John Coltrane
外では蝉が鳴き今日も夏なのですが、なんかなぁ、今年はジリジリ照りつける夏の光が薄めのような気がします。夕方には虫が鳴き出し秋の気配がすぐそこまで来ているようです。
近所の湖に散歩に行こうと思います。
水の面を眺めながら、夕陽を見ながら、静かに時を過ごすのが好きだな。
頭の中では、ジャズがいいかも。
ジョン・コルトレーンで“On Green Dolphin Street”。
生活がどれほど紆余曲折しようと音楽はいつもそばにいてくれた。
たとえ、プレーヤーがなくても、楽譜がなくても、楽器がなくても、音楽は僕の頭の中と心の中に在る。東京に出てきたころは、ピアノが弾きたくても身近なところにはないので、紙に書いた八十八鍵の黒鍵と白鍵の書かれた紙だけがすべてだった時期がある。
今だってさほど変わらない。
一日の中で音楽と向き合う時間は大切。
演劇も物語りも、時には授業だって、音楽があってこそだ。
科白も動きもすべて、メロディーとリズムに還元できるような気がしてならない。ちょっと極端だけどね。でも、そう思う。人間の思考も行為も音楽に近い。メロディーとリズムから出来上がっているような気がするんだ。
文学にせよ、政治にせよ、経済にせよ、哲学にせよ、演劇にせよ、時々音楽性を省みることなく話が進む場合がある。僕はそんな時、リズムの不調和、コード進行に不可解さを感じ、騙されまいと眼をこらし耳を澄ますことにしている。「嘘」は、できすぎた音楽の形をとることが多い。耳に優しく、納得しやすい。思わず頷いてしまう。だが、そんなときこそ、懐疑的になりたいものだ。
それから、リズムの基本は「鼓動」だとも思っている。
己の鼓動に同期するリズムとメロディーを人は好むのかもしれない。だとすると、それはジャンルではなく、むしろ一曲一曲のもつ潜在的な力に僕らは惹かれているのではないかな。ジャンルにこだわる気持ちはわかるんだけど、音楽自体、曲自体にこだわりたいと僕は思うよ。
たまに、無性に聴きたくなるJohn Coltrane。
今日も、夕陽を見つめながら、聴くことにしよう。
John Coltrane: On Green Dolphin Street
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