2010年12月31日金曜日
もうすぐ☆
大晦日が元旦になろうが昨日や今日と変わるはずがない。でも、区切りというのはいいものです。
昨年以来、コンパクトでシンプルな暮らし、というのが我が家のテーマでありました。
質素でしっかりとした日々の営みこそ何よりも大事。
その中から創作すべき問題意識や美意識や倫理観が生まれ、狂ったように一生懸命になれる。
夢中になるために、日常の秩序をしっかり保つ必要があるのです。
僕がロックすると言うとき、それはラップするでも、ポップするでもいいのですが、要は夢中になって生きることを言ってるわけです。
そのための下地が、コンパクトでシンプルな暮らし方ということなんです。
あの清志郎が「ストーンズのまねですか?」という嫌みな質問を受けたとき、「そうだよ。知らなかったの?」と答えたロック魂は、彼が人生の最後に愛したのが「自転車」だったという所に集約されているような気がします。
1978年、僕は渋谷の道玄坂でジョン・レノンとすれちがった。そのとき彼もまた自転車に乗っていたのは象徴的です。
つまりこの二人のロック者は、人生の最後に偶然のようにコンパクトでシンプルな日常を生きていたのです。
特に羽目を外した外道の人生ではなかった。ごく普通の日常を生きようとしていた。
それって、やっぱり基本なんじゃないだろうか。
また一年が終わり、あらたな一年が始まろうとしています。
やっぱり大事だよ。気持ちをあらたにすることは。毎日新た。でも更に一層新た。これが大事。
来年はまた素晴らしい一年になるでしょう!
みなさんにとっても素晴らしい一年でありますように!
舞台で会いましょうね☆
2010年12月24日金曜日
ルドルフは今夜も走ってるぜ☆
今夜はクリスマスイブ!
とはいえ、例年通りひっそり楽しく家族で過ごします。
仕込んでいたピザ生地もいい感じ☆
焼き上がったらやっぱり例年通りご近所にピザを配りましょう!
でもね、意外にヘビメタ系クリスマスソングが我が家で大受けです。
Motörheadのレミーに素敵な曲を歌ってもらいます。
これが男のクリスマスソングさ!!
みなさんも素晴らしい明日をお迎え下さいね☆
2010年12月22日水曜日
山頭火のうしろ姿
種田山頭火 (1882年-1940年 松山市「一草庵」にて没) |
そこで思い出すのが種田山頭火です。
山頭火は「うしろ姿」の人だと思う。
『山頭火句集』は僕の愛読する書のひとつだが、何度詠んでも飽きないし、いつ開いても新鮮な発見がある。
だらしない人だったのだと思う。
でも、そのだらしなさを人一倍知り抜いていたのも本人だったに違いない。
「いただいて足りて一人の箸をおく」
やっとありついた飯を大切に頂いて感謝する。それが、この人の生きる姿勢だったのだと思う。
飯はうまかったですか?
僕はそう彼に訊きたくなる。
味噌汁はうまかったですか?
きっと彼の涙の味がしただろう。
「こんなにうまい水があふれてゐる」
そして旅の途上で出会う水。
何も持たぬことの幸福がここにある。水に感激できる幸せがここにある。
冷笑することのない幸福がここにあるのだと思う。
「今日の道のたんぽぽ咲いた」
家族を捨てた男には、帰る場所はなかった。
路傍の小さな花さえも、彼の家族だったのだ。旅の道のすぐ脇に生と死があった。
「うしろすがたのしぐれてゆくか」
しぐれには雨に濡れること、そして涙することの意がある。人は全ての感情を他人に見せるはずがない。
本物の感情は最も個人的で、ひっそりと陰に隠れ、目には見えないのである。
だから、うしろ姿なのだなぁと僕は思う。
人のうしろ姿を見なければ、その人の本質は掴めない。
欧米流のeye contactという真っ正面からの対峙の仕方は、時に偽りを産み出す方法かもしれない。
僕ら日本人はうしろ姿を見る。
うしろ姿は、嘘をつけないから。
2010年12月20日月曜日
ギネス記録保持者のめずらしい話
しかしながら、アメリカのロイ・サリバンさんという人には生涯で7回雷が落ちたんだってさ。
バージニア州のシェナンドウ国立公園のパーク・レインジャーをしている時(1942年)を皮切りにそれは起こったそうです。
下の動画では彼の体験が時系列で紹介されています。
大変な経験ではありますが、なぜか笑ってしまうんですが・・・不謹慎ですか?
ではでは、その様子をご覧下さい。
世界でただ一人、雷に7回打たれた男。
They say lightning never strikes twice, but it stuck Roy Sullivan a whopping seven times.
Roy was a U.S. park ranger in Shenandoah National Park in Virginia and holds the Guinness World Record for the times lightning has struck one human being. Here’s a timeline of Roy’s strikes.
2010年12月19日日曜日
くつやのマルチン
からし種シアター『くつやのマルチン』 |
からし種シアターの『くつやのマルチン』です。
トルストイの高名な物語です。年老いた靴屋のマルチンはもうだいぶ前に愛する妻と二人の子供達を亡くした男でした。
ある晩、彼の前にイエスが現れるという声が聞こえたので、楽しみにしていた彼は翌日、窓から見る人々に声をかけていきます。
人はそれぞれ何か抱えて生きていますが、マルチンは優しく一人一人に接していきます。
なのに、イエスは現れなかった。
イエスはどこにいたのだろうか?
出会った一人一人がイエスそのものだった、というお話。
僕はこのわずか一時間の小さな小さな劇の所々で涙を抑えることができませんでした。
それは、まずマルチンという存在が、実在したドイツの靴屋にして予言者であった「ヤコブ・べーメ」を彷彿とさせるところ。
教育がなく、ひたすら靴職人として地道に生きていたヤコブ・ベーメがある日突然神の啓示を受けたという実話は、この主人公マルチンに確実に投影され、美しくも力強く生まれ変わっていたと思います。
そして、マルチンが死んだ息子を思い出すとき、幼かった息子がクリスマス・プレゼントを見て目を真ん丸にして喜んだというその出来事をごく自然に語るマルチンの姿に、僕は山田洋次さんの「息子」という映画のエンディングを思い出していました。東京から戻った三國連太郎さん演ずる年老いた父親が誰もいない暗い家の玄関を開けたとき、何十年も前の家族の姿を見たあの場面です。
息子達は大きな声で笑い、亡き妻は笑顔で熱々のご飯をよそっている、そんな風景をたった一人になった老人は幻想のように見るのです。最も心を熱くする素晴らしい場面でしたが、靴屋のマルチンを演じる中村元則さんの語る一言はそれに勝るとも劣らぬ胸に迫る追憶の場面でした。
人はパンのみに生きるのではないと誰もが言いますが、現在は稼ぐ人間が正しいのであって、稼がないもしくは稼げない人間は「駄目」なのだと厚顔無恥にも言い切ってしまう世の中です。何とも残念な世の中になったものです。稼ぎのいい商人ばかりでは世界は豊かであるはずがない。商人以外は全て消費者しかいなくなってしまうではないですか。
トルストイの残したこの物語は単に一人の敬虔なキリスト者を描いたのではなく、いつの世にもつい軽んじられ失われゆく「分け合う」というとても小さな、しかしながら決定的に生きることと結びついた人間の「存在の条件」の重要性を伝えているのだと思います。
政治でも経済でも、日常のあらゆる場面で「分け合う」ということが現代ほど失われてしまった時代はなかったのではないですか。
いつから僕らはこんなに意地が汚くなったのだろう。
僕がこの小さな芝居から感じたのは、人間の本当の「品格」についてでした。
国家でも政治でも経済でもない、人間の品格が壊れてきているのではないですか。
ひとりの靴屋のマルチンになりたいものです。マルチンという人物の持つ素朴さこそが人間の真の品格そのもののような気がします。
このひねくれた時代にこんな作品が上演されることの意味を僕は感じます。
からし種シアターのみなさん、お疲れ様でした☆
音楽も観客とのコミュニケーションもすべてがとてもいい舞台でしたよ!
賛美歌320番 <加賀屋玲 主よみもとに近づかん>
2010年12月15日水曜日
ビニールパックされた本
目的の本を探しに奥へ行こうとしたとき、平台の上に山積みになった本日発売の新刊本を見て驚いた。
ビニールパックされていたからだ。その新刊本のみビニールパック。
ライトノベルなどでは結構あるらしいが、はじめて見たぜ、一般書のビニールコーティング。
とうとうここまで来たのか。立ち読み禁止なの?漫画がビニールパックされているのは知ってたが、新刊書もそうなんだね。
試しに読むにも、まずは絶対買わないといけないんだね。
これじゃ選べないでしょう。
まぁ、とにかくそういう本を私は見た。
なんかいやな感じですね。ニューヨークだってロンドンだって香港だって、どこでだって本は眺めて選ぶものです。
知らない本だって眺めて見て購入する気になるかもしれない。
まぁ、こんな本僕は買わないけどね。
ビニールパック!
2010年12月14日火曜日
ありがとう☆ロック
Motörhead |
本日は、恥ずかしながら僕の誕生日でして、お祝いメールを数々頂き、送って頂いた皆様に感謝です☆
ますます熱く生きていく所存であります。
そんな私ですが、オヤジはオヤジらしくオヤジの本領発揮したロックってものを伝えたい。
本来は演劇を通じてロック魂って奴を伝導するのが筋って奴ですが、今夜はまずは動画で勘弁を。
世の中様々なオヤジなロックはありますが、やっぱり「Motörhead」は確実にオヤジロックです。
しっかし、いつ聴いても激しいぜ☆
僕のiPodのヘビーローテーションのひとつがMotörheadっす。
確かに、還暦をとっくに超えたストーンズもいますが、ここはひとつ、Motörheadでどすか?
リードボーカル、Lemmy Kilmisterも還暦を通り越したオヤジですが、このダミ声には言い知れぬ魅力があります。
謂わば、ヘビーメタルの浪花節、メタル界の広沢虎造ってとこでしょうか?
メリケンな感じがしますが英国人です。
クリスマスイブに生まれた彼には「Run Rudolf Run」というチャック・ベリーの曲のカバーがありますが、それも見事です。
それは12月24日に紹介しましょうね。
まずは今夜はMy Birthdayということで、Motörhead - Overkill (live) Full HD を聴きましょう!
ありがとう☆これがロックだ!!!この音、たった三人で出してんだぜ!!
まだまだ俺なんかヒヨッコだな〜〜〜〜☆うれしくなるぜぇ!!
2010年12月13日月曜日
メタリカが聴きたくなった☆
書斎の窓の外は雨に煙っています。
こんな時は........ロックだな☆
めちゃめちゃハードな奴が聴きたくなる。
メタリカのマスター・オブ・パペットという曲は、もう随分前の曲になりますが、未だに色褪せない。
それは、この曲がアメリカという国の在り方を絶望的なほどはっきりと歌ってしまったからだと思われます。
歴代のアメリカ大統領は本当の権力者だっただろうか?
いや、そんなことはない。これまで一人として真に独裁的な権力者、もしくは真の決定権を持った大統領は存在しなかった。
民主主義国家なのだから当然だ、と思うとしたら、それは大きな間違いだろう。
世界に真の民主義国家はこれまでひとつも誕生してはいないのだ。
まさにその中心にいるアメリカ合衆国大統領は密かに「Puppet」(操り人形)と呼ばれている。
では日本は、と言えば推して知るべしである。
アメリカのアナグラム的な名前を持つヘビーメタルバンド「メタリカ」は「操り人形の主人」という歌を歌うわけだが、その主人とはいったい誰なのだろう?
ロックをなめんなよ☆
未だにただの騒音と見なしている向きがありますが、勘違いも甚だしい。
確かに、大衆を政治や経済に関心を持たせないようにする「3S政策」、Screen(スクリーン)、Sport(スポーツ)、Sex(セックス)で人々を撹乱し欺こうとする政策の一環がロックだったのかもしれない。
しかし、それでも覚醒しようとする連中は必ず存在する。
それは、実際あらゆるジャンルに存在するはずなのだ。
横や斜めにもっと手を結ぶ必要があるんだよ。それには目と耳を澄ますんだ☆
メタリカを聴け!
操り人形の主人に向かって、俺たちは吠えなくてはならぬ。
Metallica - Master Of Puppets
2010年12月12日日曜日
星めぐりの歌
おおぐま座:星座写真ギャラリー |
岩手大学で教鞭をとる友人の佐藤竜一君の主宰する「宮沢賢治・通信」に一文寄せることになりました。
『星めぐりの歌』
作詞作曲・宮沢賢治
あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あをいめだめの 小いぬ
ひかりのへびの とぐろ
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち
大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて
イーハトーブがエスペラント語で「岩手」を意味すると知ったのは、岩手を離れ東京に出てきてからでした。
賢治の精神を辿ることもなく僕の青春は過ぎ去っていきました。
しかし、心ある友人のお陰で、僕はいつも生き直すことができている。今日も小さな原稿を書きながら、もう一度僕の原点に立ち返っていたような気がします。その意味で、友人達や家族や周りの人々に感謝、ひたすら感謝です。
賢治という人は、いろいろな苦労もしたけれど、感謝した人でしたね。
昔、物理学者のアインシュタインは「人は地上に立ち寄った旅人」だと言いました。すなわち、人生とはほんのわずかこの地上に立ち寄った期間に過ぎないということ。だからこそ、人生は愛しいものだと言いたかったに違いありません。そこにも、この地上に存在し得たことに対する感謝がありました。
まず、ありがとう!から始めれば、僕らの人生は突如輝き出すんじゃないかな。
人生の意外なほどの短さに気がつけば、今日一日はかけがえのない時間でした。そして、明日もあるとすれば、それは人生のたった一日。
この地上にあることを喜び感謝したいものです。
星めぐりの歌は、はかない人生と宇宙の永遠をひとつの歌の中に解け合わせた名作だと僕は思うな。
『星めぐりの歌』宮沢賢治
夜の駅
これから帰宅したら、更に原稿書き!まだまだ燃えるぜ!!
演劇の神様は確実にいるよな。います。
がっちりタッグ組んで行くぜよ!
まずは帰り着かねば!
これじゃツイッターだね。
ごめん。
☆上野火山☆
早朝の駅
無性に写真が撮りたくなって一枚。
朝の空気感てなんかいいんだよな。
六本木にも西麻布にも行きませんが、楽しく過ごす今日この頃、テレビや新聞の話題は遠く感じます☆
僕らのリアリティはそんなところにはありません。
このかけがえのない穏やかな日常が蹂躙され嘲笑われ、世界平和の名の下に崩されつつあるのです。
カナダではホロコーストの研究者が人種差別主義者の烙印を押され終身刑になりました。
静かにこの世界は以前とは別のものに変質しつつあるのです。静かに狂い初めている。思考し想像することをやめ、目先の快楽と利益ばかりが気になっている。人は単なる消費者であることを義務づけられている。
人気のない駅のホームに立って、見た目とは違う世界に思いをはせました。
ここから世界が。
☆上野火山☆
2010年12月11日土曜日
土曜の夜と日曜の朝
泊まりに行くと、土曜の夜は「宇宙家族ロビンソン」なんかをテレビで観ながらワイワイやってたな。
とにかく土曜の夜は、大した意味もなく楽しい晩だったような気がします。
子供の頃はテレビっ子だったので、思い出すのは「プロスパイ」あるいは「スパイのライセンス」のアレックス・マンディー。「謎の円盤UFO」もあったな。それからドリフ。テレビばっかりだけど、特に海外ドラマが印象に残ってますね。
土曜は日曜日の前の最高に盛り上がった晩だった。
日曜はゆっくりと目覚め、午前中に友達と遊んで、午後はなんかゴロゴロしていたような気がします。
日曜の午後は、もう休みが終わる感じがして少し寂しかったんだろうな。
日曜の夜は、いつ頃かによるけれど、やっぱり海外ドラマだったんです。「FBI」のエフレイム・ジンバレストJr.、そして「サンセット77」…。
いつ頃からか、土曜と日曜の差もあまり感じなくなりました。
僕がいい大人になったからかもしれませんが、それだけでもないかもしれない。たかが海外ドラマでも心の中に深く刻みつけられるような僕の精神の歴史になったのは確か。いずれそんな海外連続ドラマに関しても何か書きましょうね。本当にわくわくしていた二日間だったな。
もちろんテレビばかりではなく、病気の弟は小学校時代はずっと家族から離れて療養所にいたけれど、それでも自転車でみんなで療養所に行ったり、家族がいつも一緒だったような気がするな。夏も冬もね。ばらばらのようで一緒だったよ。
土曜の夜と日曜の朝は、きっと家族の時間だったんだと思う。
そんな家族の時間を、今の僕は過ごしているだろうか。
忘れられない日々を過ごすことができたら、それこそ人生の奇跡だよね。
P.S.
明日12月12日(日曜)
13:35~14:45
NHKアーカイブス『長岡輝子さん』
文化学院の教員時代大変お世話になりました長岡輝子先生。今年、亡くなられましたが、頂いた言葉は忘れることはできません。
その長岡先生の番組が明日放送されます。もしお時間がありましたら、是非ご覧下さい。
知らせてくれた愛ちゃん!ありがとね☆
2010年12月10日金曜日
雲ひとつない空
ここのところ、ちょこちょこブログの背景が変わったりしてすみません。少しでも読みやすくかついい感じにならんもんかなと、いろいろ試行錯誤しておりました。ちょっと見やすくなったかな。
少しずつ改良していきましょう。
先ほどまでいろいろいじりまわして工事しておりましたので、びっくりした人、ほんとにごめんなさい。
もう落ち着きましたので、大丈夫です☆
2010年12月9日木曜日
昨日という日
真珠湾攻撃という愚はどこからもたらされたのかは、現代に生きる僕らが真剣に考えなくてはならない重要なことです。
なぜなら、あの日の攻撃以来、日本という国は「Axis of evil (悪の枢軸)」の一派とされ、永遠に許されることのない立場に置かれました。
まさかと思う人もいないでしょうが、日本は危険な国という烙印を押されたからこそ、国際連合のミソッカスであり続けることをよぎなくされている。
海軍のトップであった山本五十六はアメリカと太いパイプを持っていましたが、米国との開戦を止めた様子はどこにもないのです。
疑り深い僕は彼はルーズベルトの意志もアメリカの意志も知っているからこそ、開戦へと向かったのでないかなと思ってしまいます。
いずれにせよ、真珠湾攻撃というのはこれまで常識的に語られてきたものとは、実態は異なるようです。
公文書を地道に読み解くことで得たことをまとめたロバート・スティネット氏の「真珠湾の真実」はいわゆるトンデモ本などではなく、とても重要な戦争資料だと思います。この本をきっかけに様々な読むべき書物が見つかると思いますよ。
この日本という国が戦争を始めたというよりは、戦争に引き込まれた日、それが12月8日なのかもしれません。
それから四十年近く経って、ジョン・レノンが同じ日に射殺されました。
彼の死も不可解です。
射殺犯マーク・チャップマンの催眠犯行説などが浮上し、未だにはっきりした動機も分からないのです。ただひとつはっきりしていることは、ジョンが反戦的であったこと、もしくは厭世的であったことがきっかけではないかともいわれています。
少なくとも、彼の死後、2001年以降「イマジン」という曲はアメリカでは放送禁止になったことは以前にもこのブログで書きました。そして現在も放送禁止は解かれていないようです。
12月8日、不思議な日です。
不可解な出来事が起きている日。
僕は常識的に流布している説明をそのまま鵜呑みにするつもりはありません。
なにしろ僕はドラマティストの端くれです。斜めに斜めに見てるんだぞ。だまされねぇーんだぞ☆
そんな斜めな僕が心から好きな曲。
それが「Stand By Me」です。
特に、ジョンのヴァージョンが一番いいんだな。
これを聴きながら、冥福を祈るよ。
Stand By Me / John Lennon
Tips☆
まあ、だいぶ前からここなのでこのままってことなのですが、実は訳があるんです。
それは、僕の使っているブログを記述するソフトウェアの特性によるんですね。
僕の環境はMacなのですが、Macには昔からある定番ソフトに「MacJournal」というのがあります。
これはノートブックソフトではあるんですが、原稿を書いたらそのままダイレクトにBloggerサイトにブログをアップできるんです。
大勢の方が使っていらっしゃると思いますので、当たり前といえば当たり前なんですが、僕の欠かせない機能なんですよ。
もし同様の環境で未使用の方がいれば、是非ともチェック!!
昔は、ブログ用の専用ソフトなんかいろいろあったのですが、今も残っていて実用的なのはこのMacJournalくらいではないでしょうか?
スムーズに記事をアップさせながら、同時に手元に元の原稿が残り、更にいいのは、アップした原稿を再ダウンロードしバックアップできる所なんです。ブログサイトであるBlogger上で編集し直したとしても、同タイトルの別原稿としてダウンロードし更新記事をバックアップできるんだな。これは素晴らしい環境で、オフラインで書いたものをストレスなくボタンひとつでアップできる。ホントにボタン一個なんだ。
もし、Macを使っていて、Bloggerにブログを設置しようとする人がいるとすれば、僕は是非とも「MacJournal」をお勧めしたいと思います。BlogWriterとして最高のソフトウェアですよ。
それから、BloggerはGoogleに吸収されたので、Googleともシームレスな環境になってるんですね。
前々から、個人のブログも何故アメブロでやらないのか訊かれていたので、今日はちょっとお答えしたいと思いました。
アメブロも便利なんですが、Bloggerを使うのは実はこういう理由でした。
使いようによっては、地味ですけど、このBloggerの環境もいいものです。
興味のある人にはお勧めです。
MacJournalのホームページはここ☆
2010年12月8日水曜日
いかがわしさについて
様々な報道が飛び交い、これまでさんざん持ち上げてきた人間に対し、手のひらを返したような中傷のオンパレード。
あまりにあからさまなので呆れてテレビをつける気にもなりません。
ふと朝青龍の事件を思い出します。同じことの繰り返し。
でも、本当に気になるのはそんなことではありません。
このような実際大して社会的意味合いのない酔っぱらいの喧嘩ごとき事件の報道により、報道されない他の重要案件はないのだろうか?という疑問が湧いてきます。
例えば、小さい報道に過ぎませんが、ウィキリークスの創設者アサンジ氏が英国で逮捕され、無実を主張していることなどテレビではほとんど言及されることはありません。仮にあってもほんのわずかでしょう。
ウィキリークスという組織自体も実際のところ正体不明、出資者も誰か分からず、実に謎の多い組織です。国家安全保障上の危機を高めるという名の下に、創設者の暗殺指令まで出ているというのは、まんざら冗談でもないと思われます。
ですが、本当のウィキリークスのいかがわしさは、機密情報の漏洩自体にあるのではなくその目的だと思います。国家体制というものの徹底的な破壊が目的だとすれば、彼らの動きはOne Worldを標榜し「新世界秩序」を推進する連中のまさにうってつけの武器のひとつであり、手先そのものの可能性もあるのです。少なくとも、今現在のウィキリークスの動きに対して、僕は肯定的ではありますが、その組織の本質はまだ不明のままだということは、忘れてはならないと思います。
そんな中で、日本のマスコミはまったく上に書いたようなことすら報道しなくなり、現政権の批判と芸能界のスキャンダルの追っかけだけに終始しているというのは、まさに「いかがわしさ」そのものではないですか。
なぜ都内だけでも人身事故が一日に何度も起こっているのか?なぜタイトルを変えながら「人権擁護法案」が何度も浮上してくるのか?なぜ韓国でも否決された「外国人参政権」がこの国では決まりかけているのか?本当に子供達の教育をこの国は戦後六十数年の間考えたことがあったのか?戦後史に関して僕らはどれほどのことを学校で教わったのか?なぜ若者達の能力を高める環境も奪いながら仕事も奪うのか?なぜモノを産み出すことのない金融が一人勝ちなのか?なぜ公立学校の教師達がアイデアを出して何かをやろうとすると教育委員会や地方自治体が出てきてことごとく潰すのか?いつからNHKは公共放送なのに特定の商品の宣伝をニュース番組で流すようになったのか?なぜキー局は番組を自ら製作することなく中小の製作会社に任せながら、制作費はピンハネするのか、この国に蔓延する差別の実態とは本当は何なのか?あれほど騒いだ年金の話はいったいどこに行ったんだ?etc...........。
マスメディアは何も報道してはおりません。
その姿こそ「いかがわしさ」そのものです。
人間という存在そのものが、そもそもいかがわしいものかもしれません。絶対的真実などという固定化されたドグマはそれ自体権力ですから、人間のいかがわしさとは本来ドグマになり得ないという柔軟性の謂いなのだと僕は思います。いかがわしさには、いかがわしさでもって対抗する。それこそ個人が「否」を突きつける重要な姿勢でしょう。
ありとあらゆるモノのいかがわしさの中で、抜き差しならぬ状況に陥って、人はひょっとしたら初めて素直に正直に自己を吐露することができるのかもしれませんね。報道が腐りきってしまった今、芸術の本質が試されているのではないでしょうか。つまり、本物の想像力が試されているのだと思います。
2010年12月6日月曜日
グルーミーキャッツ☆
グルーミーキャッツ/LIVE |
以前当ブログでもご紹介したロックバンド「グルーミーキャッツ」が昨夜TBS放送に出演しましたよ。
これからGoldEggを目指して出演していくはずです!
がんばれよ☆勝ち抜くんだッ!
若い彼らの音楽は、しっかりとした先人の音楽に対するリスペクトから生まれています。
徒にオリジナルを標榜し蛸壺に入り込むのではなく、外に開かれていく音楽がそこにあるんだな。
一部の特定のファンだけにメッセージを送る狭さや、売れりゃいいという空虚さもない。
あるのは音楽が好き!という一点から始まっている初心を持ち続けているという事実だよ。
だからこそ、実はとてもオリジナリティー溢れるバンドになってると思うな。
アクの強さではなく、彼らの持ち味は「爽やかさ」。ちょっとないよ、この感じの良さは。
あのね、ロックってね、ぜんぶ感じワリぃーと思ってる人いたら、それ間違ってますから。
感じワリぃーくてすっごいバンドもあればさ、感じいいバンドもあるわけです。
グルーミーキャッツはめちゃ感じいいんだよ。
僕は音楽が好きだし、ロックが好き、音楽なしでは生きられない男です。
はっきり言うけど、いいよ、このバンド☆
また年を越えたあたりで時間を見つけてライブに行こうと思います。必ず行くからね!待っててな!!
彼らのサイト紹介するね。
Gloomy Cats:My Space
ここでは彼らの曲も一部聴けるんだよ☆
2010年12月3日金曜日
Secret Society Speech ☆
重要だと僕は思うよ。
まずは観て欲しい。
※全文はコチラ!
President John F Kennedy Secret Society Speech version 2
大雨のあとに
逆光の光もいいもんでしょ!!
ビルの谷間の向こう側
青い空が広がって
白い雲がぽっかりと
浮かんで流れて 消えていく
この一瞬は この一瞬だけ
二度と戻らない 僕たちの生きた時間
忘れないよって思いながら 味わいたいもんですなぁ。。。
大雨の後に
空は
光で溢れていた。
2010年12月2日木曜日
人生はメリーゴーランド
回りながら徐々に年を経ていく。
どこに行き着くか見当もつかないけれど、回り続けていることだけは確かだ。
回りながら僕たちは夢を見る。
未来をふとのぞき見て、過去を振り返る。
それでも、メリーゴーランドは回り続けるんだ。
周囲の音が消える瞬間がある。
自分が乗っている馬のことも忘れ、何もかもがどうでも良くなってしまう瞬間。
だが、それも束の間、すぐにまたあの喧噪がやってくる。
外で手を振る人たちに、手を振って返していた時期もあれば、やがて照れくさくてやめてしまうかもしれない。
そして、しばらくすると、誰でもいいから手を振りたくなってくる。
誰とはなしに手を振ると、一人、手を振り返してくれる人がいる。
何度か回っているうちに、その人と目が合うことに気がつく。
そうして、僕たちは大勢の中から、たった一人と出会うんじゃないかな。
そんな出会いもやがて手を挙げるのが辛くなり、少しづつ減ってくるだろう。
なのに、目に入る一人一人が愛おしくなってくる。
もうすぐ、このメリーゴーランドは回ることをやめるが、徐々に速度を落とす馬の背から、この世界の目に見える全てのものが愛おしくてたまらなくなってくる。
静かにメリーゴーランドが止まるとき、僕らは見たもの聞いたものを胸に、馬から下りることを決意する。
人生はメリーゴーランド。
どんな乗り方をしても、僕たちのメリーゴーランドは一回限りなんだよ。
僕はそんなメリーゴーランドを見つめていきたい。
2010年12月1日水曜日
謳わず 踊らず
昭和残侠伝 1965 |
高倉健さんが池部さんを「謳えない踊れないではなく、謳わない踊らない意志」を感じたと表したそうです。
俳優はともすれば、謳いたくなるものです。美しい台詞に酔うものです。
これは演出家や脚本家も同じ。
謳って欲しい、踊って欲しいと望むのは容易いが、表面の満足で終わるかもしれないという危険を絶えず感じていたいものです。
池部さんは決して器用な俳優ではなかったのでしょう。
しかし、言葉やたたずまいを「無為自然」にしようとする意志があったのだと思います。
それは、彼自身が自身のエッセーにも書いたとおり、帝国陸軍の青年将校として必死に戦争を戦ったというリアリティーがそうさせたのではないでしょうか。
「無為自然」とは「本気」という意味ではないかと思われます。
俳優池部良という人物から、端正な二枚目というイメージより、世界を俺はこう見るという意志の方を強く感じてしまうのも、彼自身の中の無意識の無為自然の存在故ではないかと思います。
たとえ演劇作品がミュージカルであれ、俳優の内的な部分では「謳わない、踊らない」は大切な姿勢だと僕は思う。
それはナルシスティックに己に酔うことを禁ずるからです。
人生は、ボードレールがかつて書いたように酔い続けなければならない。けれども、同時に自己陶酔を禁ずる厳しさも必要のだと思うのです。
僕の好きな映画「昭和残侠伝」は男の美学などと呼ばれていますが、実は「無為自然の美学」だったのではないでしょうか。
池部さんも高倉さんも、その木訥とした台詞回しは、決して謳うことはありません。こみ上げてくるものを全身から吐き出しているんだな。
だから名作なんです。
謳わず 踊らず、それは「無為自然」のもう一つの謂いでしょう。
『昭和残侠伝』予告編
無為自然
創作するとは、現実を再構成し場合によっては歪め捻り継ぎ接ぎすることかもしれない。
でも、それは現実をこれまでなかった別の視点で見るための冒険であり苦闘なのだと思う。
今話題の水木しげるさんの仕事部屋には「無為自然」という言葉が貼られているそうだ。
何かを取り立てて為すわけではなく、そこにあるがままに生きよ、というのがその言葉の意味だろうけれど、この言葉を身近に置かなければならないほど、創作とはあるがままではすまない行為もしくは営為なのだとおもう。
手を加え、直し、弄り倒すが故の「無為自然」なのだ。
道教の老子は「無為自然」といいながら、数多くの作為的な言葉を残している。
創作は作為の果ての無為自然なのだろうな。
あるいは、無為自然の姿勢で作為に没頭すると言った方がいいかな。
ビートルズの「Let it be」は音楽の無為自然。
いずれにせよ、無為自然であるというのはあらゆる目標へ向かう際の基本的姿勢なのだと思う。
☆上野火山☆
2010年11月30日火曜日
落ち葉の音
『落葉のコンチェルト』アルバート・ハモンド
2010年11月29日月曜日
テレビドラマってやつ
あまりこのブログではテレビドラマについて語ってこなかった気がするので、これからはもう少しあれこれ語ってみたいと思います。
それは何故かと言えば、最近こんな記事を見たからです。
ある雑誌記者の話らしいのですが、「・・・『Q10』というドラマがありますが、一部で脚本家が良いので期待なんて言われてるけど、この脚本家が何年も前にヒットさせた『野ブタ。をプロデュース』はアイドル達のお陰でヒットしたに過ぎないんだよね・・・」
人々のテレビ離れが言われはじめ、軒並み視聴率が下がり続けるテレビ業界の中にあって、ドラマがより一層険しい時代に入っているように思えます。次々と量産される作品はまさに消費されるために創れらる、そんな感じです。
でもね、良いドラマもあるんですよ☆ほんとに。
『木更津キャッツアイ』『タイガー・アンド・ドラゴン』、最近では『MOTHER』・・・本当は挙げだしたら切りがないほど良質のドラマはあるんです。良いものもダメなものもごちゃ混ぜのまま、視聴率で判断されたり、アイドルが出ているから「軽くてダメ」などという評価が繰り返しマスコミの紙面を飾り、小馬鹿にした言葉が踊るんですね。
僕は、もう何年も前に放送された『野ブタ。をプロデュース』が大好きです☆
このドラマはオンタイムでは最終回しか観てませんでした。たまたま最終回を観たとき、あまりの出来の良さに衝撃を受け、DVDで見直したのでした。その後DVDも購入しましたよ。原作も読みました。
原作の斜めに少し歪んだ感じをドラマでは、良い具合に調整し、高校生の恋愛ドラマになりそうなのをあえて捨てて男女の友情物語に昇華させました。脚本も演出もベストです!青春期が決して輝き美しい季節だなんて描かなかった所、にもかかわらずあえて偽悪的も描かなかった、「孤独」を観る者に感じさせる所が、他にはない深みがそこにあった。これは脚本の勝利であり、演出の勝利であり、若い俳優達の挑戦の勝利だったと思うんだな。決して油断して観ていてはいけないと思うんです。
にもかかわらず、アイドルが出たからヒットしたなどという知能の欠片も感じないコメントをする雑誌記者!馬鹿者が!!こういう馬鹿者達が日本の演劇、映画、テレビドラマをダメにしているんだと心底思うよ。
木皿泉という脚本家は素晴らしいと僕は思うな。
この後の『セクシーボイス&ロボ』というドラマも孤独な少女とオタク青年の物語で秀逸でした。不幸なことに一回だけ実際にあった事件とかぶるという理由で欠番になった回があったのですが、それもまた放送という世界に蔓延る「自粛」の犠牲になったのだと思います。是非観たかったなぁ。自粛なんかするなよ!ドラマと現実はまったく別物だって!何でそんなことがわかんないんだろなぁ~あああ!
そして、現在放送中の『Q10』。これもなかなかいいんだよ。時々抽象化しすぎて観念に入り込むところが今後どう展開するのか気になるところではありますが、今回は特に青春期の「死」を扱っているところが、やっぱりエライ☆
十代は「死」の観念に囚われている時代かもしれない。それから、あの頃ってやっぱり寂しい年頃だったんだぜ。若さって不自由なんだよな。
忘れていた大人も、ボンヤリと己の十代を思い出すかもしれない。
「あなたの青春はどこにありましたか?」
そして、
「あなたは、あの頃、どこへ行こうと思っていたのですか?」
この作者のドラマは絶えず僕たちにそんな問いを突きつけているんだぜ☆
『野ブタ。をプロデュース』から「真夜中のギター」の場面:
2010年11月23日火曜日
生きよ、今日が最後の日のように
踊れ、誰も見ていないかのように。
恋せよ、傷ついたことがないように。
歌え、誰も聞いていないかのように。
働け、金が必要でないかのように。
生きよ、今日が最後の日のように。
「恋せよ、傷ついたことがないように」by アルフレッド・D・スーザ
いい詩だね☆
残念ながら僕はこのドラマを観てません。が、最終回に出てくるそうです。
この詩の引用だけで、きっと良いドラマなのだろうと想像できます。
今度観てみよう!
今日一日、最後の日のように生きたいものです。
そうして明日を始めよう☆
チャイナ・リスク
産経新聞 11月22日(月)19時41分配信
【ワシントン=古森義久】中国の国有企業が日本の高速鉄道技術を基礎に日本製より速度の高い高速列車を作り、中国独自の製品として諸外国に売り込もうとしていることについて、日本側から「約束違反」との抗議が起き、新たな日中摩擦となりつつある。米紙ウォールストリート・ジャーナルが18日、報じた…。」(←クリックでニュースソースへ)
尖閣諸島の話もまだホットな状況ではありますが、だいぶ前から日本の中国進出企業による「技術提供」という名の下に次々と大切なこの国の技術がただで中国に渡されています。
例えば、携帯電話の金型(プラスチック成型用の金属製の型)はかつては日本の専売特許で下町の工場で専門の技術者による精緻な手作業による技術でした。携帯電話等の小型で複雑なデザインはそうした日本の工場の技術者とその個人的に技術によって支えられていました。
しかし、現在日本では携帯電話の金型の生産は一切行われておりません。(どこかで行われていたら貴重なものなので教えて下さいね☆)
何年も前に大企業が小さな町工場に発注をかけなくなり、その代わりに技術の提供(コンピューターソフト化への協力)を求め、職場を失った技術者の一部を中国に呼び、日本の金型工場は潰れ、金型技術は中国のモノとなりました。この国は中国にその技術をただでくれてやったというわけです。
中国という大きな国の経済的、もしくは市場的メリットばかりに目を奪われて、貴重な技術やノウハウ、知的財産を次々にただで手渡していく今の日本の企業とは、いったい何なのだろう?
チャイナ・リスクとはいずれ来るであろう巨大な中国金融バブルの崩壊だけでなく、このような現在の日本の企業による無思慮な技術提供がやがてはこの国を蝕んで行くであろうという警鐘なのではないだろうか。
戦後65年の日本の表面的な太平な世は、目の前の利益ばかりを追い求める限りなく無思慮で無頓着な愚か者を生み出してきたのかもしれません。
我を振り返りながら、もう少し遠くを見つめてみたいと思います。
2010年11月22日月曜日
超ピタゴラスィッチ☆
ピタゴラの大好きな僕のお気に入り☆
OK Go - This Too Shall Pass - Rube Goldberg Machine version - Official
あれこれ
歯は丈夫な方で、だいぶ前に親知らずを抜いたとき、その隣の歯が虫歯になったのを除けば、歯医者さんは眼科より縁遠いお医者さんだったと思います。
しかしここに来て、歯自体が丈夫な分、歯茎とそれを支える骨の部分が弱っているようです。
あれまぁ~、歯が丈夫ってのも油断しますね。
うん、いろんな問題が実際油断から生まれるってのも最近感じることなんだな。
自分だけは大丈夫だとか、自分は問題ないなんて思っていると、あるとき足下からすくわれるのかもね。雨の中さっき病院に行ってきましたが、予約もなかなか取れないんだな。
あれこれあれこれ考えてもしょうがないけれど、あんまり行ったことのない病院って緊張するのね。
いい歳して緊張かよって思ったけど、結構します。緊張。
そんなことをあれこれ考えてしまった。
みなさんも歯は大切にね。
あれこれ考える前に☆
待ってる間、これも久しぶりに「ラモーンズ」聴きました!よかった~☆
2010年11月20日土曜日
全体主義への道
ここに来て大きく報道されることのない記事の中に、確実に一歩全体主義に世界が近づきつつあることが見て取れるような気がする。
「【ロンドン=松井学】スウェーデンの検察当局は十八日、イラク戦争やアフガニスタン駐留米軍の機密文書をインターネットで暴露した内部告発サイト「ウィキリークス」の創設者ジュリアン・アサンジ氏に対し、レイプなどの容疑で逮捕状を請求したと発表した ...」(産経ニュース)
この出来事に対するTwitterにおける本人のツイート:
“ @wikileaks WikiLeaks
Julian Assange: the charges are without basis and their issue at this moment is deeply disturbing.”
現在彼は特定の所在地を持たないために国際手配されているようだ。
最近ではCIAの内部文書等の掲載などといった「内部告発」サイトとして認知されている貴重なデータベースである「ウィキリーク」(Wikileak)はその存在だけで脅威だと思われているはずである。いずれこうなるだろうとは予測されてはいたが、やはりという感じがする。日本においても様々な形で「国策逮捕」が行われている。僕らが自分の目で見ようとしないだけで、途方もない数の国策逮捕者がこの日本国内でも出ているのである。その意味でも、このウィキリークの事件を遠い外国の出来事として切り捨てるのではなく、その後に注目すべきだろう。
更に今日、アメリカが一歩インターネットの検閲に乗り出すという記事が出た。
Internet censorship one step closer to law(←クリックで元サイトへ)
この世界はいったいどこに向かっているのだろうか?
今日もいい天気だ☆
とりあえず、一歩外に出て歩き出そうか!
2010年11月19日金曜日
『世界大戦争』という映画
『世界大戦争』東宝 1961年 |
それが東宝の空想特撮映画『世界大戦争』でした。
このところツイートしていたので、このタイトル、何度か目に留まった方もいらっしゃったかもしれません。正直言ってタイトルがこの映画の価値を下げていると思います。「宇宙大戦争」「怪獣大戦争」等の中に入ったらまったく区別がつきません。
でもね、この映画、タイトルの凡庸さに比べるとその内容のあまりの密度の濃さに圧倒されるんですよ。
昨日ご紹介した「Go For Broke!」が埋もれたアメリカ映画の名作ならば、この「世界大戦争」も日本の映画史に残る傑作でありながら半ば埋もれた作品になっています。
僕は少年時代、恐らく昭和40年代初頭だと思いますが、テレビでこの映画初めて観たのです。
登場人物達のあっけない最後に、呆然としていたのを覚えています。我が家の白黒テレビで観た、あの最後の溶岩に飲み込まれていく国会議事堂のシーンが頭に焼き付いて、しばらく夢に見た記憶があります。
そして、東京に出てきた今から三十何年か前、池袋の名画座で今度は総天然色カラー・シネマスコープサイズで観ることができました。家族が最後の晩餐をする食卓に射し込む夕陽の色や、核ミサイルが爆発する一瞬の静寂が圧倒的に僕を取り囲んでくれた。テレビで観たあの風景をもう一度僕はスクリーンで確認したんだ。
この映画の本質は特撮のみならず、人間ドラマにあります。その人間ドラマの濃さ故に特撮が生きる。そんな作品です。
パニック、群像ドラマというのは多々ありますが、この映画はとても控えめな庶民の日常を淡々と綴ります。主人公の田村茂吉はタクシーの運転手、一生懸命仕事一筋で頑張って、ちょっとばかり株なんてものもやって、とにかく娘の幸せな結婚を願い、幼い息子には大学まで行かせようと夢中になって働いていた。保育園に預けられた少女は熱が出て頭を冷やしながら母を待っている。母は横浜で掃除婦をしている。母は電話で娘に美味しいクリームパンとゆで卵を買っていくからね、と伝える。
人々は世界で何が起きているのか知らない。政府は逐一公表することはない。
従って、人々が世界の終わりをほんの数時間前に知ることになる。
東京は逃げる人々でごった返すが、田村茂吉は家族と共に家で過ごすことにする。子供達の大好物を用意して、美味しそうに食べる子供達の笑顔を見ながら酒を飲む。病気の女房が育てた庭のチューリップが見たかった。そして、自分の行けなかった大学へ息子を行かしてやりたかったと呟くのだ。
そして、クリームパンとゆで卵を持った母は娘の待つ保育園にたどり着くことなく、最後の時を迎えることになる。
一瞬静寂になり、白く輝き、世界は瓦解していった。
この表現の丁寧さは、同時期にアメリカで創られた名作『渚にて』を彷彿とさせるものです。
どちらの映画も名作です。
キューバ危機という第三次世界大戦前夜まで行った時代のリアルがそこにあるのでしょう。ですが、今は別の危機の時代ではないでしょうか。それは以前にも増して情報統制と情報撹乱の中、リアルがなかなか見いだせないもどかしい時代の恐怖かもしれません。遠い時代の今とは無関係な物語ではなく、僕らの知るべき現実がこの映画にはあるような気がしますよ。
とてもとてもリアルな映画だと思いますね。
予告編はアメリカ版しかないそうです。いつか本編を観て頂きたい隠れた名作です☆☆☆☆☆
「世界大戦争」(The Last War)1961:東宝
2010年11月18日木曜日
Go For Broke!
1951年製作のアメリカ映画『Go For Broke!』は有名な日系人部隊442を描いたものです。
先日、橋田壽賀子さんのドラマでも描かれていたあの部隊です。
もうすぐ、ドキュメンタリーの「442」が公開されるそうですが、実に楽しみです。というのも、敵性外国人と位置づけられ日本人でありながら米兵となりヨーロッパ戦線で死力を尽くしたその姿は、アメリカと対峙した日本の他の兵士達と何ら変わるところのない誇り高い人々だったと思うからです。
英霊とは靖国にのみ存在するのではありませんね。彼の国にも英霊はいるのです。誇るべき日本人はいるのです。
Live with Honor , Die with Dignity .というのが彼らの生きる姿勢。
今の僕ら現代日本人もどこか見習いたい厳しさと神々しさがあります。この65年の歳月の中で、僕らは失ったものをなんとしても取り戻さなければならない。
Go for Broke!とは、もともとは「何もかもなくすまで、破産するまでやれ!」という意味だったのですが、慣用化し「とことん行け!」または「全力で行け!」「徹底的に行け!」という意味になったようです。
戦後、数年して作られたこの「Go for Broke!」という映画は、当時は一般的だった日本人に対する偏見に満ちた上官が、訓練とやがてイタリア戦線、そしてフランス戦線を共に戦い抜くことによって、日系人達の底力と勇気、更に命を賭す健気さに気づいていく物語です。
この映画、隠れた名作だと思うよ。
『Go for Broke!』1951 America
A tribute to the U.S. 442nd Regimental Combat Team, formed in 1943 by Presidential permission with Japanese-American volunteers. We follow the training of a platoon under the rueful command of Lt. Mike Grayson who shares common prejudices of the time. The 442nd serve in Italy, then France, distinguishing themselves in skirmishes and battles; gradually and naturally, Grayson's prejudices evaporate with dawning realization that his men are better soldiers than he is. Not preachy.
劇場のイドラについて
フランシス・ベーコンのイドラという概念があります。アイドルの語源ですけど。
四つのイドラのうち「劇場のイドラ」を考えてみたい。
これは、高校の倫理の教科書でも説明されている通り「伝統や権威を無批判に受け入れることによって生じる偏見」ということです。
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(Wikiより引用)
イドラ(idola)とはラテン語で偶像の意味。フランシス・ベーコンによって指摘された人間の偏見、先入観、誤りなどを帰納法を用いて説いたもの。アイドル(idol)の語源である。4つのイドラがある。
1. 種族のイドラ…感覚における錯覚であり、人類一般に共通してある誤り。
2. 洞窟のイドラ…狭い洞窟の中から世界を見ているかのように、個人の性癖、習慣、教育によって生じる誤り。世間知らずの意もあるらしい。
3. 市場のイドラ…言葉が思考に及ぼす影響から生じる偏見。言葉や言語が引き起こす偏見。口コミなどが挙げられる。
4. 劇場のイドラ…思想家たちの思想や学説によって生じる誤り。思想家たちの舞台の上のドラマに眩惑され、事実を見誤ってしまうこと。
この4つのイドラを取り除いて初めて、人は真理にたどり着け、本来の姿を取り戻すとベーコンは考えた。
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フランシス・ベーコン自身はシェイクスピアだったとか噂があったり、冷凍の実験中に風邪ひいて死んじゃったとか、政治的に汚い奴だったとか、まぁいろいろ言われているわけですが、例えばこのイドラ論などは忘れてはいけない彼からの大切な贈り物だと思われます。
現在、様々なところでよく耳にする「メディア・リテラシー」などという言葉は「劇場のイドラに惑わされるな」ということなのだと思う。
ここ三十年ぐらいの間に、マスメディアがほとんど真実を伝えなくなった、というのは僕の思い過ごしですか?
ネットが普及した現在、日々様々な嘘やまやかしが暴露されているのですが、にもかかわらず、恥知らずなことにますますあからさまな嘘が日夜垂れ流されているんですね。
もはや僕らが学ぶ理由はひとつしかありません。
権威や権力が発するデタラメを真に受けることなく、自ら判断し選択する人間になること。
学びはそのためにある。そして、それが切実さと遊びが混じり合っていれば、なお結構☆
つまり、自分を探すのではなく、自分という主体を創り出すことなんだ☆
信じる前に、鵜呑みにする前に、まず疑うこと。
国が発表したから、専門家が言ったから、テレビで言ってるから、ネットで話題だから・・・・全部疑おう。
それには学びが必要なんだ。生涯にわたる学びがね。
劇場のイドラは今この時代にこそあらゆる場所で生み出されている「怪獣」なのだと、僕は思うよ。
2010年11月17日水曜日
ボブ・シーガー
緑の仮面の男が主演のあのマスクではありません。
それはもう一つのエレファントマンの物語。
少年の名はロイ・リー・“ロッキー”・デニス。頭蓋骨形成異常、頭蓋骨にカルシウムが溜まり変形する通称ライオン病と呼ばれる病に冒されていた。しかし、バイカーだった母とその仲間達との交流を通して少年は病を抱えながらその短い生涯を一途に生きた。
そんな実話が元になった映画でした。
ピーター・ボグダノビッチという監督はペーパームーン以降は不遇でしたが、台詞のない俳優の演技を上手にすくい取るので僕は好きでした。この映画でも母親を演ずるシェールの無言の涙だったり、息子の声を思い出しながら遠くを見つめる場面だったり、とにかく台詞のない部分の演出がいいんだな。いいんだよ、ホント。
単なる闘病お涙頂戴映画に堕していないのは、作り手側が主人公に共感していても、それでもなおセンチメンタルを超え、希望を見ようとする姿勢があるからじゃないかな。
あの八十年代の中頃にして七十年代の匂いがたっぷりする映画なんだ。よって、当時は日本ではヒットとまではいかなかったのではなかっただろうか。だからこそ、この作品は傑作です。そういう作品を傑作にする姿勢があるんだな、この映画には。
その姿勢をこの映画の最後を飾るボブ・シーガーの曲に感じます。
Bob SegerのRoll Me Awayは生き続けるとは何かを歌った曲です。何とも濃い歌声なので好き嫌いはあるかもしれません。が、僕は大好きだな。
まずは曲を聴いて、歌詞を味わおう☆
人生の道を決めるとき、僕らの心は歌い出すんだよ。心の声を聴くというのは、心の歌声に耳を澄ますことだったんだ。
Roll Me Away-Bob Seger-(Lyrics and Song)
元々はブルース・スプリングスティーンが使われることになっていたそうですが、諸事情によってボブ・シーガーになりました。後に出たディレクターズ・カット版ではスプリングスティーンに変えたそうですが、駄目です。
映画のラストシーンを観ると、この曲以外は無理だということが分かる。この曲で正解でした。この曲以外には考えられない。映画のラストは一人の少年が一所懸命生きた人生が走馬燈のように流れていく。・・・No money in my pocket. Sun shining on my face......
“MASK” 1985 Last Scene
2010年11月16日火曜日
お知らせ☆
ブログにするほどでもないツブヤキはTwitter で書き込みます。
本来は舞台公演等のお知らせ用にと思って導入したTwitterですが、しばらくテストで使ってみようと思います。
ブログが少し止まっていても、Twitterは動きますから、もし興味のおありになる方はフォローして下さい、ナウ。
☆上野火山☆
2010年11月11日木曜日
こんなん、どすか?
しかし度が過ぎると微笑ましい感じもする。
正直言ってダイッ嫌いなタイタニックのテーマもこうなると清々しいな☆
ニコニコでさっき見つけた香ばしい動画をプレゼンツ!!(元ネタはYouTube)
窓から差し込む陽の光と青い空☆
そして、このリコーダーの音に、俺は笑いが止まらない!!!
My Heart Will Go On - Recorder By Candle Light by Matt Mulholland
おまけ☆
このマット・マルホランド自身による「プロみたいに吹けるリコーダー講座」だよ!
合わせて観ようね☆心がどんどん生温かくなってくるね!!
Play The Recorder Like A Pro - A tutorial by Matt Mulholland
2010年11月5日金曜日
中国について考える本☆
『変わる中国、変わらぬ中国 ー 紀行・三国志異聞』(彩流社刊) 佐藤竜一 著
ビデオが流出し尖閣諸島問題で揺れる日中関係ではありますが、昨今の中国のあり方を見て脊髄反応的に反中を掲げてもおっちょこちょいの誹りは免れないでしょう。無関心も頂けませんが、心して行動したいものです。
そんな折、僕の友人の(現)岩手大学講師である佐藤竜一君が新著を上梓しました。
かつて八十年代に中国を訪れた彼から聞かされた話はとても豊かで味わいのあるものでした。僕のあずかり知らぬ中国の細々としたお話。便所の話に始まって料理や文学、そしてやがて政治体制の話と彼との対話は忘れがたいものでありました。
今回出版されたこの『変わる中国、変わらぬ中国 ー 紀行・三国志異聞』という本は、そんな彼の体験的中国論です。
中国を愛する彼ですが、そのバランス感覚は優れたものです。
例えば、第一部・99ページから始まる「南京大虐殺記念館」に関する記述や、それに続く「国営放送の弊害」などの項では、現在の中国の抱える問題につながる党の方針に無自覚に従う中国の人々の思考停止状態に対する危惧を、短い文章の中で鮮やかに見せてくれる。中国の一般民衆の中にある「愛国無罪」的な中華思想的思考状況がしっかりと描かれています。
同時に、人々との心の触れ合いをセンシティブに描いていく。
アイリス・チャンによる「The Rape of Nanking: The Forgotten Holocaust of World War II」など足下にも及ばない中国への深い愛情と絶望がきちんと表現されている。
深い批判と絶望は、よりいっそう深い愛情から生まれるんだな。それがよくわかるんだ、この本を読むと。
この本の後半は「三国志」にさかれています。
そもそも三国志から始まった彼の中国に対する愛は、やがて宮沢賢治を経て、詩人・黄瀛(こうえい)に行き着き、政治思想よりもむしろ文学的芸術的愛情から、彼は中国という巨大な文化と再会したのだということがわかる。
だからここには調子の良さは一切ないのです。むしろ地味で静かな情熱に充ち満ちている。
彼の厳しくも優しい眼差しは、中国の人々の暮らしや学生達の息遣いまでこちらに届けてくれる。
それは相手が日本人であれ中国人であれ、筆者である彼、佐藤竜一君には他者や先人に対するリスペクトする心があるからなんだよな。
絶対忘れたくねぇな、リスペクトする精神ってやつ。
そこからすべては始まるんだよな。
旅行記であり文学論であり、同時に政治史的に八十年代以降の中国と向き合った一人の男の物語だと僕は思うよ。
みんな読んでね☆
ここをクリックすると書店ですぜ!(興味のある方はこちら)
2010年11月2日火曜日
Rage Against The Machine - Revolution In The Head And The Art Of Protest
未だにこの国では何かと言えば極上のエンターテインメントなどというコピーがそこら中に溢れていますが、時代はもはやエンターテインメントなどというユルい状況ではなくなってるんだ。
少し目を覚ます意味で、1時間45分にわたるRage Against The Machineに関する研究動画を観てみるのも一興かもしれない。そろそろ、足の引っ張り合いや出る杭は打たれる式の下らないあげ足取りはやめて時代の本当の問題と向き合おうぜ☆
まずはここに現在のロックのひとつの姿がある☆
Rage Against The Machine - Revolution In The Head And The Art Of Protest
Arguably the most provocative band of the last 20 years, Rage Against The Machine have since their explosive debut, been the group most associated with the American protest movement. This film dissects the work and career of RATM and looks at their place in this always fascinating lineage of artists and performers who have spoken out on behalf of, and drawn attention to, the world's marginalised, downtrodden and oppressed. Picking up the flame from a linear musical tradition going back to the War Of Independence, with the best known protagonists coming up during the 1950s and 60s civil rights movement via artists such as Pete Segar and the young Bob Dylan, the anger remained as brutal as ever during the final decade of the 20th Century in Rage and contemporaries like Public Enemy. FEATURING: Brand new interviews with; renowned Rage producer and engineer, Garth Richardson; RATM Biographer, Colin Devenish; the band's live sound engineer, Dave 'Rat' Levine and the man who signed them Michael Goldstone. With further contributions from folk-protest singer and author Jerry Silverman, ex-'Rolling Stone' editor Joe Levy, and Professor of American Studies and English at Washington State University, T.V. Reed.
歌謡曲のお話
不思議なのは自分の体験しなかった時代の音楽ですら、時代を追体験する重要要素となり得るってこと。
1930年代のアメリカなんて僕にはまったく計り知れない時代と場所だが、トミー・ドーシー・オーケストラの「It’s only a Paper Moon」を聴くと確実に1930年代のアメリカに飛んでいける。勿論、映画「ペーパームーン」のイメージなんですが。
戦後間もない頃の「リンゴの唄」も東京のドヤ街をすぐ想像できるほど映像と強く結びついている曲だな。
最近、映画で聴いて引き込まれたのは是枝監督の「歩いても 歩いても」で挿入された「ブルーライトヨコハマ」でした。
年老いた母が語る小さな物語の背後に流れるこの曲は、苦くそして痛く観る者の心に突き刺さってきました。昭和四十年代を静かに思い出したんですね。
「ハチのムサシは死んだのさ」って知ってます?
これも昭和四十年代のまさに昭和歌謡曲だな。この曲を聴いて特定の何かを思い出すわけではないのですが、ボンヤリと子供の頃の自分を追想してしまいます。随分インパクトのある曲なので、演劇やドラマで使用されたことはあまりないように思います。いつか僕が使っちゃうかも。
聴き直してみるといいんだな!アメリカン・ニュー・シネマの洗礼を受けた世代としては主人公が死んでいくという物語にえらく共感してしまうんですね。人生がトントン拍子にうまくいって最後はハッピーエンドのはずがないじゃないか!!もしそんなものがあれば、そんなのは嘘だッ!!っていう思いに突き動かされていた時代。
世間は高度成長期でイケイケだったけれども、個人の精神状況は決してイケイケではなかった。それどこらかむしろ、どこか「悲しみと哀れ」が世界を包んでいた、そんな気さえします。
昭和歌謡とは殺伐とした世相の中で、それでも生きる意欲と魂を歌い込み描き込んでいたような気がします。
故・内田良平さんの詩は、太陽に向かって討ち死にしたハチのムサシの滑稽だけど潔い生き方を夕陽に照らされた畑の中で描いています。
僕たちはひょっとしたら宮本武蔵よりハチのムサシの生き方を真似した方がいいんじゃないか?なんてこともちょっぴり思います。このドンキホーテ的姿勢こそ今必要な生きる姿勢なんだと僕は思うよ。
たかが歌謡曲。時代のあだ花かもしれない。それでも、こうして思い出す人間もいるんだから、捨てたもんじゃない。
ハチのムサシは死んだのさ、でもオレのムサシは死んじゃいないぜ。
「ハチのムサシは死んだのさ」 平田隆夫とセルスターズ
2010年11月1日月曜日
久しぶりの太陽光
久々に見る輝く太陽がそこにありました。
台風が去っても、台風一過というわけにはいかないぐずついた天気でしたが、午後から幾分よい天気になりました!
嘘臭いことばかりの世の中ですが、空を見上げれば清々しいですね☆
リアルをしっかり受け止め味わいたいものです。天を見上げて「明日天気にな〜れ」と祈るほどナイーブでもなくなり、すっかり汚れちまった俺ですけど、こんな空を見せたかったな。
昨日夕方5時1分前、西荻窪の駅で飛び込みがありました。
すっかり慣れっこになってしまったかのような飛び込みですが、慣れるはずがないんだ。今朝の新聞にも載ってない事故ですが、あの人には今日という日がなく、この太陽の光を見ることは永遠にないのだと痛切に思う。
久しぶりに見た太陽光の向こうに「死ぬな!!」と俺は叫んだぜ!
この世で何人逝こうが人数じゃないんだぜ。
一人でも無駄に逝くなよ!と俺は馬鹿のように心の中で叫ぶ。
あっという間に太陽は沈んだ。
それでも光に晒されて俺は心の光合成ができたと思う。
明日、また光を見よう!!
一人の愚か者として、一日を味わおう。
俺はそう決めた。
☆上野火山☆
2010年10月27日水曜日
Cobra - オレたち
ついこの前まで暑い夏が続いている感じでしたが、急に気温が下がり、北海道では積雪ですか、そんな今日この頃いかがお過ごしですか?僕も相変わらず元気にやっております。
なにしろ生活をコンパクトにして、質素かつ内容の濃いい生き方を模索しておりますので、今日なんかキッチン周りの大掃除なんかしちゃいましたよ。
ちっともロックしてねぇな〜、とは思いません。
これもまたロックな生活だと思います。
「・・・あれだ、おれたちだって、馬鹿じゃないぞ、頭いいんだぞっ!!」とCOBRAは歌いましたよ。
1990年頃だったと思います。
友達から借りたCDで何度も聞いた「OIパンク」系バンドでした。
良い曲は古びないね。最高だね!
この曲を聴くたびに思う。それは、ロックって恥ずかしいほど生活と共に、恥と共にあるんだってこと。
綺麗で美しい音が聴きたけりゃクラシックやジャズを聴けばいい。
でも、恥ずかしい自分と向き合いたいときは、ロックです。そして、ロックは文学です。
キッチン周りをせっせと掃除しながら、僕の頭の中で「オレたち」がガンガン鳴り響いていましたぜ。
シンクを磨く手元を見つめながら、「オレは馬鹿だけど馬鹿じゃない」と呟いていたんだ。
そう、俺たちは馬鹿だけど馬鹿じゃない。情けないけど情けなくない。かっこわるいけどかっこわるくない。
木枯らし1号なんか寒くなくなったぜ☆
Cobra - オレたち (oretachi)
2010年10月24日日曜日
もうひとつの失われたもの
便利でエコで手軽なものに囲まれながら、人を見つめる「まなざし」を失ってはいませんか?
嘘をつくことが常態化してしまって、他人の言葉を信用できなくなってはいませんか?
人生最終的には「金」だなんて思ってはいませんか?
もっともっと欲しい、もっともっと得したい、損だけは絶対したくないと思ってはいませんか?
僕らはそうやって大事なものをずうっと後ろの方に置き忘れてきたのではありませんか?
今十歳の人は恐らく三年ぐらい前に、今二十歳の人は恐らく十三年ぐらい前に、今三十の人は恐らく二十三年ぐらい前に、今四十歳の人は三十三年ぐらい前に、今五十歳の人は四十三年ぐらい前に・・・・人は何かを過去に置き忘れてきたはずです。
過去が美しいだなんて誰にも言わせない。
戻りたい過去なんてどこにもない。
でも、
記憶喪失にだけはなりたくない。何もなかったような顔をして、知らんぷりして生きるほどツルツルの人生を生きるつもりもない。凸凹だけど、「忘れまい」として生きていくことは大切なことだと僕は思う。
あなたの失ったものはなんですか?
昭和30年代の風景
2010年10月23日土曜日
見失ってしまった過去へ
というのも、例えば戦前の日本のイメージは現代ほど豊かでなく、それに比べると今はいいなぁ!なんて思ってしまう。
そんなことってないですか?
それは単なるイメージに過ぎません。
例えば1935年(昭和10年)といえばどんなイメージを思い浮かべるだろうか?
世界大恐慌のまっただ中で人々は苦しい生活を強いられていたに違いないと思うかもしれないし、その苦しさが戦争へとこの国を駆り立てたに違いないと思うかもしれない。
ここにアメリカ人の撮影した昭和10年の東京の風景があります。
カラー撮影された貴重な物ですが、人々の苦しい生活の中にも「落ち着き」や「穏やかさ」や「豊かさ」があることがわかります。素晴らしく美しい豊かな風景が人々の表情が写っているのです。ナレーションにもありますが、そんな豊かな国が空爆されたらひとたまりもないだろうと撮影者のアメリカ人は考えていました。そうした事態が起こることが分かっていたのかもしれません。
僕は戦後十三年経って生まれましたが、戦前や戦中、そして戦後間もない頃の日本についての近現代史の知識と情報のなさに愕然とします。アメリカにおいてハワード・ジンが著した「民衆のアメリカ史」に当たるような著作がまだまだ見あたりません。
江藤淳さんの「閉された言語空間」に書かれているように戦後GHQ主導の検閲と焚書7千冊が行われた国ですから、これまでまともな近現代史の授業が教育機関で行われたことはなかったでしょう。
渡辺京二さんの「逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)」を読み、この動画見ると、少しばかりこの国に対するイメージが変わるような気がします。ほんの少しですが。
確かにほんの一部に過ぎないけれども、この昭和10年の東京は確実に存在した実在の東京の風景であり、僕らがどこかに置き忘れてきた風景ではないですか。
忘れたくない、忘れてはならない破壊される前の日本がここにある。
僕らは何を失ってしまったのか、思い出し考える必要があるようです。
民主党は世界がひとつになる方向ですべてを推し進めていますが、世界がひとつになるには、まだ早すぎます。いや、むしろ世界はひとつになってはならないのだと僕は思う。
世界はひとつなんかにならなくていいのです。
世界がひとつになる前に、自分たち自身の見失ってしまった過去と向き合わなければ、他者と向き合うことなんてできません。
どうも我々の歴史は、一般的な常識とは違っているのだから。
昭和10年頃の日本カラー映像
2010年10月22日金曜日
弁証法の世界
ヘーゲル的な意味での「弁証法」が西欧思考法の基準になっているのは確かだ。
そしてその構造はこの世界を覆い尽くしている。
「正反合」などと単純化してしまえばそれまでだが、ある命題(テーゼ)とそれに対抗する反命題(アンチテーゼ)の衝突により止揚(アウフヘーベン)すなわち矛盾する諸契機の発展的統合が起こるという公式もしくは思考形式。
資本主義に対抗する共産主義、米ソ冷戦構造、キリスト教世界とイスラム教世界、共和党と民主党、自民党と民主党、右翼と左翼、親米と反米、親日と反日、連合国側とそれ以外、地球の北と南、白人種と有色人種、二極化する極端な格差、自由と平等、戦争と平和、夢と現実、金になるかならないか・・・・・。
驚くほどこの世界は対立矛盾するモノの対比であふれている。
止揚(アウフヘーベン)するというのは、対立や矛盾を含みつつ低次から高次の段階へ進む運動乃至は過程を言うのですが、この世界には「対立構造」をあえて意図的に創り出して、葛藤を必要以上に煽る勢力があるように思われてならないのだ。
劇作家として、人間存在は「対立・軋轢・葛藤」でその存在が確認できるのだというのは十分承知しているけれど、上記の対立関係が意図的に創り出されていると考えると、その意図の持つ邪悪さに心の底から嫌悪感を感じるのである。
例えば、共産主義という思想はマルクスが想起したモノだが、マルクスは誰の金銭的援助でこの思想を構想し著作することが可能になったのか。マルクスの援助者は同時代人であるアナキスト「バクーニン」によればある特定の銀行家、すなわち資本家が意図的にマルクスをヘッドハンティングして執筆させたのが「資本論」であり「共産党宣言」なのであった。
この銀行家の家系は今もなおヨーロッパに脈々と続いている名家であるが、何故わざわざ自分たちに不利な思想をあえて創り出させたのだろうか?
弁証法は実に強力な構造を持つモノで、一度対立関係を創り出してしまえば自動機械のように動き出しそのエンジン部分に時々刺激を加えさえすれば半永久的に動き続けるのだ。動き続けることで、様々な対立のヴァリエーションを生み出しながら、特定の集団の意志のままに、時には戦争や経済活動を通じて利益を生み出しているである。
僕らはそろそろ目を覚まし、こうして作られ意図された構造から一歩外へ抜け出さなければならない時期に来ていると思うのだ。
我々の中に価値観として植え付けられた様々な常識を疑おう。
例えば、東京裁判でA級戦犯になり処刑された人々の中に「帝国海軍」の軍人がひとりもいなかったのは何故だろう?
例えば、ベトナム戦争で枯れ葉剤(ダイオキシン)を撒かれて被害を被ったのは敵の北ベトナム人ではなくアメリカに協力した南ベトナム人だったのはなぜだろう?
例えば、何故SARS(サーズ)に罹ったのは東洋人だけなのだろう?・・・・・・。
このような無数の疑問が、表面に置かれている「弁証法的対立構造」で見えなくなっているのだと僕は思う。
二項対立の単純構造を疑わなければならない時代に僕らは生きているんだよ。
2010年10月21日木曜日
航空公園のYS-11
昼間、音楽を聴きに航空公園まで行ってきました。所沢のひとつ向こう。
駅の階段をいくつか回り込むようにして下りて、外へ出るとそこに大きな飛行機が置かれてあります。
昔懐かしいYS-11。
決して大きな飛行機ではないのですが、やはり旅客機ですから、近くで見るととてつもなくでかい。
映画「続・三丁目の夕日」で羽田空港から飛び立ったのがこの飛行機だったような気がします。
雨の中、傘をさして歩きながら、音楽をちょっと聴いて飛行機のそばを通る。
そんなに時間のない僕ですが、大きなプロペラと小さな操縦席の窓に目がいきました。
ジュラルミンの鈍く輝く銀色。
まるで空を飛ぶバスのよう。
モノはモノ。物体にしか過ぎないのでしょうが、昭和の空を飛んだYS-11は一緒の時代を過ごした仲間のような気がしました。
霧雨のような雨が機体に降りかかり、窓ガラスに滴が模様を作っておりました。
平成も22年も過ぎ、昭和なんてのは今では冷笑の対象なのかもしれません。
でもね、良いことも悪いこともひっくるめて、まるであの時代がなかったかのような顔は出来ないんだよ。
特に良いとは思いませんが、決して忘れまい、そう思います。
YS-11はどこからどう見ても昭和の空を飛んでいたんだから。
そして、あの昭和から今へと時間は続いているんだから。
あと百年もしたら、今生きている人類の大半がこの世にいないでしょう。たとえそこまでいかなくても、あと十年もすれば今の二十代は三十代、今の三十代は四十代・・・みんな平等に年をとるはず。
若い愚かさも、中年や老人の愚かさも、徐々に入れ替わっていく。
何日か前に撮った日の入りの写真をアップします。
太陽の光だけは、あと数億年経っても変わることはないでしょう。
航空公園のYS-11を見つめながら、時代を考えている自分がいた、
そして、あのYS-11は僕自身のような気がした。
YS-11A in 航空公園
ありがとう☆
文化学院で教鞭をとっていた頃、本当にお世話になった先生がお亡くなりになりました。
女優・演出家、長岡輝子さん。
102歳という年齢は大往生という表現が一番合うかもしれません。僕が生まれた頃すでに五十代で、僕の父が生まれた年に劇団を旗揚げしたと聞いて気が遠くなるような長い長い演劇生活だったのだな、と改めて思いました。そんな先生に僕自身の作品も二度にわたってご覧頂き、心から嬉しい思い出のひとつになっています。
同じ岩手出身ということもあり、岩手訛りには一際こだわっていらっしゃいましたが、そのこだわりは僕も同じです。
宮沢賢治の例を引くまでもなく、育った故郷の訛りは決して捨て去りたくない宝物だと思っています。そのことに気づかせていただいたのも他でもない長岡先生でした。
更に演劇に対する決意を新たにしたのも、まさに長岡先生の強いお言葉故があってこそでした。
その意味では僕の大事な恩師と言わせて頂きたいと思います。本当にありがとうございました。
ご冥福心よりお祈り申し上げます。
上野火山
2010年10月20日水曜日
共感と共鳴
Cleveland’s Dancing Wheels modern dance company:
As a young man living in New York City, George Gallego often enjoyed going out for a night on the town and hitting the dance floors of some of the hottest clubs around. But, after a tragic accident at work left him paralyzed from the waste down, Gallego quickly decided his clubbing days were over.
Although his friends encouraged him to get back in the party scene, Gallego would often respond by saying, “How am I going to dance in this chair?” After hearing his response one day, Gallego’s cousin decided to take matters into her own hands and began looking for ways to help him learn to dance. That’s when Gallego first met Rubin Zakiryanov.
Zakiryanov, a professional dancer who hails from Russia, moved to the US about ten years ago and founded the Discovery Dance Company in New York City in 2003. In addition to teaching ice skaters how to dance and instructing classes in ballet and hip hop, Zakiryanov decided to offer a unique dance class for individuals in wheelchairs. “I did this class for kids and adults with disabilities and I fell in love with it,” Zakiryanov said.
In April 2006, Zakiryanov founded Wheelchair Dancesport USA, a non-profit organization dedicated to teaching wheelchair users social and competitive forms of ballroom and Latin dancing through private instruction and group classes. Zakiryanov also offers lessons geared to preparing couples to dance at their own wedding.
“I just try to adapt (the steps),” Zakiryanov said. “I want it to look exactly [the same] as everybody else. I bought a wheelchair myself and I am practicing how to adapt this to ballroom dancing.”
障碍の持った方達が車いすで見事なダンスをする。24時間テレビで取り上げられそうな話かもしれません。
アメリカで事故で車椅子生活を余儀なくされた青年とロシアから渡っていたダンサーの出会いから「車椅子ダンス「が始まった様子が描かれています。決してお涙頂戴の物語ではなく、人は誰もがどこかに障害を抱え、それを乗り越えようとするところからあらゆる創造的な活動が生まれるんだ、というごくごく当たり前の、しかしながら、無視されがちな人生の主題がここにあるような気がします。
人は一人では生きられないけれど、一人で立ち上がることで出会いが生まれる。
そこに共感が生まれ、何かが始まるのでしょう。
そして、共鳴し合うことで、更なる飛躍と発展が生じてくる。
諦める前に一歩前に足を踏み出すこと。前へ踏み出す勇気は「後ろ向きな時期」を経なければ決して生まれません。苦しみの自覚から始めなければ。そして一歩踏み出すんだ。
前向きのみの光の中で、後ろ向きの影は姿を現しません。
僕らは後ろ向きの影をしっかり見つめて、前向きの光を見いだしたいと思います。
車椅子ダンスの素晴らしさは、車椅子という足枷をしっかりと受け止めなければ生まれなかった芸術でしょう。
「車椅子でも踊れるじゃん」などという話ではないのです。
車椅子でなければ、こんなダンスは生まれなかったことが重要なのです。
ジャズダンスの創始者であるルイジは、事故によってバレーを諦めたダンサーでした。
暗黒舞踏の創始者である土方巽は、日本人としてのバレーダンサーの限界を感じて挫折したところから「BUTO」を創始したのです。
すべて不合理から生まれた合理。そして挫折から共感へ至り、やがて共鳴を生み出していったのだと思います。
The Wheelchair Danceから、いろいろ思いを馳せました。
Wheelchair Dance Competion :
2010年10月19日火曜日
国分寺で
道端でアサガオを見つけました。
こんな季節になっても咲いているんですね☆
少し早めに着いたので、散歩したのね。
薄曇りのアサガオは艶があったな。
おっ!とそろそろ時間です。
また。
☆上野火山☆
2010年10月18日月曜日
みんなにご連絡☆
みんな、ごめんm(__)m
このブログもしばらく更新できないほど時間を奪われておりました。ですが、それもまた素晴らしき人生。
精魂込めて必死に努力する以外に道はなし。
作品造りに時間を下さい☆
みんなの舞台もいずれ観に行くからね!お互いがんばりましょう!!
こんな時代だからこそ、隙のない、丹精込めた作品造りに邁進しましょう☆☆☆
☆上野火山☆
It's illegal to be fat in Japan???
面白い記事を発見☆
ソース・サイトはここ。←クリック
「Thanks to an anti-obesity law passed last year, Japanese salarymen across the nation are pulling up their shirts to have their guts measured... and if they're overweight, they face consequences.
If you're male and your waist is over 33.5 inches, you're considered fat. If you're female, the limit is 35.4 inches. Thanks to those burgers, you now have to attend mandatory counseling with a physician. For every grotesquely obese employee like yourself, your company gets hit by a fine; ergo, they strongly encourage you to lose weight with gifts of gym memberships and pedometers.
The goal of all this is to prevent Japan from experiencing an obesity epidemic like so many other industrialized nations. The theory is the less overweight people you have, the lower health care costs will be across the board. Although I think the waistline restrictions are a bit strict (how is a six foot tall foreigner supposed to have a 33-inch waist?), this seems like a good idea overall. America could certainly benefit from less junk in the trunk... but would such a system work here?」
日本では当たり前のように受け入れられている「健康増進法」という法律。
その法律がいかに馬鹿げたものであるかを今更ながら外国人が記事にしているわけです。
よくよく考えてみれば、かつてのナチスドイツの「禁煙法」を彷彿とさせる一種の健康ファシズムの一形態に思われてなりません。この記事は外国からの視点で「健康増進法」のおかしさを指摘しているわけです。国民の健康にという不確定要素に対し法律を設けるなどそもそも法律の運用の逸脱だと僕は思っています。「自己責任」と言って国家の責任を放棄しておきながら、同時に国民に対する管理と監視が、町中に張り巡らされた監視カメラの例を挙げるまでもなく強められている現在、上記の記事のようなを読むことは意味があると思います。まったく馬鹿げた法律なんですから。
ですが、同時にこのような外国の日本に対する批判には必ず「人種的偏見」がつきまといます。
たとえば、上記のソースサイトのコメント欄を見れば、そこかしこにJapの文字が書き込まれ、刺身を食うのはバクテリアを食うようなもの、といった的外れなコメントが大量に書き込まれるわけです。
例えば、
・Japs imo urge to grow up because that's completely freaking childish....You are killing individuals' freedom, that's uncostitutional since everyone has the right to express oneself even being fat.
・Did you know that sashimi and such animal raw foods are a flourishing ground of bacterial petri dishes if not properly cooked?? they can lead to serious cases of intoxication like botulism, salmonellosis・・・
なんて具合。
健康増進法のグロテスクと日本人の幼児性や刺身を食べる食習慣がどう関係するのか?
刺身が怖けりゃ食わなければいい。生涯遺伝子操作された牛肉を無批判に食ってなさい。
世界中の馬鹿者どもに意見する気は毛頭ありませんが、国や文化の枠組みを超えて「愚かさ」に国境がないことがわかります。
この国の問題を見つめることは、同時に国境を越えた問題に目を向けることになる。
というのも、日本のこの馬鹿げた法律を批判する人々が「日本人が個人の自由をないがしろにしている」と言いながら、自分たちの自由が奪われつつあることに、どうも気がついていないようなのです。
正しいこの記事のタイトルは次のようになるでしょう。
It's illegal to be fat in Japan like United States.
なぜなら、国民を太らせるだけ太らせて、ダイエットで稼ぎ、格差を生み出したのは他でもないアメリカなのですから。
あッ!いけね。僕もメタボだっ・・・・ううう・・・・。
2010年9月14日火曜日
IZの歌が聴きたい☆
ゴアがなんと言おうと、地球が温暖化しているはずはないのですが、今年の夏は厳しい暑さでした。
そんな夏もいよいよ終わりそうです。
季節が巡るのは本当に素晴らしいと僕は思います。
そこで、IZ。
イズラエル・カマカヴィヴォオレ(Israel Kaʻanoʻi Kamakawiwoʻole)という歌手がかつてハワイにおりました。
体重なんと340キロ!!
その体重が仇となり、38歳で亡くなりました。
でも、彼の残した音楽は今もなお活き活きと輝いています。
彼のことを知ったのは数年前に、我が弟からCDを頂いたのがきっかけでした。すでに亡くなったとは聞いていましたが、その見かけの大きさとまるで違う、予想もしなかったような「天使の歌声」に魅せられました。
亡くなってハワイの海にその遺灰が撒かれた彼は、僕より一歳若かったんだな。僕が39の時、彼は38でこの世界を後にした。
人生は果てしなき旅だから、この世界を去った後、彼はまた新たな旅の途上にあるのだろうけど、僕はまだしばらくこちらの世界にいるつもり。それには残された彼の歌が必要だと思っている。そこにあるのは生の喜びそのものだから。こうして生きて死んでいくことがかけがえのない体験だと思わせてくれるから。精一杯生きることしかないと教えてくれるから。人をだまそうがだまされようが、人生は一度きりだと気づかせてくれるから。だからこそ、この一回の人生を台無しにしたくないとつくづく思わせてくれるから。
そうだ。
生を考えることは、死を考えること。
死を考えることは、生を考えること。
文学も音楽も演劇も、すべて一度きりの人生の光と闇を伝えようとしているんだ。
だから、遠いハワイで歌われたIZの曲は今日も聴く者の魂に深く語りかけてくるんだよ。
夏の終わりに、僕はIZの音楽を聴いている。
イズラエル・カマカヴィヴォオレ(Israel Kaʻanoʻi Kamakawiwoʻole)
“ Somewhere, over the Rainbow”
2010年9月3日金曜日
恵比寿でボッサ
これから数時間ボサノバで過ごそうと思います。友人の八反田リコちゃんのバンド「コルコバード」のライブです。
恵比寿の天窓だよ!
19時開始だから、暑い残暑の宵をボッサしたい人は集合!
というわけで、今はライブスポットの近くのコーヒーショップで涼んでます。
ありッ、蚊に刺された。
☆上野火山☆
2010年8月22日日曜日
昨日、新宿の夕陽
大人たちは、近況などを話しつつゆったりと時を過ごします。
年に何回か催す懐かしい友との、この家族の集まりは子どもたちの成長と共に、なんかとても心ある集まりになってるな、と僕は思います。
それぞれの人生が垣間見え、なんのてらいも、なんの権威もない、そんな会話が可能だということが嬉しい。
ふと、窓の外を見ると、美しい夕陽☆
いろんなことのある日常ですが、美しいものは実に何気なく存在していて、気づいてもらうのを待っているのでしょう。
大久保の駅でさよならをして、吉祥寺の駅でさようなら。
こうして僕らは日常に帰るんだ。
みんな、ありがとう!!
☆上野火山☆
2010年8月21日土曜日
蝉しぐれ
今年はそれでも例年に比べて数が少ない気がします。
意外なのは、アブラゼミよりもミンミンゼミの方が多いこと。
耳を済ませば、ミンミンゼミの鳴き声が響きます。
玄関先で鳴いていたミンミンゼミを撮りましたよ☆
もうすぐヒグラシの声がするでしょう。
今夜は、古い友人たちと夏の家族パーティー☆
二十代の頃は考えもしなかったこと。
かつて一緒に舞台で闘った連中が、再びそれぞれの家族を連れて集まるというのは、なかなかのもんです。
蝉しぐれの中、大久保で会おうね☆
☆上野火山☆
2010年8月18日水曜日
中央線よ、空を飛べ!
去年の今頃、フォークの友部正人さんの「一本道」という曲についてこのブログで紹介したことがありました。
『一本道』
作詞:友部正人 作曲:友部正人
ふと後をふり返ると
そこには夕焼けがありました
本当に何年ぶりのこと
そこには夕焼けがありました
あれからどの位たったのか
あれからどの位たったのか
ひとつ足を踏み出すごとに
影は後に伸びていきます
悲しい毒ははるかな海を染め
今日も一日が終ろうとしています
しんせい一箱分の一日を
指でひねってごみ箱の中
僕は今 阿佐ヶ谷の駅に立ち
電車を待っているところ
何もなかった事にしましょうと
今日も日が暮れました
あヽ中央線よ空を飛んで
あの娘の胸に突き刺され
どこへ行くのかこの一本道
西も東もわからない
行けども行けども見知らぬ街で
これが東京というものかしら
たずねてみても誰も答えちゃくれない
だから僕ももう聞かないよ
お銚子のすき間からのぞいてみると
そこには幸せがありました
幸せはホッペタを寄せあって
二人お酒をのんでました
その時月が話しかけます
もうすぐ夜が明けますよ
一年に一度、僕はこの曲を聴きます。
たぶん自分の座標軸を無意識に確認しているのだろうと思います。ともすると見失いがちの初心と若い憧れを、僕はこの曲を聴くことで新たにすることができる。
若さというのは素晴らしい。でも、それは一瞬のようにして過ぎ去っていく。もし若さに胡座をかく者がいるとするなら、愚かなことだと思う。なぜなら、若さとは通過地点であり、人生のほとんどが若さ以外の要素で出来上がっているようだ。
でも、僕は確認したいのだ。
何のためにここに来て、何のために今を生きているのか。
何をしようとして、何をしてきたのか。
どこから来て、どこへ行こうとしているのか。
愚かさから始まり、少しは利口になったのか。
今は僕の望んだ今なのか。
今も時々、阿佐ヶ谷の駅のホームに立つ。
世相も変わり、価値観も変わったかに見えたが、実は一回りして、元の場所に戻ってきたような気がするのだ。
もう僕は若くないけれど、あの頃に戻りたいとも思わない。
白髪頭を撫でながら、中央線よ、空を飛べとつぶやいてみる。
落ち着くには、早すぎる。
悟るには、幼すぎるのだ。
若くはないが、老成するほどでもない。
時々、こうして友部正人の音楽を聴いて、自己を調整し直し、精神のチューニングを合わせてみる。
世界は驚くほど輝いていることに気がつく。
若さに光があるのではない、光に気づくことが、世界を生み出すのだ。
恐れるな、若者よ!
君の若さはいずれ消え失せる。だが、光に気づく知恵が、君に道の在処を示してくれるのだ。
中央線よ!今日も、空を飛べ!
友部正人『一本道』1972
2010年8月16日月曜日
逆光
逆光は写真撮影で嫌われることが多い。
でも、実は、僕は「逆光」が好きなんだ。
背景の光で、周りの対象物が黒く塗りつぶされてしまうけれども、逆光は世界の「深さ」を教えてくれる。
世界は僕らが意識しているより遙かに深いようだ。当たり前だと思われるかもしれないが、この深さに案外気づかずに暮らしているような気がする。
この世界の彫りの深さ、意味の深さ、味の深さ、不安と恐怖の深さ、絶望の深さ、そして希望の深さ。
逆光を通して見ると、目の前に並んだ普通の車の列が、奇妙なほど意識を持って感じられるのだ。
僕は科学者ではないので説明も何にもできないけれど、逆光の中で人は気づかなかったもう一つのリアリティを感じられると思うんだ。
それは、あまりに強すぎる光のせいで目がくらんだお陰で、残りの四感で感じようとするからだろうか。
普段、あまりにも視覚に頼りすぎているので、逆光の目つぶしは、ちょうど良い残り四感の解放のチャンスかもしれないな。
いずれにせよ、逆光はなかなかに良いものだと、僕は思っている。
☆上野火山☆
2010年8月15日日曜日
やっと
写真は岐阜で撮った窓からの風景。
どこか壁にかかった油絵のようです。
雨が一日中降り続き、その雨に幽かに煙る風情は、湿度が高く、暑いのに、どこか夏の終わりも垣間見せてくれました
。
数日間でしたが、良い旅でした☆
ありがとう!!
☆上野火山☆
The very word "secrecy" is repugnant in a free and open society; and we are as a people inherently and historically opposed to secret societies, to secret oaths and to secret proceedings. We decided long ago that the dangers of excessive and unwarranted concealment of pertinent facts far outweighed the dangers which are cited to justify it. Even today, there is little value in opposing the threat of a closed society by imitating its arbitrary restrictions. Even today, there is little value in insuring the survival of our nation if our traditions do not survive with it. And there is very grave danger that an announced need for increased security will be seized upon by those anxious to expand its meaning to the very limits of official censorship and concealment. That I do not intend to permit to the extent that it is in my control. And no official of my Administration, whether his rank is high or low, civilian or military, should interpret my words here tonight as an excuse to censor the news, to stifle dissent, to cover up our mistakes or to withhold from the press and the public the facts they deserve to know.
But I do ask every publisher, every editor, and every newsman in the nation to reexamine his own standards, and to recognize the nature of our country's peril. In time of war, the government and the press have customarily joined in an effort based largely on self-discipline, to prevent unauthorized disclosures to the enemy. In time of "clear and present danger," the courts have held that even the privileged rights of the First Amendment must yield to the public's need for national security.
Today no war has been declared--and however fierce the struggle may be, it may never be declared in the traditional fashion. Our way of life is under attack. Those who make themselves our enemy are advancing around the globe. The survival of our friends is in danger. And yet no war has been declared, no borders have been crossed by marching troops, no missiles have been fired.
If the press is awaiting a declaration of war before it imposes the self-discipline of combat conditions, then I can only say that no war ever posed a greater threat to our security. If you are awaiting a finding of "clear and present danger," then I can only say that the danger has never been more clear and its presence has never been more imminent.
It requires a change in outlook, a change in tactics, a change in missions--by the government, by the people, by every businessman or labor leader, and by every newspaper. For we are opposed around the world by a monolithic and ruthless conspiracy that relies primarily on covert means for expanding its sphere of influence--on infiltration instead of invasion, on subversion instead of elections, on intimidation instead of free choice, on guerrillas by night instead of armies by day. It is a system which has conscripted vast human and material resources into the building of a tightly knit, highly efficient machine that combines military, diplomatic, intelligence, economic, scientific and political operations.
Its preparations are concealed, not published. Its mistakes are buried, not headlined. Its dissenters are silenced, not praised. No expenditure is questioned, no rumor is printed, no secret is revealed. It conducts the Cold War, in short, with a war-time discipline no democracy would ever hope or wish to match.Nevertheless, every democracy recognizes the necessary restraints of national security--and the question remains whether those restraints need to be more strictly observed if we are to oppose this kind of attack as well as outright invasion.
For the facts of the matter are that this nation's foes have openly boasted of acquiring through our newspapers information they would otherwise hire agents to acquire through theft, bribery or espionage; that details of this nation's covert preparations to counter the enemy's covert operations have been available to every newspaper reader, friend and foe alike; that the size, the strength, the location and the nature of our forces and weapons, and our plans and strategy for their use, have all been pinpointed in the press and other news media to a degree sufficient to satisfy any foreign power; and that, in at least in one case, the publication of details concerning a secret mechanism whereby satellites were followed required its alteration at the expense of considerable time and money.
The newspapers which printed these stories were loyal, patriotic, responsible and well-meaning. Had we been engaged in open warfare, they undoubtedly would not have published such items. But in the absence of open warfare, they recognized only the tests of journalism and not the tests of national security. And my question tonight is whether additional tests should not now be adopted.
The question is for you alone to answer. No public official should answer it for you. No governmental plan should impose its restraints against your will. But I would be failing in my duty to the nation, in considering all of the responsibilities that we now bear and all of the means at hand to meet those responsibilities, if I did not commend this problem to your attention, and urge its thoughtful consideration.
On many earlier occasions, I have said--and your newspapers have constantly said--that these are times that appeal to every citizen's sense of sacrifice and self-discipline. They call out to every citizen to weigh his rights and comforts against his obligations to the common good. I cannot now believe that those citizens who serve in the newspaper business consider themselves exempt from that appeal.
I have no intention of establishing a new Office of War Information to govern the flow of news. I am not suggesting any new forms of censorship or any new types of security classifications. I have no easy answer to the dilemma that I have posed, and would not seek to impose it if I had one. But I am asking the members of the newspaper profession and the industry in this country to reexamine their own responsibilities, to consider the degree and the nature of the present danger, and to heed the duty of self-restraint which that danger imposes upon us all.
Every newspaper now asks itself, with respect to every story: "Is it news?" All I suggest is that you add the question: "Is it in the interest of the national security?" And I hope that every group in America--unions and businessmen and public officials at every level-- will ask the same question of their endeavors, and subject their actions to the same exacting tests.
And should the press of America consider and recommend the voluntary assumption of specific new steps or machinery, I can assure you that we will cooperate whole-heartedly with those recommendations.
Perhaps there will be no recommendations. Perhaps there is no answer to the dilemma faced by a free and open society in a cold and secret war. In times of peace, any discussion of this subject, and any action that results, are both painful and without precedent. But this is a time of peace and peril which knows no precedent in history.
II
It is the unprecedented nature of this challenge that also gives rise to your second obligation--an obligation which I share. And that is our obligation to inform and alert the American people--to make certain that they possess all the facts that they need, and understand them as well--the perils, the prospects, the purposes of our program and the choices that we face.
No President should fear public scrutiny of his program. For from that scrutiny comes understanding; and from that understanding comes support or opposition. And both are necessary. I am not asking your newspapers to support the Administration, but I am asking your help in the tremendous task of informing and alerting the American people. For I have complete confidence in the response and dedication of our citizens whenever they are fully informed.
I not only could not stifle controversy among your readers--I welcome it. This Administration intends to be candid about its errors; for as a wise man once said: "An error does not become a mistake until you refuse to correct it." We intend to accept full responsibility for our errors; and we expect you to point them out when we miss them.
Without debate, without criticism, no Administration and no country can succeed--and no republic can survive. That is why the Athenian lawmaker Solon decreed it a crime for any citizen to shrink from controversy. And that is why our press was protected by the First Amendment-- the only business in America specifically protected by the Constitution- -not primarily to amuse and entertain, not to emphasize the trivial and the sentimental, not to simply "give the public what it wants"--but to inform, to arouse, to reflect, to state our dangers and our opportunities, to indicate our crises and our choices, to lead, mold, educate and sometimes even anger public opinion.
This means greater coverage and analysis of international news--for it is no longer far away and foreign but close at hand and local. It means greater attention to improved understanding of the news as well as improved transmission. And it means, finally, that government at all levels, must meet its obligation to provide you with the fullest possible information outside the narrowest limits of national security--and we intend to do it.
III
It was early in the Seventeenth Century that Francis Bacon remarked on three recent inventions already transforming the world: the compass, gunpowder and the printing press. Now the links between the nations first forged by the compass have made us all citizens of the world, the hopes and threats of one becoming the hopes and threats of us all. In that one world's efforts to live together, the evolution of gunpowder to its ultimate limit has warned mankind of the terrible consequences of failure.
And so it is to the printing press--to the recorder of man's deeds, the keeper of his conscience, the courier of his news--that we look for strength and assistance, confident that with your help man will be what he was born to be: free and independent.