在りし日の西岡恭蔵さん(写真・糸川燿史さん)
僕が高校一年生の時、高校の先輩達が東京から一人のフォークシンガーを呼びました。その人が、西岡恭蔵さんでした。
1997年に愛妻のKUROさんを 癌で亡くし、その2年後に後を追うように彼も亡くなりました。
そして、今でも忘れられることのない伝説のフォークシンガー。
田舎の高校生が、夢中になって、公民館の一室を借りて開いた小さなライブコンサート。
そこで西岡さんはニコニコしながら2時間ほど一緒に時を過ごしてくれました。
あまりにもそのコンサートが素晴らしかったので、僕らは翌年、調子に乗って今度は小室等さんを呼んでライブを開きました。
その時は、残念ながら肝心の公民館を借りることができず、学校のすぐそばにあったポルノ映画館を借りました。
映画館は夜はストリップ小屋で、その日だけストリップを返上してライブコンサートになったのでした。
僕の高校生の時に、自分たちの力で開いたライブコンサートはこの二つだけでしたが、西岡さんと小室さんのお二人の優しさが今でも忘れられないです。
西岡恭蔵という一人のシンガーの生き方に、ジョニー・キャッシュの人生が僕には重なって見えます。二人とも、深い愛の人でしたね。
高校生の僕には、そんな深いところまで何もわかりませんでしたが、今は少しだけわかるような気がします。
恭蔵さん。
あんとき高校生だった僕も、とうとうあなたの亡くなった時の年齢になりましたよ。
少しはわかるようになったかな?
少しは大人になれたかな?
(安田南さんは「ぷかぷか」の歌のモデルと言われています)
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