2009年11月29日日曜日

Keikoさんへ☆

しばらく、ブログを更新できませんでした。ごめんなさい!
今、我が家の大掃除(模様替え)&原稿書きに追われております。

先日、徳島のKeikoさんから「斉藤哲夫さんのライブ」のお話しを書きこんでいただきました!
本日は、そのご返事をアップさせていただきます。

Dear Keikoさん

斉藤哲夫さんのライブ・コンサートご成功おめでとうございます☆
そして、丁寧なブログのコメント、ありがとうございます!

遠く東京の空の下で、今頃コンサートだろうなぁ、と思っておりました。斉藤さんをご存じない方も多かったと思います。でも、そんな方たちにこそ知っていただきたい曲の数々です。
僕はこの世の出逢いは、すべて「再会」だと思っています。
始めて会う人でも、実は「ここにいたのか!」という感覚があります。はじめて彼の曲を聴いた人も、「これかぁ」と再会したんだと思いますよ。心のどこかで在ると思っていた音楽、そして言葉と、人は人生のどこかで必ず「再会」するんです。それが、徳島で起こったのだと思います。

静かに胸に迫る音楽は、現在派手な商業主義の蔓延する中で、失われつつあります。
同時に、本当に良いものを求める人びとも増えているような気がします。
商業主義を全て否定することはもちろんできませんが、本来売れてよいはずのものが、様々な思惑の中で埋もれていくのは、本当に残念です。誰かが気がつき後押しすることでそれらは生きながらえることができる。今回のコンサートのご成功は、まさにそうした現在の主流とは別の、本物を強く求める気持ちが生み出したものでしょう。僕はそのことに感激します。本当に嬉しい。

今日も僕は吉祥寺を歩きましたが、斉藤哲夫さんの「吉祥寺」がずっと頭の中に流れておりました。

人生は再会の連続。
だから、捨てたもんじゃない!
前を向いて、僕も歩いていこうと思います。
来年、僕もぜひ魂のこもった演劇を行いたいと思います。

Keikoさんもお身体大切に!また!

  上野火山

斉藤哲夫 吉祥寺 1973

2009年11月22日日曜日

落ち葉 雨

先日見かけた落ち葉と雨の風景です。


今日も午後から雨が降るらしい。昨日は天気がよかったですが、またすぐに寒い雨。

雨が本当に寒く感じる季節になりました。


いろいろな方から舞台のお知らせを受けています。

全部に顔を出したいのはやまやまなれど、なかなか顔を出せていません。

みなさん、お許しを!

時間のある限り、また必ず行きますから連絡はぜひ絶やさずにいてくだされ☆


我が家で現在プチブーム中の「侍言葉」がつい出てしまう今日この頃。

政治や経済の動向に、つい「笑止!!」と心の中で叫んでおりまするぞ。


さてさて、今日も一日張り切っていきましょうぞ☆☆☆

「馬に乗って、戦うとな???」


☆上野火山☆

2009年11月20日金曜日

一丁目の夕日

山の向こうに日が沈む。


今日最後の光が金色に輝いていました。


☆上野火山☆

2009年11月18日水曜日

河原にて


コスモス(転載)

今日は昨日とうって変わって曇りから晴れ。
青空の下に秋の花が咲いておりました。
残念ながら携帯を持って出なかったので、その写真は撮れませんでしたが、同じ感覚と思える写真を引用転載させていただきました。

川の畔にまさにこんな感じでコスモスが咲き乱れておりました。
白とピンクの可憐な花。
しかし、外来種なので河原に繁殖させることは在来種の生育に対する脅威となる環境破壊とも言われているそうです。
でも、秋の桜コスモスは、どこか寂しげで美しい。

東京に暮らしながら、しっかり季節を楽しみたいと思います。
旬の食べ物がやっぱり美味しいだけでなく滋養も溢れているというのは、それだけで充分な贅沢。季節外れのビニールハウス食品よりもよっぽど今となっては贅沢で豊かなことなのかもしれません。
花や植物にもそれは言えるんでしょうね。
旬の花を愛でる生活。
うん、なかなかいいもんです。

2009年11月17日火曜日

文化系をなめんじゃねぇ!!

色即ぜねれいしょん:2009

みうらじゅんさんは同い年の人間として、共感できるアーティストの一人です。
1958年生まれにロクな奴はいねぇ、ってことはよくわかっていたつもりですが、彼は58年生まれの中でも珍しく熱い人だと思います。そこが嬉しい!

ロック精神のバイブル「アイデン&ティティ」も最近きっちり読ませていただき、そこに流れる共通するロックに対する熱き思いに心打たれましたよ☆
そして、この映画「色即ぜねれいしょん」は彼の小説を原作に、同世代の真面目なロック野郎・田口トモロヲ氏がメガホンをとったお馬鹿で明るい胸に迫る青春グラフィティです。

フリーセックスとロックに憧れて、夏休みに仲間と島に渡った少年の切なくも苦く、笑っちゃうほど切ないロックなエピソード。ロックするってことは、これほど恥ずかしいことなんだな。で、恥ずかしさと共に生きることなんだ。簡単にわかった風な口をきけないほど愚かであることの自覚がロックなんだ。他人の失敗をニヤつきながら見るんじゃなく、阿呆のように自ら失敗しようとする馬鹿さ加減がロックなんだ。路で奇声を発することがロックじゃない。静かに燃えるのがロックなんだ。ロックはチャラチャラしてない。ロックは険しい。ロックは、なめた人間には到底到達できない魂の境地のことだ。
笑いながら、こんなことを考えていましたよ。

決して懐かしい話ではありません。ただ、今時のリアリズムでは、どこかで無視を決め込まれている物語なのかもしれません。
この馬鹿のように一つのことに夢中になって取り組むことが嘲笑われる時代において、取り戻すべきは「愚かなロックの精神」なのではないだろうか?

最近、ロックしてますか?おやじロックという意味じゃありません。ロックの魂ってことです。
魂はロックしてますか?
金勘定ばっかりしている奴らめ、文化系をなめんじゃねぇ!!

映画『色即ぜねれいしょん』予告編!!

2009年11月16日月曜日

二人のトム・ウルフ

Thomas Wolfe:1937.4

米国には二人のトム・ウルフがいる。

一人はエスタブリッシュメントを自負するオッチョコチョイのベストセラー作家。そしてもう一人は、1938年にこの世を去った身長2メートルの作家。

今はほとんど話題にされることもない人物かもしれませんが、僕はこの身長2メートルの作家トーマス・ウルフに惹かれます。
日本語で翻訳されている本は、僕の知る限りでは「天使よ故郷を見よ」しかないと思われます。

NOVELS
「天使よ故郷を見よ」:Look Homeward, Angel, A Story of the Buried Life
New York, C. Scribner's Sons 1929.

Of Time and the River; a Legend of Man's Hunger in His Youth
New York, C. Scribner's sons, 1935.

The web and the rock.
New York, Harper & brothers, 1939.

You can't go home again.
New York, Harper & Brothers, 1940

SHORT STORIES AND VARIOUS COLLECTED WRITINGS
From Death to Morning
New York, Scribner's Sons, 1935

The Story of a Novel
New York, Scribner's Sons, 1936

The Face of a Nation; Poetical Passages from the Writings of
Thomas Wolfe

New York, Scribner's Sons, 1939

The Hills Beyond
New York, Harper 1941

A Stone, A Leaf, A Door; Poems by Thomas Wolfe,
selected and arranged in verse
by John S. Barns
New York, Scribner's Sons, 1945

A Western Journal: A Daily Log of the Great Parks Trip,
June 20 - July 2, 1938

Pittsburgh, University of Pittsburgh Press, 1951

Short Novels. Edited, with an introduction and notes,
by C. Hugh Holman
New York, Scribner's Sons, 1961

Thomas Wolfe's Purdue Speech: Writing and Living.
Edited from the dictated and revised typescript
West Lafayette, Ind.: Purdue University, 1964

The Notebooks of Thomas Wolfe. Edited by
Richard S. Kennedy and Paschal Reeves
Chapel Hill, University Of North Carolina Press, 1970

A Prologue to America.
Edited and with a Foreword by Aldo P. Magi
Athens, OH: Croissant and Company, 1978

The Autobiography of an American Novelist.
Edited by Leslie Field
Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1983

The Complete Short Stories of Thomas Wolfe.
Edited by Francis E. Skipp; introduction by James Dickey
New York: Scribner, 1987

The Good Child's River.
Edited and with an introduction by Suzanne Stutman
Chapel Hill: University of North Carolina Press, 1991

The Lost Boy: a Novella.
Edited and with an introduction by James W. Clark, Jr.;
illustrations by Ed Lindlof
Chapel Hill: University of North Carolina Press, 1992

The Party at Jack's.
Edited and with an introduction by Suzanne Stutman
and John L. Idol, Jr.
Chapel Hill: University of North Carolina Press, 1995

フィクション(小説)だけでもこれだけあるのに、日本語で読むことが実は難しい作家ではあります。故に、ほとんどの日本人は知ることのない作家なのかもしれません。
彼は泥臭く自伝的な物語を通して米国の庶民の歴史を描きました。米国の当時ですら徐々に失われつつあった米国人の真の生活とその周辺の細かなリアリティーを記述することで、アメリカ人の内省を実行した人物でした。多くの同世代の「失われた世代」のようにヨーロッパに逃避することなく、冷蔵庫の上をデスク代わりに執筆したという話は、今もなお伝説として残っています。

今時代が変わりつつあって、この日本にも古い時代の米国を描いたこの作家の作品を受け入れる土壌が出来上がってきているのではないかと思うのです。というのも、彼の描いた過酷な時代の米国の風土が今の日本の風土に限りなく近い感じがするからです。八十年代や、バブルのはじけたといわれた九十年代よりも、今がトーマス・ウルフの生きた人でなしの時代の米国に似ている。
デビュー作である「天使よ故郷を見よ」は、まさに世界大恐慌のはじまるその直前に書かれているのです。
まさに、人でなしな時代に「人になる」ために読むべき書物が、彼トーマス・ウルフの小説のような気がします。
まずは新潮文庫で「天使よ故郷を見よ」を読んでみてください。
そこに描かれるのは、どうしょうもない人間の世界で、より良く生きようと苦闘する人間の物語です。物語る原点がここにあると、僕は思う。

四十代まで生きることのなかったトーマス・ウルフに感謝☆
あなたの作品で僕の立ち位置が見えてきましたよ。

Creative Quotations from Thomas Wolfe for Oct 3

2009年11月15日日曜日

窓の向こうの青空



ここ数日の中で珍しいぐらい今日は晴れました☆

雲ひとつない青空とはまさに今日の空ですね。
窓から透き通るような青空が見えて思わずシャッターを切ってしまいました。
屋根と電線の向こうに、限りなく続く空があります。

本当に大変な時代になってきましたが、それでもしっかりと地面に足を付けて生きていきたいものです。なぜなら今ここにしか己の人生は存在しないから。その人生を深く味わおうとしなかったら、なにも味わうことなく日々を過ごしてしまうでしょう。
人生は一度きり。
そんなの誰もが先刻ご承知。でも、リアルに一回きりだと思う必要があるんだろうな。

窓の向こうの空も、この一瞬しか存在しない。
すべてが一瞬にして忘却の彼方へ消えていく。
時間は不可逆だし、人生も不可逆。しかし、人間精神は不可逆ではありません。遡ることも、まだ見ぬことを想像することもできるんです。従って、生きた人間の精神のみが可逆であり、自由を本来獲得していると考えるべきなのでしょう。

青空を見ながら、自由意志ということを考えました。
この時代の問題とは、自由意志の無言の剥奪なのではないだろうか。金融と資本による支配の中で、いつしか人は「自由意志」を奪われている。問題は、そのことに人がなかなか自覚的になれないということなんだろうと思う。
かく言う僕自身、自身の自由意志がどこまで確立しているのかは不明のまま。
それほど、危ういメディアによって吹き込まれた幻想の中で僕らは暮らしている。

覚醒しようとする意志だけが、己にカツを入れ足下と空を見せてくれる。

青い空を見ながら、足下のぐらつきに、気がつきつつある今日このごろです。


☆上野火山☆

2009年11月14日土曜日

今も昔も

Soldier Blue 1970

「世界」を考えることない「個」は自閉している。
今、リアリズムの名において「個に自閉した演劇」が蔓延し始めているように思えます。

自閉した個にとって、自己の周辺の出来事しかリアルに感じられないので、自ずと社会性もしくは世界性といった感覚が麻痺してくる。つまり、自分以外には関心を抱かない無関心(アパシー)の状態に陥るのだと思う。

最近、またもや古いアメリカン・ニューシネマの一本を思い出したんだな。
「ソルジャーブルー」という1970年の米国映画です。

内容は、1864年11月29日、コロラドのサンドクリークで起こった騎兵隊によるシャイアン族の大量虐殺を描いたものです。この事件はアメリカ史では「サンドクリークの虐殺」と呼ばれているものです。
チビングトン大佐という指導者が八百人の騎兵隊を率いて、アメリカ・インディアン(Native Amerian)のシャイアン族の老人や女子供、あわせて二百人ほどをなぶり殺しにしたのです。
大佐はこの出来事で英雄になりました。
しかし、やがて行った内容が虐殺であったことが判明し、彼は失脚します。世論が彼を許さなかった。

映画は、出来事をインディアン側から忠実に再現し描いていると言われています。公開当時、映画館で観てショックを感じたのを覚えています。それほどリアルで生々し映像でした。なのに、日本ではほんのちょっと公開されただけで、テレビは勿論、その後映画館ですら観られることはなかったと思います。日本では知っている人も少ないかもしれません。ある意味幻の名作です。
ベトナム戦争当時の気骨のある映画制作者による、正しい「反米映画」です。今やハリウッドがほとんど描くことがなくなってしまったアメリカの負の歴史、即ち歴史のダークサイドをしっかり描ききっているんですね。

今や日本も米国の片棒を担ぐ時代。
昨日の報道によれば、ニューヨークタイムズに「日本は米国を見捨て裏切っている!」という記事が載ったそうです。今は日米関係が最悪の時だそうです。一方、ワシントンポストの記事によれば、「日本は盲目的に米国の指図に従うことはない」ということになります。
いずれにしても、米国の傘の下で長いこと時間を過ごしてしまった日本は、ソルジャーブルーの騎兵隊側にいることは、まず間違いと思われます。

今も昔も、変わらない「狂った価値観」による虐殺は後を絶ちません。
この映画の一場面を観て、遠い西部劇の面白可笑しい一場面だなどと思えるとしたら、それはどこか自己に閉塞し病んでしまっているのかもしれません。
これと同じ事が今世界中で行われているし、目の前でも形を変えて行われていることに気づきたい。
時代はここに来て、以前よりも増して残虐さを深めているような気さえします。
世界を覆う金融や、そこにまつわる貨幣的価値観(拝金主義)の嵐もまた、虐殺を彷彿とさせる一種の「暴力」に他なりません。

目の前の状況は、時や場所を超えてやってきた状況と、実は一致していると見た方が、より健全な感じがします。
僕らは世界に対し無関心ではいられない時代を生きているんだと思うんですが。
個に閉じこもるリアリティーより、勇気を持って世界と対峙し、世界に自己を見出すリアリティーを求めたいと思います。

SOLDIER BLUE-1970-THE MASSACRE

2009年11月12日木曜日

可愛い生徒たちさ☆

文化学院の授業は今年で最後になります。
おお、思い返せばもう十一年もやってきました。時が過ぎるのは本当に早い!

最後の年の最後の学生たち☆
みんな女子高生みたいなカッコしてますが、女優の卵です。

やっと卵の殻から顔を出した感じだな。
昨日は本当に充実した場面を見せてくれました。
未来は決して暗くないな。
こんな元気な女の子たちが、世界を創っていくんだから。
最後の授業を、僕は楽しんでるぜぃ!!!

また、来週会おう☆


☆上野火山☆

2009年11月11日水曜日

雨の日だけど。。

昨夜から雨が降り始め、これから数日雨降りだそうです。

かなり雨脚が激しくなってきました。

季節もだんだん冬に近づいているんだけど、何故か我が家のお嬢たちが夏をテーマにしたアニメで盛り上がっておりました。
たとえば、ずいぶん前に観た「時をかける少女」。
青空と蝉の声、そして夕陽、とどこか懐かしい風景と空気を伝えてくれる作品でした。
モデルになった高校が、国分寺高校だと知ったのはだいぶ後でしたが、なるほど納得の風景描写だと思いました。絵なのに絵ではすまない空気が宿っていたんだな。

男女の恋愛感情もまだまだ幼くて、高校生の生活のある断片が刻まれている気がしました。誰もがどこかで体験したであろう瞬間が描かれていた。たとえファンタジー作品であってもリアルな感情がそこにあり、時代が変わっても在り得る「生活」が表現されていました。

今度実写版がまた作られるそうですが、そんなことで我が家でもアニメ版が話題になったわけです。アニメの雰囲気があまりによかったので、今度の実写版もリアルな感じが失われていなければいいな、と思います。なにしろアニメ版の主人公の声担当した女優さんが、実写版でも主人公を演じます。期待したいと思いますよ。

You TubeでMAD版の「時をかける少女」を見つけました。
RADWIMPSの音楽が画面にピッタリ!これは良いと思うよ!
時をかける少女  RADWIMPS『トレモロ』

2009年11月10日火曜日

Unhappy Ending ‘70s

去年までは八十年代を考える機会が多かったのですが、今年はなぜか七十年代を考察する機会が増えています。それも時代の要請なのかもしれません。

「イージー☆ライダー」は七十年代アメリカの「アメリカン・ニューシネマ」の一本で、その特徴は「Unhappy Ending」にあると思われます。
勿論、後から人が名づけた呼称に過ぎませんが、アメリカン・ニューシネマと呼ばれる作品のほぼ全てが、主人公が死んで終わる作品です。そうでない作品もあるけれど、多くは主人公の死で終わります。仮に死ぬことはなくても、どこか解決不能の問題を残したまま物語は終わる。すなわち、映画が娯楽から文学的な芸術に位置に少しばかり階梯を昇った感じがしたのです。
わかりやすいから「意味の思考」を求める作品へと昇華した瞬間だったかもしれません。

八十年代。日本。
角川映画全盛の頃、「野性の証明」という映画がありました。勿論、娯楽大作ですから、大ヒットを記録した映画ですが、当時キネマ旬報に載ったシナリオとできあがった映画を見比べ、読み比べて、映画のできに感心したのを覚えています。
監督は佐藤純弥さん。「新幹線大爆破」という傑作サスペンスを撮った方ですが、娯楽作品をしっかり撮られる監督さんでした。
この作品は一人の寡黙な自衛隊員が、無実の罪で国家に抹殺される様子を描く悲劇的な物語です。まるで後の韓国映画「シルミド」を彷彿とさせるような、国家による個人の抹殺計画。勿論、アクション満載で描き、今となっては笑ってしまう箇所もありますが、それでも、ラストシーンは素晴らしかった!
自分が誤って殺してしまった村人の子を、自分の子として育てていた主人公が、殺されてしまったその子を背負い、戦車隊に向かっていくラストは、まさにアメリカン・ニューシネマの持っていた魂でした。血の気を失った高倉健さん演じる味澤が力なく背中にぶら下がる娘を身体に縛り付け、塹壕から出ていく姿は、鬼気迫るものがありました。

角川映画という売らんかな主義で作られた作品であっても、ラストは納得できるものでした。
実は、この映画のラストシーンはシナリオには書かれていません。恐らく編集の段階で創り上げていったものと思われます。シナリオでは主人公・味澤は死んだのかどうかわからない形になっていました。ですが、上映作品では味澤が突っ込んでいくところでストップモーションになる。
すなわち、死の暗示で終わるのです。
大野雄二さんの音楽がオーバーラップして、悲劇は神話になる。
こういうラスト、いいよなぁ・・・・。

「野性の証明」予告編


ラスト:Ending Theme 悪夢は頼子とともに

2009年11月9日月曜日

台詞のないイントロ

芝居は台詞だと多くの人が思っています。

ですが、それは違います。台詞は芝居の一部であり、台詞以上にドラマを成立させている要素が、登場人物の「行動」なのです。
日本では「台詞術」という言葉があったりするぐらい台詞イコール演技イコール芝居みたいな感覚がありますが、それはちょっと極端すぎます。むしろ、台詞に対する疑いから始めたいと僕は思うんです。

台詞が説明に傾くとき、ドラマは死にます。
台詞は良い台詞であれ、出来の悪い台詞であれ、瞬間に消えていきます。状況を説明しようと説明に頼りすぎると、台詞はすぐにアリバイ証明の匂いを発し始めます。ドラマはアリバイの証明ではないので、説明は必要最低限です。この最低限であるという認識が理解されない場合もありますね。
しかしながら、説明の台詞は、不可欠な台詞と違って、実ははっきりと観る者に伝わってしまうのです。だからとても厄介。ドラマを殺さないためにも、台詞の説明は避けようと思いますね。

さて、だからこそ、登場人物の行動が問われるんだと思う。
行動の唐突さは台詞の説明がないときに感じるものですが、台詞に頼らずに「行動」を中心に戯曲なりシナリオを読めば、唐突ではないことが、実は多いのです。
台詞に頼りすぎる場合、台詞の説明で安心し、唐突な出来事がよく起きるものなのです。

ロック系の映画でサイケデリックの傾向もある「イージー☆ライダー」という映画の導入部分はほとんど台詞らしい台詞がありません。
登場人物達が何をやっているのかは、観る者が理解しようとしない限り、謎のままでしょう。それだけではなく、映画全体が「わからない」ままかもしれません。
しかし、このピッタリ10分ほどのイントロ場面こそがその後の二人の若者の旅が、自由でありながら、同時に「不穏」なものであることが、感じ取れる仕組みになっています。
実によくできてる。
この映画の成立当初は、妙な導入部だと批判もあったに違いありません。
それでも、これは成功している「行動」のドラマの典型ですよ。

台詞で説明なんかさせるなよ。ドラマを殺すなよ。

Easy Rider full intro - high quality vid & stereo

2009年11月8日日曜日

たまには。。。

たまには聴いてみたい曲もあります。
いつもじゃあないんだが、ごくたまに、聴いてみたくなる。
中村雅俊さんの「ふれあい」もそんな曲のひとつ。

この曲がヒットしていた1974年当時は、歌謡曲の一種みたいな認識でした。
ただ、小さな松竹の「ふれあい」という映画があって、高校生の僕は妙に感動して今でも忘れられません。
東京のダメダメな学生と田舎から出てきた純な女子学生との恋物語。
お決まり通りに、その女子学生は事故死してしまうんですが、二人のやり取りが丁寧に描かれていて、数年後に僕自身が体験する東京の暮らしを予感させてくれるような物語でした。

映画自体の質が優れていたとも思えないし、スティル写真すら見あたらない作品ではありますが、僕は忘れませんよ。
恐らくヒットした曲にあわせて作られた当時よくあったヒット歌謡映画のひとつだったのでしょうが、どこかもの悲しい七十年代の匂いがする作品でした。

たまには、聴いてみたい、そして、思い出してみたい、そんなドラマと音楽なんです。
音楽は知っている人もいるだろうけど、映画もね、よかったんだ。。。

2009年11月7日土曜日

キミは最高☆

って、我が家の「糠漬け」さんのこと。


最近、僕の親友が糠漬けなんだな。
糠漬けは、本当に素晴らしい☆☆☆
毎朝、糠床をこね回し、余計な水分をキッチンペーパーで吸い取り、新たな糠と塩を足し、昆布や鷹の爪を混ぜ込んで…。


手をかけて、それに応えてくれる、そんな感じがします。
兎に角、近所の一生懸命屋さんの路地野菜が最高のご馳走になるんだよ。美味い!


しばらく、糠漬けを楽しみたいと思います。
実は昨夜、糠漬けの夢を見ました。
入り込んでます。オレ。


☆上野火山☆

2009年11月6日金曜日

友よ

昨夜、十何年ぶりかで十代から二十代を共に過ごした友と会った。

十何年なんていう月日は関係ないんだな。友は、生涯友であり、生涯どこかで再会することになっている。そして、いつも笑顔だ。ありがとう!

この世の浮き世は儚くて、情けもなにもあったもんじゃない。そんな浮き世を渡りつつ、渇きかけていた心根も、友と語らううちに十代のあの頃に逆戻り、まったく昔と変わらぬ互いの変わらなさに驚きもするが、安心もする。

ふと、僕の心の中に「時」という名のコンドルが飛んでいきました。

岩手で暮らしたあの日々も、東京で生き始めたあの日々も、浮き世の笑いの種になったとしても、かけがえのない愛しい日々。そして今があることをあらためて噛みしめていた。

今年は実にいろいろなことの起こる年で、忘れられない年になりそうな気がしますが、それにしても過去との邂逅が本当に多い月日でした。
振り返ってばかりいるわけじゃないのに、過去が向こうからやってきて声をかけるんだな。
人生の節目って奴かもしれません。
だからこそ、前へ進まなければ。

そう、コンドルは飛んでいくから。。。。。

El Condor Pasa コンドルは飛んでいく フルート生演奏

昔々。

昔々、ミカバンドってのがあって、最近復活してたけれども、とにかくあって、ボクは高校生で盛岡の小岩井牧場っていう広々とした草原で開かれた「サン・フェステバル」っていう野外ロック・コンサートに、留年して二歳年上だった同級生が運転する車で行ったのを覚えているんだけれども、空はどこまでも青く、いろんなミュージシャンも一緒に草原に寝っ転がって、すぐ隣に武田鉄矢さんたちがいて、すぐ後ろに荒井由美だった頃の松任谷由実さんがいて、んで、ステージでは目当てのミカバンドが「タイムマシーンにお願い」をぶっ放していたんだな、だけど、なんか普通に自由がそこにあって、いつか八十年代ってのがやってくるんだろうけど、それは未来で、未来なんかちっとも見えなくて、見えないのに、気持ちはどんどん盛り上がっていったあの頃、ボクは確かに十七歳でした。

タイムマシーンにお願い♪

2009年11月5日木曜日

まさか。。。

2009年11月4日(朝日新聞)

米ワーナーが日本映画に本腰 まず「忠臣蔵

「 ハリウッドの映画製作大手のワーナー・ブラザーズ映画が、日本映画の製作に本格的に乗り出すと発表した。1本目は池宮彰一郎原作の「最後の忠臣蔵」。役所広司さん、佐藤浩市さん、安田成美さんらが出演、「北の国から」の杉田成道監督がメガホンを取る。8日にクランクインし、11年新春の日本公開を目指す。

 ワーナー・エンターテイメント・ジャパンによると、07年に日本映画を製作するローカルプロダクション部門を立ち上げた。来年は3本程度を作る予定で、今後、定期的に製作を主導していく。ワーナーは過去に「ラストサムライ」などの米映画を日本でも撮影し、「GOEMON」などの日本映画にも出資してきた。ウィリアム・アイアトン社長は「これらのノウハウを生かして質の高い日本映画を世界に発信していきたい」と話す。

 日本では昨年、日本映画と外国映画の興行収入比が59.5%対40.5%で、ハリウッド映画離れも進んでいる。そんな中で、米大手各社は、20世紀フォックス映画が「サイドウェイズ」(公開中)、ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントが「レイン・フォール/雨の牙」(今春公開)などの日本映画の製作に進出している。」


こんな記事を読みました。
おお、日本映画も盛り上がって良いじゃないか!と一瞬思えますが、ほんとにそうですか?
米国は九十年代にブロードウェイを中心にオリジナルの舞台を創る意欲をなくしてしまいました。それは市場原理に支配された経済システムの中で儲け地上主義に陥ったがために、一切の冒険つまり投資を行わなくなってしまったからです。
米国の舞台産業が投資するようになったのは、イギリスやフランスなど他国で制作されヒットした前歴のある作品や、かつてヒットした往年の名作のリメイクのみです。
映画産業にもこれと同じ兆候が見えました。世界各地のソフト(海外制作の映画やゲーム)を買い漁り、次々と映画化し世界市場に売り出していきました。
小さな映画で良質の映画は、ハリウッドにも未だに存在するでしょう。しかし、大半は市場原理主義のまさにテストケース。つまり、売れる物のみを創る姿勢に支配されています。メディアはそのためのプロパガンダ装置。そして、「売る」ということのみが一人歩きする商業装置が映画産業そのものに成り果ててしまいました。文化や芸術は、とうの昔に消費されてしまったわけです。

世界を「消費者の国」と見る現在の米国映画産業が日本のローカルな題材を世界に売り出す、と言ったとき、一抹の不安を覚えるのは僕だけでしょうか。
日本の文化は、米国に売っていただく必要はないし、米国の資本で支配されコントロールされる必要はありません。ローカルなものは、そもそもユニバーサルなものです。普通、特殊性は理解不能のものと思われがちですが、地域的な特殊性こそが、世界の別の地域と共通する要素なのかもしれません。なぜなら、僕らはみなそれぞれのローカルに暮らす存在だからです。世界に中心はないのですから。

「ラスト・サムライ」は西洋人達が頑張って創った日本を舞台にした映画でしたが、ちょっと見れば、いろいろな違和感に気づかされる映画でもありました。
このままいけば、西洋人の見た日本を押しつけられるか、あるいはまた、日本映画をサムライ・ムービーとして世界で消費しようとするのか、そのどちらかになるのは火を見るよりも明らかでしょう。

ハリウッド映画離れが何故起きているのか、ハリウッド自身が気がつかない愚かさが、世界を暗くしていることに気がつきたいものです。市場原理主義から遠く離れる必要も、一部ではまた必要だと思うのです。

2009年11月4日水曜日

高速の果て

高速の向こうに太陽が沈みます。


ほんとに寒くなってきましたね。昨日あたりから、冬が来た感じ。


昨日は木枯らしが吹きまくり、今日もコートが必要でした!


冬の沈む太陽。


今はあたりはすっかり暗くなってしまいました。

今夜の我が家の夕食が楽しみですわ☆

☆上野火山☆

2009年11月3日火曜日

富士山がプリンです☆

ちょっとぼやけてますが、今朝の富士山です☆


ベランダから毎朝見る富士山は、刻々とその姿を変え、季節の移り変わりを教えてくれます。


実は夕陽の観察も好きですが、富士山の観察も好きです。


我が家の誰かが、「あっ!プリン!」と叫ぶ声がベランダからしました。
見たな…富士山プリンを…。

☆上野火山☆

2009年11月1日日曜日

秋の気配

こんなところに、秋がひっそりとやって来て。


気配がいつしか空気に変わる。


あとひと月もしたら、冬?


光陰矢のごとし。

☆上野火山☆