2009年7月31日金曜日

ロック魂☆炸裂だッ!!!

AC/DC


明日から八月。

なんだか、今ひとつはっきりしない夏ですが、いかがおすごしですか?

いずれにせよ、ラモーンズも影響を受け、キース・リチャーズも愛してやまない「AC/DC」を聴いて盛り上がりたい☆
今は亡きボン・スコット。それでもAC/DCは最高だぜィ!!

これがロックさ☆

さぁ!目を覚まそうかぁ!!!!

個人的ロックの殿堂だぁああああああ☆☆☆

明日、また会おう!!!!

It's A Long Way To The Top(If Ya Wanna Rock'N'Roll)

Highway To Hell

たそがれる!?

めがね:2007

どうせだから、この映画もご紹介。
もうご覧になった方も沢山いらっしゃるでしょう。
「たそがれる術」を知るための映画だよ。

荻上直子監督は脱力しているようで、とにかく丁寧。アメリカで映画制作を学び、日本でそれを形にする。多くはかつて日本脱出を目論んだものですが、彼女はまったく逆の道を行く。
ジャパネスクなんてあえて言うまでもなく、そこに描かれるものは、舞台がどこであれ、まぎれもなく「日本」だ。そして、「今」である。
料理の描き方、気持ちの変化、心の交流、すべてが丁寧です。
すばらしいことだなぁ。。。。

たそがれる、なんて金融で、あるいは株で一発当てようなんて人間がごろごろいる今、どうでもいいことかもしれない。
でも、実際は、多くの人がウォール街やら兜町などとは実際縁遠く生きているんだ。つまり、株主なんてそんなざらにはいないのさ。なのに企業は株主様に利益を還元するために努力するのだそうだ。待てよ!ってことは、それはもう明らかに、この地上の一握りの人間が、他の大多数の人間を踏み台にして、貪欲に儲けようとしていることにはならないか?
ほんの少数の人間様のために、大勢が疲れ果てている。

正直、みんなそろそろ疲れてきているんだね。
バブルが崩壊したなんて騒いでいたあたりから、抜け目のない人間だけが薄ら笑いを浮かべる時代が二十年ぐらい続いているんだ。そりゃあ、時代も疲れるさ。
いつまでも、金融だ株だなんて世界が続くはずがない。

そんなとき、人は「たそがれる」必要がありそうだ。

最初はぎこちなくても、慣れれば、ノホホ~ンとすごす「たそがれ」は素敵な時間なんだ。
焦らず、騒がず、のほほ~んと。。。。

たそがれて、もくもくと美味い飯を食う。
僕ら、確かに、もう少し、たそがれてもいいんじゃないかな。

そんな映画です、これは。


伊勢エビまるかじり☆



トレーラー「なにが自由か、知っている・・・」

こぴ・るあっく☆

かもめ食堂:2006

当ブログの読者さとじゅん君から、映画で料理といえば、でご紹介して頂いた『かもめ食堂』。

「すいか」(TV)→「かもめ食堂」(映画)→「めがね」(映画)
という時系列の中で生み出された傑作だよね。

大切なのは、シンプルで美味いものをしっかり食べて「腹ごしらえすること」。
世界中で戦争し、今日本では政権交代だとか騒いでいるが、政治家も官僚もどこぞの料亭なんかで密談なんかせずに、みんなヘルシンンキの「かもめ食堂」に行け!
幸せになるから。

政治や経済や金や戦争に振り回されるのは、きっと普通のうまい食事をしていないからなのではないか?たとえば、コーヒー一杯飲むときに「こぴ・るあっく☆」なんて魔法の言葉をふりかけるなんてことをしてないからじゃないか?ちゃんと握り飯は食ったか?
サヨクもウヨクもノンポリも、みんな「かもめ食堂」に行け!

もし、ヘルシンキが遠すぎるんだったら、俺が美味い▲のおにぎりを作ってやる☆
うまいぞぉおお!
うちの娘たちの評判です。実はこんなダメダメなあたしですが、おにぎりは「かもめ」に負けません。
時々思うんだ。
足の引っ張り合いや殺し合いをするまえに、まずは落ち着いてリラックスして「飯」を食おう!と。

いろんな思いを胸に集まった三人の女たちを中心に繰り広げられる「かもめ食堂」という映画は、人類の教科書だと思うよ。それがたとえどれほどゆるくても、いや、ゆるいからこそ、幸福へのヒントにあふれてる。ガッチャマンが歌えてよかったと思うよ、ほんと。

こういう作品がね、ほんとにね、アメリカ映画がすっかり失ってしまった、日本の誇るべき映画なんだぞ。

今日も、ごく普通の「美味い飯」を食おう。
そこに、生きている幸福はあるんだ。
こぴ・るあっく☆☆☆
だね?


最高に幸福なシーンのクリップ


トレーラー

2009年7月30日木曜日

おまけ☆

Sachi Parker

西の魔女を演じた彼女と彼女のお母さんのナイスなクリップ!!

こんな「小さな子」が今は「祖母」を演じているわけです。

時というのは、残酷でもあり、同時に本当に素敵だと思うな!

西の魔女の子供時代を観ましょう!

NICE & CUTE!!

西の魔女について

西の魔女が死んだ:2008

上の娘は自分の気に入った本があると、必ず、僕の所に持ってきて「読め」と言う。
この作品もそんな本の一冊でした。はじめは。

今は「一瞬の風」にはまりまくっている彼女ですが、「西の魔女が死んだ」をいたく気に入り、勧めてくれたわけです。小さい本なので、あっさり読めます。とってもさらりと描かれた祖母と孫娘の物語。小説のラストにぐっときて、DVDを観たら、祖母を演じるサチ・パーカーさんにすっかりはまりました。
実際は僕とさほど歳の変わらない彼女が老け役を演じています。どうみても、僕の母親ぐらいに見えるんです。しかも、日本で暮らして四十年になる凛とした英国夫人。流暢な日本語が、また古い時代を感じさせる美しさで、彼女、サチ・パーカーさん自身が、学習院初等科を出て、二歳から十二歳まで代々木上原で暮らしたなんてことを知らなければ、上手すぎる吹き替えなんて思ってしまうかもしれません。それぐらい、役に同化していました。
確かに、どこかお母さんのシャーリー・マクレーンを彷彿とする瞬間もあるんですが、サチ・パーカーという一人の女優を観た思いがします。

野菜や料理のひとつひとつがすべて美味しそうなんだ!
これはとても重要なことだよ。
サンドウィッチにしても、ジャムにしても、クッキーにしても、サラダにしても、すべてに祖母の愛情を感じさせ、美味そうに感じさせるというのは最高だよ。
トーストを囓る音すら美味そうなんです。いいよぉ!いい!!
前に書いた「ジョゼと虎と魚たち」が和食の極みだとすれば、この映画は洋食系の極みです。
しかも、どちらも日常の生活感漂う料理という点でも共通している魅力があるんだなぁ。。。。

とっかかりは、うちの娘のご紹介だったのですが、本から映画へいって、音楽を聴いて、これは名作だと思いました。
正直、長崎俊一監督も初期のロックものから随分と大人になり成熟したんだなぁ、と失礼を省みず思いました。おそらくこれからもっと重要な監督になっていくんだと思う。
同世代として、中心にロックの在る人間を信じたい。
彼もその一人です。
観て思った、一般的な間口の広い映画かもしれませんが、そこにはやっぱり、音楽があったぜ!
これなんだよ☆

言葉と音楽の融合☆☆☆
娘に感謝です!!!



トレーラー

夏の一日


湿度の高い日が続いていましたが、今日は夏らしい日差しです!

蝉も激しく鳴いてます。ミンミンゼミとアブラゼミ、そして時々ヒグラシ。

無事キャンプから帰ってきた娘も元気に今日はプールだそうです。

僕はといえば、もうすぐ家を出て、外でひとつ仕事をします。

午後になったら、帰宅して、戯曲に向かう予定。

明日は久しぶりに大学に顔を出し、明後日は懐かしい人々と家族みんなで集まって夏の「スペシャル・パーティー」☆

友達のジェイは新潟公演で来れないそうで残念です!身体気をつけてがんばれよ!!

そして、夏です!

下の蝉の声と音楽を同時に流してみて下さい。

いいよ~。。。。。ね?

部屋の中が夏になる☆

蝉の声


『夏休み』吉田拓郎

2009年7月29日水曜日

九十年代の名作

もし僕が九十年代の映画を二本挙げろと言われたら、迷わずに岩井俊二監督の『Love Letter』と『スワロウテイル』を挙げるだろうと思う。
『Love Letter』は時間を超えた、不思議なラブストーリー。そして『スワロウテイル』は近未来の円でのさばる日本と海外からの移民の暮らしを描いている。

はじめて観た時、僕が感じたことは今も変わらない。
彼、岩井俊二監督は映像の人ではあるが、どこか舞台の演劇を感じさせる人だ。濃い人間関係の対立と葛藤をこれでもかと言わんばかりに描くわけではないのに、登場人物の不合理な疑問や、心の中の言葉にできない苦しさや嬉しさが、画面からこぼれるように溢れ出てくる。しかも静かに。

ことさら日常を描こうとせず、荒唐無稽な状況をあえて選び、その条件の中で、もがく人間を見つめているんだ。
なにも起こらない日常を、なにも起こらないまま描いてリアルだと主張する人間は、恐らく岩井俊二は観ていないか、観ようとも思わないに違いない。
でも、ぜひ観てみるべきだ。
まず、音楽があり、映像があり、人間がいる。しかも、静かに苦闘する人間が。
自己正当化をリアルとは呼びたくない。
今の現状をただ描写しリアルに胡座をかく、自己満足しているリアリストに未来はない。
格闘しているふりをしながら、彼らは怠けているから。
現状を肯定し、人間は下らない、と言ったところで、なにがある?なにが生まれる?

『Love Letter』の主人公はひょんなことから忘れたい過去と向き合うことになる。向き合おうとしたからこそ、本物のラブレターを予測もしない形で受け取ることになる。人生はくだらなくなんかない。ラストのワンカットが胸を締めつける映画です。

『スワロウテイル』は金、金、金がテーマなはずなのに、人間の心に在る「詩」のようなものに気づかせてくれる。それは恥ずかしいぐらい「愛」と「音楽」の物語なのさ。

ひたすら人間の醜さをあげつらいニヤニヤと笑いものにするリアリズムはもうお終いにしよう。
この二つの九十年代の作品は今観るに値するかもしれない。

『Love Letter』1995



『スワロウテイル』1996 “ Swallowtail Butterfly ~あいのうた~”

夢よ叫べ

遠藤 賢司(えんどう けんじ、1947年1月13日 - )は、茨城県出身・東京在住のシンガーソングライターミュージシャン。自称「純音楽家」。愛称は「エンケン」。
主に扱う楽器は
アコースティックギターエレクトリックギターブルースハープ。ほかにも、ウクレレピアノドラムなどの楽器を演奏する。 自身のほぼ全ての楽曲の作詞作曲も手がける。
「純音楽」をキーワードに、精力的に活動中。代表曲に、「夜汽車のブルース」「満足できるかな」「カレーライス」「踊ろよベイビー」「東京ワッショイ」「不滅の男」「夢よ叫べ」などがある。
好きな食べ物は
カレーライス。大の好きで知られ、歌詞中に猫の登場する楽曲も数多い。文学映画プロレスサッカーお笑いなどにも強い関心を持つ。


漫画や映画でお馴染みの「20世紀少年」の主人公は遠藤ケンヂ。
確かにロックしながら、自分の馬鹿と一緒に生きる決意をする遠藤ケンヂは、実在する「遠藤賢司」こと「エンケンさん」そのもののような気がします。自分のことを「ひとりバンド」と呼びます。

アンプを背中に担いでギターを狂ったように掻き鳴らすオッサン。
還暦越えて、なお「若気のいたり」と呟きながら「若毛のいたり」だよ~なんて言って笑ってる人です。
僕はエンケンさんのカレーライスから入りました。

昔、ガッツっていう音楽雑誌があったんですよ。
「新譜ジャーナル」「ヤング・ギター」「ガッツ」という当時の音楽三大雑誌は、中学から高校にかけて映画雑誌の「シナリオ」と「キネマ旬報」と並んで、僕が読みふけった大切な雑誌なんだけど、その中でも特にガッツがお気に入りでしたね。
RCサクセションも、その前の古井戸も、はっぴいえんども、頭脳警察も・・・みんなみんなラジオとガッツのお蔭で知りましたです、はい。

エンケンさんの「カレーライス」を、古井戸の「さなえちゃん」と同時期に弾けるようになったのも、ガッツの付録の楽譜のお蔭でした。

フォーク系が多かった七十年代前半でも、エンケンさんはすでにロック魂の人でした。
繊細さと狂気が同時に存在する天才ギタリストでした。感動しながら、何故か笑えたんだなぁ。。。。
ロックすることのぎこちなさと、ロックすることの潔さ深さ、ロックすることのかっこ悪さとかっこよさ、そんなものをすべて見せて聴かせて頂きました。
四畳半ロックっていうのはエンケン用語だったんだよなぁ。

優れた音楽も優れた物語も優れたドラマも、すべて現在進行形のような気がする。
過去の一時期に留まり続け、動かなくなることを拒否したい。
ほんとに心を打つものは、時代を越えるんだよ。それは確かだ。

だから夢中になって生きるのさ。
だから必死になって生きるのさ。
だから熱~く燃えるのさ。
だからやんなきゃならないことをやるのさ。

そうやって僕らは生きてきたし、これからも生きていくんだよ。六十何年も生きてきて一人も利口な人間にあったことがない、と彼は言う。そのとおり!この世は馬鹿ばっかりだ!!あんたも俺も!!
だから、
夢を叫ぼう!

夢よ叫べ!!!それは確かに現在進行形だ!!!




『夢よ叫べ』遠藤賢司

まるでこの世の何もかも 嫌になっちまったのかい
そんな目をしてまたひとつ 溜息ばかり
どうしたんだよあの夢は 欠片も瞬かぬ
そんな夜に 負けるな友よ 夢よ叫べ

ぶっきらぼうに見栄はって どんなに強がっていても
本当はね 誰でも哀しくて 泣きたい夜だってあるよ
それでもみなよほら 可愛いじゃないか 涙も知らぬげに
そうさそんな夜に 負けるな友よ 夢を叫べ

言い訳なんかじゃあの夢は 騙せやしない
どうにも真面目なその心 みじめになるばかり
そんなお前と夢見てる 優しいあの娘
そうさそんな夜に 負けるな友よ 夢よ叫べ

お前がやらなきゃあの夢は 二度とは瞬かぬ
そうさそんな夜に 負けるな友よ 夢よ叫べ

心の歌

君には君の歌があり

僕には僕の歌がある

みんな自分の歌を歌いながら生きているんだよ

時々、それを忘れているだけさ

人間の数だけ物語があるように

人間の数だけ歌がある

そして

それは毎日生まれ

それは毎日消えていく

歌も物語も

命のことなんだろうな

だから

僕は僕の

君は君の歌を歌い続けよう

それが人生

それが運命


shinabons さん『桜色舞うころ』

2009年7月28日火曜日

Day Dream Believers☆

人は誰も、この世の旅人。
この世界に一人一人が与えられた時間滞在したら、ふたたび旅立っていく。
わかってるんだ。
わかってるんだよ。

運命なんてものがあれば、受け入れなくてはいけない。
抗ったって無駄だ。
それより、自分に残った時間を精一杯生きるしかないんだよ。

夢見る者には人生が夢そのもの。
台無しになんかしてなるものか。

娘がキャンプに行きました。
部屋の中が少しだけ静かです。
あの子の脱ぎ捨てていったTシャツ。
そのTシャツに、あの子の匂いが残ってる。
妻と二人で、トマトの冷製スパゲッティをつくって食べる。

幸福は、こんな普通の暮らしと、その匂いの中にあるんだろうなぁ。
できるかぎり長く味わいたいものです。

生きている意味なんかどうでもいい、なんていう人もいるけれど、
人生の意味は、やっぱり大事だよ。
少しでも、恥ずかしくない生き方をしたいとおもうよ。

そう、ふたたび旅立つまで、しっかりと夢見ていたいと思うよ。

shinabonsさんが歌う:Day Dream Believer
彼女の歌はYou Tubeでしか聴けませんが、素晴らしいです。
僕は涙が止まらなかった。

黒い瞳

先程、川村カオリさんの訃報が入りました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

素晴らしい歌と生き方をありがとう☆

Kaori Kawamura /黒い瞳(アカペラ)

補足・ルーズベルト演説全文1941/12/8

「正義の戦争の真実とは?
What is the truth of justice's war?」
ー より転載


For a Declaration of War against Japan
Speech by President Franklin D. Roosevelt
December 8, 1941
Mr. Vice President, Mr. Speaker, members of the Senate and the House of Representatives:

Yesterday, December 7th, 1941 -- a date which will live in infamy -- the United States of America was suddenly and deliberately attacked by naval and air forces of the Empire of Japan.
昨日、1941127日は汚名のうちに生きる日(となるだろう)”アメリカ合衆国は何の予告もなく計画的に空と海から大日本帝国の攻撃を受けた。
The United States was at peace with that nation and, at the solicitation of Japan, was still in conversation with its government and its emperor looking toward the maintenance of peace in the Pacific.
しかも、我がアメリカ合衆国が平和への熱意と希望を捨てずに日本政府を相手に誠意を持って交渉を続け、我が政府と天皇との間で太平洋の和平交渉の最中にである。
Indeed, one hour after Japanese air squadrons had commenced bombing in the American island of Oahu, the Japanese ambassador to the United States and his colleagues delivered to our Secretary of State a formal reply to a recent American message.
日本の駐米大使が、我がアメリカ合衆国の最後の提案に対し公式回答書を提出したのは、日本の航空部隊が大挙して真珠湾を爆撃し艦隊および基地に対して重大な打撃を与えた1時間後であった。

And while this reply stated that it seemed useless to continue the existing diplomatic negotiations, it contained no threat or hint of war or of armed attack.
既存の外交交渉を続けることは無用であった。そしてこの回答文書(ハルノートへの回答)が示すように軍事行動の兆しは見られなかった。
It will be recorded that the distance of Hawaii from Japan makes it obvious that the attack was deliberately planned many days or even weeks ago. During the intervening time, the Japanese government has deliberately sought to deceive the United States by false statements and expressions of hope for continued peace.
日本からハワイまでの距離からこの攻撃が何日も何週間も前から意図的に計画されたことは明らかである。その期間中、日本政府は真相を隠し平和の継続への期待を表明して米国を欺き続けてきた。
The attack yesterday on the Hawaiian islands has caused severe damage to American naval and military forces. I regret to tell you that very many American lives have been lost. In addition, American ships have been reported torpedoed on the high seas between San Francisco and Honolulu.
昨日のハワイ諸島への攻撃は米国海陸軍に多大なる被害を与えた。残念ながら非常に多くのアメリカ人の命が失われたのだ。さらに、サンフランシスコとホノルルの間の公海上で米国艦船が魚雷攻撃を受けたと報告されている。
Yesterday, the Japanese government also launched an attack against Malaya.
昨日、日本政府はマレー半島への攻撃を開始した。
Last night, Japanese forces attacked Hong Kong.
Last night, Japanese forces attacked Guam.
Last night, Japanese forces attacked the Philippine Islands.
Last night, the Japanese attacked Wake Island.
昨夜、日本軍は香港を攻撃した。
昨夜、日本軍はグアムを攻撃した。
昨夜、日本軍はフィリピン諸島を攻撃した。
昨夜、日本軍はウェーク島を攻撃した
And this morning, the Japanese attacked Midway Island.
そして、今朝、日本軍はミッドウェイ島を攻撃した。
Japan has, therefore, undertaken a surprise offensive extending throughout the Pacific area. The facts of yesterday and today speak for themselves. The people of the United States have already formed their opinions and well understand the implications to the very life and safety of our nation.
従って、日本は太平洋全域にわたる奇襲攻撃をおこなったのである。昨夜の攻撃はみずからを語っている。アメリカ国民はすでに世論を形成しており国家の安全にとってそれが何を意味するか十分に理解している。

As commander in chief of the Army and Navy, I have directed that all measures be taken for our defense. But always will our whole nation remember the character of the onslaught against us.
陸海軍の最高司令官として私は軍に対しあらゆる防衛策を命じた。しかし、我が国の国民は今後も決して我々への攻撃方法を忘れてはならない。
No matter how long it may take us to overcome this premeditated invasion, the American people in their righteous might will win through to absolute victory.
我々がこの計画的な侵略に打ち勝つのに、いかに長い期間がかかろうとも絶対的勝利を得るまで全力をもって戦い抜くであろう。
I believe that I interpret the will of the Congress and of the people when I assert that we will not only defend ourselves to the uttermost, but will make it very certain that this form of treachery shall never again endanger us.
私はこの卑劣な行為によって再び我が国が危険にさらされないために、議会と国民の意思の判断が下されんことを確信する。

Hostilities exist. There is no blinking at the fact that our people, our territory, and our interests are in grave danger.
敵対行為は現実のものとなった。わが国民、わが領土、そして我々の権益が重大な危機にさらされている事実を見て見ぬふりをすることはできない。
With confidence in our armed forces, with the unbounding determination of our people, we will gain the inevitable triumph -- so help us God.
私は国民と共に重大なる決意で立ち上がり勝利への道を歩む所存であります。神のご加護を。
I ask that the Congress declare that since the unprovoked and dastardly attack by Japan on Sunday, December 7th, 1941, a state of war has existed between the United States and the Japanese empire.
私は今議会に要請する。日本は卑怯にも一方的に攻撃を仕掛けてきた。よって、1941127日の日曜日より日米両国が戦争状態にあることを議会はここに宣言していただきたい。

○ この言い回し、この表現、まるでブッシュやオバマと同じでしょ?歴史は繰り返している。

二つの演説


2007年8月24日(金)18:22
ブッシュ米大統領は22日、中西部ミズーリ州カンザスシティーで退役軍人の会合に出席し、イラク政策と対テロ戦争の正当性を主張する演説をした。戦前日本を国際テロ組織アルカイダに、真珠湾攻撃を2001年9月11日の米同時多発テロになぞらえた大統領演説の中で、日本に関連する部分の抜粋は以下の通り。(gooニュース編集部)

・とある快晴の朝、奇襲攻撃で何千というアメリカ人が殺害された。それを機にアメリカは戦争に巻き込まれ、世界中の隅々にまで出向くことになった。私たちを攻撃した相手は、自由を憎み、アメリカや西欧諸国が自分たちの民族を足蹴にしたと恨んでいた。彼らは、自分たちの地域全体を支配しようと戦っていた。度重なる暴力にアメリカ人がやがて疲弊して戦うのを止めるまで、殺りくに次ぐ殺りくを重ねようと、自爆攻撃を展開した。

これは聞き覚えのある話だと思うなら、まさにその通りだ。ただし私がいま語った敵とは、アルカイダではなく、攻撃は9/11ではない。この敵が作ろうともくろんだ帝国はオサマ・ビンラディンの思い描いた過激なイスラム国家ではない。私が話したのは、1940年代の大日本帝国の軍部であり、その日本による真珠湾攻撃であり、日本が東アジアに押し付けようとした日本帝国のことだ。・・・・・ー(gooニュース編集部より引用抜粋)

そして、これより遥か昔、1941年12月8日、フランクリン・ルーズベルトは真珠湾に関して演説を行った。
・・・・・・(一部抜粋)
The attack yesterday on the Hawaiian islands has caused severe damage to American naval and military forces. I regret to tell you that very many American lives have been lost. In addition, American ships have been reported torpedoed on the high seas between San Francisco and Honolulu.

Yesterday, the Japanese government also launched an attack against Malaya.

Last night, Japanese forces attacked Hong Kong.

Last night, Japanese forces attacked Guam.

Last night, Japanese forces attacked the Philippine Islands.

Last night, the Japanese attacked Wake Island.

And this morning, the Japanese attacked Midway Island.

Japan has, therefore, undertaken a surprise offensive extending throughout the Pacific area. The facts of yesterday and today speak for themselves. The people of the United States have already formed their opinions and well understand the implications to the very life and safety of our nation.・・・・

1941年の5月の段階でアメリカ国民の79%が参戦に反対でした。産業の面でも経済の面からもルーズベルトはなんとしても参戦しなければならなかった。ルーズベルトの畳みかけるように日本の悪事を国民と世界に知らしめようとするこの演説は、対日石油・鉄鋼禁輸などありとあらゆる日本の存続に対する締め付けを強化し日本を追い込むことで先制攻撃させようとする目論見の成功を背景にした、米国製正義のプロパガンダに他なりません。真珠湾以降、アメリカ国民はなんの迷いもなく戦争へ向かっていきます。

今、僕が準備している戯曲の一つは、真珠湾攻撃前夜と二十年後を描いた物語です。
様々な資料を読み込めば読み込むほど、アメリカは限りなく同じやり方で世界を破壊しつつあることがわかる。まったく同じなんだ!!
常に国内もしくは世界の世論を動かすために、なんらかの先制攻撃を相手から引き出して、それを契機に、もしくはアリバイにし、本格的な攻撃を開始し戦争へ至るということを繰り返しているのです。
現在では専守防衛という名の下に、先制攻撃を受けることなしに、アメリカの先制攻撃は許されるようになりました。好きにどこだって攻撃できるというわけです。
世界で最も危険な国はアメリカに決まってるじゃないか!!
アメリカはこれまで民主国家だったことは一度もありません。そして、日本も。

僕らは捏造された歴史観のなかで、捏造された現在を生きている。
得をするはずのない戦争で得をするのは誰なのか?冷静にそれを考えてみれば、ここ数百年の中で、決して損することのなかった一群の人々に思い当たる。

真珠湾攻撃は成功したのではありません。奇襲攻撃でもなかった。
奇襲攻撃という形にさせられ、成功させられたのです。ルーズベルトは日本の攻撃を誘発させ、更に攻撃日時まで知った上でハワイの海軍提督達にすら知らせなかった。
アメリカ国民が喜んで参戦を望み、今後脅威となるであろう日本の文化伝統を破壊し尽くし、すべては日本を「民主化」するために。
先日ご紹介した江藤淳さんの『閉された言語空間』は、まさにこの辺りの事情を、「検閲」という観点から、戦前から戦後にかけてのアメリカの動きをアメリカ公文書という一次資料に基づいて研究した重要な作品なのです。
大量殺戮兵器などなかった上にアルカイダの手先だと名指しされたイラクのように、あるいはタリバンの巣窟で政情不安暴力行為が日常的で民主化する必要のあるアフガニスタンのように、狂った悪魔の国家を「民主化させる」というのはなんと素晴らしい表現だろう。
正義はアメリカにしかなさそうです。アメリカと組む国は自動的に正義の国となる。国連などはなから関係ありません。その意味で、中国もロシアでさえ、本質的にはアメリカとぶつかったことはありません。
アメリカとその仲間だけが歴史上唯一「正義」なのですから。
そして、これは当然大きな間違いです。
これまで、どの国家も使ったことのなかった核爆弾を最初に使ったのはアメリカだったし、地上で、しかも観光地としても名高い「楼蘭」で49回も核爆弾を破裂させたのは中国です。

そろそろ、物事を「正確」に見て判断しなくてはならない時代が来たようです。
ウヨクもサヨクもありません。それは同じ物事の違った側面に過ぎないのです。
目を覚まそう☆


フランクリン・ルーズベルトの真珠湾演説:


未だに航空ショーで日本軍による真珠湾攻撃を再現し憎しみを掻きたてているアメリカの風景です。
アメリカ、ヒューストンの航空ショー。
日本では大空襲の再現も、原爆の再現もしませんが、正義の国アメリカは違うんだな。:


2009年7月27日月曜日

賭ける時

栄光のルマン:1971

今から三十年ほど前に亡くなった俳優スティーブ・マックィーンは、財産も自分の制作会社も結婚生活も、すべて、この「栄光のルマン」という映画一本で失ってしまった。

「レーシングは人生だ……その前と後にあるのはすべて、待つことだけ」

この言葉はマックィーンが演じた主人公マイケル・デラニーの科白。
映画の宣伝トレーラーで聴くことができます。
しかし、非常に変わった作品ではあります。科白や対話がほとんどない、ひたすら、レース場面が続いていくんです。「大脱走」や「荒野の七人」が大好きだった僕は中学生で、なんの事前情報もなしでこの映画を観たのです。面白可笑しいドラマ展開などなにひとつなく、緊張と孤独が画面をずっと支配していました。時々、登場人物がポツリと台詞を吐くんです。前述のマイケル・デラニーの科白もそのひとつです。

今でも夕方、外に青い帳が降りる頃、道路を走る車の音と共にこの映画の夕方から夜にかけての場面を思い出すのです。青い空気の中を走るレースカー。その空気は紛れもなくヨーロッパのものなんです。アメリカやアジアではない。ヨーロッパの青い色。

監督が途中で交代しました。最初の監督を務めたジョン・スタージェスは延々続くレース場面だらけの映画にウンザリし、人間ドラマのないこの映画を「壮大なジョーク」と言いました。確かにドラマは人間を描かなくてはなりません。でも、この映画は人間を描いていないでしょうか。種々多様な葛藤や軋轢を面白可笑しく描いてはいませんが、24時間耐久レースという過酷なレースに魅せられ関わる人間達のリアルなドラマがありました。それはあまりにもドキュメンタリー的な手法で描かれたため、お芝居が少ないのです。ですが、マックィーンが試みた手法は実際現代では充分理解され得るドラマ作りの一作法ではないかと思われます。
観客を描かれたドラマのその状況にできる限り深くコミットさせようとする「セミ・ドキュメント」法。
残念ながら往年の巨匠ジョン・スタージェスにはこの作戦が理解できませんでした。ジョン・スタージェスにはわかりやすい俳優のお芝居が必要だった。マックィーンは演じる以上に、登場人物として生きたかった。監督はそれを俳優のエゴと評価し、世間は下らない自己満足の作品と見なしたのです。単なる評価だけではなく、世界的にもこの映画はアメリカ映画らしからぬ娯楽的要素の欠如した非商業作品として完全に無視され興行的には大失敗に終わったのです。

なのに、不思議だなぁ。日本では大ヒットだったんですよ。たぶんハリウッド的な子供だましの娯楽作品も日本人は喜んで受容しましたが、根本的に深く人間の行為を観察することを楽しむ、ドラマのもうひとつの楽しみ方も、日本人は知っていたんではないかな?そんなふうに思います。
日本の観客は、七十年代ぐらいまでは、複雑な味が理解できる味覚の成熟と同様に、ドラマを受容する面でもかなり成熟していたんだと思います。
残念ながら、その成熟も八十年代以降急速に衰えていったんです。理由は簡単。「栄光のルマン」のような映画や舞台を観る機会が激減していたからです。複雑さを喜び楽しむ姿勢を失って、アメリカの観客同様、ひたすら面白可笑しいものを求めるだけの受け身の観客、すなわち、消費者に成り下がったからに他なりません。

でも、2000年を越えた頃から、徐々にまた観客の成熟が増してきているような気がします。それは、テレビの視聴率の低下に如実に表れていると思います。
単に消費者ではない、深く求め味わおうとする貪欲な観客は「栄光のルマン」をぜひ観るべきだと思う。
この映画では、映画スター、スティーブ・マックイーンは演じるよりもむしろ生きることに近づいているから。そして、それは彼が本物の創作者だったことを証明しているから。

あるインタビュアーに彼は「何故、スタントマンを使わず、自分でわざわざ運転するんですか?観客はマスクをしてヘルメットを被ったあなたを画面で認識なんかできないでしょう?」と問いかけられた。
すると、彼はこう答えたそうです。

「観客がわかってくれるさ。観客はそういったことを私に期待してるんだ。で、もっと大事なのは、私自身わかっているということだ。問題はありのままに、ごまかさずに演じるってことさ」


「栄光のルマン」トレーラー



レースのスタートシーン☆



くるま村の映画館:「栄光のルマン」に関する詳しい解説です!とっても素晴らしいサイト!!

2009年7月26日日曜日

天国まで500マイル


古い古いフォークソングの“ 500 Mile ”。

これは旅立つ人の歌。

どうやって生き、

どうやって逝くのか。

生き方は逝き方なんだ。

だから、

ちゃんと抑えて生きなければ、

そして、

ちゃんと抑えて逝かなければ。

恥を知って生きること。

それが、恥を知って逝くことなんだよ。

天国まで500マイル。

まだまだ、

だらしなくもしっかりと生きよう。

やがて、逝く日が来るだろう。

その時に、

微笑むことができますように。

今日も、

少しは、しっかり生きられたかな。

私の青空

私の青空(日本語歌詞=堀内敬三訳詞)

夕暮れに仰ぎ見る輝く青空 
日暮れてたどるは我が家の細道  
せまいながらも楽しい我が家 
愛の日かげの差す所  
恋しい家こそ私の青空

オーストラリアは相変わらず日本人は鯨を殺す残酷な人種だと騒ぐ。
アメリカはいつもの調子で札びらで両頬をひっぱたき、金が欲しいんだろ?とうすら笑う。
中国は世界はすべて自分たちを中心にまわっているんだそうで、天安門はなかったし、チベットでも大したことはなく、東トルキスタンでは46回も核実験はしなかったらしい。
この日本では政権が変わろうと進む方向は変わりそうもない。

さて、
政治も経済も馬鹿馬鹿しいほど嘘くさい現在、信じられるものなどあろうはずもない。

己の仕事の合間に何故こんなブログなんてものを書きつらねるのか。
テリー伊藤によれば、ブログほど非生産的な馬鹿馬鹿しい無意味な行為はないらしい。
だとすれば、尚更一層、ブログは続けるべきように思う。

政治不信、経済不信、人間不信・・・・そんなどうしょうもない時代の中で、信じるに値することとは何かを少しずつ考察するのがこのブログの目的だと、実は思っている。

今日は本当にいい天気。
暑いですが、青空が本当に輝いていました☆
そして今日、何気なく聴いた高田渡さんの「私の青空」に不覚にも涙してしまった。

あまりにも、自己主張ばかりで、利権と利益ばかりで人は動き、人種差別、文化差別は平気なくせに自分たちを決して省みない横柄さと傲慢さの溢れる昨今、この歌は胸に染み渡りますね。
人を覚醒させるのは政治運動よりむしろこんな喜びと笑顔に満ちた人生なんだろうな。
高田渡さんが亡くなった歳に、僕もあと五年で到達するのか?と思うと、無性に彼の残した歌と笑顔が愛おしく思えるのです。

まずは、あと五年、私の青空を生きてみようか。
そして五年経ったら、その時に、その先の五年を、また考えよう。

高田渡『私の青空』スズナリにて:アップされた方に感謝致します☆

八月の濡れた砂

八月の濡れた砂:1972

この映画は、藤田敏八監督の最高傑作だと僕は思っています。

街から海辺にやってきた高校生と、その不良の友人、そしてレイプされた女の子と過ごすひと夏の想い出。
なんかこう書くとちょっと綺麗事過ぎるな。
この映画を初めて観たとき、日活の作品だったので、ポルノだと思い込んで観てました。
主人公の一人、不良青年を演じるのが村野武範さん。彼はテレビの「飛び出せ青春!」の先生でしたから、映画の役柄とのギャップで、僕は頭ん中こんがらがっていた中学生でした。

でも、
今でも夏になると、ふと思い出す映画なんだ。「旅の重さ」と並んでね。
たぶん、
そういう作品は傑作なんだと一人で勝手に思い込んでます。

若い時代の苛立ち、大人に媚びることのできない一途さ、肉体と精神の分離、恥ずかしい言動や行為、言葉ではもう表現不可能な「気分」、大人が決めつけた青春なんて嘘っぱちだという確信・・・・そんな感覚が映画のラストに集約されている。
だから、
今も思い出すのは、この映画のラストのヨットの場面なんだ。
けだるい、なのに鋭い目をした男たちの表情。
唇を噛みしめながらショットガンを撃つ少女(テレサ野田さん)。
やがて、空撮になりヨットが海の中で輝きながら、まわりながら小さくなっていく。
音楽は石川セリさんの「八月の濡れた砂」。
日本映画で音楽を思い出せる作品て、かつては驚くほど少なかったわけで、その意味でもこの映画が傑作だという証明なんじゃないかな。

映画の中でなにか具体的な結論が出るわけじゃないのに、登場人物それぞれにどこか惹かれる。
まさに、七十年代の空気を映していると思う。
八十年代以降、このシリアスな空気感が失われ、簡単に手軽に笑える映画やスペクタクルな映画が量産されていくんですが、この手のじっと人間を見つめるまなざしはどんどん薄れていきました。

時代はまた一回りし、この映画の空気もかつて以上に理解できる人も増えているんじゃないかな、と思うんですけどね。

映画『八月の濡れた砂』ラストシーン

2009年7月25日土曜日

悪魔の系譜


Phantom of the Paradise: 1975


と、言っても本物の悪魔の話じゃありません。
亡霊といってもいいし、怪人と呼んでもいいでしょう。有名な「オペラ座の怪人」のお話しです。

「オペラ座の怪人」の怪人と言えば、今ではすっかり劇団四季の舞台が定着していますが、ロイド・ウェッバーのこの作品を僕は九十年代にロンドンで初めて観ました。古い劇場の雰囲気と相まって最初に落ちてくるシャンデリアのシーンから舞台にすっかり引き込まれたのを覚えています。

その時、僕の頭の中では、1977年頃に大塚の名画座で観た「ファントム・オブ・ザ・パラダイス」がよぎっていました。
この作品こそ、白黒のホラームービーの古典にすぎなかった「オペラ座の怪人」を初めてミュージカルにした、それもバリバリのロック・ミュージカルにした最初の作品だったんだな。ブライアン・デ・パルマの隠れた傑作のひとつです。
今では完全にカルト・ムービー化しています。

モノクロのホラーから出発した「オペラ座の怪人」は原作の小説があり、その原点はどうもゲーテの「ファウスト」らしい。つまり、この基本のストーリーは美女と野獣の系譜であり、同時に悪魔に魂を譲り渡したファウストの系譜なのです。

物語の進化の過程を垣間見ることのできる貴重な作品でもあります。
これらの一連のファントムものの中で、僕が特に気に入っているのが、映画の「ファントム・オブ・ザ・パラダイス」なんです。
不慮の事故で顔と声を失ったロック・ミュージシャンをウィリアム・フィンレーがもの悲しくも奇怪に演じます。彼の恋するヒロインをジェシカ・ハーパー。彼女はいつかご紹介しますが、近年では「マイノリティー・レポート」で初老の女性を演じて健在です。彼女の歌がいいんです。そしてスワンという悪魔に魂を売ったプロデューサーをスリー・ドッグ・ナイトの作曲者で有名なポール・ウィリアムズが演じるという完全なロック・ミュージカル仕立て。
ちなみに、宮崎駿さんの「ルパン三世ーカリオストロの城」の悪玉マモーはこの映画の彼、ポール・ウィリアムズがモデルだと思うよ。
その意味でもいろんな所に確実に影響を与えている作品なんだよね。
どうしてこの作品を、舞台で未だに誰もやらないのか不思議なほどです。
いつか、僕はやりたいですけどね。オリジナル以外でやってみたい作品のひとつです。

中でも、未だに忘れられないシーンはリハーサルの時のビーフというロッカーの場面。
ゲリット・グレアム演じるビーフのハレンチぶりは、当時のグラムロックやハードロックの持つある一面を映し出し笑いが止まりません。最高のシーン☆かなりの脱力ぶり。。。
最初から最後までロック魂がクライマックスだぜ!?

“ Phantom of the Paradise ” Movie Clip



BEEF Sings!!!

君に捧げる歌


Leon Russell:
(born Claude Russell Bridges on April 2, 1942 in Lawton, Oklahoma, United States) is an American singer-songwriter, pianist, and guitarist.


僕は、正直言って演劇をはじめる前はミュージシャンになるつもりだった。笑っちゃうけどほんとです。
実際、最も長く付き合っている楽器はキーボードなんです。
ギターは中学の頃から初めましたが、あんまり大したことはありません。でも、最近マジメにギターやろうかなぁなんて思ってはいるんですけど。勿論、テレキャス。

クラシックからポピュラーのピアノに変わるきっかけになったのが、「レオン・ラッセル」でした。僕は中学生で、ラジオの深夜放送で、彼の “ A Song for you ”(1971)や“ Tight Rope ”(1972)を聴いてワクワクしたのでした。
A Song for youはかの有名なカーペンターズもカバーしている曲です。その後も様々な人々にカバーされたけど、レオン・ラッセルが一番しっくりくる。

そんな彼もアメリカ本国ですっかり過去のミュージシャンとして扱われているのはちょっと許せない。この40年しっかり活動を続けているんです。南部のスワンプ・ロックだとか、人は看板や目印はすぐ立てるくせに、飽きっぽい。
でも、良いものはいつまでも心の中に持ち続けたいものです。
だって、ほっときゃ、ほんとに記憶喪失が多いんですから。
そんなに簡単に忘れんなよ。

嬉しいことに、レオン・ラッセルは今もなお現役で健在☆
君に捧げる歌を今も歌い続けているんだよ。
思いは濃い方がいい。
敷居は低い方がいい。
そして、
内容は深い方がいい。

僕は忘れない。

“ A Song for you ”(1971)


“ Tight Rope "(1972)

2009年7月24日金曜日

Forever Young

"Forever Young" from the motion picture "The Last Waltz", 1976 director: Martin Scorsese


1976年、映画監督のマーティン・スコセッシが、「ザ・バンド」の解散コンサートの模様をフィルムに収めたのが「ラスト・ワルツ」という映画です。

ザ・バンドのリーダーにしてギタリストのロビー・ロバートソンが独断専行でぶち上げたイベントの一面も確かにありました。驚くほど多彩なゲストが登場し、実力があって影響力のあるバンドの解散を盛り上げるのに充分なイベントでした。

でもね、
八十年代に僕は渋谷公会堂で「ザ・バンド」を観てるんだ。
勿論、ロビー・ロバートソンはいませんでしたが、ドラムのリヴォン・ヘルムは健在でした。
メンバーは多少変わったけど、ザ・バンドはザ・バンドのまんま。
つまり、解散なんかしなかったんだな。リーダーがライブをやりたくなくなっただけの話。
ところが、
映画は盛り上がるんだな☆
素晴らしい人たちが、集まって音楽をはじめれば、たとえきっかけがどんなチンケなもんでも夢中になるのさ。
ボブ・ディランもその一人。
最初は一曲で終わるはずが、2曲目に突入!!
音楽の神様が降りてきてると思うよ。
ドラマティストのマーティン・スコセッシはその辺をしっかりとフィルムに定着させているので、この映画は今でも伝説の名画と呼ばれているのです。

いろんな所にいろんな神様がいて、僕らはその神様の手のひらで遊ぶ子供たちだね。
永遠に、子供たちなんだよ。
成熟しつつ、子供のまんまなのさ。

Forever Youngという曲を聴くと、それは青春にしがみつくんじゃなく、自然に生きることが実は永遠に青春なんだって教えてくれているような気がします。
歳を重ねていけばいくほど、俺たちは格好悪いほどForever Youngなのさ。
なんだか、笑えるけど、ほんとだよ。
情けないほどForever Youngなのさ☆
ほんとかっこわりぃな、でも、うれしいな☆☆☆

「ロックの神様ぁ!!降りてこい!!」

Bob Dylan and The Band: Forever Young/Baby Let Me Follow You

馬鹿野郎バンザイ!!!


Going Steady : 2003年1月突然解散☆


馬鹿野郎でなければわからないことがある。
馬鹿野郎だから気づくんだ。
馬鹿野郎って悲しいぞ。
馬鹿野郎だから夢見れる。
馬鹿野郎をみんなが笑う。
馬鹿野郎で日が暮れる。
馬鹿野郎ォオオオオ!
馬鹿野郎っていう奴こそ馬鹿野郎なんだ馬鹿野郎ォオオ。
馬鹿野郎じゃない奴なんているのか馬鹿野郎。
馬鹿野郎の夜が明けて、
馬鹿野郎の一日がはじまる。
馬鹿野郎は時々クソ野郎になり、
馬鹿野郎は道端に転がって、
馬鹿野郎が笑いながら泣いている。
馬鹿野郎だから頑張れる。
馬鹿野郎こそ青春なんだ!
馬鹿野郎だから愛することができる。
馬鹿野郎だから信じることができる。
馬鹿野郎には損も得もないから。
馬鹿野郎にあるのは馬鹿だけだから。
馬鹿野郎は今日も行く。
馬鹿野郎は明日も行く。
馬鹿野郎ォオオオオ!
馬鹿野郎はゴイステの音楽を聴きながら、
馬鹿野郎ォオオオオ!と叫びながら、
馬鹿野郎でよかったとつくづく思うのよ。
馬鹿野郎の夫。
馬鹿野郎のパパ。
そんな馬鹿野郎で、私はありたい。

ー 上野火山「馬鹿まるだし」より

そんなところから俺は人生をはじめたい。
俺は今はもうないGoing Steadyの音楽を聴きながら、
今日も俺の馬鹿野郎を生きようと思う。



P.S.
今、一部の日本人の仕事は、他のどの国にも存在しない高度に魂のこもった仕事をしているんだよ。
それはハリウッドにもブロードウェイにも、ウェストエンドにもないものだ。どこにもない。日本だけなんだ。
そして、僕らが本当に僕らの生活を言葉で語り出したのは、ほんの少し前なんだ。
だから、心して立ち向かおう!
この生活と人生から、物語や音楽が生まれますように☆
そして、この豊かさに、一人でも多くの人々が気がつきますように☆
時代は、確かに、曲がり角だ。

キースの時間☆


Cocaine Blues
Keith Richards: guitar and vocals (1994).
written and recorded by Luke Jordan back in 1927.

The lyrics:

well,yonder comes my baby all dressed in white
see baby gonna stay all night
cocaine all around my brain

yonder comes my baby all dressed in blue
see baby what you gonna do
cocain all around my brain

hey baby come here quick
this old cocaine is making me sick
cocain all around my brain

cocaine's for horses, its not for men
they say it'll kill you but they don't say when
cocain all around my brain

ohh baby would'nt you get here quick
this old cocaine is making me sick
cocain all around my brain

it's all around my brain

どんなジャンルで人生を遊ぼうと、常に先人はいる。
少なくとも、自分の遊んでるジャンルの先輩は大事にしないとな。
あんなにアーパーな感じでヨレヨレのキースだが、先人に頭を垂れて生きて遊んでいるんだよ。
先人に学ぶもことのなき者は、そっこくその場からされ!
そんなヤツぁ遊ぶ資格なんてないのさ☆
学ぶことのないヤツぁぶち壊すこともできない。
まして、創り出すことなんて。

だから、
戦前のブルースを大切に歌うキースから、俺は学ぶ。
そうして、俺は今日もでっかくなる。
勿論、この歌はバチ当たりなラリッた先輩のどうしょうもない歌ですよ。
ダメダメな人間による、ダメダメな歌ですよ。
つまりは、まさしくキースの直系の先輩ってわけだ。やっぱりいたんだね、こういう人が。
ダメなヤツが昔から。

でも、
歌がバチ当たりでもかまわない。ダメダメでもいい。
大事なことは別なところにある。

それは、人生に対する「謙虚さ」と「真摯さ」だよ。
己の馬鹿を知る「潔さ」だよ。
俺たちを生かすものは、それしかない。
馬鹿と向き合うこと。

さぁ、耳を澄ましてみようか。
キースの時間だ。


朗読の力

文章というのは、目で読むもの。
でも、文章は「声に出して読むもの」のような気がする。

昔、一人暮らしをしている頃、まだテレビなどなくて、外とのつながりは唯一ラジオだった時代が僕にはある。
ラジオで音楽を聴き、ラジオで文学を聴き、ラジオでドラマを聴き、落語を聞き、深夜放送で笑って泣いた。文章は音を通して耳で聴くものでありました。
時々、狭い四畳半で友達と「朗読会」などと称して、好きな本や詩集を読みあったりした。

黙読もいいけれど、音に出すことで、息と共に外へ言葉を吐き出すことで、言葉に命が与えられ言葉が踊り出す。

朗読の力を信じたい。
それは、演技すること、あるいは演劇をすることを信じることに繋がっているのかも。
言葉を吐くその人間の歪みや偏り、そして深さや浅さすべてをひっくるめて、声を出す朗読には力があるはずだ。
綺麗に整った声よりも、生きた声で。
文章は、音になったとき、命を吹き込まれるのだ。

寺山修司『飛行機よ』朗読:松山ケンイチ

2009年7月23日木曜日

”ウォリアーズ”を観たか?

" The Warriors "
Directed by Walter Hill 1979


おお!70年代も終わろうとしていた頃、吉祥寺の映画館で観た『ウォリアーズ』が忘れられません。

おそらく知っている人も実際非常に少ない映画かもしれないな。というのも、監督のウォルター・ヒルといえば、まっさきに思い出される映画は『ストリート・オブ・ファイア』の方で、『ウォリアーズ』を思い出す人は限られているような気がします。八十年以降、この映画について話す人を観たことがありません。それほどマイナーになってしまった作品です。


なのに、なのに!、近年この映画のキャラクターがゲームで使われているんです。
海の向こうでは、相当のカルトムービーらしい。
きっと日本でも、大好きな人がいるに違いない。僕は、密かにそう踏んでます。
だって、この僕自身が登場人物名、例えばスワンだとか、エイジャックス、レンブラント、スノウ・・・なんて、今でも言えちゃうんだからね。

物語は、単純明快!近未来のニューヨークが舞台。
ある夜、ブロンクスの公園でストリート・ギャングたちの集会が開かれ、ニューヨーク中のギャングの代表者達が集まっている。そこで、カリスマであるサイラスという男が、恒久的な和平を提案する。しかし、サイラスは何者かに暗殺され、その犯人がコニーアイランド地区からやってきたウォリアーズだと名指しされてしまう。彼らはその瞬間からニューヨーク中のあらゆるギャンググループの敵になってしまう。無実のウォリアーズ達は、戦いながら、ひたすら故郷のコニーアイランドをめざす。

この物語の土台は古代ギリシャのクセノフォン(クセノポン)の「アナバシス」という物語なんだな。ペルシャの王の息子キュロスがクナクサの戦いで死に、その後、彼の率いたギリシャの傭兵部隊が様々な戦いを繰り広げながら、一路故郷をめざす物語。それがアナバシス。
ほとんど、ウォリアーズそのものです。
勿論、この映画の直接の原作は1965年にソル・ユーリックという人が書いた小説なんですが。

エピゴーネンの所にも書いたけど、骨格の太い物語が世代を超えて繰り返し引用されていくこれもひとつの例なんだと思う。
そして、何度引用されても崩れないんだなぁ、力のあるオーソドキシーってやつは。
だから、目を見開いて、学ぶべきなんだと思うよ。
オーソドキシーこそめざすべきものだと思う。

ちょっとキャラクターの髪型は古臭いところもあるけど、ネイティブ・アメリカンを意識した衣装は今もなおカッコヨスぎます。
夜の街を駆け抜ける9人のウォリアーズと1 人の女。
地下鉄に乗り込むシーンからゾクゾク来るなぁ~!!!
どう?

エクリプス談義

昨日は東京は曇ってしまったので、「部分日蝕」すら見えないのじゃないかな?と思っていたところ、見えました☆

娘たちも、一度見てみたい、などと言っていたので、午前11時ちょっと過ぎ、少しあたりが暗くなり始めたのでベランダに出てみました。
曇り空を何気なく見上げたら、なんと太陽が三日月の形に変形してるんです。
娘たちも大喜びで写真撮ってましたが、美味く撮ることはできませんでした。
ほんとにあたりを妙な暗さが包むんですね。雰囲気はバッチリ。

しか~し、曇り空が幸いしたみたいですね。
「日蝕メガネ」は近所ではとっくに売り切れでしたから、実際肉眼で見ることなどできるはずがなかった。でも、曇り空だったから、肉眼で目を傷つけることなく見れたんですね。

You Tubeに我が家で見たのとまったく同じ「部分日蝕ー東京版」の映像がアップされてました。
アップされた方、ありがとうございます!!!

まさにこれこれ、これですよ!☆



それから、こっちが最近なにかと話題のNHKの「皆既日蝕ー硫黄島中継」。
さすがに、素晴らしい映像です!

2009年7月22日水曜日

マンハッタンの立ち話し

Woody Allen & his Wife
"Chapter one. "
"He adored New York City.
He idolised it all out of proportion. "
Uh, no. Make that "He romanticised it
all out of proportion. "
"To him,
no matter what the season was,
this was still a town
that existed in black and white
and pulsated to the great tunes
of George Gershwin. "

Uh... no. Let me start this over.
"Chapter one. "
"He was too romantic about Manhattan,
as he was about everything else. "
"He thrived on the hustle, bustle
of the crowds and the traffic. "
"To him, New York
meant beautiful women
and street-smart guys
who seemed to know all the angles. "
Ah, corny. Too corny
for a man of my taste.

Let me... try and make it more profound.
"Chapter one. He adored New York City. "
"To him, it was a metaphor
for the decay of contemporary culture. "
"The same lack of integrity to cause so
many people to take the easy way out...
... was rapidly turning the town
of his dreams..."

No, it's gonna be too preachy. I mean,
face it, I wanna sell some books here.
"Chapter one. He adored New York City,
although to him it was a metaphor
for the decay of contemporary culture. "
"How hard it was to exist in a society
desensitised by drugs, loud music,
television, crime, garbage..."

Too angry. I don't wanna be angry.
"Chapter one. "
"He was as tough and romantic
as the city he loved. "
"Behind his black-rimmed glasses was
the coiled sexual power of a jungle cat. "

I love this.

"New York was his town
and it always would be. "

                - Quoted from Woody Allen’s “ Manhattan”-1979

九十年代初頭、まだ911など夢にも思わなかった頃、僕はニューヨークでウッディ・アレンと遭遇した。
それは、まったくの偶然でしたが、素晴らしい出逢いでした。
その頃彼は、若いアジア系の養女にしたお嬢さんと正式に再婚するという複雑な状況にあって、通りを歩いていても、ユダヤ人嫌いや嫉妬に駆られた連中が誹謗中傷を投げかけていました。
まさに、彼とセントラルパーク・イーストの近代美術館そばで会ったときもそうでした。妻と手を繋いで背中を丸めて歩く初老のウッディに、通りに立つ人々、特に男たちが心ない罵声を聞こえよがしに浴びせていました。

だから、僕が彼の肩に触れ、話しかけたとき、ドキッとして身を固くしたのを覚えています。
少し怯えた感じで振り返ったウッディ・アレンに対し、メディアの人間ではなく、個人的にお話しできないか尋ねると“Sure!”と優しい返事が返ってきました。

それから、妻を紹介し、少しばかり立ち話しに付き合って頂いたのです。

当時、映画で嫌な思いをしていた僕は、演劇にもう一度どう取り組んでいいか迷っている時期でもありました。
そんなとき、たまたま出会ったドラマの先輩(といっても父と子ほどの年齢差はあるんですけど)にいろいろ訊いてみたいことは沢山ありました。でも、僕が訊いたのは次のようなことだった。
「これからもずっとニューヨークを描き続けるんですか?」
一瞬、目を見開いた彼は「当たり前じゃないか」とでも言うようにニッコリ微笑んだ。
やがて、僕は気づくんですが、ドラマって人間を描くものではありますが、同時にそれは時代と場所、特に「場所」を描くものなんだな。場所こそがドラマを生みだし存在させるんです。
ウッディ・アレンにとってのニューヨークは、僕にとっては岩手の一関であり、東京の西荻窪や吉祥寺や高円寺なんですね。
やがて気がつくこんなことやあんなことは、ニューヨークでの彼との立ち話しがきっかけになっているような気がします。不思議だね、ただの立ち話しだったのに。

数年前、ウッディは七十になり、インタビュアーに「若い頃とは違って随分いろいろなことがわかってきたんでしょうねぇ?」と訊かれ、「いや、な~んにもわからない」と答えたそうです。
七十になったからといって世界が違って見えるわけじゃない。
むしろ、七十になっても、結局変わらないものだけが重要なんだと思う。
彼がインタビューで言いたかったのはそんなことじゃないだろうか?

カリフォルニアや、場合によってはパリで映画を撮ることもある彼ですが、結局の所ニューヨークではじまりニューヨークこそ彼の描くべき場所なのでしょう。
その街に対する複雑な気持ちを「マンハッタン」という映画の冒頭で、作家が文章の出だしをレコーダーに吹き込んでいるという趣向で表現しています。バックに流れるガーシュインはニューヨークという街に対するフェティッシュな愛情の象徴なのでしょう。

この映画が公開されて十数年後、その作者と道端で楽しくお話しできたことはとても貴重な想い出です。
今のアメリカの変貌ぶりを彼は、現在どう思っているでしょう?

エピゴーネンについて

エイゼンシュタイン
Sergei Mikhailovich Eisenstein (Russian: Сергей Михайлович Эйзенштейн Sergej Mihajlovič Ejzenštejn; January 23, 1898 – February 11, 1948) was a revolutionary Soviet Russian film director and film theorist noted in particular for his silent films Strike, Battleship Potemkin and October, as well as historical epics Alexander Nevsky and Ivan the Terrible.

「~は亜流だ」という表現は、なにかを表現しようと思う者にとって、決して褒め言葉ではないだろう。
ですが、僕はこの「亜流ーエピゴーネン」という言葉を褒め言葉としてとらえてみたい。

かつて書いたように、僕らはいつの頃からか「新しさの病」に取り憑かれている。それはまるで熱病のように人の心の中にはびこるので、それを批判する者はあたかも単なるひねくれ者のような感じさえしてくる。
「新しさ」を無用に無反省に求める態度は、無思考状態の無意識の現れであると思います。
なぜなら、僕らにできることは、新しいことを生むことではなく、これまで気がつかなかったことに気づくことだからです。すべては、最初から存在し、目の前にあるにもかかわらず、僕らが常に見ようとしないから見えないだけなのです。それこそ、知覚における無意識の取捨選択と同じ事です。僕らはたえず無意識のうちに見るものと無視するものを選んでいるんですね。

その線で言えば、「新しい!」などと自画自賛することほど恥ずかしいことはありません。それは己の無知と、その己の無知に対して無自覚であることを露呈しているからです。
だからこそ、僕はこう言いたい。
この世界は「亜流ーエピゴーネン」で溢れている。
或いは、正しくエピゴーネンであろうとすることこそ、正しい創作態度である、と。

僕たちは正しく引用し、正しく先駆者たちにリスペクトを示さなければならない。
その先駆者と言えど、必ずその前に何らかの先駆者がいたのである。従って、このリスペクトする真摯な態度こそが、真の創作態度といえるのでないだろうか。
新しさを殊更標榜することは、恥知らずの傲慢さである。そこにはリスペクトする真摯で謙虚な態度が皆無だからだ。まずは先駆者たちに対するリスペクトからはじめたい。それこそが、学習と修練と呼ばれるものなのではないか。
僕はそう思う。

エピゴーネンの力強い例をひとつあげよう!
映画の、特に劇映画の文法の創始者といわれるセルゲイ・エイゼンシュタインの代表作「戦艦ポチョムキン」と、ブライアン・デ・パルマの「アンタッチャブル」のワンシーン。
有名な「階段落ち」と呼ばれるシーンですが、デ・パルマは当初もっと派手なシーンを予定していながら予算の関係上、この階段落ちを思いついたということになっています。
ですが、これは意図的な引用であり、パロディー以上に正しくエピゴーネンであろうとした監督の意図を感じます。
引用であることを知らなければ「不安」を覚え、引用を知っていれば更に「戦慄」を覚えるシーンになっています。

僕らは、みなひとつの「亜流(エピゴーネン)」である。

「戦艦ポチョムキン」1925


「アンタッチャブル」1987

2009年7月21日火曜日

空を飛んだ日

The Alan Parsons Project

もっとも初期に自分がどんな作品を書いていたのか、時折思い出すようにはしていたのですが、実はすっかり遠い過去の向こうへと消えてしまっていました。

昨夜、ちょっと思い出してみました。
25歳の時、初めて書いた芝居。それはフランスの小説「飛行する少年」という作品を下敷きに、三人の空を飛ぶ少年たちの物語でした。

主人公はサトルという名のロックシンガー。
彼には幼い頃二人の友達がいた。一人は、サトルに飛ぶのをやめることを教えてくれた。そして、もう一人はニューギニアの飛べない蝶を探しに岬から南の空へ飛び立っていった。
今、サトルはコンサートを控え、二人の友を失った岬へ来ている。恋人のエリコと一緒に。
サトルは自分の本当の姿を彼女に伝えたい。二人で生きていきたいのだ。
だが、彼には彼女に本当のことが言えない。それは、一旦空へ飛び立つと空の人間の姿が、地上の人間から見えなくなってしまうから。理由はわからない。でもそうなんだ。
やがて、決心したサトルは空へ浮上していく。
彼を見つめるエリコ。しかし、やがてサトルの姿を見失ってしまう。
岬の上空を旋回しながら、サトルはなすすべもない・・・・。姿を消すエリコ。
そして、コンサートの日がやってくる。

こんな物語だった、かなぁ?
なにしろ若かったので、分かりあえない苦しみだけが増幅していたような気がします。
自分の感情に溺れすぎのきらいはありましたが、それでも、なにか音楽とリンクした芝居が創りたくてしょうがなかったことは覚えています。

もし、今創るとすれば、ずいぶん違ったものになるとは思いますが、それでも、あの頃の熱い気持ちと今の経験や培った技術が一緒になれば、面白いものができるかもしれません。
その意味で、つくづく、人生で、できる限り続けるということは良いことだと僕は思うな。
継続はたぶん力であり、継続できることが人生の仕事なんだと思う。

昔々の拙い物語。
でも、僕はそこからはじまったんだ。
「サトル ー飛行する少年ー」というこの舞台のテーマ曲はアラン・パーソンズ・プロジェクトの「Eye in the sky」という曲でした。
今聴いても古びてないなぁ、と思うんですけど。

生活の柄


高田渡(たかだ わたる、1949年1月1日 - 2005年4月16日
1974年頃

「生活の柄」       

歌詞・山之口貘 作曲・高田渡

歩き疲れては、夜空と陸との隙間にもぐり込んで

草に埋もれては寝たのです。ところかまわず寝たのです

歩き、疲れては、草に埋もれて寝たのです

歩き疲れ、寝たのですが眠れないのです
近頃は眠れない。陸を敷いては眠れない

夜空の下では眠れない

揺り起こされては眠れない

歩き、疲れては、草に埋もれて寝たのです

歩き疲れ、寝たのですが、眠れないのです。
そんな僕の生活の柄が夏向きなのでしょうか

寝たかと思うと寝たかと思うと

またも冷気にからかわれて、

秋は秋からは、

浮浪者のままでは眠れない。

秋は秋からは、

浮浪者のままでは眠れない。


高田渡さんの「武蔵野タンポポ団」のコンサートに行ったのは中学二年の秋でした。
吉祥寺を思うとき、高田さんを忘れるわけにはいきません。

「生活の柄」は明治から昭和にかけて生きた現代詩人・山之口貘の詩に高田さんが曲を付けたものでした。他にも金子光晴なんかの詩に曲を付けています。まさに吉祥寺そのものだと思うんです、その不思議なほど音楽家でありながら同時に文学に入り込んでいく様子が。
父親が元共産党員だったというのもあるのでしょう、高田さんの歌は時に非常に政治的なものがありました。しかし、それがわざとらしいプロパガンダにならない、どこか笑っちゃう大らかさがありました。

そして、焼き鳥の「いせや」。
今では改装もすっかり終わり新しく生まれ変わった吉祥寺の名物焼鳥屋ですが、この店こそ高田渡という伝説のフォークシンガーを発見できる場所でもありました。

僕が中学の時に観た時には、高田さんは髪が黒々として、無精髭も黒く濃い彫りの深い人でした。
だから、遠くからでも顔がはっきりわかった。


「生活の柄」を聴くと、ホイットマンの「草の葉」を読んだときのような感覚を覚えます。
幼い頃、言葉(歌詞)とカントリー調のメロディーで、のんびりした気楽な感じに聞こえていたこの歌の核には、今まさにこの世界を覆い尽くしている「拝金主義的」価値観に対する「否」No!が示されています。

金融資本主義が蔓延し、格差の固定化と、非人間的な「卑怯者」の時代にあって、高田渡という人は、長く生き続けることはできなかったのかもしれません。56歳という若さで逝った彼は、相変わらず「生活の柄」を歌い、深く絶望しつつ、希望も捨てることはなかったのでしょう。
というのも、亡くなる直前に、彼は洗礼を受け、パウロという名を頂き、それまでの生きるスタンスとはまた違った生き方へ転換しようとしていた矢先の死だったのです。宗教にすがったというより、宗教をも自己の人生に受け入れようとした新たな展開だったのかもしれません。

いずれにせよ「生活の柄」。
この歌は、特に高田渡という特異な歌手の人生を通じて歌われ、今もなお、そしてこれから未来に渡っても、確実に歌い継がれていくであろう曲です。

この辺で、自分自身の「生活の柄」を、今一度見直してみてもいい時期じゃないかな。

本当に、吉祥寺は「詩」と「音楽」の街だな。


2009年7月20日月曜日

Round Midnight


Dexter Gordon
(February 27, 1923April 25, 1990) was an American jazz tenor saxophonist and actor. He is considered one of the first bebop tenor players.



昔、ジャズを扱った傑作で「Round Midnight」という映画がありました。1986年に公開されたアメリカとフランスの合作映画。
主演は実際のサックス奏者デクスター・ゴードンでした。


198センチという大きな身体で、飄々と年老いたジャズマンを演じていました。
物語は、パリで演奏活動する往年のサックスプレーヤーのデイル・ターナーとその演奏に惚れ込み必死にサポートするフランシスという青年の心の交流を描いたものでした。

同じ八十年代のジャズ映画にチャーリー・パーカーの生涯を描いた「バード」があります。主演のフォレスト・ウィテカーの好演もあり、監督のクリント・イーストウッドのジャズへの傾倒からしか生まれ得ないような夭逝した天才の苦悩を抉り出すように描いておりました。

ですが、僕はJAZZ映画をひとつ挙げろと言われれば、なんの躊躇もなく「Round Midnight」を挙げると思います。
この映画は特別です。
何が特別なものにしているかというと、架空のミュージシャンを実在の40年代から活躍する本物のミュージシャンに演じさせているという点です。
なんという贅沢☆
本人自体が、伝説の人なのに、酒に溺れぎりぎりの演奏を聴かせる稀有な才能を伝説として演じる。これはまさにフィクションのふりをしたノンフィクションではないか、と思うのです。

人はこんなにもひとつのものを愛せるんだ、ということが音楽と共に確信のように押し寄せる。

決して無関心ではいられない熱いなにかが画面から伝わってくる。

ドラマは音楽で、音楽がドラマであることが切実に理解できる。

音楽と共にあることをこんなにも祝福する映画作品もまた稀有である、と僕には思えるのです。

愛というのは男女だけではないし、人類だけですらないよな。

愛ってのは、空気のように、目に見えないが僕らを祝福するものかもしれない。そして、同時にその人生を呪うものかもしれない。でも、だからこそ、「愛」を感じたいと思う。

宗教人たちは、かつて、それを「神の声」と呼んだのかもしれない。


演奏している風景も、しわがれ声で語り合う風景も、ふらふらと巨体をゆすりながら歩く姿も、すべてデクスター・ゴードンという音楽に生涯を捧げた本当のミュージシャンの姿が、そこにあるのです。
その意味では、どのシーンも、何度味わっても飽きることのない深い味わいに満ちた映画だと言えると思います。
ジャズを扱ったり、ジャズが効果的な映画は数多くあれど、この映画はジャズそのものを正面から描いた傑作だと思います。

この映画でアカデミー賞までノミネートされたデクスター・ゴードンですが、四年後に亡くなりました。これも僕の愛する映画のひとつです。

Round Midnight Trailer


As Time Goes by - Round Midnight

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