2009年8月28日金曜日

独りの道

円谷幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち[1]1940年昭和15年)5月13日 - 1968年(昭和43年)1月9日)はマラソン選手。


「父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。干し柿、餅も美味しゆうございました。敏雄兄、姉上様、おすし美味しゆうございました。克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゆうございました。
 巌兄、姉上様、しめそし、南ばん漬け美味しゆうございました。喜久蔵兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゆうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
 幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難ううございました。モンゴいか美味しゆうございました。正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
 幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敦久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正祠君、立派な人になって下さい。
 父上様、母上様。幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。何卒お許し下さい。気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。」

(円谷幸吉(1968/01/09)ー遺書)


東京オリンピック最終日、マラソンで英国のヒートリーと競技場内でデッドヒートを行い抜かれはしましたが、史上初のマラソン男子銅メダルを獲得した円谷幸吉選手。
まだ幼かった僕の目にも焼き付く快挙でした。
その彼が「後ろをふりかえるな」という父の教えに従って、近づくヒートリーを感知できなかったという事実を僕が知ったのはだいぶ後のことでした。
最近、人が少し軽蔑的な意味を込めて呼ぶ「昭和」という時代に、まさに彗星のように現れて消えていった独りのマラソンランナーでした。
生前は、計り知れない葛藤と軋轢に苛まれ苦しんだと言われています。
そのあげく、メキシコ五輪を目前に自刃。

自殺を擁護するつもりはまったくありませんが、円谷幸吉選手の死は、それでもあまりに切ないものです。
オリンピックの期待の重圧、自衛隊内部の上司の無理解、練習の不足、ヘルニアの悪化、さらに、自衛隊上司によって結婚すら破談させられたこと・・・。
昭和も四十年代に入っていたとはいえ、この国の古い因習や偏見も彼を苦しめたのでしょう。
しかし、その結果命を絶つことを決意した彼の遺書に書かれてあることを読むと、今この時代に失われつつある、あるひとつの重要な要素に気づくのです。

それは、頂いた食べ物や、人々の善意に対する、ひたむきな「感謝」の言葉です。

僕はこの遺書ではじめて「三日とろろ」というものを知りました。正月の三日に頂く福島の風物だそうです。「・・・美味しゆうございました」という言葉のもつ律儀さと悲しみを、今、この時代は確実に失いつつある。

「昭和」などといって薄ら笑っている場合ではないと思う。
僕らは本当に感謝したいほど美味いものを食っているのか?
もし美味いものを食ったとして、心から感謝できるのか?
三島由紀夫が、円谷幸吉の遺書を読み、円谷幸吉を弱い人間だとか敗北だとかノイローゼだったなどと言い捨てている連中に向かって言ったそうだ。「・・・生きている人間の思い上がりの醜さは許し難い」と。
生きている人間の思い上がり。なんと鋭い言葉だろうと思う。僕らはいつのまにか「生きている人間の思い上がり」の中で暮らしているようだ。

僕らはみんな「独りの道」をひた走っている。
だからこそ、目を覚ましたい。
その、無意識の思い上がりから。


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