2009年4月9日木曜日

汚れっちまった悲しみに

中原中也


僕が学生の頃住んでいた、高円寺、いやむしろ少々中野寄りではありましたが、その近所に詩人の「中原中也」が住んでいたと知ったのは、だいぶ後になってからでした。
近所というより、中原中也の暮らした場所のすぐ隣?って感じかな?
僕は彼と同じ街の匂いを、時代は違うけれど、味わって過ごしたんですね。

中原中也と出逢ったのは、高校生の頃、駅のそばの「北上書店」で新潮文庫の「中原中也詩集」を立ち読みして気に入って、買ったのが最初でした。

中原中也の詩は、汚れと純粋が同時に存在し、僕らの存在が矛盾そのものであることを伝えている。
どうしようもない自分の汚れた部分と向き合いながら、むしろそうやって向き合うからこそ、一条の光が、言葉という表象を越えて、その人間の内部から外側へ発せられる。
青春の詩のように思われている中原中也の詩ではありますが、無頼の精神を体現した生きるスタイルがそこにあります。

生きるというのは、やがてひとつのスタイルを越えて、その人自身の自己造形に至る。

作品と出逢うというのは、強烈な印象の体験であり、強い影響力を受けるということです。

高校生の時から、この「汚れちまった悲しみに」は僕の精神の一部になってしまっていまいました。


町田康×中原中也『汚れっちまった悲しみに』

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