2009年3月18日水曜日

the corporation: documentary trailer


かつて、どなたか有名な作家が、多摩ニュータウン辺りの風景がネオリベ(新自由主義)のひとつの現れ、乃至は象徴的姿だと仰ったが、果たしてそうだろうか。
本当に眼を開けて現実を見ているのか?
なにか自己保身とごまかしから、そんなことを言っていないか?

むしろ、そんな静かな姿ではなく、もっとあられもない形でネオリベは我々の前に姿を現している。そんな気がします。

そのあられもなさ、あまりにもあられもない恥知らずな存在の仕方に、人は慣れてしまい、逆に気づかなくなっている。これが現状ではありませんか?
かつて作られたニュータウンが今高齢化し、小綺麗だがデオドラントで非人間的環境だなどというのは、ネオリベとはほとんど無関係である。こうした言質は、むしろ本質的な問題から目を逸らさせる有害なものだと僕は思う。

そしてまさに、ネオリベラルな価値観がはびこる原因は、無数のそれを語る人間による、意味ありげな煙幕で本当は何が問題なのかわからなくなるところにある。たとえば、最近の金融破綻でいえば、以前も書いたように、サブプライムで失敗し破綻したメリルリンチをはじめとする金融会社のトップは大失敗したはずなのに、何十億円という莫大な報酬を得ている。失敗したにもかかわらず、報酬を受けるというこのカラクリがわからないわけだ。
理由は単純、彼らははじめからなにひとつ失敗はしていないし、損はしていないから報酬をもらえるのである。
損はすべて住む家を失ってホームレスになった人々に押しつけられ、彼らから搾取し、国からは公的資金注入で、企業は損失を出すことは絶対にないのである。ここでいう企業とは、勿論一部の大企業の上層部をさしているわけだが。そうした企業にとっては、破綻すら全体的な搾取の計画の一部になり得るのだ。

ネオリベラリズムとは、企業主体で世界がひとつになっていく謂わばグローバリゼーションのことを今では示しているようだ。だから、彼らは「Free Trade(自由貿易)」を主張して、各国の保護貿易主義を破壊し続けているのである。その意味で、オバマの保護主義もアリバイ、あるいは免罪符としての存在意義ぐらいしかないのではあるまいか。企業の前で政府は無力になる。
現在様々な国で見られる「小さな政府」「(企業に対する)規制緩和」「民営化」「(企業の)自由」という合言葉はここから生まれてくるのである。
日本の場合、「経団連」が影の内閣と呼ばれる所以である。

さて、このような現代の異様な状況を巧みに分析したドキュメンタリーがある。
書籍にもなっているが、『ザ・コーポレーション』というのがそれだ。

この作品は、企業の、特に「株式会社(大企業)」というものの、法人という、法の下で人間的人格が認められているはずの、その企業の「人格崩壊」を見つめ分析しているのである。
企業がもし人間であったなら、一人の「社会病質者(ソシオパス)」だと診断できるようだ。
今年は、機会があったなら、大学の講義でも紹介しようと思っているのですが、まずはこのDVDのトレイラーをご覧頂きたい。

金融が破綻する以前に、何よりもまず企業という人格が今や完全に破綻しているのである。
企業という人格の破綻したマシーンが、今、如何に牙をむき、暴走し始めているのかがおわかり頂けるのではないだろうか。
今や企業は「利潤の追求」という表現を嫌う。本質的に利潤の追求マシーンと化した企業は、その正体を隠そうと躍起なっているからである。
企業というものが一体誰のためのものなのか、見失われた時代。
株主と一部の経営陣という少数の利益の追求のために、多数が切り捨てられていく時代。
僕たちはこんな時代に生きている。
違いますか?
勿論、この作品の中で語られている項目で、僕自身、異論のあるものもある。
だが、一度は見てみるべきドキュメンタリーのひとつであることにかわりはないと思うのです。




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