2009年8月16日日曜日

サヨナラだけが人生だ


『生きていくことは 恥ずかしいことです』川島雄三

小型スパイカメラ「ミノックス」を愛した男。
いつもカメラを持ち歩き、ミノックス・ファンクラブまで作ってしまいました。
川島雄三という孤高の映画監督の短い生涯に関しては、藤本義一さんの『川島雄三、サヨナラだけが人生だ』やご本人の『花に嵐の映画もあるぞ』をぜひ一読して頂きたい。

彼のデビュー作「還ってきた男」の原作・脚本があの織田作之助だったと知れば、それだけでこの監督が「日本軽佻派」の代表などと呼ばれる所以に合点がいく。
お洒落なのにどこか不細工、人情を感じさせながら突き放し、笑いながら泣き、玉石混淆、朱に交われば赤になる的なハチャメチャさといかがわしさ、そして、どうしょうもない孤独と厭世観、にもかかわらず、人生と人をどこまでも愛する態度。
織田作之助も川島雄三も、ともに夭逝するが、二人には共通する何かがあったような気がするのです。

それは、太宰とも一致する川島の言葉。
「生きていくことは 恥ずかしいことです」に集約されているような気がします。

美しい女優を映したカットのすぐその後で、厠(かわや)から下肥をぼたぼたとすくいだすカットが来るかと思えば、撮影が天候不良でできなかったときに、「んじゃ、あれでいきますか?」といってスタッフ達と、いきなり、いつのまにか調達してきたホステスを囲んで、ヌード撮影会におよぶとか。
そのエピソードの数々に「恥ずかしくも愚かしい」見栄っ張りなのに正直者という「恥ずかしさ」を知る者特有の生活態度が垣間見えるんです。
生涯煩悩を背負った自分を意識するというのは、まさに創作者の才能だと僕には思われてならない。
筋萎縮性側索硬化症という難病に冒されながら、ユーモアとダンディーさを保って生きようとした川島雄三は意地の人でもありました。映画会社のプログラム・ピクチャーという商業資本的な作品作りの中に在りながら、それでもどこか既存の映画の文法を越えようとした形跡が、意地のように見えるのです。自分自身の運命を受け入れながら、抗い、同時にだからこそ人生を遊ぶ意地が彼にはあった。

「幕末太陽伝」、「わが町」・・・。
45歳の生涯の中で、51本にわたる作品を残し、そのひとつひとつが出来不出来の落差が激しく、だからこそ、僕はこの監督の作品に強く強く惹かれるのです。
破天荒に見えながら、実はそんなスタイルを演じている自分を冷徹に見据え、だからこそ、己自身の情けなさと恥ずかしさをたえず感じている。
揺れる生き方とはそんなものだろう。
確実で揺れることのない生き方などあるはずがない。揺れる生き方とはブレる生き方のことではない。揺れる生き方とは、人生の浮き沈みを受け入れた真摯で紳士な態度のことだと思う。
だから、彼、川島雄三の墓碑にはこう刻まれている。

「花に嵐のたとえもあるぞ、サヨナラだけが人生だ」川島雄三・碑文


#1.「幕末太陽伝」昭和32年(一部のみ)


#2.「幕末太陽伝」昭和32年(一部のみ)

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