2009年3月8日日曜日

能面に想う ー観客という主体ー


能面には光と陰と、その観る角度によって、様々な表情が在ると言われています。
確かに、微笑んでいるかと思えば、翳りのある哀しみの表情へ一瞬にして変化していきます。
能面のデザインは光と影を巧みに利用できる完璧な芸術作品と言えるのでしょうね。

そこで、僕は思いをはせる。
それは、能面というあの無表情の仮面に様々な感情が見えるのは、仮面に備わった能力だけでなく、もうひとつ重要な別の要素があるのではないだろうか、ということ。

僕たちは外界に対し観たいものを観、観たくないものは観ない、そんな取捨選択を無意識で繰り返しています。言い換えれば、観たいと思わなければ、僕らはなにひとつ観ることができないのです。
能面の無表情の中に様々な感情を観るのは、僕たち人間の想像力でしょう。
そして、その想像力なしには、光と影の芸術は成立しない。
能を成立させる力は、細部にわたる神経の行き届いた演じ手の演技技術と、プラス観客の共感に基づいた想像力でしょう。たとえば子を失った母の哀しみを、観客は想像することで生まれる共感を舞台の俳優に投影することで、微妙な感情表現を捕捉していきます。いや、捕捉というより、感情そのものを生み出していくんじゃないかな。

能面の複雑な感情表現の有り様を考えると、僕には観る側の存在というその重要性を感じずにはいられません。
演劇学というものがあれば、同時に「観客学」というのもあっていのにな。
観客であるというのは、映像も含め舞台芸術にとって、たえず不確定要素でありながら、同時に確定要素であるという矛盾をはらんだ要素です。

だからこそ、僕は作り手である前に観客でいたいのです。
客席に自分を置くことで、不確定要素を確定的なものにしたい。
能の面は僕に、客の存在をもう一度思い出させてくれます。
そして、観客こそが舞台に観たいものを生み出しているもうひとつの主体なのだ、ということを。

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