去年の今頃、フォークの友部正人さんの「一本道」という曲についてこのブログで紹介したことがありました。
『一本道』
作詞:友部正人 作曲:友部正人
ふと後をふり返ると
そこには夕焼けがありました
本当に何年ぶりのこと
そこには夕焼けがありました
あれからどの位たったのか
あれからどの位たったのか
ひとつ足を踏み出すごとに
影は後に伸びていきます
悲しい毒ははるかな海を染め
今日も一日が終ろうとしています
しんせい一箱分の一日を
指でひねってごみ箱の中
僕は今 阿佐ヶ谷の駅に立ち
電車を待っているところ
何もなかった事にしましょうと
今日も日が暮れました
あヽ中央線よ空を飛んで
あの娘の胸に突き刺され
どこへ行くのかこの一本道
西も東もわからない
行けども行けども見知らぬ街で
これが東京というものかしら
たずねてみても誰も答えちゃくれない
だから僕ももう聞かないよ
お銚子のすき間からのぞいてみると
そこには幸せがありました
幸せはホッペタを寄せあって
二人お酒をのんでました
その時月が話しかけます
もうすぐ夜が明けますよ
一年に一度、僕はこの曲を聴きます。
たぶん自分の座標軸を無意識に確認しているのだろうと思います。ともすると見失いがちの初心と若い憧れを、僕はこの曲を聴くことで新たにすることができる。
若さというのは素晴らしい。でも、それは一瞬のようにして過ぎ去っていく。もし若さに胡座をかく者がいるとするなら、愚かなことだと思う。なぜなら、若さとは通過地点であり、人生のほとんどが若さ以外の要素で出来上がっているようだ。
でも、僕は確認したいのだ。
何のためにここに来て、何のために今を生きているのか。
何をしようとして、何をしてきたのか。
どこから来て、どこへ行こうとしているのか。
愚かさから始まり、少しは利口になったのか。
今は僕の望んだ今なのか。
今も時々、阿佐ヶ谷の駅のホームに立つ。
世相も変わり、価値観も変わったかに見えたが、実は一回りして、元の場所に戻ってきたような気がするのだ。
もう僕は若くないけれど、あの頃に戻りたいとも思わない。
白髪頭を撫でながら、中央線よ、空を飛べとつぶやいてみる。
落ち着くには、早すぎる。
悟るには、幼すぎるのだ。
若くはないが、老成するほどでもない。
時々、こうして友部正人の音楽を聴いて、自己を調整し直し、精神のチューニングを合わせてみる。
世界は驚くほど輝いていることに気がつく。
若さに光があるのではない、光に気づくことが、世界を生み出すのだ。
恐れるな、若者よ!
君の若さはいずれ消え失せる。だが、光に気づく知恵が、君に道の在処を示してくれるのだ。
中央線よ!今日も、空を飛べ!
友部正人『一本道』1972
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