2009年10月17日土曜日

里山

春の里山

里山(さとやま)とは、集落、人里に接した、あるいはこうした地形において人間の影響を受けた生態系が存在している状態を指す言葉である。(Wiki)


過疎化が進み、人間と自然の関係が希薄になり、かつてはよく目にしたはずの「里山」が静かに姿を消しつつあるようです。
ウィキの定義に従えば、人里に接した山、人間の影響を受けた山の生態系が存在する場所に僕は育った。それは確かだ。
そんなことを思いながら、「国連大学」のビデオを観ると、いろいろ考えさせられます。
今は東京に暮らしながら、実は、ほんの近所に「里山」があるじゃないか、そんな気がします。
僕らは「里山」を見ながら「里山」だと思っていないんだな。
眼をこらせば、すぐそこに失われつつある「里山」があるんだ。

都会の喧噪に少し倦むことがある。そんな時、育った「里山」を頭の中で思い返している自分がいることに気がつく。
少年の頃、友達のお祖父さんに連れられて入った山。
山を3つぐらい越えた頃だ。
巨大な「コウタケ」(きのこ)の群落を見つけ興奮したのを覚えている。
「里山」はすぐそこにあって、いつも僕らを待っていてくれたのだ。
父とキャンプしてソーセージを焼いて食べたあの山。
父母と弟と「ドジョウ」を捕りに行ったあの山の田んぼの畦道。

今の生活からだいぶ遠ざかってしまったけれど、忘れてはいけないな。
僕の心の中の里山は、今もそこにあるのだろうか。

豊穣の里山

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