2009年2月27日金曜日

まじ雪降っちまったヨ

雪が降りそうだなぁ・・・と思っていたら、午後から、まじ雪降っちまったヨ。

稽古場の窓から大粒のボタ雪が降るのが見えた。

今年は(実際は去年からですが)暖冬で結局雪にはお目にかからず冬が終わってしまうと思っていましたが、ついに雪らしい雪でした。すぐ消えたけどね。
東京地方のほんのちょっと冬の風情。

今日の稽古は結構激しい動きなんで、早めに切り上げました。
今晩か明日の晩、みんな身体が痛いんじゃないかな?
途中、京都の塩大福の訪問販売が入ったり、なかなか和やか。
まだまだではありますが、集中してかためたかったところなので、本日の稽古はヨシとしよう。
窓の外に広がる雪景色の中の稽古。
俳優達には見えないが、演出家には窓の向こうに雪が見える。
役得?

雪が降りそうな日に

このところ雨の日が続いていますが、今日は一段と寒いですね。
来週には雪が降るとか。
そして、今日も午後から稽古です。

今日はバンドの演奏場面と、アクション場面をかためます。
四畳半の貧乏物語のどこにバンド演奏?アクション?と思われるかもしれませんが、どうしても必要な場面なんですね。
心と心のふれあい、なんて世の中では言いますが、それも肉体的な接触があってこそではないかと思います。
もっとフィジカルな感覚が欲しい。オーソドックスな舞台構成を支えるには、単なる心理的やり取りだけではない肉体的物理的なリアリティーがどうして必要不可欠です。
殴ったり、触ったり、撫でたり、抱きしめたり、、、そして、感触と匂い。
格好つけてもだめなんだ。
どうしょうもないものだけが残るんだ。
余裕なんかいらない。
必死さだけが頼りなんだ。
きっとどこかに演劇の神様がいて、囁いてくれているんだと思う。
「そのすべてを信じろ」と。

今日もその囁きを聞きながら、若い彼らと、舞台作りに熱中しよう!
古臭くありふれているのに、見失われている、あのガムシャラな人生の一瞬を、なんとしても見つけよう!

それが、僕の仕事です。

2009年2月24日火曜日

Propaganda and the Public Mind


“Propaganda and the Public Mind“ By Noam Chomsky
邦題「グローバリズムは世界を破壊するー プロパガンダと民意」

先日、電車の中でこの本を読んでいたら、見知らぬ外国人がニヤニヤしながらこっちを見ていた。
武蔵小金井で電車が止まると、入り口の脇に立っていた僕の肩を叩きこう言った。

“ I’m on your side! ”

たった一冊の本が
人の距離を縮めることがある。
たった一言が
次のステップに踏み出させることがある。
たった一本の親指が
勇気の印に見えることがある。

世界は本当に絶望的なほど末期症状に覆われている。
価値観の転覆などと簡単に言うつもりはないが、現行の価値観に疑問と否を突きつける必要はある。
人間の本質は醜いというのは容易い。
人間のリアルな醜さを見せつけるのはいい、だがむしろその愚かさこそ見つめたい。
人間の醜さも結構だが、人間の愛おしさを見出したい。
日常に何もないのではない。
日常に何もないと思い込まされているのだ。

常に、小さなことなんだ。
大切なのは。
親指を突き上げて、ニッコリ笑って、I’m on your side!というように。
君は誰だ?
でも、そんなことはどうでもいい。
ただ僕も静かに言おう。

I’m on your side!

モールスキンの手帳


写真は昔映画に小道具として登場したモールスキンの使い古したノート。(ネットから写真引用)
う~ん、使い倒したいい感じが出ています。どうです?

今ではモレスキンと呼ばれるようになったノート。
それでも、僕はモールスキンと日本で初めて紹介された当時の呼び名で呼びたいと思う。
周囲を見回しても、演劇関係者でモールスキンのノートを常用している人は多い。
サイズはコンパクトなものからノートに至るまで、厚さも様々。
使い方も使う人によっていろいろある。
ある作家は、このノートにたえず書き込んで、三ヶ月で最低一冊は書き終わらねばならいと言っているとかいないとか。
まさにアナログの究極のユビキタス・アプローチといった感じがする。

僕の場合はスケジュール関係はすべてファイロファックスにお任せしてる。
勿論、コンピューターも使用しているので、ソフト的にスケジュールを管理することもあるけどね。
でも基本はファイロです。
そして、常にもう一冊持ち歩くのがモールスキンのノート。罫線入りのオーソドックスなタイプを使ってます。僕のモールスキンは切り抜きも貼り付け、少々厚みがありますが、思考の道具としては欠かせません。
世の中、いくらデジタル化したところで、アナログの本やノートの類は決して死に絶えることはないと思うのですが。。。

劇団名を『空中スケッチ』にしたとき、モールスキンのスケッチブックが頭にあったのは、本当です。
空中スケッチのスケッチブックの正体をばらしてしまった。。。

2009年2月22日日曜日

路上にて


Jack Kerouac (1922 - 1969)
“ On The Road”

時々読みたくなって引っ張り出す本のひとつに『路上にて』があります。
まったく人でなしの行為がまかり通り、拝金主義にまみれ、あからさまに人間のさもしさが、現首相に言われるまでもなく、そこら中に蔓延する今、この本の貧乏くささと自由な創造性に目が覚めることがあるんです。
実は数あるヴァージョンの中で、現在のペンギンブックスから出ている本の表紙が一番好きです。
ケルアックの旅の風景がコラージュされていて、読みながら何度も表紙を見返してしまいます。

トラックに乗せてもらうコツは、喋りにかかっていると彼は言う。
埃の舞う道で出会う一台のトラックに乗れなければ、何十マイルもひたすら歩かなくてはならない。
そこで、上手く旅を続けるコツは、トラックドライバーに話を合わせ、喋りまくること。
無口な南部のドライバーに必死に話しかけるケルアックの姿が垣間見え、必死とは何かを考える。

必死とは滑稽なものです。
ですが、必死以外に生きる手立てはあるんだろうか?
屁理屈をこねて、逡巡する前に必死で生きる方が前へは進める。
とりあえず前へ進むこと、それが旅の始まりだ。

滑稽なほど必死になって前へ進むんだ。
だからかな、時々本棚からこの本を取って見てしまう。
笑いながら、涙がこぼれてくる。

僕の人生も滑稽そのもの。そして、いつだって人生の路上にある。
路上にて。
僕は生きていることを今日も感謝する。
人生はいつだって On The Road !!

黄色いスコップ


ベランダで植物たちの世話をするために我が家で使っている黄色いスコップ。
幼い日々の必需品でもありました。
赤いスコップ、青いスコップ、色々ありましたが、今は黄色いスコップ。
不思議なことですが、我妻は植物を枯らすことがないのです。
それなのに、僕ときたら、だめなんですね。なぜか枯らしてしまう。
愛情が足りないのだと思いますが、どうもそれだけでもなさそうな気もします。
なんでだろ?
あ、そうそう。
前に家族が旅行に出て、家にいないとき、僕は植物たちの葉を撫でながら娘たちが帰ってくるまで枯れないで、と祈っていたことがありました。
あれは朝顔だったと思いますが。
不思議なことに、かなりしぼみかけていた朝顔が、翌日から瑞々しく元気になったんですね。
僕がベランダの植物たちを蘇らせたのは、あれっきりかな。
やっぱり愛情かなぁ。。。

今日も天気がいいので、ちょっといじってみますか。

2009年2月21日土曜日

チラシデザインについて


☆チラシデザインについて☆

今回の舞台のチラシデザインは、mega-fepsのグラフィック・デザイナー武田和香さんです。

昔観たATG(アート・シアター・ギルド)の映画を思い出すような、ノスタリジックで、しかも現代的で、リアルな胸に迫る美しさです。
彼女は言います。「宣伝美術は、作り手からのお客様へのラブレターのようなものだ」と。そして、宣伝美術家はその代筆家なのだ、と。
僕はこんな言葉を聞くと、たまらなくなるんです。
本当の意味でコラボレーションとは、こんな風に実現するものなのではないでしょうか。
エゴのぶつかりあいや、無意味な自己主張、責任転嫁、そんなものとは無縁の仕事への献身。勿論、彼女は代筆家などではありません。まさに一人の芸術家であり真のアーティストです。
まだ観ぬ舞台を、脚本を読み込んで試行錯誤して創り出す武田さんのデザインは、舞台を創る主体である我々をも鼓舞し、前進させてくれます。
そうなんです。こんな舞台が創りたいんです!
グラフィック・アートは一種の予言になり得る。
舞台の奇跡は魂のこもったグラフィック・アートを通して、実はすでに実現されているのかもしれません。
ありがとう!心から感謝です!
全力で突っ走るぜ!!!

2009年2月20日金曜日

七十年代を求めて!

近いようで遠い七十年代。
懐かしく思い出すよりも、痛みと共に蘇ってきます。

ですが、今回の舞台で演じてくれる若者たちの大半にとって七十年代は生まれる前の時代なのに、何故か懐かしく感じ、同時に現代に生きる自分たちと同様の痛みを覚えるようです。
嬉しいことです。
それこそが僕がこの芝居の上演を試みる大事な点なのですから。
僕らは、繋がっている。
僕は戦時中に生きてはいませんでしたが、戦時中の辛さや痛みを想像することはできる。
その時代を生きていない者に語る資格はない、というのは容易いことですが、本当に資格がないのだろうか?その時代を生きて共有した者以外は口を閉ざすべきなのだろうか?
僕は、否、と言いたい。
僕らの想像力こそが、共感の次元の出発点です。
過去のある時代に生まれてこの世にいなくとも、今ここで充分想像はできる。
そしてそれこそが次の時代へ手渡すバトンになるんだと、僕は思う。
だから、年齢と共に融通の利かなくなった頑なで我が儘な大人より、想像力をフル回転させながら、馬鹿みたいに必死に生きる若者に期待したいと思う。

大人達よ!
若者に教えようとする前に、耳を澄まそうぜ!
若いのにすぐ大人になっちまう奴もいるがな!
近頃、ロックを忘れた大人が多すぎると思うよ。
ロックってなんですか?だとぉ!!!
ふざけんなッ!!!生きてることがロックなんだよ!!
俺達だって、まだまだなんにもわかっちゃいねぇじゃねぇか!
ベイビー!目を覚まそうぜ!!

2009年2月19日木曜日

『見わたすかぎりの青』公演に関して

今年五月、空中スケッチは公演を行います。
その舞台の宣伝です!

☆物語☆
「1977年、12月。
井原米三は西荻窪の古びたアパートで二浪の真っ只中にいた。
ある日、一日二十時間勉強という無茶なやり方でヘロヘロになっている米三の部屋に、高校の同級生だった柳田が転がり込んでくる。柳田は成田闘争に参加し、現在公安に追われる身。嫌々ながら柳田をかくまうことにする米三。だが、そこにもう一人同郷の友人小沢がやってくる。小沢は大学で同人誌をやり将来作家をめざしているのだが、理由はよくわからないまま部屋に居座る。受験をひかえ、成績もままならない米三のもとに何故か次々と人々がやって来るのだ。
しかし、人々との対話と、その葛藤の中で、米三はほんの少しだけ、人生の意味と哀しみと喜びを知ることになる。
かつて実在した東京・西荻窪の小さなアパート「鈴木荘」の四畳半で起こった恥ずかしくも滑稽で、ありふれた、そして、愛しい奇跡の三日間。」

日時/2009年5月1日(金)~3日(日)



5/1(金)     19:00


5/2(土) 13:00 17:00


5/3(日) 13:00 17:00


●チケット発売開始:3月1日(日)
●当日券発売:開演30分前から
●開場は開演の30分前となります。
チケットご予約/申込先 

メールアドレス:volcano2@mac.com
※お名前・日時・枚数・ご連絡先を明記の上、観劇希望日の3日前までに、上記E-mailまでメール下さい。
折り返し、ご予約のご連絡をメールいたしますので、返信が届いた時点でご予約完了となります。当日受付にてご予約のお名前をお伝えの上、お支払い下さい。
尚、全席自由席ですので数に限りがございます。劇場へはお早めにお越し頂きますようお願い致します。


まだ二ヶ月程先ではありますが、是非、皆様お誘い合わせの上、劇場までお出で下さいますようお願い致します!

詳しくは<上野火山Official Web Site>、もしくは<空中スケッチBlog>でご確認下さい!!
リンクは右側の<関連リンク>をご覧下さい!

2009年2月16日月曜日

光の彼方から


光というものが外から射すものだとは思ってはいませんか?
でも、と僕は思う。
光は人間の内側から射すものだと。
疲れたり、憂えたり、落ち込んだりすると、たちまち人から光が失せていきます。
しかし、自らが光の中心にいるんだ、と思った瞬間、光が自らの内側から外を照らし出し、闇に過ぎなかったものが姿を現し始める。闇は陰であり、見ないで済まそうとした僕ら自身が生み出したモノ。
植物の屈光性ではありませんが、光をもっと感じる必要があるようです。
それは深呼吸の必要と同じぐらい、生き物にとって必要なものかもしれない。
僕がいるから太陽は輝く。
そんな風に思うことは、傲慢ですか。

2009年2月12日木曜日

中央線沿線


東京で暮らし始めて三十年ちょっとになりますが、何故か中央線沿線から離れられないでいます。
これまで、西荻窪から始まって、高円寺、中野、東小金井と暮らしてきました。
あまりにも日常になってしまっていたものだから、ドラマなんてものはぜんぜん感じなくなっていたのですが、いやいや、ここにこそ描くべきドラマはあるんだと今更ながら思います。
愚かしい青春の日々を過ごし、どうしょうもない中年の日々を、何故か過ごすことになった中央線沿線。
僕の描くべきドラマは、ここにある。
今はっきりとそう思います。
ここからはじめよう!
Powered By Blogger