2010年12月8日水曜日

いかがわしさについて

このところ歌舞伎界のプリンスに関する報道が連日テレビ及び新聞を賑わせています。
様々な報道が飛び交い、これまでさんざん持ち上げてきた人間に対し、手のひらを返したような中傷のオンパレード。
あまりにあからさまなので呆れてテレビをつける気にもなりません。
ふと朝青龍の事件を思い出します。同じことの繰り返し。

でも、本当に気になるのはそんなことではありません。
このような実際大して社会的意味合いのない酔っぱらいの喧嘩ごとき事件の報道により、報道されない他の重要案件はないのだろうか?という疑問が湧いてきます。
例えば、小さい報道に過ぎませんが、ウィキリークスの創設者アサンジ氏が英国で逮捕され、無実を主張していることなどテレビではほとんど言及されることはありません。仮にあってもほんのわずかでしょう。
ウィキリークスという組織自体も実際のところ正体不明、出資者も誰か分からず、実に謎の多い組織です。国家安全保障上の危機を高めるという名の下に、創設者の暗殺指令まで出ているというのは、まんざら冗談でもないと思われます。
ですが、本当のウィキリークスのいかがわしさは、機密情報の漏洩自体にあるのではなくその目的だと思います。国家体制というものの徹底的な破壊が目的だとすれば、彼らの動きはOne Worldを標榜し「新世界秩序」を推進する連中のまさにうってつけの武器のひとつであり、手先そのものの可能性もあるのです。少なくとも、今現在のウィキリークスの動きに対して、僕は肯定的ではありますが、その組織の本質はまだ不明のままだということは、忘れてはならないと思います。

そんな中で、日本のマスコミはまったく上に書いたようなことすら報道しなくなり、現政権の批判と芸能界のスキャンダルの追っかけだけに終始しているというのは、まさに「いかがわしさ」そのものではないですか。
なぜ都内だけでも人身事故が一日に何度も起こっているのか?なぜタイトルを変えながら「人権擁護法案」が何度も浮上してくるのか?なぜ韓国でも否決された「外国人参政権」がこの国では決まりかけているのか?本当に子供達の教育をこの国は戦後六十数年の間考えたことがあったのか?戦後史に関して僕らはどれほどのことを学校で教わったのか?なぜ若者達の能力を高める環境も奪いながら仕事も奪うのか?なぜモノを産み出すことのない金融が一人勝ちなのか?なぜ公立学校の教師達がアイデアを出して何かをやろうとすると教育委員会や地方自治体が出てきてことごとく潰すのか?いつからNHKは公共放送なのに特定の商品の宣伝をニュース番組で流すようになったのか?なぜキー局は番組を自ら製作することなく中小の製作会社に任せながら、制作費はピンハネするのか、この国に蔓延する差別の実態とは本当は何なのか?あれほど騒いだ年金の話はいったいどこに行ったんだ?etc...........。

マスメディアは何も報道してはおりません。
その姿こそ「いかがわしさ」そのものです。

人間という存在そのものが、そもそもいかがわしいものかもしれません。絶対的真実などという固定化されたドグマはそれ自体権力ですから、人間のいかがわしさとは本来ドグマになり得ないという柔軟性の謂いなのだと僕は思います。いかがわしさには、いかがわしさでもって対抗する。それこそ個人が「否」を突きつける重要な姿勢でしょう。

ありとあらゆるモノのいかがわしさの中で、抜き差しならぬ状況に陥って、人はひょっとしたら初めて素直に正直に自己を吐露することができるのかもしれませんね。報道が腐りきってしまった今、芸術の本質が試されているのではないでしょうか。つまり、本物の想像力が試されているのだと思います。

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