2009年11月9日月曜日

台詞のないイントロ

芝居は台詞だと多くの人が思っています。

ですが、それは違います。台詞は芝居の一部であり、台詞以上にドラマを成立させている要素が、登場人物の「行動」なのです。
日本では「台詞術」という言葉があったりするぐらい台詞イコール演技イコール芝居みたいな感覚がありますが、それはちょっと極端すぎます。むしろ、台詞に対する疑いから始めたいと僕は思うんです。

台詞が説明に傾くとき、ドラマは死にます。
台詞は良い台詞であれ、出来の悪い台詞であれ、瞬間に消えていきます。状況を説明しようと説明に頼りすぎると、台詞はすぐにアリバイ証明の匂いを発し始めます。ドラマはアリバイの証明ではないので、説明は必要最低限です。この最低限であるという認識が理解されない場合もありますね。
しかしながら、説明の台詞は、不可欠な台詞と違って、実ははっきりと観る者に伝わってしまうのです。だからとても厄介。ドラマを殺さないためにも、台詞の説明は避けようと思いますね。

さて、だからこそ、登場人物の行動が問われるんだと思う。
行動の唐突さは台詞の説明がないときに感じるものですが、台詞に頼らずに「行動」を中心に戯曲なりシナリオを読めば、唐突ではないことが、実は多いのです。
台詞に頼りすぎる場合、台詞の説明で安心し、唐突な出来事がよく起きるものなのです。

ロック系の映画でサイケデリックの傾向もある「イージー☆ライダー」という映画の導入部分はほとんど台詞らしい台詞がありません。
登場人物達が何をやっているのかは、観る者が理解しようとしない限り、謎のままでしょう。それだけではなく、映画全体が「わからない」ままかもしれません。
しかし、このピッタリ10分ほどのイントロ場面こそがその後の二人の若者の旅が、自由でありながら、同時に「不穏」なものであることが、感じ取れる仕組みになっています。
実によくできてる。
この映画の成立当初は、妙な導入部だと批判もあったに違いありません。
それでも、これは成功している「行動」のドラマの典型ですよ。

台詞で説明なんかさせるなよ。ドラマを殺すなよ。

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