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2009年4月5日日曜日

いちご白書

The Strawberry Statement : 1970

高校生の頃、今はなき一関の駅前にあったオリオン座という小さなオンボロ映画館で観た映画の中に「いちご白書」という作品があった。
原作は小説ではなく、アメリカの左翼学生が書いた手記のようなものだった。その原作も文庫で読んだが、これは映画を観るべき作品だと思う。

ひょんなことから、まったく無気力でベトナムなど関心もなかった学生が、恋人のために、やがて熱烈に反戦運動に身を投じていく過程を描いているんだな。

やる気のない前半と、サークルゲームという円陣を組んでストを起こすラストでは、主人公の在り方が大きく変わっている。恐らく多くの学生が世界中でそんな感じで学生運動に関わっていったんじゃないだろうか?普通の、そしてあまりにも平凡な学生のその変貌ぶりを主演のブルース・デイビソンは繊細に描き出している。彼に大きな影響を与える恋人役にキム・ダービー。彼女は七十年代の青春を代表する女優さんの一人でした。
舞台は学生の最も激しい抵抗運動があったとされるカリフォルニア大学バークレー校のキャンパス。

何も言わない青春より、何かを言おうとする青春。
言おうとすることで、苦しむならば、青春に終わりはない。
何も言わなければ、苦しみはないが、それはもはや青春ではない。

最近、あんまり観るチャンスはないかもしれないけど、いつか観て欲しい作品だな。
映画のラストシーンまで見せてくれるトレーラーです。


2009年4月4日土曜日

詩人ブルース・リー

The Dying Sun

by Bruce Lee

The dying sun lies sadly in the far horizon.


The autumn wind blows mercilessly;
The yellow leaves fall.


From the mountain peak,
Two streams parted unwillingly,


One to the West, one to the East.


The sun will rise again in the morning.


The leaves will be green again in spring.


But must we be like the mountain stream,


Never to meet again?



カンフースターであったブルース・リーは僕ら昭和の子供たちにとって忘れることのできないヒーローだった。
蹴りで学校の廊下の羽目板を割っては、しょっちゅう先生に叩かれていたような気がする。ヌンチャク振り回して、頭にタンコブ作っていたのもあの頃だ。
でも、ブルース・リーが詩人だったことはあまり知られていない。
アクションスターとして伝説になった人物だが、その心の底には、哲学し、詩を書き留めるもう一人の人格があった。その詩的な営みの中で「截拳道(ジークンドー)」と呼ばれる彼独自のカンフーが完成していったのだと思う。
上の彼の詩は、男女を詠ったものなのか、友情を詠ったものなのかは分からない。
ただ、この詩の中に、時の流れと、言い知れぬ孤独があり、ただの手慰みやメモ程度を越えた「詩」を、僕は感じる。「考えるより、感じろ」と言ったのはまさしく彼だが。
山から下り落ちる川の二筋の流れは、人と人の出会いと別れ、あるいは、存在の孤立、そんなものを言っているような気がする。相容れない、僕らのそれぞれの存在とその行く末。
この小さな詩の中に、彼のこの世との関わり方が、少しだけ垣間見える。
見栄や虚栄心も人一倍あっただろう。でも、それを越えるような深い生の感覚の中から、あの鋭いアクションが生まれてきたのだろう。彼のアクションは様式美そのもの、つまり、京劇や歌舞伎に繋がる永い東洋の伝統の中から生まれてきたものだ。
あらためて「燃えよドラゴン」のワンシーンを眺めて、その様式美を感じます。
僕の演劇的土壌であるMethod Actingには、様式を嫌う傾向がありますが、様式を否定しすぎると飛躍もなくなるんだな。様式は必要です。
アクション映画と馬鹿にするむきも世の中にはありますが、ブルース・リーの様式美が不滅の輝きを放っているというのは、真実だと思うな。
彼のこの詩と、戦う姿を見比べて欲しい。比較することで、そこに何か共通したブルース・リーという人物の残した別の印象を発見するかもしれない。

2009年4月3日金曜日

Have you seen the light!


The Blues Brothers:1980


“ Have you seen the light! ”
これはハチャメチャな名画「Blues Brothers」の中の台詞だよ。

空虚で荒んだ時代八十年代が幕開けしようとしていた頃、ひとつのアメリカ映画が公開された。
それが、この「The Blues Brothers」だッ!

刑務所を出所してきた孤児の兄弟が、最高のブルースバンドを生み出すまでのナンセンスな物語。
でも、何故か、馬鹿馬鹿しいのに、どんどん引き込まれていく。
「あなたがた・・・警察の方?」
「いえ、ミュージシャンです」
と真顔で答える主人公の二人に、僕なんか最後は兄弟のように心が一体化してしまいます。
「お前ら最高!」なんて、織田ユウジのように叫びたくなります。
言い過ぎですか?

どんどん引き込まれていくその原因は、この映画の「徹底的な人生に対する肯定感」にあるような気がします。
とにかく思うんだ、生きてて良かったってな!
その感覚はとっても大事なんですが、何故か時代の中でやがて失われていく感覚でもありました。

主人公ジェイクを演じる俳優・ジョン・ベルーシがこの後すぐ亡くなってしまうのは、どこか時代が彼の体現したはちゃめちゃな元気さとは対極の所へ向かっていることの現れだったのでないかなと思います。ともかくも彼はこの世から去り、ブルース・ブラザースは伝説になった。

今、この時代は彼を理解できるだろうか?

2009年3月31日火曜日

雨の中の涙のように-like tears in rain-

Blade Runner:1982

八十年代で圧倒的に記憶に残る映画のひとつが、この「ブレードランナー」だと思う。
ちなみにもうひとつは「Blues Brothers」ですけど。

この映画だけを語る専門サイトがあったり、コアなファンを持つ映画であることは確かです。
P.K.ディックの原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」もよかったし、当時のサイバーパンクと呼ばれた電脳都市の表現に、この後出現するアキハバラが見事に予言されていたような気がします。
ギブソンのチバシティーより、この映画の未来のロスの風景の方がよっぽどアキハバラです。
もっとも、今ではこの風景はフランスの漫画家メビウスが描いたバンド・デシネ短編作品「ロング・トゥモロー」だと言われているんですが。
監督は原作を読んでないらしい。そんなお話しもあります。

“The line "like tears in rain" was never scripted. Rutger Hauer just said that while filming. It became one of the most famous scenes in movie history.”
これはYouTubeにこの映画の有名なシーンをアップした方のコメントです。
なかなか良いこと言ってるよ。

死ぬ間際に、レプリカント(人造人間)のバッティが雨に打たれながら、救った相手のデッカードに向かって語る台詞がこれ。

「俺はこれまでいろいろなものを見てきた。君ら人間には信じられないようなものを・・・でも、やがて、その全ての記憶も失われるだろう・・・まるで雨の中の、涙のように・・・」

埋め込まれた記憶を頼りに、人間になることを望んだ人造人間の、哀しみが思いっきり凝縮したシーンです。
コメントで述べられているように、これは元々脚本に書かれてはいなかった台詞。すべてここは俳優の即興で行われ、撮影されました。
俳優ルトガー・ハウアーは雨の中でレプリカントとして生き、レプリカントとして死んだ。
俳優の仕事の素晴らしさがここにある。
脚本家が脚本通りを常に主張する虚しさがここに見える。
人はそれぞれの場所で、より良くするために貢献すればそれでいいんだよな。
見栄やエゴや体裁や立場は、この際必要ないな!
そんなつまらないものに囚われている奴は、このシーンを見よ!
これこそ、インプロビゼーションの極致である。

撮影中は様々な問題と混乱に捲き込まれた作品だったようですが、記憶すべき、価値ある作品のひとつになりました。
九十年代初頭、アメリカがギブソンのサイバーパンク小説「New Rose Hotel」を映画化しようと頑張っていたのを僕は知っていますが、実現しませんでした。実現していたら日本を舞台にした、サイバーパンク活劇の傑作になっていたでしょう。
でも、このブレードランナーがあるから、僕は許せるな。
もう数え切れないほど、この映画を僕は観ましたが、また観たくなってきたなぁ。
そんな映画ですよ、これは。


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