2009年10月19日月曜日

ひまわりの夏

『ひまわり』(I Girasoli)1970

毎年夏になると、必ずどこかで、たとえば誰かの家の庭先であるとか、路の脇だとか、公園の端っことかで、「ひまわり」を目にする。
あの明るい黄色は、ゴッホの目にも映ったように力の源のように映る一方で、どこかもの悲しい。

昔、戦争があって、その戦争で何百万、何千万という人びとが引き裂かれた。
イタリアに住むジョバンナは夫のアントーニオを戦争にとられた。
逃げ切れずに徴兵されたアントーニオは戦場であるソビエトの町外れで、ロシア人女性に救われる。
戦争が終わり、未亡人として暮らすジョバンナの元にアントーニオの生存の話が伝えられ、ソビエトに夫を捜して旅立つ。
しかし、そこで目にしたのは、ロシア人の女性と暮らす夫の姿。絶望し汽車に飛び乗るジョバンナ。
アントーニオがジョバンナを訪ねる。
そして、戦争を挟んで、二人の人生がすっかり変わってしまったことを知る。
アントーニオはソビエトへ戻る。駅で、かつての夫をジョバンナはいつまでも見送っていた・・・・。

メロドラマかもしれません。
でも、毎年、夏にひまわりを見る度にこの映画のラストシーンの広大なひまわり畑を、僕は思い出します。映画や舞台、つまりドラマは、追体験です。なので、まるで自分の体験のように強く場面が思い出されるんですね。

あの黄色いひまわりの咲く大地の下に、イタリア人のみならず、ポーランド人も、そして日本人も沢山埋められているはずです。二度と故郷の土を踏むことのなかった人びとの亡骸の上に咲き乱れる黄色く輝く「ひまわり」の群れ。
この映画は戦争によって引き裂かれた男女を描いていますが、実は「ひまわり畑」を通じて、無名の戦士達の沈黙の慟哭を描いているのではないですか?

監督ビットリオ・デ・シーカの甘さを越えた演出は、今大人として観て理解できるような気がします。
僕の好きな映画の1つです。

○ジョバンナがソビエトのアントーニオを訪ねる場面


○映画「ひまわり」のラストシーン

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