寺山の亡くなった年齢をとうに超え、彼とは違った形で演劇を行うことを模索してきた。
何故違った形で、なのかと言えば、彼の信奉したアントナン・アルトーを僕は否定するからである。
アルトーの「演劇とその分身」に見る残酷演劇の在り方は、形而上学的であり観念的過ぎ、イメージに過ぎない。というのも、シュールレアリズムとはまさにリアリズムの純粋な追求であり、それゆえ、枠組みを逸脱しなくてはならない強迫観念を生み出していく。演劇という枠組みがシュールレアリストにとっては、まず最初の敵なのだ。
演劇とはこういうもんだ、というような短絡には陥るつもりはないが、それぞれの時代にそれぞれのリアルがあり、そのリアルをどう受けとめ理解するのか、そして、それでもなお変わらぬ普遍的なテーマがあるはずで、そのテーマは方法論が変化しても枯れ果てることはないと思うのだ。
寺山がアルトーを通じ、更に天井桟敷という装置を使って見つめようとしたのは、他ならぬ個人的な存在の意味、つまり実存の確認の問題であったと思う。
ペストが流行し、亡くなっていった多くの人々が、実はペストにかかっていなかったという事実が、人間の抱くリアリティーは妄想が生み出す側面があるのかもしれない、という寺山とアルトーの共通した出発点になり得ている。
演劇とは一種の妄想であり、もうひとつのリアリティーの現出装置である。
そうした中で、寺山が更にミッシェル・フーコーの「狂気の歴史」に関心を寄せていることもまたとても興味深いことだ。
まさにそのフーコーの「狂気の歴史」こそ時代によって狂気の定義が変わるという「狂気の恣意性」を発掘した書物だったからである。「監獄の歴史」も同様だが、このフーコーにならえば、「理性」こそが各時代の「狂気」を生み出してきたことになる。寺山に言わせれば、核爆弾を生み出したのは人間の狂気ではなく「理性」であるということになる。
まったく同感である。
だからこそ、僕は演劇的なアプローチを寺山に寄らずに実践していきたいと思う。
ただし忘れずにいよう。狂気とは理性によって生み出される。
寺山修司(1) 1982 at Plan B
寺山修司(2) 1982 at Plan B
寺山修司(3) 1982 at Plan B
寺山修司(4) 1982 at Plan B