2009年10月23日金曜日

ボクとフリオと校庭で

現在、大忙しで様々新作の準備等を重ねています。

いずれ詳しいことをお伝えできると思いますが、「空中スケッチ」らしいHumann Dramaをご提供できるようますます意識を高めていきたいと思っています。

昨日、学生達相手に講義しておりましたが、その中で、今のこの時代がなんとも言えない「悪意」に満ちているにもかかわらず、上演されている舞台のその多くが「人間の闇の部分」であるとか「人間の本質の醜さ」であるとか、観る人間を「悪意」の方へ引っ張り込む感じがあります。
もちろん、すべてがそんな作品ばかりであるはずもありませんが、社会や時代の状況の暗さを殊更強調するそのやり口を、僕は「体制への迎合」と呼びます。

つまり、演劇を通じて、この時代の空気である「悪辣さ」を肯定し、「順応せよ」と迫る、そのやり口に我慢がならないのです。特にリアリズムを名乗る、もしくはドキュメンタリー・ドラマなどと呼ばれているものの中に、こうした「悪意」を感じます。
先日、亡くなった加藤和彦さんが残された言葉で印象深いのは、「今は、音楽が必要とされない時代になってしまった・・・」という言葉です。
世の中は音楽データが溢れ、消費される楽曲は無数にありますが、実際は「音楽は、今、必要とされなくなっている」んじゃないでしょうか。実際、こういうところにも、僕は悪意を感じるのです。

僕自身、「空中スケッチ」を通じ、リアリズム演劇をめざしているのですが、今世の中に溢れる「悪意のドラマ」とは無縁であります。

心穏やかに生きていきたいものです。
そして、明日の道筋はわからなくても、焦ることなく、慌てることなく、自分と自分のかかわる人間達を信じることのできる「奇跡」を見出したいと思います。
この悪意の時代にあって、真の「優しさ」は「厳しさ」であり、同時に「奇跡」そのものなのかもしれません。

悪意は確かに存在しますが、それを乗り越えようとするドラマを僕は見つめていきたいと考えています。
昔、聴いたポール・サイモンの「僕とフリオと校庭で」を見つけて聴きました。
いいんだなぁ。
なにかしら、今失われているものを感じるのですが。

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