2009年11月5日木曜日

まさか。。。

2009年11月4日(朝日新聞)

米ワーナーが日本映画に本腰 まず「忠臣蔵

「 ハリウッドの映画製作大手のワーナー・ブラザーズ映画が、日本映画の製作に本格的に乗り出すと発表した。1本目は池宮彰一郎原作の「最後の忠臣蔵」。役所広司さん、佐藤浩市さん、安田成美さんらが出演、「北の国から」の杉田成道監督がメガホンを取る。8日にクランクインし、11年新春の日本公開を目指す。

 ワーナー・エンターテイメント・ジャパンによると、07年に日本映画を製作するローカルプロダクション部門を立ち上げた。来年は3本程度を作る予定で、今後、定期的に製作を主導していく。ワーナーは過去に「ラストサムライ」などの米映画を日本でも撮影し、「GOEMON」などの日本映画にも出資してきた。ウィリアム・アイアトン社長は「これらのノウハウを生かして質の高い日本映画を世界に発信していきたい」と話す。

 日本では昨年、日本映画と外国映画の興行収入比が59.5%対40.5%で、ハリウッド映画離れも進んでいる。そんな中で、米大手各社は、20世紀フォックス映画が「サイドウェイズ」(公開中)、ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントが「レイン・フォール/雨の牙」(今春公開)などの日本映画の製作に進出している。」


こんな記事を読みました。
おお、日本映画も盛り上がって良いじゃないか!と一瞬思えますが、ほんとにそうですか?
米国は九十年代にブロードウェイを中心にオリジナルの舞台を創る意欲をなくしてしまいました。それは市場原理に支配された経済システムの中で儲け地上主義に陥ったがために、一切の冒険つまり投資を行わなくなってしまったからです。
米国の舞台産業が投資するようになったのは、イギリスやフランスなど他国で制作されヒットした前歴のある作品や、かつてヒットした往年の名作のリメイクのみです。
映画産業にもこれと同じ兆候が見えました。世界各地のソフト(海外制作の映画やゲーム)を買い漁り、次々と映画化し世界市場に売り出していきました。
小さな映画で良質の映画は、ハリウッドにも未だに存在するでしょう。しかし、大半は市場原理主義のまさにテストケース。つまり、売れる物のみを創る姿勢に支配されています。メディアはそのためのプロパガンダ装置。そして、「売る」ということのみが一人歩きする商業装置が映画産業そのものに成り果ててしまいました。文化や芸術は、とうの昔に消費されてしまったわけです。

世界を「消費者の国」と見る現在の米国映画産業が日本のローカルな題材を世界に売り出す、と言ったとき、一抹の不安を覚えるのは僕だけでしょうか。
日本の文化は、米国に売っていただく必要はないし、米国の資本で支配されコントロールされる必要はありません。ローカルなものは、そもそもユニバーサルなものです。普通、特殊性は理解不能のものと思われがちですが、地域的な特殊性こそが、世界の別の地域と共通する要素なのかもしれません。なぜなら、僕らはみなそれぞれのローカルに暮らす存在だからです。世界に中心はないのですから。

「ラスト・サムライ」は西洋人達が頑張って創った日本を舞台にした映画でしたが、ちょっと見れば、いろいろな違和感に気づかされる映画でもありました。
このままいけば、西洋人の見た日本を押しつけられるか、あるいはまた、日本映画をサムライ・ムービーとして世界で消費しようとするのか、そのどちらかになるのは火を見るよりも明らかでしょう。

ハリウッド映画離れが何故起きているのか、ハリウッド自身が気がつかない愚かさが、世界を暗くしていることに気がつきたいものです。市場原理主義から遠く離れる必要も、一部ではまた必要だと思うのです。

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