2009年3月25日水曜日

人間は

http://people.bu.edu/dix/walden3.html 

Walden Pond at sunset. (Photo courtesy M. Rowinski)

人間は道具の道具になり果ててしまった、と言ったのはヘンリー・ソローですが、そのソローの暮らしたウォールデンの森の中にある湖がこれ。
素晴らしいよな!!
夕焼け倶楽部の僕としては、この写真に「★★★★★」を付けたいと思う!


さて、環境問題、エコロジー運動、などと叫ばれて、自然が破壊され人間生活が脅かされている。それ故に、我々は生活スタイルを改める時期に来ているのではないか、という話をよく耳にする。勿論、これはその通りで、我々の生活スタイルの歪みは大いに正す必要があるだろう。
ただし、ひとつだけ心に留めておきたいことがある。
それは、現代の英語表現でかつてはなかったひとつのフレーズである。

“ You had better waste it! ”

訳せば、「そんなものは棄ててしまえばいいよ」という言い回しである。
かつて、アメリカではDoggy Bagなどと言って、レストランの食べ残しは家に持って帰る習慣がありました。ですが現在ではDoggy Bagは廃れ、代わりに出てきた表現が上の言い回しなんだな。
日本でも、鮮度の問題もあるので、レストランによっては持ち帰りは出来なくなってきていますが、少なくとも、棄てることを推奨はしない。ですが、今や限りなくアメリカに追随する我が国ですから、遅かれ早かれ、“ You had better waste it! ”が常識化するでしょう。
でも、“ You had better waste it! ”するのは誰だろう?
食うに困る人たちが“ You had better waste it! ”すると思いますか?
するはずがない。
“ You had better waste it! ”するのは、余裕のある人たちだけです。
現在、かつての幻想のような一億総中流といった意識が崩れ、格差が意識化されてしまうと、モノに対する意識にも格差が現れてくる。
僕は今若者の間で、安い良いものを求めて大事に長く使う習慣が生まれているような気がしてなりません。たとえば「サイゼする(サイゼリアで飯を食おう)」という言い方は典型的な経済的感覚からくる選択とその表現。大人にはあまりありません。
実際、若いあまりお金のない人たちから“ You had better waste it! ”という感覚は受けないのです。
アメリカでも、“ You had better waste it! ”という表現は、お金に余裕のあるセレブリティのものです。

さて、こうして考えてみると、本当に、無駄使い、浪費し、消費し、環境を痛めつけているのは、世界の全ての人間のせいなのだろうか?
“ You had better waste it! ”できる人間集団と、“ You had better waste it! ”できない人間集団が、厳然と存在するでしょう。
そして、当然のことながら、“ You had better waste it! ”できる集団の人数は、その逆の集団より遥かに少ない。ごくごく少数なのです。
つまり、忘れてはいけないのは、この地球上のごく少数の数パーセントにすぎない人間たちの「浪費」「無駄遣い」の責任を、他の大多数が肩代わりしているという事実でしょう。

僕たちはこんな時代に生きている。
責任をとるべき人間が、知らん顔で他に責任を転嫁してるんじゃないですか?
その意味では、今の環境問題の扱われ方には、問題があると思います。
肝心の問題は隠されている。それは特権階級の浪費である。
そしてそれは、特定の国家に限らず、全地球的な明らかな傾向なのです。
まさにグローバリゼーションの為せる業。
なのに、メディアはそのことに関しては一切口をつぐんでいるのは何故だろう?

ウォールデンの湖の畔で「道具の道具に成り下がった人間」と嘆いたソローは、遥か昔に、人間の行く末を見ていたのではないですか?
人間は今テクノロジーという道具の道具に成り下がり、慌てふためきながら、肝心の問題から目を逸らされている。
僕たちは無知であることを利用されているんだな。

本当の責任を、とるべき人間がとるべきだと思うんですが。
十把一絡げはやばいぜ。
美味しいところは少人数で、その責任はみんなで、というのはどう考えてもおかしいのだよ。
だろ?

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