正直、北野映画が嫌いです。かなり嫌いです。
ですが、
「あの夏、いちばん静かな海。」だけは別。この映画は大好きです☆
画面の作りが多少ジム・ジャームッシュを意識していたとしても、それは気になりません。
むしろ、物語の重さと軽さのバランスが最高に上手くいっている作品ではないかと思っています。
聾唖の青年・茂のひと夏の生と死を描いています。
この映画の前に執拗に描いていた暴力性はここでは影を潜めていますが、それでも、人間の死への欲望(タナトス)をここでも取り憑かれたように描いてはいます。
監督の当時の観客を不必要に死へ誘うような作品作りに疑問を感じてはいましたが、それでもこの映画は生きる悦びと愛することの不思議を丁寧に描いている印象を受けます。
それは主人公の茂と恋人の貴子は聾唖で音声としての言葉を持たないから、二人のやり取りが言葉で処理するよりずっと思いのこもった重さと、何気なさと、静けさに溢れていたからだと思います。この普段はゴミ収集車で一生懸命働く主人公・茂の存在だけで、この映画は確実に成功していると思うのです。
ラスト、浜辺で波に洗われている茂のサーフボードは、茂という人間の死の暗示だけではなく、いずれ人間は誰もがみな自然に還ることを象徴しているのかもしれません。
それは監督得意のニヒリズムではなく、一種の諦観。
少なくともこの映画全体に漂う諦観は、今感じる必要のある諦観かもしれません。
なぜなら、ゴミの中から拾い出し修理して一緒に遊んだサーフボードに乗って海に消えた茂という青年の人生の価値を、今、この時代が忘れているから。
そして、そんな価値を嘲笑うから。
確かに、あの夏、あの海はいちばん静かだった。
映画の予告編