2009年6月25日木曜日

4400について


4400

前回ご紹介したタルコフスキーのストーカーという映画は、知る人ぞ知るという映画ではありましたが、その後の多くのSF系ドラマ作品にも少なからず影響を与えています。
最近の米ドラマの「Heroes」にしても「4400」にしても、意識的にしろ無意識的にしろ、確実に「ストーカー」の片鱗を観ることになります。

それにしても、最近のアメリカのTVドラマは映画に比べずいぶん魅力的な作品が多いような気がします。そして、放映シーズンを重ねています。
ただ気になることがあるのです。
それは、放送の突然の打ち切り。
もうほぼ常態化してきているような気がしますね。

かつて、ブロードウェイの舞台が批評家の評価次第で簡単に打ち切りが決まりました。今やアメリカの大きな舞台では新しい作品はほとんど上演されていません。映画もいつの間にか独立系以外のハリウッド作品はワンパターン化して輝きを失っています。
そして、少し可能性を感じさせたTVドラマが、次々と打ち切られていきます。様々な制作上の事情が複合的に絡まっているのでしょうが、多くは視聴率の低下を理由に突然打ち切られる。
この傾向は市場経済型の先進国では、常態化している傾向です。
採算が取れないと判断されたものをいつまでも続けている理由はないですから。

でもね、どこか、心ないなぁって思うんだ。
少なくとも、ストーリー上の謎や複線は説明してから終わらせるとか、いきなり丸く収めるような陳腐なラストで打ち切るなよ。制作者側の責任が感じられません。

例えば、4400。
4400というドラマは、過去六十年にわたって行方不明になった4400人もの人々がある日突然現れるというお話し。しかも彼らは一人一人とんでもない能力を抱えて帰ってくる。彼らの真の目的は?そして、彼らの失踪の謎は?
ドラマ中で一部分謎は明らかになるのですが、すべてすっきりしたわけじゃない。途中で打ち切りですので、奥歯に物が挟まったまま放置された感じ。
んで、これも昨今のアメリカン・ドラマらしいまことに残念な展開ではあります。
制作者は説明責任を果たしましょうよ。途中で投げ捨てるような作り方はやめようぜ!

オープニングのタイトルバックは何気ないですが、美しい。
失踪した人々がいなくなったその現場をコラージュしています。そして、時が経つ様子を短い時間で描いているんだな。やがて人々が還ってきます。

そして、パイロット版、つまり初回放映のテスト版ですが、この1回目と2回目ぐらいまでの画面作りの美しさはちょっと他に見あたらないと思う。薄暗い色と光を落としたマットな画面。
まるで、年を経た「絵画」そのものです。
初回がこんなに素晴らしいのに・・・う~ん、商業であることは百も承知ですが、あまりにも恥知らずな制作態度に末期的な症状を感じます。
どこかで、だれかが気づいてはいるんだろうな、きっと。

4400 Opening“A Place in time”



「発端」



「帰還」

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