2009年9月3日木曜日

アンジェラの灰


フランク・マコート(Frank McCourt, 1930年8月19日 - 2009年7月19日)は、アイルランド系アメリカ人の教員・作家である。

さる7月19日に一人の作家が亡くなりました。
その人の名は「フランク・マコート」と言いました。
長い間、英文学の大学の教員を務めてきましたが、生前に二冊の自伝的な小説を残しました。
それがAngela’s’ Ashes「アンジェラの灰」です。

舞台はアイルランドのリムリックという街。
アル中の父親に見捨てられ、苦しい生活を母のアンジェラと弟たちと過ごした幼かった日々を抉り出すように描いています。でも、ピリオドが本の一番最後に出てくるだけで、あとはすべてカンマだけで切れ目なく進む物語は、どこか滑稽で人でなしの父親の描写でさえ、笑ってしまう可笑しさがあるんです。本当にきつかったり、辛かったりすると、笑うしかないのかもしれない。
泥だらけで、風呂にもまともに入れない、食べ物もない暮らしの中で、幼い弟たちが一人ずつ餓死していきます。その間も、父親はどこかで飲んでいるのでしょう。母親にもどうする術もありません。

主人公のフランク少年の楽しみは、巡回してくる移動図書館で借りるシェイクスピアを読むこと。貪るように読み、学校の成績もいいのですが、進学できるはずもない。それでも、文学はこの少年の唯一の慰めであり、生きる糧だったんだな。
大人の現実を知るはずもない少年から見た最底辺の生活を、僕らに教えてくれる。
そして、希望の欠片のようなものを伝えてくれるのです。
それは、夢見る力。
どんなに貧しくても、死にかけた弟の乳母車を押しながら、シェイクスピアの言葉を暗誦することで生き抜くことがことができるという人間の力。

夢見る力だけが、僕らを生かす最後の砦なんだ、ということが本当に良くわかる。
原作を読んで、映画も観ましたが、どちらも傑作だと僕は思うな。
対人関係と心理的な駆け引きだけが過度に重要視され、悲劇がそこから生み出されているように見える最近の日本の状況にあって、駆け引きする余裕もないときに、人間は、何を糧に生きることができるのかをこの本を通して知ることができる。
そして、今もうすでに、この少年の味わったような苦しみの時代がやってきていることを忘れまい。

アンジェラの灰は、単なる他人事、他人の悲劇などではないと僕は思う。

映画『アンジェラの灰』予告編


作家Frank McCourtに捧げられた映像

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