2010年12月1日水曜日

謳わず 踊らず

昭和残侠伝 1965
さて、ひとつ前のブログの続編です。昨日、テレビでね、亡くなった俳優の池部良さんを特集していました。

高倉健さんが池部さんを「謳えない踊れないではなく、謳わない踊らない意志」を感じたと表したそうです。
俳優はともすれば、謳いたくなるものです。美しい台詞に酔うものです。
これは演出家や脚本家も同じ。
謳って欲しい、踊って欲しいと望むのは容易いが、表面の満足で終わるかもしれないという危険を絶えず感じていたいものです。

池部さんは決して器用な俳優ではなかったのでしょう。
しかし、言葉やたたずまいを「無為自然」にしようとする意志があったのだと思います。
それは、彼自身が自身のエッセーにも書いたとおり、帝国陸軍の青年将校として必死に戦争を戦ったというリアリティーがそうさせたのではないでしょうか。
「無為自然」とは「本気」という意味ではないかと思われます。
俳優池部良という人物から、端正な二枚目というイメージより、世界を俺はこう見るという意志の方を強く感じてしまうのも、彼自身の中の無意識の無為自然の存在故ではないかと思います。

たとえ演劇作品がミュージカルであれ、俳優の内的な部分では「謳わない、踊らない」は大切な姿勢だと僕は思う。
それはナルシスティックに己に酔うことを禁ずるからです。

人生は、ボードレールがかつて書いたように酔い続けなければならない。けれども、同時に自己陶酔を禁ずる厳しさも必要のだと思うのです。

僕の好きな映画「昭和残侠伝」は男の美学などと呼ばれていますが、実は「無為自然の美学」だったのではないでしょうか。
池部さんも高倉さんも、その木訥とした台詞回しは、決して謳うことはありません。こみ上げてくるものを全身から吐き出しているんだな。
だから名作なんです。

謳わず 踊らず、それは「無為自然」のもう一つの謂いでしょう。

『昭和残侠伝』予告編

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