2009年8月6日木曜日

Summertime Blues

Stray Cats :

明日からしばらく東京を離れます。

どうも夏ッ!って感じになりませんね。温暖化とはいうけれど、ほんとに温暖化してるんだろうか?
76年に東京に出てきたとき、寒い夏でした。夏なのに冬のコートを着ていたのを覚えています。その年の冬は大雪で中央線が止まってしまった。
あの頃、世間では「氷河期」が近いと言われていたのです。マジに。
地球全体が少なくとも「小氷河期」に入るだろうと専門家達は口をそろえて騒いでいました。

なのに、八十年代に入り、やがて、いつのまにか、ふと気がつくと・・・「地球温暖化」が騒がれていたわけですよ。だから、今の三十代ぐらいまでの人にはあまりピンとこないかもしれないけど、環境問題に関して専門家と呼ばれる人々の言説もどこか「変」なんだよ。
二酸化炭素排出量に関しては、今や国家間でまるで株の取引のように扱われ、知らないうちに、新しい金融商売が出来上がっている。
その意味では「地球温暖化」すら、政治的策略のひとつかもしれないと疑ってみる必要があるのかもしれない。懐疑主義的姿勢が必要な時代なのさ。懐疑主義を極力生まないように、思考力低下をめざしたのがこの国の戦後教育だったのでしょう。そして、まさにそれが今実現しつつある。
思考力とは懐疑力のことだと思うよ。

#1. 知識や情報を簡単に安易に「暗記しない」こと。
#2. 情報それぞれを鵜呑みにせず、たえず他と「比較する」こと。
#3. 自分自身に染みこんでいる「常識をまず疑ってみる」こと。


僕がロックするというとき、それは懐疑する力を高めることをいう。
ロックとは大人になるのを拒絶する成長不良のことではないだろう。まして、反体制を標榜し、殊更のように犯罪に手を染めてだらしなく生きることでもないだろう。
妙な比較かもしれないが、それこそ押尾学のロックと銀杏BOYZのロックの本質的で決定的な差異に他ならない。押尾はロックじゃないが、銀杏はロックなんだ。
押尾はカッコイイが、銀杏はカッコワルイ。押尾は他人の馬鹿を歌うが、銀杏は自分の馬鹿を歌う。
押尾は人を裸にするが、銀杏は自分が裸になる。押尾は酒を飲むが、銀杏は酒を飲まない。押尾のロックはスタイルだが、銀杏のロックは生活だ。押尾は政治に憧れるが、銀杏は政治とは無縁である。押尾は喧嘩が強いが、銀杏は情けない。押尾は非凡で、銀杏は平凡。押尾はお洒落なアメリカンだが、銀杏は限りなく田舎臭い。押尾は六本木の匂いがするが、銀杏は中央線と井の頭線の匂いがする。
だから、押尾学はロックじゃないが、銀杏BOYZはロックなんだ☆
ロックするとは自分と向き合うことだ。
謙虚な懐疑力が、僕らをロックさせるんだよ。
だとすれば、まずはその己の思い込みと常識から疑ってみるべきなんだ。

Stray Cats の Summer Time Bluesを聴きながら、そんなことを思った。

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