとしない限り、謎のままでしょう。それだけではなく、映画全体が「わからない」ままかもしれません。
しかし、このピッタリ10分ほどのイントロ場面こそがその後の二人の若者の旅が、自由でありながら、同時に「不穏」なものであることが、感じ取れる仕組みになっています。
実によくできてる。
この映画の成立当初は、妙な導入部だと批判もあったに違いありません。
それでも、これは成功している「行動」のドラマの典型ですよ。

台詞で説明なんかさせるなよ。ドラマを殺すなよ。

Easy Rider full intro - high quality vid & stereo

2009年11月8日日曜日

たまには。。。

たまには聴いてみたい曲もあります。
いつもじゃあないんだが、ごくたまに、聴いてみたくなる。
中村雅俊さんの「ふれあい」もそんな曲のひとつ。

この曲がヒットしていた1974年当時は、歌謡曲の一種みたいな認識でした。
ただ、小さな松竹の「ふれあい」という映画があって、高校生の僕は妙に感動して今でも忘れられません。
東京のダメダメな学生と田舎から出てきた純な女子学生との恋物語。
お決まり通りに、その女子学生は事故死してしまうんですが、二人のやり取りが丁寧に描かれていて、数年後に僕自身が体験する東京の暮らしを予感させてくれるような物語でした。

映画自体の質が優れていたとも思えないし、スティル写真すら見あたらない作品ではありますが、僕は忘れませんよ。
恐らくヒットした曲にあわせて作られた当時よくあったヒット歌謡映画のひとつだったのでしょうが、どこかもの悲しい七十年代の匂いがする作品でした。

たまには、聴いてみたい、そして、思い出してみたい、そんなドラマと音楽なんです。
音楽は知っている人もいるだろうけど、映画もね、よかったんだ。。。

2009年11月7日土曜日

キミは最高☆

って、我が家の「糠漬け」さんのこと。


最近、僕の親友が糠漬けなんだな。
糠漬けは、本当に素晴らしい☆☆☆
毎朝、糠床をこね回し、余計な水分をキッチンペーパーで吸い取り、新たな糠と塩を足し、昆布や鷹の爪を混ぜ込んで…。


手をかけて、それに応えてくれる、そんな感じがします。
兎に角、近所の一生懸命屋さんの路地野菜が最高のご馳走になるんだよ。美味い!


しばらく、糠漬けを楽しみたいと思います。
実は昨夜、糠漬けの夢を見ました。
入り込んでます。オレ。


☆上野火山☆

2009年11月6日金曜日

友よ

昨夜、十何年ぶりかで十代から二十代を共に過ごした友と会った。

十何年なんていう月日は関係ないんだな。友は、生涯友であり、生涯どこかで再会することになっている。そして、いつも笑顔だ。ありがとう!

この世の浮き世は儚くて、情けもなにもあったもんじゃない。そんな浮き世を渡りつつ、渇きかけていた心根も、友と語らううちに十代のあの頃に逆戻り、まったく昔と変わらぬ互いの変わらなさに驚きもするが、安心もする。

ふと、僕の心の中に「時」という名のコンドルが飛んでいきました。

岩手で暮らしたあの日々も、東京で生き始めたあの日々も、浮き世の笑いの種になったとしても、かけがえのない愛しい日々。そして今があることをあらためて噛みしめていた。

今年は実にいろいろなことの起こる年で、忘れられない年になりそうな気がしますが、それにしても過去との邂逅が本当に多い月日でした。
振り返ってばかりいるわけじゃないのに、過去が向こうからやってきて声をかけるんだな。
人生の節目って奴かもしれません。
だからこそ、前へ進まなければ。

そう、コンドルは飛んでいくから。。。。。

El Condor Pasa コンドルは飛んでいく フルート生演奏

昔々。

昔々、ミカバンドってのがあって、最近復活してたけれども、とにかくあって、ボクは高校生で盛岡の小岩井牧場っていう広々とした草原で開かれた「サン・フェステバル」っていう野外ロック・コンサートに、留年して二歳年上だった同級生が運転する車で行ったのを覚えているんだけれども、空はどこまでも青く、いろんなミュージシャンも一緒に草原に寝っ転がって、すぐ隣に武田鉄矢さんたちがいて、すぐ後ろに荒井由美だった頃の松任谷由実さんがいて、んで、ステージでは目当てのミカバンドが「タイムマシーンにお願い」をぶっ放していたんだな、だけど、なんか普通に自由がそこにあって、いつか八十年代ってのがやってくるんだろうけど、それは未来で、未来なんかちっとも見えなくて、見えないのに、気持ちはどんどん盛り上がっていったあの頃、ボクは確かに十七歳でした。

タイムマシーンにお願い♪

2009年11月5日木曜日

まさか。。。

2009年11月4日(朝日新聞)

米ワーナーが日本映画に本腰 まず「忠臣蔵

「 ハリウッドの映画製作大手のワーナー・ブラザーズ映画が、日本映画の製作に本格的に乗り出すと発表した。1本目は池宮彰一郎原作の「最後の忠臣蔵」。役所広司さん、佐藤浩市さん、安田成美さんらが出演、「北の国から」の杉田成道監督がメガホンを取る。8日にクランクインし、11年新春の日本公開を目指す。

 ワーナー・エンターテイメント・ジャパンによると、07年に日本映画を製作するローカルプロダクション部門を立ち上げた。来年は3本程度を作る予定で、今後、定期的に製作を主導していく。ワーナーは過去に「ラストサムライ」などの米映画を日本でも撮影し、「GOEMON」などの日本映画にも出資してきた。ウィリアム・アイアトン社長は「これらのノウハウを生かして質の高い日本映画を世界に発信していきたい」と話す。

 日本では昨年、日本映画と外国映画の興行収入比が59.5%対40.5%で、ハリウッド映画離れも進んでいる。そんな中で、米大手各社は、20世紀フォックス映画が「サイドウェイズ」(公開中)、ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントが「レイン・フォール/雨の牙」(今春公開)などの日本映画の製作に進出している。」


こんな記事を読みました。
おお、日本映画も盛り上がって良いじゃないか!と一瞬思えますが、ほんとにそうですか?
米国は九十年代にブロードウェイを中心にオリジナルの舞台を創る意欲をなくしてしまいました。それは市場原理に支配された経済システムの中で儲け地上主義に陥ったがために、一切の冒険つまり投資を行わなくなってしまったからです。
米国の舞台産業が投資するようになったのは、イギリスやフランスなど他国で制作されヒットした前歴のある作品や、かつてヒットした往年の名作のリメイクのみです。
映画産業にもこれと同じ兆候が見えました。世界各地のソフト(海外制作の映画やゲーム)を買い漁り、次々と映画化し世界市場に売り出していきました。
小さな映画で良質の映画は、ハリウッドにも未だに存在するでしょう。しかし、大半は市場原理主義のまさにテストケース。つまり、売れる物のみを創る姿勢に支配されています。メディアはそのためのプロパガンダ装置。そして、「売る」ということのみが一人歩きする商業装置が映画産業そのものに成り果ててしまいました。文化や芸術は、とうの昔に消費されてしまったわけです。

世界を「消費者の国」と見る現在の米国映画産業が日本のローカルな題材を世界に売り出す、と言ったとき、一抹の不安を覚えるのは僕だけでしょうか。
日本の文化は、米国に売っていただく必要はないし、米国の資本で支配されコントロールされる必要はありません。ローカルなものは、そもそもユニバーサルなものです。普通、特殊性は理解不能のものと思われがちですが、地域的な特殊性こそが、世界の別の地域と共通する要素なのかもしれません。なぜなら、僕らはみなそれぞれのローカルに暮らす存在だからです。世界に中心はないのですから。

「ラスト・サムライ」は西洋人達が頑張って創った日本を舞台にした映画でしたが、ちょっと見れば、いろいろな違和感に気づかされる映画でもありました。
このままいけば、西洋人の見た日本を押しつけられるか、あるいはまた、日本映画をサムライ・ムービーとして世界で消費しようとするのか、そのどちらかになるのは火を見るよりも明らかでしょう。

ハリウッド映画離れが何故起きているのか、ハリウッド自身が気がつかない愚かさが、世界を暗くしていることに気がつきたいものです。市場原理主義から遠く離れる必要も、一部ではまた必要だと思うのです。

2009年11月4日水曜日

高速の果て

高速の向こうに太陽が沈みます。


ほんとに寒くなってきましたね。昨日あたりから、冬が来た感じ。


昨日は木枯らしが吹きまくり、今日もコートが必要でした!


冬の沈む太陽。


今はあたりはすっかり暗くなってしまいました。

今夜の我が家の夕食が楽しみですわ☆

☆上野火山☆

2009年11月3日火曜日

富士山がプリンです☆

ちょっとぼやけてますが、今朝の富士山です☆


ベランダから毎朝見る富士山は、刻々とその姿を変え、季節の移り変わりを教えてくれます。


実は夕陽の観察も好きですが、富士山の観察も好きです。


我が家の誰かが、「あっ!プリン!」と叫ぶ声がベランダからしました。
見たな…富士山プリンを…。

☆上野火山☆

2009年11月1日日曜日

秋の気配

こんなところに、秋がひっそりとやって来て。


気配がいつしか空気に変わる。


あとひと月もしたら、冬?


光陰矢のごとし。

☆上野火山☆

2009年10月30日金曜日

Time☆Warp


ロックミュージカルといえば、「ジーザス・クライスト・スーパースター」とか「トミー」なんかがすぐに浮かんでしまいます。

が、僕の中ではなんといっても「ロッキー・ホラー・ショー」。
原題は『The Rocky Horror Picture Show』でしたが、映画バージョンがカルト的にヒットし、舞台が創られたんだな。
日本では、竹邑類さんが演出なさった八十年代の舞台があまりにも有名です。

なにしろ、徹底的にナンセンスですが、音楽がパーフェクト!
どの曲も、捨てる曲がない、見事なロックっぷり!に呆然としたのを覚えています。
僕も初期の頃、ずいぶんいろいろとロック系のミュージカルに出演していましたが、この作品はぜひ舞台に乗せたいと思うほど、忘れられないインパクトを与えられた作品です。

ロックの持つ禍々しさと怪しさ、そして面白さとノリ。
この全ての要素を、この作品は持っている。
内容がカラッポというのもよく耳にしますが、これだけ名曲と楽しさに溢れていれば、意味ありげなストーリーを語るドラマより、ショーの楽しさを取りたくなる。そんな作品だった。

音楽を愛する人間達が、特にロックを愛する人間達が創り上げた傑作だよ。
そして、今もなおこれはロック・ミュージカルの快作にして怪作だ!

物語の初期の場面から、
Time Warp


そして、ミートローフ演ずるバイク乗り怪物「エディー」の曲、
Meat Loaf - What Ever Happened to Saturday Night (hot patootie) lyrics

雷に打たれて☆

しかし、いつ聴いてもAC/DCは最高だな☆

たとえメンバーが変わってもアンガス・ヤングのギターと相変わらずの衣装は健在です。

「あっか・だっか」と知り合いのオーストラリア人たちは、まるで東北弁みたいな感じで呼んでたけど、僕にとっては永遠のAC/DCだね。

不変のロックバンドのひとつです。

今日は、彼らの「Thunderstruck」を聴いて仕事に燃えるぜ☆☆☆
しかも、ライブだぜ!!!

AC/DC - Thunderstruck (Live At Donnington) High Quality!!!

2009年10月29日木曜日

水面の光

昼間のお堀の風景☆
そこに太陽が輝いています。

都会のど真ん中に、こんな穏やかな景色があるんです。当たり前だけど。


すぐ近くが神楽坂。
このすぐ真下に釣り堀。


いつもは電車からただ眺めている風景ですが、今日はその一部になってみました。


ちょっとまた東京を違う目で見られるかな。

☆上野火山☆

2009年10月28日水曜日

昨日、今日、明日

夕暮れはどこか儚い感じがするけれど、でも明日へ続く時間でもありますね。


今日も素晴らしく良い天気で、実に気持ちが良いのですが、夕方は気温も下がり、秋の深まりを感じることでしょう。

もうすぐ紅葉して、落葉が始まり、冬へ。


その意味では、秋は、季節のなかでも夕方の時間帯かな?

春は朝、夏は昼、秋は夕方、冬は夜。

そんな風に勝手なイメージを持っていますが。


夕方の光はカクテルグラスのようで、夕陽倶楽部のメンバーではありますが、ただのオレンジや赤ではない複雑な夕方のカクテルライトが好きですね。ほんと。青のような紫のような赤。時間は色の変化でもあるんだな。


昨日、今日、明日。

光が変化するように、人生もいろいろな色に変化します。

頑なな心は、昨日、今日、明日を本当に味わうことを妨げる。

だから、

柔らかく、周囲の変化に敏感に生きていきたいと思います。

今日の夕方の光は、いったいどんな色をしてるんだろう?

楽しみです。。。



☆上野火山☆

2009年10月27日火曜日

天に咲く花

沖縄の音楽が好きです☆

あの青い海と空の下で、何度も何度も惨いことが繰り返され、それは実際今も変わらない。
むしろかつてよりも見えにくくなっているだけかもしれない。

またもや台風が去り、久々に晴れた青い空を満喫している今日。
僕は現代版の、つまりはHipHop系の「てぃんさぐぬ花 」を見つけた。

原曲とはまた違った今に繋がる良さがこのアレンジにはあります。
時代は確かに変わり、時はめぐっても、それでもなお変わらぬものが確かにある。
音楽も芝居も物語も、実はそんなに調子のいいもんじゃない。
むしろ、じっくりと「過去」と「今」と向き合うこと。
そこから「明日」が生まれてくるんだよ。
「過去」は複雑だ。
「今」は見えにくい。

でもな、
明日は芽はそんなところに顔をだすんだよ。
てぃんさぐぬ花 の芽は、もう目の前にあるのさ。
それを見ようとするかしないかで、明日は変わるんだ。
だって、人生は、
旅だもんな。

TINSAGUNU HANA てぃんさぐぬ花 --PV--  bleür

2009年10月26日月曜日

雨の日の銭湯

うちの近所に、こんな銭湯があるなんて、今まで知りませんでした。


でも、立派な銭湯☆
煙突もかなり立派。


いったい僕はどこに目をつけてるんだ?もっと上を向いて歩こう!


そして今度ここへひとっ風呂浴びにこよう!

☆上野火山☆

日本のWeezerかも

PinkLoopという三人のバンドは、ひょっとしたら日本のWeezerかも、などと妄想してみる。

どこか似た感じがするのは気のせいですか?

似てる、というより世界観が近いような気がします。結成して八年ぐらいになるようですが、メンバーチェンジもあり、いろいろあっても、メロディアスなロックという姿勢は変わりません。


僕は好きだな、このバンド☆

PINKLOOP- WHAT YOU WANT


PINKLOOP 「More Than Now」

観てきたよ☆

映画『私のなかの8ミリ』舞台挨拶&トーク:大鶴義丹さんと高杉瑞穂君


とてもとても愛すべき映画に仕上がっていました!


主人公の女性の「後悔」の物語。

でも、幻影のように彼女と旅をするかつての恋人に前へ進むことを教えられる。

旅が自分自身に対するレクイエム(鎮魂歌)になり、別れは明日への路となる。

後悔が、やがて希望になる瞬間を静かに見つめる物語。

静かな左側に海を見ながら走る日本海側の風景と、巨大な風力発電の風車が回る風景、そして緑のなかを二台のバイクが走る。

とてもリリカルな物語を映像がバックアップしてる、そんな感じがしました。


出演者とスタッフとがとても息があって楽しんで制作している様子が見えました。

それも、この映画の持つ雰囲気の良さかもしれません。


上映前に監督の大鶴義丹さんと主演の高杉瑞穂君とちょっとお喋り。

お二人とも和気藹々として、映画作りがほんとに楽しかったんだなぁと感じさせてもらいました。

終了後のトークでは三十分以上に渡って、裏話や映画やドラマに対する意識や姿勢などを語ってくれました。

その中で、印象に残った一言は、お二人がそれぞれの言葉で述べた「映画はテレビより舞台に近い」ということ。

僕も同感です。

映画は劇場で上映されるもの。テレビも良いけれど、テレビの立ち読み感覚は映画や舞台にはありません。時間限定で客席にお金を払って拘束される映画や舞台は観る側にも、ある種の覚悟と責任を問うことになります。恐らく、そうやってはじめて集中した「観劇」という行為が生まれるのでしょう。無意識にテレビも映画も舞台も、すべて同じ芸能だろうと思ってしまうかもしれませんが、実はジャンルが違えば全く異なった表現媒体(メディア)なのだと思います。

そんなメディア論もお二人は語ってくれました。

まったく同感だな。


そして、大鶴義丹さんが自分の仕事を「芸能」ではなく「芸ごと」と呼びたいと仰いましたが、それもいい表現だな、と思いました。


さわやかな映画と有意義なお話し。

とても意味のある二時間を過ごせました。


お二人ともありがとう!!!

☆上野火山☆

「私のなかの8ミリ」の音楽を担当された望月衛介さんの音楽を一曲☆
望月衛介/DIVE INTO THE PAST TIME

2009年10月25日日曜日

私のなかの8ミリ

『私のなかの8ミリ』2009

友人の俳優、高杉瑞穂君主演の『私のなかの8ミリ』の上映会が開かれます。

もしお時間がありましたら、どうぞご覧下さい☆

僕は今夜19:30の回に顔を出す予定です。

とっても素敵な映画のようです。また感想はあらためて書きますが、予告編を見ると映画とバイクの大好きな僕の心を刺激してやまないハートウォーミングな場面が垣間見られます。

監督は大鶴義丹さん、撮影監督は桐島ローランドさんでお送りするバイク・ロードムービーです。

今日は上映会二日目です。
場所は、東村山富士見公民館。最寄りの駅は西武新宿線「久米川駅」。
時間は1回目が17:00、2回目が19:30開始です。
上映後、高杉君と大鶴さんのトークショーもあるみたいですよ☆

高杉君、期待してるよ!!

佐々木隆夫君の「唐ゼミ」舞台共々、よろしく願いします!


映画「私のなかの8ミリ」予告編

アレンジ

同じ音楽がアレンジを変えることで全く別ものになることがあります。

骨格が確かに変わることがないのに、アレンジは存在の仕方を変えてしまう力があります。

生き方にしても、根本的には生まれて三歳ぐらいからほとんど変化していないのが現状でしょう。変化するのは外側の社会的外面性であって、内包する人間性はほとんど変化していない。
だとすれば、自分自身を如何にアレンジするかで、人生の在り方も変わってくるのでは?と思う今日この頃であります。

最近、裁判の行われた薬物で逮捕された俳優(実際俳優とは呼びたくもありませんが)が、その反社会的な風貌から、デビュー当時プロダクションで第二の「松田優作」をめざそうということになった、という話を耳にしました。ふざけたことを言うなよ。初期の訓練もまともにやらず、売れることばかり気にしていたその俳優は、結局真の「地味」な努力をすることもなく、身を持ち崩していった。どんな生き方でもその人間の自由なのですが、自分自身の人生を如何にアレンジするかで、その後の在り方が変わる例ではないでしょうか。まがりなりにも松田優作は、自ら脚本を書こうとしていたし、たえず自分を変えようと必死だった。ギラギラした不良などという外見の虚像とは全く違ったストイックな、学び成長しようとする姿勢があった。例えば、松田優作と先になくなった俳優・金子正次との関係に、そんな部分が垣間見えるんだな。それは時代の違いなのかもしれないけれど、一見似ているようで、この裁判沙汰を起こした俳優と松田優作という俳優の在り方は全く異なっているのです。松田優作自身もいろいろな事件を起こしたにもかかわらず、です。

だから、アレンジ。
とても重要なことだと思います。人に従うというよりも、自分の可能性を切り開くために、アレンジを重ねて生きたいと思うんです。
どこで途切れるかわからぬこの人生で、変化し、前へ進もうとする以外に路はあるのだろうか?

1988年の泉谷しげるさんの「春夏秋冬」はそれ以前のアレンジとは全く違って衝撃的でした。
いくつもアレンジのバージョンがある中で、このアレンジは特に好きです。
ギターの音が風のように舞っています。
金や権力とは全く異質の、人生の意味を、風のように感じたい。

泉谷しげる&LOSER - 春夏秋冬

2009年10月24日土曜日

ストレート☆

たまにはこんな直球もいいかもしれない。

世界が元気をなくしかけている今、こんなストレートな曲もいいかもしれない。

「明日へ」か。

この際、コマーシャリズムの問題は脇へ置き、PVの中山選手の演技に注目しよう。

過去の自分と、再会するこのシンプルな物語は、誰もがどこかで思い当たる「自己との邂逅」を扱っています。
自分自身と再会すること。
もし、僕らに明日があるとしたら、自分と向き合うしかありません。
そして、過去の自分と不意に再会することができたなら、僕らは、もう一度前へ走り出すことができるでしょう。

だからこそ、今が大事なんだ。
「今」は明日の過去だから。
「今」が明日へのヒントになるのだから。
「今の自分」が「明日の自分」を勇気づけるのだから。

あらららら〜…(泣)

今朝、ベランダに出てびっくり!
「星のかんさつ☆足のおきば」に「月のかんさつ」が加わり、その周囲に「観察日記」が出現!!

まるでミステリーサークルだッ!

どこまで広がるんだろうか????

一応、我が家のベランダなんすけど。。。。トホホ。。。。。


☆上野火山☆

2009年10月23日金曜日

夢の中へ

劇団のブログにもかつて書いたのですが、僕は井上陽水さんの「夢の中へ」が大好きです。

中学の時に観た、西武線沿線の高校生を描いた「放課後」という映画が好きだったせいもあるかもしれません。
その映画には「いつの間にか少女は」など、忘れられない初期の井上陽水の世界がありました。
その頃は、まだ東京は遠くにあって、手の届かない、未来そのものでした。

決して明るさばかりを期待したわけではなく、むしろ、東京に出たら大変だろうなぁ~などと田舎に暮らす僕は思っていました。
中学生の僕から見て、映画「放課後」に出てくるような洒落た高校生なんか田舎にいるはずもなく、やっぱり東京は「垢抜けてんだわ」なんて友達と深~く語り合ったりしていました。

そして今はもう東京に暮らして三十年を越えてしまいました。

あの遠かった東京という「夢」の中へ入り込み、今もなお悪戦苦闘し続けている。
まだまだ続くぜ!夢の中へ!
ますます、入り込みたいと思います。
今日も、夕方から少し青空が見えてきたけど、うん、夢の中へ行ってみましょうか☆☆☆

井上陽水 - 夢の中へ RIJF2007
このバージョン、ギターとキーボード、そしてドラムが見事にうねりまくってます☆サイコー!!
名曲は決して古びることはない☆

ボクとフリオと校庭で

現在、大忙しで様々新作の準備等を重ねています。

いずれ詳しいことをお伝えできると思いますが、「空中スケッチ」らしいHumann Dramaをご提供できるようますます意識を高めていきたいと思っています。

昨日、学生達相手に講義しておりましたが、その中で、今のこの時代がなんとも言えない「悪意」に満ちているにもかかわらず、上演されている舞台のその多くが「人間の闇の部分」であるとか「人間の本質の醜さ」であるとか、観る人間を「悪意」の方へ引っ張り込む感じがあります。
もちろん、すべてがそんな作品ばかりであるはずもありませんが、社会や時代の状況の暗さを殊更強調するそのやり口を、僕は「体制への迎合」と呼びます。

つまり、演劇を通じて、この時代の空気である「悪辣さ」を肯定し、「順応せよ」と迫る、そのやり口に我慢がならないのです。特にリアリズムを名乗る、もしくはドキュメンタリー・ドラマなどと呼ばれているものの中に、こうした「悪意」を感じます。
先日、亡くなった加藤和彦さんが残された言葉で印象深いのは、「今は、音楽が必要とされない時代になってしまった・・・」という言葉です。
世の中は音楽データが溢れ、消費される楽曲は無数にありますが、実際は「音楽は、今、必要とされなくなっている」んじゃないでしょうか。実際、こういうところにも、僕は悪意を感じるのです。

僕自身、「空中スケッチ」を通じ、リアリズム演劇をめざしているのですが、今世の中に溢れる「悪意のドラマ」とは無縁であります。

心穏やかに生きていきたいものです。
そして、明日の道筋はわからなくても、焦ることなく、慌てることなく、自分と自分のかかわる人間達を信じることのできる「奇跡」を見出したいと思います。
この悪意の時代にあって、真の「優しさ」は「厳しさ」であり、同時に「奇跡」そのものなのかもしれません。

悪意は確かに存在しますが、それを乗り越えようとするドラマを僕は見つめていきたいと考えています。
昔、聴いたポール・サイモンの「僕とフリオと校庭で」を見つけて聴きました。
いいんだなぁ。
なにかしら、今失われているものを感じるのですが。

星のかんさつ☆

わが家のベランダに見つけた『星のかんさつ☆足おきば』

毎晩、ここに立って、夜空を見てるんだって。


さっきそこに立って空を見た。


今日は曇り空。青い空は見えないけれど、あの雲の向こうに、きっと青空はあって、その向こうに星が輝いているはず☆


このチョークの足場が気に入っちゃったな。


☆上野火山☆

2009年10月22日木曜日

夜の公園

都心の夜の公園です。


都心だけあって、暗くなっても、まだ人がいるのね。


やっぱり輝く街灯が魅力的☆☆


ちょっとだけドラマを感じます。

☆上野火山☆

気がつけば夕焼け空

二日ほど前の夕焼け空。


やっぱり地面ばかり見てるのは、よくないなぁ。


つい下の方ばかり目がいく自分がもどかしい。


もっと上も見よう☆


忘れ物はきっとそこにあるから。

☆上野火山☆

西荻の十字架

見えますか?


西荻窪の十字架です。


おそらく誰もが背負っているもの。


関係ないね、などとうそぶいても、背中の十字架が重さを増すだけ。


保身より前へ向かいたいものです。


空中の十字架を見て。

☆上野火山☆

2009年10月21日水曜日

懐かしすぎる☆

近所の建物の陰に、こんなものがあっただ。


昔過ぎるポスト☆


一瞬、ノスタルジックな気分になったオレ。


☆上野火山☆

夜明けの空に

昨日、今日、と天気がとてもいいですね!!


そんな日は、朝の光もどこか違います。


木々の間から差し込む光は、透き通った夜明けの空気を貫きます。


その光が建物の壁を照らすのですが、あの夕陽とはまったく違った色なんだね。


それは赤というよりむしろ、金色。
そう空気を金色で染めるんですね。


光の変化を楽しむ。
これも朝の楽しみかもしれないね。


☆上野火山☆

2009年10月20日火曜日

ラストショー

The Last Picture Show:1971

1971年に公開されたピーター・ボグダノビッチの「ラストショー」は原題を「The Last Picture Show」という。

米国南部、テキサスの田舎町の青年達を描いた映画です。
1950年代を舞台に、第二次大戦が終わったのも束の間、米国は朝鮮戦争へ出兵し、若者たちもバラバラになっていきます。
ちょっとアメリカングラフィティーに似た感じがありますが、この映画の方がずっともの悲しく、未来が見あたらず彷徨う若者の心理を抉り出しているような気がします。
かつて、このブログでも取り上げた「昨日、悲別で。」という倉本聰さんのドラマがありましたが、あのドラマはどこか、このラストショーが発想のきっかけになっているのではないかなと思っています。どこか共通したものがあるんです。

町で唯一の映画館が閉まるまでを描いた物語。
最後の上映作品はジョン・フォードの「赤い河」。西部劇の傑作です。赤い河の最後の上映で映画館がなくなってしまったとき、確実に若者たちの住むこの町は変わっていく。
僕の暮らした一関という町にも、かつて「オリオン座」という洋画専門の映画館があって、今はもうないのです。ごくありふれたエピソードなのだろうけど、だからこそ、胸が痛む強烈なイメージがこの映画にはある。

智恵遅れの少年がいつも熱心にホウキで通りを掃いているのですが、砂を運ぶ風の寂しさ。

白黒の光と影が最大の魅力だと思います。
昔、ハヤカワ文庫で小説も出ていましたが、もう絶版かな?
小説もよかったですよ。

The Last Picture Show Movie Promotional Clip


2009年10月19日月曜日

ひまわりの夏

『ひまわり』(I Girasoli)1970

毎年夏になると、必ずどこかで、たとえば誰かの家の庭先であるとか、路の脇だとか、公園の端っことかで、「ひまわり」を目にする。
あの明るい黄色は、ゴッホの目にも映ったように力の源のように映る一方で、どこかもの悲しい。

昔、戦争があって、その戦争で何百万、何千万という人びとが引き裂かれた。
イタリアに住むジョバンナは夫のアントーニオを戦争にとられた。
逃げ切れずに徴兵されたアントーニオは戦場であるソビエトの町外れで、ロシア人女性に救われる。
戦争が終わり、未亡人として暮らすジョバンナの元にアントーニオの生存の話が伝えられ、ソビエトに夫を捜して旅立つ。
しかし、そこで目にしたのは、ロシア人の女性と暮らす夫の姿。絶望し汽車に飛び乗るジョバンナ。
アントーニオがジョバンナを訪ねる。
そして、戦争を挟んで、二人の人生がすっかり変わってしまったことを知る。
アントーニオはソビエトへ戻る。駅で、かつての夫をジョバンナはいつまでも見送っていた・・・・。

メロドラマかもしれません。
でも、毎年、夏にひまわりを見る度にこの映画のラストシーンの広大なひまわり畑を、僕は思い出します。映画や舞台、つまりドラマは、追体験です。なので、まるで自分の体験のように強く場面が思い出されるんですね。

あの黄色いひまわりの咲く大地の下に、イタリア人のみならず、ポーランド人も、そして日本人も沢山埋められているはずです。二度と故郷の土を踏むことのなかった人びとの亡骸の上に咲き乱れる黄色く輝く「ひまわり」の群れ。
この映画は戦争によって引き裂かれた男女を描いていますが、実は「ひまわり畑」を通じて、無名の戦士達の沈黙の慟哭を描いているのではないですか?

監督ビットリオ・デ・シーカの甘さを越えた演出は、今大人として観て理解できるような気がします。
僕の好きな映画の1つです。

○ジョバンナがソビエトのアントーニオを訪ねる場面


○映画「ひまわり」のラストシーン