2009年6月2日火曜日

知られざる名画☆Lions for Lambs

Lions for Lambs:「大いなる陰謀」

昔、’90年代初頭ですが、アメリカの俳優であり監督でもあるロバート・レッドフォードが、ぜひ創りたいと言っていた作品があったんです。
「パックス・アメリカーナ」というそのシナリオは、アメリカという自由の象徴たる大国が覇権国家となり、やがて資本を武器に世界を全体主義的に支配していく様を描いたものでありました。

当時、バブルがはじける一歩手前の日本は海外の映画作品に多く投資していたので、合衆国内部での資金集めを諦めたレッドフォードは日本に資本提供を求めたと思われます。
ともあれ、僕はそんな中で彼の制作予定のシナリオを読み周囲のプロデューサー達に内容を伝える役目を担ったのでした。
若い僕は、ウィリアム・ギブソンのオリジナルシナリオと同じぐらい、このレッドフォードのシナリオに惹かれ、熱心に周りの人間達に語ってきかせたのですが、結局誰一人動く者はいませんでした。その時、結局、その企画は流れ、今日に至るまで制作されたという話は聞いていません。

時は流れ、昨年日本で公開されたレッドフォードの監督作品:邦題「大いなる陰謀」は、僕にかつての彼の企画「パックス・アメリカーナ」を思い出させました。

描かれている細かな状況こそ違え、「大いなる陰謀:Lions for Lambs」は、確かにネオコンとネオリベラリズムに対する批判の映画であり、’90年代初頭の「パックス・アメリカーナ」では来るべき暗黒の将来像だったものが、今では現実になっているということを描いたものでした。

この映画はかつて無視され制作不可能だった作品を、この重要な時期に復活させた奇跡的作品ということが出来ると思います。そのことが僕には衝撃的だな。
レッドフォードは諦めてはいなかったんだな。
二十年間、彼は待っていたのだと思う。

アメリカは、下らない国に成り下がってしまいましたが、こういう人物が存在できるという点で、確かに希望は残ってるんだよな。

この映画のラストは、ハリウッド的なシナリオ構成から考えると、絶対あり得ないラストです。
娯楽映画なら、この映画のラストに更に二十分はアクションシーンを付け加えるでしょう。
ですが、それをあえて捨て去り、いきなりばっさりと唐突に終わるこの映画の在り方は非ハリウッド的であり、映画も含め経済も政治もメディアに対しても、アメリカ自体に修正を迫るものです。
そして、それは、現在のアメリカを後方支援する日本の在り方に対する批判でもあるのです。
こうした映画が(舞台においても)、日本で作られないというのは、まったく残念な状況だと僕は思います。
今、ドラマに関わる人間の仕事は、無意味で笑えるゲイジュツらしきモノを垂れ流すことではなく、意味と価値観の変更を迫るものでないですか?
喜劇であれ、悲劇であれ、日常の生活のドラマであれ、無意味を標榜する八十年代から続くポストモダン的な作品作りをそろそろ終わりにしなけれないけない。

無意味ではなく、意味と価値観の変更をめざしたいと思います。


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