2009年9月1日火曜日

出発


祭りの準備:1975

ATG(アート・シアター・ギルド)の映画作品は東京に出てきたらまず観なくてはならない作品達だった。岩手のどの映画館でもATGの制作した映画だけは観ることができなかった。
低予算で創られたATG映画はどの作品も個性があり、ひとつとして似たものはなかった。
もし共通項があるとするなら、それは、どの映画も映画への愛と冒険に貫かれていたことだと思う。
なぜなら、これらの映画は配給先も限定されていて、商業的に大儲けできる可能性が最初からないからだった。創り出すということが最大の目的だとすれば、自ずと実験的で、ともすれば自己満足的な自己完結した似非芸術を生み出す温床にもなり得ただろう。
しかし、当時の金額で「一千万映画」と言われた最低の予算内で何が撮れるのか、格闘の結果生み出された作品は傑作が多かったように思う。
僕は池袋の「文芸地下」という日本映画の名画座で、漁るようにATGを観た。
1976年に東京に出てきて、前の年、1975年にキネマ旬報で絶賛された「祭りの準備」はシナリオを読んだだけで打ちのめされ、東京で観なくてはならない映画第1号になったのでした。

文芸地下で行われた黒木和雄監督の特集で、「津軽じょんがら節」「龍馬暗殺」と一緒に僕はこの「祭りの準備」を観たのです。
映画の詳細については、かつてこのブログに書いたことがあるので、このブログ内を検索して下さい。
嬉しいことに外国の方が、この映画の予告編をアップなさっておりました。
Thanks!!!
三十数年ぶりに観ることができました。
今の映画にはない「暗さ」があるけれど、ねばっこい人間ドラマがありました。青春が太陽の光に照らされた時代だけでなく、じめじめしながらも明日を夢見ることもあるんだと教えてくれる、そんな映画でした。

中学時代聴いた吉田拓郎さんの「祭りのあと」は光の後にやってくる影を歌っておりましたが、映画「祭りの準備」は光の前の、あるいは夜明け前の暗さを歌っておりました。

こういう映画がテレビなんかでも観ることのできない時代に生きているんだなぁ、とつくづく思います。僕らは観るべきものを観ることができずに、知るべきことを知らずに暮らしているようです。今目の前に並んでいるものがすべてだなんて思わない利口さが必要かもしれません。

『祭りの準備』予告編


こんな映画から、人生を学びました。

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