2009年9月6日日曜日

なにもこわくないさ☆

Knockin' on Heaven's Door:1997ドイツ

奇跡のように生まれるドラマがある。
このドイツの名もない人々が集まって創りだした『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』もそのひとつです。
僕は評論家じゃないので、自分の作品作りを通して感じたものや、講義のために考えざるを得ぬもの、あるいは、好きでしょうがないものをこのブログでは取り上げております。
映画に限らず音楽や書物や日常の雑多な出来事まで、いろんなその日の思いを言葉にしています。その意味ではこれも日記のひとつかもしれません。

さて、『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』は、僕がまだ三十代の時に観た作品です。
あっという間に時は経つもので、もう十二年も前の作品になるんですね。
この映画は最初は笑い、中盤はハラハラ、そして終盤は涙という、実はまことに贅沢な作りをしています。それでも、観客や映画自体に媚びたところのない素朴で力強い作品です。
脚本を書いて演出したトーマス・ヤーンはタクシードライバー。
俳優のティル・シュヴァイガーにその脚本を送ったところからこの映画は走り始めます。誰の目にも止まることのなかった無名の脚本とアイデアがやがて人を動かしていきます。ルトガー・ハウアーもその一人で、ギャラの低さを無視し、まわりの反対を押し切って出演を承諾しました。

ドラマの世界はおかしなもので、制作に関わっている人間で、驚くほど脚本を読むことのできない人が時々います。それでも仕事になるところが不思議なのですが、実際は読めない人に新しいことはできない。それが現実でしょう。誰も評価しないものを評価するには、読む力と本物の自信と確信が必要なのです。
この映画は、その意味で、脚本を読むことのできた人々に愛された物語ということが出来ると思います。
そう、読む力、理解する力がなければ、愛情も育たないんだな。
なにしろ、映像のヒントは脚本しかない状態でほんとうにごくわずかな人、最初は一人だけ、そんな人だけが動いた作品なんです。
最初の人が肝心なんだよなぁ。油断せず、いつでもそんな風にありたいものです。

おそらく、冷たく嘲笑う商売っ気たっぷりの人間達はこの作品の制作には近寄らなかったはずです。何がどうなるのか、てんでわからない状態というのは恐いものです。でも、それこそが本当の作り手のオーディションなんだ。そこでこそ、本物の創作者が選り抜かれる場所なのです。

『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』という映画は、そんな多岐にわたるオーディションを生き抜いた映画なんだ。だから、最後まで気が抜けないし、最後の瞬間、映画のエンディングで、砂浜に横たわる瞬間、心から涙が溢れ出してくるんだ。
この映画は、たとえ死にいく人間を描いたとしても、なんとしても生き抜こうとした人間の映画です。
死ぬにあたって、天国で流行っている「海」というものを一度でいいから見てみたいと思った二人の男たち。
必死に海へ向かったふたりに、天国の扉は開いただろうか?
僕は、開いたと思っている。
その扉の向こうに行った二人は、海の光について話しているだろう。
これは、一回こっきり、一期一会の、本物の、映画ですよ。

Knockin' on Heaven's Door:Ending

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