2008年9月30日火曜日

台風クラブ


台風15号が接近しているそうです。
昔、台風クラブというちょっと変わった雰囲気の映画がありました。台風で学校に閉じ込められた高校生の話だったような気がします。
台風の直撃は本当に悲惨な状況を生み出しますが、子供の頃は慌ててそこら中に板を打ちつける父の姿をみながら、どこか楽しんでいたような気がします。激しい台風の音を聞きながら、室内で家族が川の字になって布団に潜り込んでいたのを思い出します。まさに台風クラブだね。
今日はまだ、そんな台風の感じがしませんでした。
むしろ、細かい雨のせいか、傘をさす人、ささない人がばらばらで、ちょっといい風景だったな。

通い慣れた国立の風景も、ほんの少し違って見えました。
写真はいつも立ち寄る喫茶店のオープンカフェから見たシーン。
見知らぬ人々が駅に向かっておりました。

そして、僕はコーヒーを飲み終えて、道の向こうへ傘をささずに歩き出しました。

2008年9月28日日曜日

より良い場所

どうも僕たちは、今目の前の場所、あるいは現在の条件より良い場所や条件が他にあると思いこんで苦しんでいるような気がしてなりません。
きっと他にはもっと良い場所があるのかもしれませんが、今ここを捨てて彷徨うことは終わりなき旅です。世に言う「自分探し」という言葉の持つ危うさと胡散臭さがここにあります。
隣の芝生とは良く言ったもので、隣の芝生を夢見ているうちは、我が家の豊かさに決して気がつくことはないでしょう。ですが、あらゆる可能性はここにあるのだと思います。良いことも悪いことも、可能性の萌芽は、今この場所にすべてある。

以前、ある学生からテレビドラマの『池袋ウェストゲートパーク』の話を聞きました。
僕は原作を立ち読みし、ドラマは全篇観ていました。お気に入りのドラマのひとつです。実はドラマの方が原作より数段上だなと思った記憶があります。それは、恐らく池袋という場所のリアリティーと、自分の愚かさがドラマの方に濃く現れていたからかな、という気がします。
そのドラマの最終回、主人公は二つの敵対するギャング団の間に割って入り、仲裁する場面がありました。殴られてボロボロになりながら彼が叫んだ言葉は「ブクロ最高!」でした。
彼らはこの狭い東京に暮らしながら、決して池袋から出ることはない。他に良い場所もあるのかもしれないが、今ここに生きることを選んだ少年達でした。
胸打たれるのは、要領よく場所や条件を変えて渡り歩く賢さを諦めた「潔さ」だと思うのです。

より良い場所を求めない。
これもまた重要な人生の潔い決断なのだと僕は思っています。

でたらめを真に受けてはいけないよ

選挙権というものは、民主主義国家に住む者にとって重要な権利である。
もっともだと思う。
だが、待てよ、とも思う。
選挙権を行使しないこともまた国民の権利なのではないだろうか。

僕はこう思う。
たとえばアメリカの大統領にマケインがなろうがオバマがなろうが、実は大して違いはない。なのに、あたかも共和党政権に対し民主党政権が取って代わると大きな変化がやって来るような、しかもより良い変化がやって来るような錯覚を抱かされている。Changeとはまさにオバマのキャッチフレーズだが、果たしてそんなに変わるのか?
自体は変わらない。むしろ、ますますネオリベ化が進み、世界は金融全体主義に覆われてにっちもさっちもいかなくなるだけだ。
では日本ではどうか。
自民党に民主党が取って代わっても、大差ないのである。どちらも公明党の協力なしには選挙に勝てそうもない。それどころか、本当に自民と民主は対立しているのだろうか?実は対立軸はとっくに失われているか、そもそも対立などなかったのだ。
この全世界的に行われている茶番の中でメディアは、選挙に行こうと騒ぎ立てるが、ちょっと待て!と言いたい。
この世界をちょっとだけ変えるには、むしろ意識的に選挙を拒絶してみたらどうだろう?
選挙が成立しなければ、実は今在る民主主義という制度は幻想のイデオロギーであったことが逆にはっきり見えてくるんじゃないかな。
なんとなく投票したい人間もいないのに「取りあえず入れとくか」と考えるなら、この際思い切って、選挙なんかやめようぜ。1回選挙ってものが成立しないだけでも、大きな変化が起こると思うんだが、どうだ?
でたらめを真に受けるのはそろそろやめにしようぜ!


彷徨える時代 ーネオ・リベから遠く離れてー

最近、チョムスキー、ジン、フィンケルスタイン等のネオ・リベラルに一線を画す人々を集中的に読んでいる。ハイエクを基礎にした新自由主義という体制が如何に嘘と欺瞞に溢れているか、感じざるを得ない。
演劇で何ができるのか、と学生達に問うが、それは僕自身に跳ね返ってくる問であることは充分に承知している。この世界の財界、政府、官僚、メディアといった部分に対する経済と価値観の一極集中の中で、あからさまな拝金主義が、グローバリズムの名の下で行われている。

教育、文化、芸術、そのすべては本来利権構造とは相容れないジャンルだったはずだが、米国の映画や舞台を観れば、利権以外の何ものでもないことがよくわかる。勿論、この傾向は米国に限ったことではなく、全世界を暗い雲のように覆い尽くそうとしている。
そこで、演劇で何ができるのだろうか。
経済行為の要素は確かにあるにしても、拝金主義的傾向から遠く離れて、演劇行為を行わない限り、演劇ですら新自由主義的な市場の原理に食い尽くされてしまうだろう。

恐らく、「市場原理」以外の価値観を見出さない限り、すべては経済的利益のみで計られてしまうだろう。たとえば、充実した内容を持ったテレビドラマが意外なほど視聴率が低いという、ただその一点で失敗作の烙印を押されてしまう今の現状は、やっぱり歪んでいるのである。

2008年9月27日土曜日

友に会う

俳優の青沼神対馬さんは僕の友人です。
互いにそれぞれの演劇観に基づいて演劇というものをこれまで行ってきましたが、久々に舞台をご一緒しようということで、稽古の合間をぬってお昼にお茶しました。
ランチも食べたけどね。
実は、僕はお酒が飲めません。人とお会いしたり、打ち合わせするときは、いつもコーヒーかお茶なのです。
というわけで、二十代で共演して以来、うん十年の付き合いですが、今だ変わらぬ静かに熱い人です。来年の芝居にはぜひ出て頂きたいと持ちかけると、即良い返事が返ってきました。
うれしいなぁ。
政権が変わろうと、二大政党になろうと、今がどうしようもない時代であることに変わりはありません。しかし皮肉なことに、演劇的にはどうしょうもない時代こそが、演劇の花開く時代なのかもしれません。時代と向き合わざるを得ない時、人は真のドラマを必要とするから。
テレビや映画もいいですが、舞台を是非観に来て下さい。

2008年9月26日金曜日

風が吹いている


昼間は暑いぐらいだったのに、夜外に出てみると風が吹いていた。
肌寒いぐらいの気温。事務所の屋上で駅のホームを撮してみた。
どうですか?夜景もいいものですよね。

今日の舞台は大人のレビューを感じさせてもらいました。
余裕というのか、あくせくしてないっていうのか、とにかく味わいのあるものでした。
僕は必死という言葉が好きですが、必死になりながらも、ある種の余裕を持つことは可能なのではないかな、とも思います。
開高健ではありませんんが「悠々と急ぐ」必要がありそうです。

夕陽からはじめよう!


うまくリンクできたようです。
この形式だとこれまでよりもスムーズに更新できそうです。よろしく。

まず夕陽から始めようと思います。
不思議なもので、何かが終わると何かが始まる。終わりこそ旅の始まりなんですね。
何故か僕は幼い頃から夕陽が大好きでした。だから今も携帯で時々夕陽を撮影してしまいます。
青空も好きなんですが、どうも夕陽のオレンジのようなパープルのような二度と創り出せないあの不思議な色合いと変化に惹かれるんですよ。
まずは最近の夕陽を一枚。

今日はこれから舞台を一本観ます。僕の演出における師匠である竹邑類さんの『ホワイト・レビュー』です。
今回はどんなショーを見せてもらえるのか。楽しみです。

2008年9月25日木曜日

ブログ再構築!

現在立ち上げている公式ウェッブサイトとこのブログサイトをリンクして使えないかと現在思案中です。うまくいけば、ここをブログ専用として使用するつもりです。
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