今年は本当にいろんなことがありましたが、その中でも大きな出来事は、様々な再会でした。
きっと個人的にも時代的にも大きな転換点にいるのだと思います。
自分自身の来し方行く末をしっかりと受け止め、見つめたいと思います。
おっと、年越しそばの準備ができたようです!
また、来年☆
皆さん、良いお年を!
☆上野火山☆
今年は本当にいろんなことがありましたが、その中でも大きな出来事は、様々な再会でした。
きっと個人的にも時代的にも大きな転換点にいるのだと思います。
自分自身の来し方行く末をしっかりと受け止め、見つめたいと思います。
おっと、年越しそばの準備ができたようです!
また、来年☆
皆さん、良いお年を!
☆上野火山☆
先日、わが家の子どもたちが、本の整理をしました。
懐かしい絵本の数々に時間も忘れて見入ってしまいました。
でも、新しい本を収納するには、外へ出さないといけない。そこで自転車こいで近所のお馴染みの図書館へ運んで引き取ってもらったのでした。
お別れしても大好きな本と図書館で会えるので、子どもは大喜び☆
そして、数日経った今日、わが家のポストにこんな手紙が、
「きれいなよい本をたくさん
ありがとうございました。
中の一冊に大切なものがはさまっていたので
お返し致します。」
大切なもの。
それは、
四つ葉のクローバーでした。
ありがとうございます☆
☆上野火山☆
現在仕事中。
窓の外は今日も気持ちよい青空です☆
頭によぎるあれこれを、ちょっと書いてみますね。
先日、テレビで「良質な番組(ドラマ)を観たければ、CS(有料放送)を観なさい」と、ある司会者が述べていました。まるで、ジョージ・オーウェルの登場人物のようでした。
民放と言えども、CMによって消費行動が伴うので、決して無料(ただ)の放送を視聴しているというわけではありません。ましてや日本放送協会の放送は、昨今企業の宣伝を巧みに埋め込んだニュースを朝から晩まで流しているように思えるのは僕だけでしょうか?すなわち、視聴する料金を支払った上で更にCMを擦り込まれているという状況です。
その上で、更に良質の番組を視聴するために別立てで課金されるんですね。
どこまでお金を払えばいいのだろう。観なけりゃ払う必要はないよという声が聞こえてきそうです。勿論、必要のないものは観ませんが、民放のCS放送の方が良質だとしたら、その他一般の番組は「手抜きです」って言ってるようなもんじゃないですか?ですよね?
実に不思議なことです。こうして僕らはたえず消費行動に駆り立てられているんでしょうね。
宮台の言った「まったり生きろ」というのは、まさにこのことだったのだな、とあらためて思います。
というわけで、今、世界のあらゆる部分で、市場経済の思想が行き渡り、国民であれ市民であれ、町民であれ村民であれ、小さな部族の一員であれ、全ての人は押し並べて「消費者」になってしまいました。
良いサービスを受けたいのなら、それ相応の料金を支払わなければなりません。当然です。
ですが、情報に対するアクセスや、最低限の基礎教育や、必要最低限の生活のインフラ、乃至はライフラインの確保、といったものは、消費行動などではなく、生活の基盤です。
しかしながら、食物の供給からはじまって、生活の細部にわたって今や市場経済の市場の競争というやつに人々はつきあわされ、右往左往しているだけのようです。
我々は今や選んではいません。与えられるのを待っているだけです。なぜなら、それこそが消費者の望ましい消費行動なのですから。
消費行動の中に「格差」が見え隠れするのです。
人は常に「差異」を抱えて生きている。
しかし、その差異を格差とは呼びません。格差は「消費社会構造」に特有のヒエラルキーのことでしょう。勝ち組み負け組という価値観は、芸術や文化には本来基本的には存在しないものですが、そうした分野にさえも「消費社会」が入り込んでくると、途端に芸術や文化の勝ち組み負け組が生まれてきます。たとえば、どこかの密林の奥地にいる部族の芸術作品と、ヨーロッパのルネサンス期の芸術作品と比べて、どちらがより勝っているなどと誰が言うことができますか?
にもかかわらず、「市場原理」の基づいた「消費社会」では、「売れる方が勝ち」ということになる。格差とは、たかがそんなものです。そろそろ目を覚ましたいものですね。
競争は素晴らしい人間生活の活力を生み出すエンジン部分です。競争なくして何も生まれません。
しかし、市場経済プラス消費社会という尺度で過度の競争を生みだし煽るのは、狂気の沙汰ではないでしょうか。
人を「消費者」としか観なくなったとき、ドラマに携わる人間にとって、真の観客、すなわち「共感を通して見守る観客」を失うのだということを肝に銘じておきたいと思います。
僕は「消費者」である前にまずは人生の「観客」、「買う者」ではなく「味わう者」、でありたいと思います。
窓の外には「青い空」。
白い雲もぽっかり浮かんでいました。久々の休日。
仕事部屋の大掃除をしました。
だいぶいろいろなものを捨てました。資料としてとっておいた雑誌やマニュアルの類はすべて捨てた。捨てることで空間が生まれ、風通しも良くなり、仕事環境が整ってきました。
小さな幸せだね。
仕事部屋の角の窓辺に、空が見える。
まるで、船の操舵室のようです。北と東の空が見渡せます。
己の鼓動を聴く。
4ビートか、8ビートか、時には16ビートかもしれない。
鼓動を聴く静けさと、鼓動を感じる激しさが、両方必要だ。
仕事部屋にて、静かに激しくロックする俺がいる。
なんてね!
必要最低限のものと共に、じっくりと生きるのがいい。
そういえば、今夜は「牡蠣のオイスター・ソース・ソテー」を作ると家族に約束してしまった。
鶏の胸肉と一緒にソテーを作ろう!
添えるのは昨日漬けておいた「人参の糠漬け」。うまいぜぇ~。
仕事部屋で、窓の外を眺めながら、こんなことを考えていました。
久々のゆったりした時間を満喫しております。
☆上野火山☆雨に煙る銀座、並木通りの向こうに小さな劇場があって、そこで『ブレーメンの自由』という芝居が上演されていました。1時間50分、集中して見せていただきました。
物語は、18世紀のドイツで十数人の人間を次々と毒殺したゲーシェ・ゴットフリードという女性の半生を辿るものでした。
古い因習の中で、偏見と差別と制限に曝されて苦しみながら、そのルサンチマン(恨み)を殺人という方法で昇華させながら、徐々にふてぶてしい女に変貌していく。
しかし、最後には自分の順番が巡ってくることも予測している。舞台では、彼女が振り返り「今度はあたしの番」という所でエンディングを迎えるけれど、実際、この女性は公開処刑になったそうです。
実在した一人の女性を通し、過去の陰惨な出来事が、実は今日的な問題をはらんでいることに気づかされます。すなわち、封建的な価値観の内包する閉鎖性は、実は今日的な価値観の閉鎖性と通底し、人々をルサンチマンの虜にしていく。人は、時代の檻の中に無意識に押し込められ、もがき続けている。気づく人間と気づかぬ人間がいるだけかもしれません。
21世紀の初頭に暮らす僕らは、18世紀のゲーシェという名の毒婦と何ら変わることのない封建的ではないかもしれませんが、今の常識的価値観、貨幣的価値観に取り込まれ、勝ったの負けたのと騒いでいるわけです。
1人の女性の犯罪は、一時的なカタルシスを生みながらも、本人自身を蝕んでいく。
救いのない物語ではありましたが、その救いのなさが、妙にリアルに迫ってきました。今の時代を彷彿とさせながら。
銀座の夜の町を、雨に濡れながら、いろんなことを考えてしまいました。
良い舞台をありがとうございました☆
高瀬さん、中村さん、感謝です!!
またお会いしましょう☆
昨日の朝、見つけました☆
ホンモノのフレディーを!
たった一枚。
寒空の中、がんばっていました。
こうやって気づくことがなかったら、人知れず地面へ落ちていたのでしょう。
たまたま、こうして見つけることができた。
そのことの必然を感じました。
誰かがきっと気がつき、
誰かがきっと見ていてくれる。
それが、一枚の葉っぱの教えかもしれません。
さて、今日はとても良い天気です。
もうすぐ家を出て、劇団TAGの公演に顔を出します。
みなさんも、もしお時間があれば、ぜひ!
劇団TAG:公演告知
『愛しき女たち』
原作:A・チェーホフ
[コーラスガール]
[意地っぱりとお嬢さん]
[誘惑]
[じつは彼女だった!]
[ある令嬢の話]
以上短編5作品のオムニバス公演を行います。
〈タイムスケジュール〉
12月
9日(水) 19:00~
10日(木) 14:00~ 19:00~
11日(金) 14:00~ 19:00~
12日(土) 14:00~ 19:00~
13日(日) 14:00~
〈劇場〉
荻窪 アール・コリン
(荻窪駅の南口、もしくは南口bを出まして青梅街道方面に直進{南口の場合左に直進、南口bの場合右手に直進}、約8分程で青梅街道に出て右手に劇場が見えます)
住所:東京都杉並区荻窪3-47-18 第五野村ビル1階
TEL:03-3392-9623
〈チケット〉
前売り 3000円
当日 3300円
〈問い合わせ/チケット予約〉
TEL&FAX:03-5372-1839(ナカヤ)
E-MAIL:t_a_g@infoseek.jp
※未就学児童はご入場出来ませんので、ご了承ください。
生活の中に音楽なければ生きていけない、と以前書いたことがあります。
音楽は形を伴わないので、それはまるで空気のようなモノです。
演劇を音楽のように行いたいと強く望みながら生きております。
今朝、不思議なことがありました。
我が家の上の子が、スライスしたパンにチョコレートシロップをかけていたとき、
パンのはしっこから垂れたシロップが、コップにくっつき、見事な♪音符になりました。
僕は、こういうの偶然と思えないんですよね。
いや、この世界に偶然なんかあるはずがない。むしろ、かなりの割合で意味に満ちあふれているように思います。すなわち、偶然は必然の無意識の現れである、と思っているわけです。
で、この音符、見事な8分音符なわけで、4分音符の半分。タタタタ、タタタタ・・・って感じ。。。
一曲浮かんだんで、テキトーにピアノで弾いてみた。
テキトーが良いんです。
こうして我が家では、今日も朝から音楽のある暮らしでした。
「偶然の音符」が奇跡だと知りました。
奇跡なんか信じないという人もおりますが、人生、奇跡の連続です。
それも小さな奇跡が。いつも最後の奇跡なんだろうなぁ。
先日見かけた落ち葉と雨の風景です。
今日も午後から雨が降るらしい。昨日は天気がよかったですが、またすぐに寒い雨。
雨が本当に寒く感じる季節になりました。
いろいろな方から舞台のお知らせを受けています。
全部に顔を出したいのはやまやまなれど、なかなか顔を出せていません。
みなさん、お許しを!
時間のある限り、また必ず行きますから連絡はぜひ絶やさずにいてくだされ☆
我が家で現在プチブーム中の「侍言葉」がつい出てしまう今日この頃。
政治や経済の動向に、つい「笑止!!」と心の中で叫んでおりまするぞ。
さてさて、今日も一日張り切っていきましょうぞ☆☆☆
「馬に乗って、戦うとな???」
最近、僕の親友が糠漬けなんだな。
糠漬けは、本当に素晴らしい☆☆☆
毎朝、糠床をこね回し、余計な水分をキッチンペーパーで吸い取り、新たな糠と塩を足し、昆布や鷹の爪を混ぜ込んで…。
手をかけて、それに応えてくれる、そんな感じがします。
兎に角、近所の一生懸命屋さんの路地野菜が最高のご馳走になるんだよ。美味い!
しばらく、糠漬けを楽しみたいと思います。
実は昨夜、糠漬けの夢を見ました。
入り込んでます。オレ。
☆上野火山☆
2009年11月4日(朝日新聞)
米ワーナーが日本映画に本腰 まず「忠臣蔵
「 ハリウッドの映画製作大手のワーナー・ブラザーズ映画が、日本映画の製作に本格的に乗り出すと発表した。1本目は池宮彰一郎原作の「最後の忠臣蔵」。役所広司さん、佐藤浩市さん、安田成美さんらが出演、「北の国から」の杉田成道監督がメガホンを取る。8日にクランクインし、11年新春の日本公開を目指す。
ワーナー・エンターテイメント・ジャパンによると、07年に日本映画を製作するローカルプロダクション部門を立ち上げた。来年は3本程度を作る予定で、今後、定期的に製作を主導していく。ワーナーは過去に「ラストサムライ」などの米映画を日本でも撮影し、「GOEMON」などの日本映画にも出資してきた。ウィリアム・アイアトン社長は「これらのノウハウを生かして質の高い日本映画を世界に発信していきたい」と話す。
日本では昨年、日本映画と外国映画の興行収入比が59.5%対40.5%で、ハリウッド映画離れも進んでいる。そんな中で、米大手各社は、20世紀フォックス映画が「サイドウェイズ」(公開中)、ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントが「レイン・フォール/雨の牙」(今春公開)などの日本映画の製作に進出している。」
ほんとに寒くなってきましたね。昨日あたりから、冬が来た感じ。
昨日は木枯らしが吹きまくり、今日もコートが必要でした!
冬の沈む太陽。
今はあたりはすっかり暗くなってしまいました。
今夜の我が家の夕食が楽しみですわ☆
☆上野火山☆
ベランダから毎朝見る富士山は、刻々とその姿を変え、季節の移り変わりを教えてくれます。
実は夕陽の観察も好きですが、富士山の観察も好きです。
我が家の誰かが、「あっ!プリン!」と叫ぶ声がベランダからしました。
見たな…富士山プリンを…。
☆上野火山☆
都会のど真ん中に、こんな穏やかな景色があるんです。当たり前だけど。
すぐ近くが神楽坂。
このすぐ真下に釣り堀。
いつもは電車からただ眺めている風景ですが、今日はその一部になってみました。
ちょっとまた東京を違う目で見られるかな。
☆上野火山☆
夕暮れはどこか儚い感じがするけれど、でも明日へ続く時間でもありますね。
今日も素晴らしく良い天気で、実に気持ちが良いのですが、夕方は気温も下がり、秋の深まりを感じることでしょう。
もうすぐ紅葉して、落葉が始まり、冬へ。
その意味では、秋は、季節のなかでも夕方の時間帯かな?
春は朝、夏は昼、秋は夕方、冬は夜。
そんな風に勝手なイメージを持っていますが。
夕方の光はカクテルグラスのようで、夕陽倶楽部のメンバーではありますが、ただのオレンジや赤ではない複雑な夕方のカクテルライトが好きですね。ほんと。青のような紫のような赤。時間は色の変化でもあるんだな。
昨日、今日、明日。
光が変化するように、人生もいろいろな色に変化します。
頑なな心は、昨日、今日、明日を本当に味わうことを妨げる。
だから、
柔らかく、周囲の変化に敏感に生きていきたいと思います。
今日の夕方の光は、いったいどんな色をしてるんだろう?
楽しみです。。。
でも、立派な銭湯☆
煙突もかなり立派。
いったい僕はどこに目をつけてるんだ?もっと上を向いて歩こう!
そして今度ここへひとっ風呂浴びにこよう!
☆上野火山☆
映画『私のなかの8ミリ』舞台挨拶&トーク:大鶴義丹さんと高杉瑞穂君
とてもとても愛すべき映画に仕上がっていました!
主人公の女性の「後悔」の物語。
でも、幻影のように彼女と旅をするかつての恋人に前へ進むことを教えられる。
旅が自分自身に対するレクイエム(鎮魂歌)になり、別れは明日への路となる。
後悔が、やがて希望になる瞬間を静かに見つめる物語。
静かな左側に海を見ながら走る日本海側の風景と、巨大な風力発電の風車が回る風景、そして緑のなかを二台のバイクが走る。
とてもリリカルな物語を映像がバックアップしてる、そんな感じがしました。
出演者とスタッフとがとても息があって楽しんで制作している様子が見えました。
それも、この映画の持つ雰囲気の良さかもしれません。
上映前に監督の大鶴義丹さんと主演の高杉瑞穂君とちょっとお喋り。
お二人とも和気藹々として、映画作りがほんとに楽しかったんだなぁと感じさせてもらいました。
終了後のトークでは三十分以上に渡って、裏話や映画やドラマに対する意識や姿勢などを語ってくれました。
その中で、印象に残った一言は、お二人がそれぞれの言葉で述べた「映画はテレビより舞台に近い」ということ。
僕も同感です。
映画は劇場で上映されるもの。テレビも良いけれど、テレビの立ち読み感覚は映画や舞台にはありません。時間限定で客席にお金を払って拘束される映画や舞台は観る側にも、ある種の覚悟と責任を問うことになります。恐らく、そうやってはじめて集中した「観劇」という行為が生まれるのでしょう。無意識にテレビも映画も舞台も、すべて同じ芸能だろうと思ってしまうかもしれませんが、実はジャンルが違えば全く異なった表現媒体(メディア)なのだと思います。
そんなメディア論もお二人は語ってくれました。
まったく同感だな。
そして、大鶴義丹さんが自分の仕事を「芸能」ではなく「芸ごと」と呼びたいと仰いましたが、それもいい表現だな、と思いました。
さわやかな映画と有意義なお話し。
とても意味のある二時間を過ごせました。
お二人ともありがとう!!!
☆上野火山☆