2010年10月24日日曜日

もうひとつの失われたもの

便利で不必要なものや楽しげで虚しいものがあふれてはいませんか?

便利でエコで手軽なものに囲まれながら、人を見つめる「まなざし」を失ってはいませんか?

嘘をつくことが常態化してしまって、他人の言葉を信用できなくなってはいませんか?

人生最終的には「金」だなんて思ってはいませんか?

もっともっと欲しい、もっともっと得したい、損だけは絶対したくないと思ってはいませんか?

僕らはそうやって大事なものをずうっと後ろの方に置き忘れてきたのではありませんか?

今十歳の人は恐らく三年ぐらい前に、今二十歳の人は恐らく十三年ぐらい前に、今三十の人は恐らく二十三年ぐらい前に、今四十歳の人は三十三年ぐらい前に、今五十歳の人は四十三年ぐらい前に・・・・人は何かを過去に置き忘れてきたはずです。

過去が美しいだなんて誰にも言わせない。
戻りたい過去なんてどこにもない。
でも、
記憶喪失にだけはなりたくない。何もなかったような顔をして、知らんぷりして生きるほどツルツルの人生を生きるつもりもない。凸凹だけど、「忘れまい」として生きていくことは大切なことだと僕は思う。

あなたの失ったものはなんですか?

昭和30年代の風景

2 件のコメント:

ペイネ さんのコメント...

『お金』は必要だけど、どんなに積んでも『人の心』は買えない。
先日、高知へ赴いた。
前から一度は来て欲しいと言われていたから。
東京者の私から謂えば、ど田舎で何もない場所だった。
『はるばる来てくれた!』と、観光や食事の時間を割いてくれる。
ご当地料理を堪能し、軽トラにも初めて乗った。
初めてづくし…‥の体験と、改めて知り合った方々の縁を再認識させられた。
見上げると、毎日飛行機雲が確認出来るくらい綺麗な空と空気。
24時間営業が一切なく、真っ暗な夜。
シンプルに生きるって、こういう事かな。。。
一つ一つの風景に感動でき、人々の気持ちが伝わった、素敵な旅だった。
心が通じ合う努力をこれからもしたい…‥と思えるよき思い出になった。

Kazan さんのコメント...

素敵な旅ですね☆

政治も経済も公教育もメディアも、僕らに本当のことは教えてはくれません。
僕らが自ら目覚める契機を持たなければ、今が一番良いわけです。
でも、と僕は思う。
本当に世界はコンビニなのか?地デジになって幸福になるのか?エコを推進するために車を買い換えるのか?昨日の朝日新聞夕刊のように国家の領土などこれからは必要のないものなのか?
金があれば勝ちなのか?

数え上げれば切りがないほど、価値観の歪みを強いられている気がしてなりません。
本当はどうなのか?を常に心の中に置いときたいですね。

地方に行って空を見るのは本当に目覚めの契機になりますよ。昼間は空が高く、夜は星が降るようです。
僕らは本当は幸福なのにそれが感じられなくなっている。もしくは、不幸なのにそれを不幸と見なせなくなっている。
だから「心の旅」は必要なのだと思います。それは音楽かもしれない。または文学かもしれない。あるいは絵画かもしれないし、演劇かもしれない。旅それ自体かもしれない。
いずれにせよ、日常の中でシンプルに静けさの中で生きる必要がありそうです。そして人は他者と出会い、己と向き合う。そんな人生時間をどこかで持ちたいものです。
現在の金融や政治もしくは法の邪悪なあり方などは、そうした静けさを僕らから簡単に奪い去るものです。

今流行のスローライフよりシンプルでトランクィルな生活の方がより必要なのでは、と僕は思っています。

ペイネさん、いつもコメントありがとうございます☆

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