2013年12月4日水曜日

短編小説の感想☆

久しぶりのブログアップです☆
短編小説の感想を書いてみました。素晴らしく良く書けている小説でした。
ますます素敵な作品を書いて下さいね!

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小説『おっとナンテン』に寄せて
—今は亡きものに物語ることー



先日、大学で新聞を一部渡された。講義の終わりに学生の一人が出席カードを出す代わりに新聞を渡してくれたのだ。
そっと差し出された山梨日日新聞の一面にその作品は書かれてあった。
小林けい子さん作の「おっとナンテン」である。
僕は早速帰宅するとその小説を読んでみた。

その短編の中には、昭和を生きた家族の肖像が書かれてあった。四人姉妹と父と母。そして、家族はやがてばらばらになるが、何かが微かに受け継がれていく風景がそこにあった。

家族と共に暮らすとき、人はその日常が永遠に続くような錯覚の中で生きている。やがて一人、また一人、と家族は姿を消していき、家自体も拡大したり縮小したり、場合によっては消滅する。しかし、その渦中にある時は、人はその栄枯盛衰に意識が及ばない。しかしながら、だからこそ我々人間は日々の暮らしを営んでいけるのだろう。

物語る人とは、その時間の中で変化し、遷ろう世界の有り様を魂に留め置き、それを言葉という手段や、絵画や彫刻、あるいは音楽という手段で他者に伝える人のことだ。人は記憶する生き物だが、己の人生を生きるのみ。従って、そもそも限定された経験枠の中で、物語を読んだり見たり聞いたりして、その不可能な経験を「追体験」として味わうのである。己自身の人生の枠を超えるとき、他者への「共感」も生まれるのかもしれない。
その意味では、この世界に、「私と無関係な物語」などないことになる。

まさしく、この「おっとナンテン」という小説も、作者自身の経験を描きながら、そこに読むものが己自身の経験を投影する「追体験」と「共感」の余地を残しているのだ。私自身、商売の家庭で育ってはいないけれど、キリスト教会で頑固に牧師にこだわっていた父や、貧しいその暮らしを支えた母を思い出さずにおれなかった。

物語を読むという行為は、そこに「私」を見いだすことだ。
「おっとナンテン」は、その「私」の物語なのだと思う。他人行儀な、観察に基づいたどこかで見た風景や知識で武装された物語世界ではなく、そこには自分自身の生きた日々と、読む者を裏切ることのない人間の「愚かさ」と「賢さ」が見事に書き込まれているのだ。
読み終わった後、不思議に涙が溢れてくる。それは単なる懐かしさではなく、失われいくものと、今もなお現在進行形のこの人生に対する愛惜の情から溢れ出た涙かもしれない。
それでも人生はつづく。そして、やがて誰かに何かを手渡してこの去って行くのだろう。
この短い小説の中に、人が此の世を生きる小さな小さな知恵があった。
それは、最後に出てくる言葉だ。

人生とは「懐かしく」「可笑しい」。
そして「愛おしい」。

素晴らしい物語を、ありがとうございました。
   

2013年7月22日月曜日

知価Bar. にて

知価Bar. とは「知価場」。

すなわち、「知」恵をつなげて新しい「価」値を生み出す「場」となる。ということだそうです。
月に一度、青山にあるお店で、様々な分野の方たちと語る場が「知価場」です。


僕は、先日この「知価Bar. 」でお話しする機会を頂きました。その日ご一緒したもう一人のゲストの方は著名な振付師であり、教師であり、バリアフリーの社会を模索し提案する人でもある「香瑠鼓」さんこと、五十嵐 薫子さんでした。
香瑠鼓さん☆知価BARにて: 2003.7.20

僕がまだ芝居をはじめたばかりの頃、彼女とはミュージカルの舞台でご一緒したのです。かつての共演者が、別々を道を歩んできて、いつしかこうして時を経て再会するとは不思議な感じがします。それも三十年の時を経て。
そもそも、今回の出演は、先月急逝した大学の先輩であり芝居の先輩でもある「塩屋俊」さんの代打で出演を引き受けたものです。それは小さなお店での小さなトーク・セッションでした。だけど、こうして再会というプレゼントが着いてきた。彼が引き合わせてくれたんだな。そんな風に思います。
ところで、薫子さんのお話は非常に興味深いものでした。「共感覚」というテーマで、彼女の開発した「ネイチャーバイブレーションメソッド」という身体論の一部をデモンストレーションして頂いたのです。例えば、目の前にいる人を見た瞬間にその人物から来た波動を感じて即興的に振り付ける、とか、手や身体を開くことで、動作自体が身体を通じて精神に影響を与える、とか…。彼女が言うように、僕らの身体は大方水からできているので、波動を感じやすく、実際はコトバ以上にコミュニューケーションの大半を形作っているのでしょう。小さな「知価Bar. 」の室内が空気や水が行き交い交差し漂い浮き沈む、実に不思議な体験が得られました。
僕は「コトバ」を取り戻そうとして旅してきましたが、薫子さんはコトバ以外の意味を見いだす旅に出ていたのだと思いました。
その意味で、それぞれの旅の途上で、こうして再会できるのは本当に嬉しいことです。素晴らしい体験をありがとう!!


僕です☆知価BARにて: 2003.7.20
この知価Bar. を企てているのが、僕の三十年来の友人にして、僕のロックバンド「FIFTIES」の最強のドラマー・越前広一さんです。以下、コーイチでいきます。
コーイチとはやはり初期の頃舞台を共にし、熱い二十代をすごした仲間でした。やがて、企業戦士となった彼とも数年前に再会し、今度は音楽で、しかもロックで燃えているというわけです。
今回のトーク・セッションでは、彼の中学時代のお友達も参加して頂き、僕も熱くなって激論するという、嬉しいハプニングもありました!ロックしたぜ!!
そのご友人がお話ししてくれたのが、911の時のWTCビル内の様子。
間一髪で社員と共に脱出することのできたエピソードは生々しく、そしてその体験の重さに鳥肌がたちました。部下が一人も亡くならなかったというのは、本当に奇跡なのだな、と思いました。そして、人は、何気なく、驚くべき体験を胸に秘めながら生活しているのだなと改めて思いました。貴重なお話し、ありがとうございました!!
本当に温かい雰囲気の中、あっという間に時間が経ってしまい、話し足りないぐらいでした。
また、ぜひこんな機会を持てたらいいね!

コーイチ☆
ありがと!!!(写真も使わせてもらったよ!)

薫子さん☆
また、お目にかかりましょう!!!

そして、参加して頂いた皆様☆
温かいリアクションに感謝です!!!
また!!!!

 

2013年6月29日土曜日

チーフ・シアトルの手紙


Dances with Wolves 1990
この前、映画『ダンス・ウィズ・ウルブズ』を考えていた。

不思議な映画で、1990年に公開されたときは高評価プラス大ヒットプラスアカデミー賞受賞とという華々しさだったが、いつしか忘れられてしまった。
勿論、忘れられてなどいないが、今やテレビで放映されることもない、話題に上ることもない、更にその価値も振り返られることがない。
何故なのだろう?

現在、アメリカでネイティブ・アメリカンの権利運動を行っている人物にデニス・バンクスがいる。

Dennis Banks (born April 12, 1937), a Native American leader, teacher, lecturer, activist and author, is an Anishinaabe born on Leech Lake Indian Reservation in northern Minnesota. Banks is also known as Nowa Cumig 

かなり過激な運動家である彼だが、その精神は過去の歴史上の祖先たちと何ら変わらない。神聖な髪を伸ばし、三つ編みにし、デニムに身を包む。その生活はダンス・ウィズ・ウルブズさながらである。実際、映画は彼らの生活を描いていたとも言えるのではないか。そんな風にも思う。
ダンス・ウィズ・ウルブズが忘れられていったのは、AIM(American Indian Movement - インディアン権利団体の「アメリカインディアン運動」)というデニスたちの運動に対するネガティブな反応と軌を一にしているような気がする。
彼らの主張は過去のものではない。
かつて、シッティング・ブルと呼ばれたスー族の酋長・タタンカ・イヨタケは、白人の学校にスー族の若者を入学させようと合衆国政府が言い出したとき、次のように言ったそうだ。「・・・むしろ逆に、君たち白人の若者を我々の所によこしたまえ。自然の中で生き抜く方法を教えてあげよう」
勿論、合衆国政府はすぐに断った。

今もなお、ネーティブ・アメリカンたちのこれまでの過酷な運命をしっかりと世界に伝えられてはいないのである。僕らは彼らの現実をどれだけ知っているだろう。
同様に、僕らは僕らの過去も実はあまりよく分かっていないのである。
デニスたちの態度に、日本人である僕らも学ぶ必要がありそうだ。すなわち、歴史はなにも終わってはいないのだということ。日本人も、ネイティブ・アメリカンも、共に検討し直さなければならない深い歴史の溝を抱えているのである。
そんなことを考えていたとき、不思議なことに、ミュージシャンの友人「キリロラ☆」さんから、一枚のテキストを頂く。
それが、「チーフ・シアトルからの手紙」であった。

はじめに断っておくが、実際にチーフ・シアトルという人物の手に成る手紙かどうかは不確かだ。だが、仮に別の人物によるものだとしても、その手紙の内容は陰るどころか、輝きを増すように思う。ここに書かれているのは、単なる自然保護に対する言説ではない。むしろ、世界と僕らの関係を的確に表現した「世界に対する覚え書き」といった類いのものだと思う。人は、常に傲慢になっていく可能性がある。その傲慢さは、己が世界の中心であるという錯覚から生じるのだが、チーフ・シアトルの言葉は、世界の中心は己にあっても、他のすべてが、同様に世界の中心なのだから、特定の何かがトップに立つなどということはあり得ない、という自然の状況を伝えている。
現代の人間はどこか不自然なのだ。その不自然さを認めないかぎり、その不自然さを受け止めないかぎり、人間は果てしなく自分本位の傲慢で脆弱で破壊的で破滅的な存在に堕してしまうだろう。そんなことをこの手紙は考えさせてくれる。ここには、たとえば鯨を捕ることが残酷だとか、その代わりに牛を喰えだとか、そんな陳腐なことは何ひとつ出てこない。すべてを商業的な視点から見てしまう現在のこの世界において、この手紙には、商業から最も遠い、見事なまでの「詩」があるのである。
僕たちに必要なのは、詩のような世界認識なのだと思う。あの青い空を僕らは、そもそも売り買いできるはずがないのだ。



『チーフ・シアトルの手紙 ーすべての人々へー』翻訳:上野火山

【チーフシアトルはアメリカインディアン・スカーミッシュ族の酋長であり、伝えられるところによれば、1800年代にアメリカ政府に手紙を書いたと言われている。その手紙の中で、彼はあらゆる物事の中にある神というものについて最も深い理解を示したのだった。ここに彼の書いたその手紙がある。それは世界中のあらゆる国々のすべての親や子供がその心や精神に刻みつけておくべき言葉である。】

「チーフ・シアトルの手紙

ワシントンの大統領が、我々の土地を買いたいと言ってくる。
しかし、あなた方は、空や、大地を、どうやって売り買いすることができるのだろう?そのような考え方は我々には奇妙に思える。もし我々が空気の清らかさや水のきらめきをそもそも持っていないとしたら、あなた方はそれをどうやって買うことができるのか?
この地上のすべてのものは我々人間にとって聖なるものだ。すべての輝く松の葉の一本一本が、すべての岸辺の砂粒ひとつひとつが、すべての暗い森に煙る霧が、すべての牧草地が、そしてすべての音を立てるあの虫たち、そのすべてが我々人間にとって、記憶や経験の中の神聖なものたちなのだ。我々は木の中を流れる樹液の存在を知っている。我々が自分の血管の中を血液が流れているのを知っているように。我々はこの地上の一部であり、この地上もまた我々の一部なのだ。あの香しい花は我々の姉妹であり、熊も、鹿も、大鷲も、すべて我々の兄弟なのだ。
岩だらけの頂も、牧草地の露の滴も、子馬の身体のぬくもりも、人も、すべて同じ家族の一員なのだ。
せせらぎや川を流れる輝く水は、単なる水ではなく、我々の祖先の血そのものだ。もし我々があなた方に我々の土地を売るとする、ならばあなた方はその土地が聖なるものだということを忘れてはならない。湖の透明な水に反射するその艶やかな輝きひとつひとつが我々の先祖の生活に起こったことや記憶を伝えてくれる。その水の呟きは、我々の父の、更にその父の声なのだ。
川は我々の兄弟。川が我々の喉の渇きを癒やしてくれる。川が我々のカヌーを運び、子供たちに食べ物をくれる。だから、あなた方は自分の兄弟に与える優しさを、川に与えなければならない。
もし我々があなた方に我々の土地を売るならば、空気が我々にとって貴重なものであり、空気がそれを支えるあらゆる生き物とその魂を共有し合っているということを忘れてはならない。我々の祖父に最初の息を与えた風は、彼の最後の溜息も受け止めたのだ。その風はまた我々の子供たちの命にその魂を与える。だから、もし我々が我々の土地を売るとすれば、あなた方はその土地を他とは区別し神聖なものとしておかなければならない。すなわち、人が牧草地の花によって甘く香る風を味わいに行けるような場所として。
あなた方の子供たちに、我々が我々の子供たちに教えてきたことを教えてはもらえないだろうか?つまり、大地が我々の母だということを。地上に降りかかるものは地上のすべての息子たちに降りかかるということを。我々が知っているのはこういうことだ。大地は人間のものではない。人間こそが大地のものなのだ、ということ。
すべてのものは我々皆を繋ぐ血液のように結び合っている。人が生命の網の目を編んでいるわけではない。人は単に生命の一本の撚糸(よりいと)にすぎないのだ。網の目に対し何をしようとも、人は自分に向かっているだけだ。
我々が知っていること。それは、我々の神も又あなた方の神である、ということ。地上は神にとって貴重なものであり、地上を汚すことは地上の創造者に対し侮辱することになる。あなた方の運命は我々にはわからない。バッファローが絶滅させられた後、何が起こるのか?野性の馬たちが飼い慣らされたら、どうなるのか?
森の秘密の場所が多くの人間の匂いで充満し、熟した丘の景色も、電話線で汚されたら、どうなるのか?雑木林はどこへ行ってしまうのか?消えてしまうのだ!あの鷲はどこへ行くのだろう?消えてしまうのだ!そして、何が、足の速い子馬にさよならを言って、それから狩りをすることになるか?生きることが終わり、生き残る事が始まるのだ。最後の赤い人間がこの野性と共に消えてしまい、彼の記憶はただ平原を吹き渡る一片の雲の影にすぎなくなる時、これらの岸辺や森はこれからもここにあるのだろうか?我々の仲間達の魂が、幾何かでも残っているのだろうか?我々は生まれたばかりの赤子が母親の鼓動を愛するように、この大地を愛する。我々が慈しんできたように、大地を慈しんで欲しい。大地の記憶を、あなた方がそれを受け止めたときのように、心の中にとどめておいて欲しい。すべての子らのために大地を守り、愛して欲しい。まるで神が我々を愛するように。
我々がこの大地の一部であるように、あなた方もこの大地の一部なのだ。この地上は我々にとってかけがえのないもの。それはあなたがたにとってもかけがえのないもの。
我々が知っているのはこういうことだ。
独りの神しかいないということ。赤い人間であれ、白い人間であれ、人は分けることはできないということ。我々は、結局は、皆兄弟なのだから。」


■原文■
Chief Seattle's Letter To All THE PEOPLE

【Chief Seattle, Chief of the Suquamish Indians allegedly wrote to the American Government in the 1800's - In this letter he gave the most profound understanding of God in all Things. Here is his letter, which should be instilled in the hearts and minds of every parent and child in all the Nations of the World: 】

CHIEF SEATTLE'S LETTER 

"The President in Washington sends word that he wishes to buy our land. But how can you buy or sell the sky? the land? The idea is strange to us. If we do not own the freshness of the air and the sparkle of the water, how can you buy them?
Every part of the earth is sacred to my people. Every shining pine needle, every sandy shore, every mist in the dark woods, every meadow, every humming insect. All are holy in the memory and experience of my people.
We know the sap which courses through the trees as we know the blood that courses through our veins. We are part of the earth and it is part of us. The perfumed flowers are our sisters. The bear, the deer, the great eagle, these are our brothers. The rocky crests, the dew in the meadow, the body heat of the pony, and man all belong to the same family.
The shining water that moves in the streams and rivers is not just water, but the blood of our ancestors. If we sell you our land, you must remember that it is sacred. Each glossy reflection in the clear waters of the lakes tells of events and memories in the life of my people. The water's murmur is the voice of my father's father.
The rivers are our brothers. They quench our thirst. They carry our canoes and feed our children. So you must give the rivers the kindness that you would give any brother.
If we sell you our land, remember that the air is precious to us, that the air shares its spirit with all the life that it supports. The wind that gave our grandfather his first breath also received his last sigh. The wind also gives our children the spirit of life. So if we sell our land, you must keep it apart and sacred, as a place where man can go to taste the wind that is sweetened by the meadow flowers.
Will you teach your children what we have taught our children? That the earth is our mother? What befalls the earth befalls all the sons of the earth.
This we know: the earth does not belong to man, man belongs to the earth. All things are connected like the blood that unites us all. Man did not weave the web of life, he is merely a strand in it. Whatever he does to the web, he does to himself.
One thing we know: our God is also your God. The earth is precious to him and to harm the earth is to heap contempt on its creator.
Your destiny is a mystery to us. What will happen when the buffalo are all slaughtered? The wild horses tamed? What will happen when the secret corners of the forest are heavy with the scent of many men and the view of the ripe hills is blotted with talking wires? Where will the thicket be? Gone! Where will the eagle be? Gone! And what is to say goodbye to the swift pony and then hunt? The end of living and the beginning of survival.
When the last red man has vanished with this wilderness, and his memory is only the shadow of a cloud moving across the prairie, will these shores and forests still be here? Will there be any of the spirit of my people left?
We love this earth as a newborn loves its mother's heartbeat. So, if we sell you our land, love it as we have loved it. Care for it, as we have cared for it. Hold in your mind the memory of the land as it is when you receive it. Preserve the land for all children, and love it, as God loves us.
As we are part of the land, you too are part of the land. This earth is precious to us. It is also precious to you.
One thing we know - there is only one God. No man, be he Red man or White man, can be apart. We ARE all brothers after all." 


2013年4月24日水曜日

新年度講義開始 ☆ 世界の狭間で考える時間

先週、ボアソナード・タワーから!
本年の大学の講義も開始して二週間とちょっと。
今日で三回目の講義です。

当初の予想よりも受講生の数が多く、ありがたいかぎりです。なにしろ後にも先にも演劇と政治経済もしくは思想史と比較しながら進める講義は、この講義しかありません。まったく比較対照されることのない別次元に見える事柄を、僕はあえて関連づけてみたいのです。
「知」とは、細かく分けることばかりではありません。要素還元で知ることのできる知の代表が「科学」だとすれば、人文学は寧ろ分けられてしまったものの関連性を取り戻す作業のことではないでしょうか。
一見無関係の要素を「関連づける」ということが、文学乃至は芸術的営為の本質だと僕は思います。


2009年以降、世界はあからさまになり、これまで巧妙に隠していたことを、大胆に見せ始めています。これは自信の表れなのか末期症状なのかは分かりませんが、いずれにせよ、目を開き、耳を澄まし、直感と推論とを駆使して様々な無関係に見えるものを積み上げてみれば、世界の今向かおうとしている現実が見えてきます。
その現実を新世界秩序(New World Order)と呼ぶのでしょう。
世界中で連続して起きる災害もテロ事件、そしてその後のショック・ドクトリン的政策決定も、多国籍企業(例えばユニクロ等)による世界で賃金統一を行うという宣言や、世界中で「水道事業」等のライフラインのインフラが私企業により民営化されていく流れも、金融資本によって市場原理のみで価値が決まっていく有様も、民主化という名の下で暴走する資本主義も、TPPというあからさまな不平等条約も、もはや何はばかることなく世界を揺るがせながらその邪悪な姿をさらけ出しています。

しかしながら、それも個々の「点」にのみ気がとられていては気づけない。関連づけること、関係性に注目し、点を「線」で結ばなければ、見えてこないのです。だからこそ、あからさまに、嘲笑うように人々の心を揺さぶり不安に陥れているのではないでしょうか。人々が点にばかり目が行く装置こそテレビであり新聞であり劇場であり、メディアそのものだと思われます。一度冷静にテレビや新聞や劇場を見つめ直してみれば、装置として機能するものと、装置であることを拒否し戦うものとが区別できるようです。もちろん単純に分けることはできませんが。


今日は現在公開中のアメリカ映画「リンカーン」について語る予定です。
このスピルバーグによる映画で描かれているリンカーンは奴隷解放のヒーローでありながら、苦悩する人間的で慈愛に満ちた実に魅力的な人物です。しかしながら、僕が興味を持ったのは脇の登場人物であり、キーパーソンのサディアス・スティーブンスです。リンカーンはこの共和党の議員である絶対的な平等主義者サディアス・スティーブンスに妥協を迫り、奴隷制の撤廃を謳う修正第13条を通そうとする物語を縦軸にした物語です。正しいことを実現するためには「妥協」と「裏工作」の必然を描いているこの作品は、確かに政治の本質的現場を描いているのでしょう。ですが、「正しいこと」もしくは「正義」の基準とは、サンデル教授に訊くまでもなく「曖昧」で「不透明」です。
その不明の「正義」を土台に政治は行われている。その辺を、同監督の映画「ミュンヘン」なども重ねながら考えたいと思います。

今日は更に、名作の誉れ高いイギリス映画「英国王のスピーチ」についても、その内容の素晴らしさと同時に、隠された「意味」を読み解きたいと思っています。
昨今氾濫する「伝記映画」はいったいどのような真の目的を背後に抱えているのだろうか。
これは是非考えてみる必要がありそうです。

また後ほど☆教室でお会いしましょう!!

2013年4月12日金曜日

キリロラ☆ライブ


ライブスポット・南青山まんだら

先日、青山のライブスポット「まんだら」にて、キリロラ☆のライブを観ました。
いや、聴いた、かな?でも観て聴いた感じ。
ロック系ではなく、むしろ岩と対話する「岩系」を自称するアーティストにしてperformerのキリロラ☆さん。

今回、縁あって新曲「樹氷族」の作成のお手伝いをさせて頂きました。
僕の参加部分は歌詞の日本語版と英語版の作成。
キリロラ☆さん自身の言葉と、彼女の持つFacebook上の数々の樹氷の写真から小さな物語をクリエイト。そして、それを歌詞に置き換え、更に言語の壁を乗り越えるという、実の面白い体験でした。まったくキリロラ☆さんには感謝です。おもしろかったよ!!

そして迎えたライブで新曲の初披露があったのでした。
さすがに隙のないパフォーミング!圧巻は言葉が音楽そのものに変質していくその様だろうか。いや、インプロの音楽と共に今生まれていくその生命力に打たれたのかもしれない。いずれにせよ、前の日に「めちゃめちゃキンチョー!!」みたいなメールを送ってきた人とはとても思えない堂々たるパフォーミング・アーツでした。
きっとこの後控えているフランス公演もアメリカ公演もきっと成功することでしょう!信じてるぜい!!

彼女は自分を芸人と呼びます。実にさわやか。
人やこの時代が求めているものを本能で感じ取っているのでしょう。そして、それは自らの生活から、自らの肉体から、実感として生まれてくる力なのでしょう。その率直で滑らかな瑞々しい「力」を僕は彼女のパフォーマンスから感じるのです。
この前、キリロラ☆本人の口から彼女のバックグラウンドにダンスの歴史があることを知り、僕は彼女の舞台上での所作の美しさの秘密を知ったような気がしました。
まず、この人の舞台上の滑らかな所作を観なくてはならない。
そして、声だと思うんだ。
日本の歌い手の中でも、その所作の美しさをもっと評価されていい存在ではないかな。そんな風に思います。

ますます輝きが増していて、ますます応援したくなるアーティストだな。

2013年3月9日土曜日

ポストグローバル社会の可能性

『ポストグローバル社会の可能性』
最近読んだ本のご紹介です。

タイトル『ポストグローバル社会の可能性 』
ジョン カバナ (編集), ジェリー マンダー (編集), John Cavanagh (原著), Jerry Mander (原著), 翻訳グループ「虹」 (翻訳) 

内容(「BOOK」データベースより)
世界貿易機関(WTO)、国際通貨基金(IMF)、世界銀行などが中心に推進している経済のグローバル化は、世界を急速に蝕んでいる。本書は、経済のグローバル化がもたらす影響を、文化、社会、政治、環境というあらゆる面から分析し批判することを目的に創設された国際グローバル化フォーラム(IFG)による、反グローバル化論の集大成である。「グローバル化を求めないのなら、何をめざすのか」という問いに、あらゆる側面からこたえることを通じて、ポストグローバル社会を構想する。仏・独・西・中など8カ国語で翻訳出版されている本書は、グローバリゼーションを考えるための必読書。 (引用終了)

ということで、2006年の11月に初版が出たこの本は、七年近くも経つというのに今だ議論は古びてはいません。
むしろ、現在を把握する上で非常に貴重な資料で溢れています。
残念ながらamazonでも扱っている冊数が少ないらしく、中古で手に入れるしかない場合もあるかもしれません。でも、ぜひ手にとってじっくり読んで頂きたい書物のひとつです。
この本の興味深い部分は大きく分けて二点あります。勿論、様々な議論全体が興味深いのですが、「コモンズ」に関する部分と、「オールタナティブ」の部分が秀逸です。

コモンズとはcommons(共有物、共有財産)ぐらいの意味かな。
しかし、この意味するところはとても深く重要です。というのも、今、全世界的にコモンズの民営化、すなわち公共の共有財産であったものが民間企業に売り渡されているのです。
例えば、アルゼンチンやボリビア、南アフリカ、インド、カナダ、米国、といった場所で次々と「水」が公共から企業による私有へと取って代わられているのです。ですが、これらの国々ではこの人間が生きる基本的財産である「水」を公共の手に取り戻そうと反対運動が起こってボリビアなどでは、水を独占した多国籍企業であるベクテル社の計画を放棄させました。コモンズとは元来は「共有地」の意味ですが、今やもっと広い意味で使われはじめているわけです。コモンズを守らねばならない。
また例えば「遺伝子」や「国民皆保険制度」などもコモンズの範疇に入るものです。

(本書P183から引用)
『国際技術評価センターのアンドリュー・キンブルによると、「いま企業は、金銭的に価値の高い植物、動物、そして人の遺伝子はないかと地球を隅々まで探し回り、あたかも自分の発明品であるかのようにそれらの私的所有権を主張しようとしている。すでに数千に及ぶ遺伝子特許が企業に与えられていて、これらの企業は今やあらゆる生き物の特許をとって、それを私物化することができる」。
こうした活動のほとんどは、生命科学産業によって行われている。モンサント、ノバルティス、デュポン、パイオニアなどの企業は、WTOのTRIP協定(貿易関連知的所有権協定)によって膨大な恩恵を与えられてきた。この協定はこれからの企業に対して、遺伝子操作を行えば植物や種子の品種の特許をとることができると認めているのだ。」

生物に対し、遺伝子まで特許が認められてしまえば、人間存在のアイデンティティさえも商品化されてしまうのではないか。今気軽に行われている家庭菜園も種子の特許化が進む中で、禁止される可能性が出てくるのではないか。いや、実際すでに家庭菜園禁止の方向が出ているのですが。特定の企業による特許化が進み、様々なコモンズが占有されていく様子が見えるのです。コモンズとは本来何者かによって占有されてはならない世界の欠くことのできない部分。コモンズとは商品化してはならないもののことです。

オールタナティブとは代替案のこと。
果たして、現在のグローバル化の後、我々はどこへ向かえばいいのか。この問に対する答えは、ひとつではない。そして、ひとつにしてはならない。
例えば、ここに一つの提案がある。ブレストンウッズ体制の三つ子である「世界銀行(WB)」、国際通貨基金(IMF)、世界貿易機関(WTO)という機構を全廃する。そして新たな国際機構に置き換えたらどうだろう。この書物の提案は率直にして明快である。現在我が国が巻き込まれているTPPという環太平洋戦略的経済連携協定も、実はその背後にこれら三つの機構が深く絡み、ISD条項という国の政府よりも他国の投資家を優先する考え方も、全てこれら三つの機構が絡んでの話なのである。


一筋縄ではいかない現代のこの「新世界秩序(New World Order)」への道程を疑問視する者は、この書物を是非読まれることをお勧めする。
この国の貴重な農業のみならず、国民皆保険制度の解体、国の固有の文化の破壊もしくは収奪までもくろむ現在のグローバリゼーションの波をなんとか押しとどめたいものです。
この書物にそのヒントがあるような気がします。

2013年3月7日木曜日

春の日差しの中で



久しぶりに暖かな春の日差しの中、 こんな写真を頂きました。

すぐ近所の「紅梅」の写真。

甘い匂いが漂ってきそうな梅の花。うれしいな。桜はまだだけど、確実に春は近づいてるな。

素敵な写真をありがとね!!!

殺伐とした時代に、こんな鮮やかな花を見ると心が和みます。


2013年3月5日火曜日

TPPに関する覚え書き

ここ数日は大学の新年度の講義ノートを作成しつつ資料の整理をしている。
いくつかこのブログにもメモっとこうと思う。


まずは、去年同様今年も触れなければいけないのが「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)」についてである。

先日の某産経新聞によると:
「国益守る」条件に容認 自民調査会 TPPで決議
産経新聞2013年2月28日(木)08:02
 自民党の「外交・経済連携調査会」(衛藤征士郎会長)は27日、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への交渉参加について、国益を守り抜くことを条件に容認する決議を採択した。安倍晋三首相はこの決議や党内議論を踏まえ、3月上旬にも交渉参加を正式表明する方針だ。
 決議は政府に対し「守り抜くべき国益を認知し、どう守っていくのか明確な方針を示すべきだ」と主張。「守り抜くべき国益」の具体的項目として

(1)コメ、麦、牛肉、乳製品、砂糖など農林水産品の関税
(2)自動車の排ガス規制や安全基準などの維持
(3)国民皆保険制度の維持
(4)食の安全安心基準の維持
(5)国の主権を損なうようなISD条項(投資家と国家間の紛争条項)には合意しない
(6)政府調達やかんぽ、郵貯、共済など金融サービスのあり方は日本の特性を踏まえる-を明記した。
 
このほか、混合医療の全面解禁を認めないことや、医師や弁護士など資格制度や放送事業における外資規制、書籍の再販制度の維持などを挙げ、「わが国の特性を踏まえる」よう求めた。反対派の議員連盟「TPP参加の即時撤回を求める会」の主張に最大限配慮した内容だ。会合では新たに外交・経済連携調査会の中に「TPP対策委員会」を設置することも決定。委員長には反対派の西川公也衆院議員が指名された。
 公明党も27日の会合で、交渉参加の判断を首相に一任する方針を確認した。

ーーーーーーーーーーーーーーー以上引用終わり

いやはや、この前の選挙の時と打って変わった首相のTPPに対する積極的な参加姿勢。
国益を守り抜くと言いながら、上記の(1)~(6)のうちひとつでも「聖域なき関税撤廃」に含まれないものがあれば、首相判断で即合意、という話らしい。
このかつての「日米修好通商条約」にも似た明白な不平等条約によって、単純に国益が損なわれるだけではないのですよ。
例えば、コメを聖域と見なす、と言ったからといって、他は米国の多国籍企業の要求に従わざるを得ぬのだろうか?ちょっと待てよ!(1)~(6)は漏れなくすべて主権国家足る我が国の自国内で決定すべき重要項目である。これらの項目に外国が要求すること自体そもそも内政干渉だろう。しかも、それを企業や投資家が行うことになるのである。しかし、いつの間にやら、これが当たり前の状況になっている。驚くべき事に、「守り抜くべき国益」といって上げたものはすべて、実際、米国の多国籍企業が標的にしているものそれ自体だということ。これらの項目は取引する対象ではそもそもないのだよ。

TPPには「ISD条項(投資家と国家間の紛争条項)」がある。
ISDとは、ある国家が自国の公共の利益のために制定した政策により、海外の投資家が仮に不利益を被ったとする、その場合、世界銀行傘下の「国際投資紛争解決センター」という第三者機関に訴えることができる制度である。日本が海外の投資家に損失を出した場合、その賠償を日本政府が行わなければならないのである。先日、米韓FTAにおいても、韓国はアメリカに莫大な賠償金を払ったばかりであり、米国とカナダとメキシコの自由貿易協定であるNAFTA(北米自由貿易協定)においても、同様の事態が起こっている。国家の主権が蹂躙されているのである。これは今後の日本の未来と考えられるのだ。

更にTPPには「ラチェット規約」という条件が付随していることも忘れてはならない。
ラチェットとは、一方にしか動かない爪歯車のこと。ラチェット規定とは、現状の自由化よりも後退を許さないという規定。
このことによって、一旦TPPで決定したことは、後戻りすることなく、徹底的に推し進められることになる。一度実験的に参加してみるという類いの条約では決してない。このラチェット規定が入っている分野は、「銀行、保険、法務、特許、会計、電力・ガス、宅配、電気通信、建設サービス、流通、高等教育、医療機器、航空輸送など多岐にわたる」そうだ。どれも米国企業に有利な分野ばかり。
このように確認してみると、如何にTPPというものが邪悪で有害なものかが分かってくる。
経団連はこのTPPをなんとしても推し進めようとしているのだから、経団連という組織の性質もよく分かるというものだ。そして、そうした動きに追随するメディアの論調も相変わらず、大東亜戦争の真っ最中と変わらぬ腰巾着ぶりである。戦争中あれほど国威発揚を叫んだ朝日新聞が、今やTPPに擦り寄る報道を行うのだから、まったく長いものには巻かれろ、もしくは、付和雷同を地でいったものと見なすことにする。
しかしながら、このTPPの動きを米国だけが得をする条約と考えたら、それも間違いになる。
この動きは米国国民をも不幸にする条約なのだ。TPPで利益を得るのは米国ではない。多国籍企業である。だからこそ日本の経団連も一丸となって推進しようとしているのである。まさに、世界中の多国籍企業という、その企業の利益によって政策が支配されるというおぞましい姿がTPPの本質なのだと思われる。
コーポラティズム(Corporatism)という言葉がある。
本来は、共同体を人間の身体組織のように見なした政治や経済や社会の組織のシステムの1つのことである。
だが、ここでは本来の意味とは異なる「コーポラティズム(Corporatism)」が問題になるのです。
この場合のコーポラティズムとは、「大企業と政府が一体になった国家運営体制」を言います。その意味で、今グローバルな形で進行している様々な世界の歪みは、デモクラシーという民主化へのこれまでの幻想から、実際はコーポラティズムへのドラスティックな変容過程なのだと思われます。世界は決して民主化などされてはいない。世界は急激にコーポラティズムへ移行しているのだと思う。


とても質の良い情報源であるアメリカの「デモクラシー・ナウ」という番組が鋭いTPP批判を行っています。

2013年2月20日水曜日

ボートに乗った日

笑っちゃうけど、俺だぜぃ☆
最近のこと、書庫を片付けているといろんなものが出てくるんだ。
数日前、ポロッと本の間から落ちた写真がこれ。

恥ずかしながら、僕の三歳頃の写真です。どこだっけ?と、あれこれ考えていると不意に鮮やかに思い出されたボート乗り場の風景。

あの日僕は、父とボートに乗りに行ったのだ。
たぶん、ボートに乗るのは初めてだったはず。僕は揺れる木のボートに恐る恐る乗って、父に「すぐにしゃがむんだ」と言われたのを覚えている。
正面に座った座った父が、僕と向かい合ったまま、ボートを漕ぎ出す。いつも見ている川の流れが、いつもとは違って見えた。
川には小さな魚たちがいた。オイカワやハヤやフナなんか。でも、その日僕がボートから見たのは、巨大な青く光る鯉だった。
悠々と流れに逆らって泳ぐ大きな鯉を見つめながら、こんな大きな魚がいるんだと、幼い僕は思っていた。

川は流れ、すぐ近くに蒸気機関車が通り過ぎる鉄橋が見えた。
父はゆっくりと片方の櫂を大きく動かしながら方向を変え、上流の方へ、もと来た方へとボートを動かしていった。


たぶん、ほんの数十分だったのだと思う。僕はその記憶を忘れないでいたようだ。
この写真は、アメリカ人の宣教師さんから頂いた服を着たその日の僕。
もう五十年も前のことです。
被っているハンチングも、母が背負わせてくれた肩掛け鞄も覚えているんだよな。


この写真を見ていると「It’s only a paper moon」ていう曲を思い浮かべた。
たとえ、紙でできたお月様でも、信じればそれは本物の月になる。そんな曲。
幼い頃は信じる力があった。それは今だって変わらない、はず。
それでも、大人になると人はとてつもなくリアリストになる。いや、リアリストにならなくていけないのだ。
しかし、そのリアリストの中にどうしょうもなく三歳の幼かった自分を感じる瞬間がある。
なにもかもが初めて、というあの感覚。
いい大人になって、リアリストとして責任をとり、それでもなお、紙のお月様を信じられる。初めての感覚を取り戻す。そんな生き方がしたいものです。
人生は、あるネーティブ・アメリカンが言ったように夢そのものだから。
紙は紙として見ながら、その紙を信じて本物の月にすること。
ボートに乗った日。遠いあの日。紙の月を信じることのできたあの日。初めて鯉を見て驚いて感動したあの日。
あの日から、実は今のこの瞬間まで、僕という人間は続いているのだ。

2013年2月6日水曜日

What a wonderful world☆

最高の「What a wonderful world!」です! 岩田さんのギターと歌は最高だな☆泣けてくる。

最後の授業 ドーデ、そして明日を考える

アルフォンス・ドーデ(1840~97)
版権が切れて自由に掲載できる文学作品がある。
ネット上では、そんな文学作品が、利用できるテキストデータの形で様々存在する。ありがたく利用させて頂きます。
『6M2学級通信』さんのページから引用掲載させて頂きます。

今日は、その中から、ドーデの短編『最後の授業』を読んでみたいと思う。
昔、この小さな物語を、僕は教科書で読んだ。小学生だったか、中学生だったか、定かではないが、物語の内容を忘れられずに抱え込んだ、そんな一編であった。
かつて、いや、今もかもしれないが、教科書には不意に心に突き刺さる作品が掲載されていることがあった。いい歳になった今も、その中のいくつかの作品を僕は時々思い出すのだ。
そして、この『最後の授業』もまた、決して忘れることができない作品だ。実際、そればかりでなく、徐々にグローバル化する世界が、文化や言語といったローカルな価値を奪い、世界を平面化しつつある中で、この小さな文学作品は、ふと僕らを立ち止まらせ、現状認識を改めさせてくれる重要な作品であるということも最近になって気がついた次第である。世界は第一次大戦や第二次大戦で終わっているわけではない。むしろ、邪悪さは地球規模で広がり、静かに今進行しているのだと思う。日本は本当に平和なのか。日本の経済は本当に破綻しているのか。世界は統一されることで真に平和になり得るのか。アジアの平和は欧米によって保障されるものなのか。パレスティナは悪で、イスラエルが善なのか。南の国々、アフリカや南米の諸国が貧困状態に固定されなければならない理由は何だろう。単一言語化、すなわち、英語の独り勝ち状態は本当に健全なことなのか。考えるべき材料は計り知れない。
僕らの最後の授業は、明日なのかもしれないのだから。


『最後の授業』(さいごのじゅぎょう、仏: La Dernière Classe)は、フランス第三共和政時代の初期、1873年に出版されたアルフォンス・ドーデの短編小説集『月曜物語』(仏: Les Contes du Lundi)の1編である。副題は『アルザスの少年の話』(Récit d'un petit alsacien)。『月曜物語』は1871年から1873年までフランスの新聞で連載された。ーWIKIPEDIAより



『最後の授業』             
ー アルザスのある少年の物語 ー
アルフォンス・ドーデ(1840~97)作


 その朝、ぼくは学校に行くのがひどく遅くなってしまい、それにアメル先生がぼくらに分詞について質問すると言ったのに、まだ一言も覚えていなかっただけに、叱られるのがすごく怖かった。いっそのこと授業をさぼって、野原を駆け回ってやろうかという考えが頭をかすめた。
 すごく暖かくて、よい天気だった!  森の外れではツグミが鳴き、リペールの原では、製材所の向こうで、プロシア兵たちが教練をしているのが聞こえた。どれもこれも分詞の規則よりはずっと面白そうなことばかりだった。だが、ぼくは誘惑に打ち勝つことができて、大急ぎで学校に走って行った。役場の前を通りかかると、金網を張った小さな掲示板のそばに大勢の人が立ち止まっているのが見えた。二年このかた、敗戦だの、徴発だの、占領軍司令部の命令だの、悪いニュースは全部そこから出て来るのだった。で、ぼくは止まらずに考えた。
 「今度は何かな?」 すると、ぼくが走って広場を横切ろうとしたとき、見習いの小僧を連れて掲示を読んでいた鍛冶屋のヴァシュテル親方が、ぼくに向かって叫んだ。
 「そんなに急がなくてもいいぞ、ちび。学校なんて、いつ行っても遅れはしないからな!」
 ぼくはからかわれているんだと思った。で、はあはあ息を切らせながらアメル先生の小さな学校の中庭に入って行った。ふだんだと、授業の始まるときは大騒ぎで、勉強机を開けたり閉めたりする音や、よく覚えるため耳をふさいで、みんながいっしょにその日の授業を大声で練習するのや、それからまた先生が大きな定規で机をひっぱたいて、「ちょっと静かに!」と怒鳴るのが、道まで聞こえてくるのだった。
 ぼくはその騒ぎを利用してこっそり席にもぐり込むつもりだった。ところがちょうどその日は、まるで日曜の朝みたいに、すべてがひっそりしていた。開いた窓から、仲間がもうきちんと席に並び、アメル先生が恐ろしい鉄の定規を小脇にかかえて、行ったり来たりしているのが見えた。戸を開けて、それほどしんと静かな真ん中に入って行かなきゃならなかった。ぼくがどんなに赤くなり、びくついていたか、分かるでしょう!
 ところが、そうじゃない! アメル先生は怒りもせずにぼくを見て、とても優しく言った。
 「さあ、早く席について、フランツ君。君がいないけれども、始めようとしていたんだ」
 ぼくは腰掛けをまたいで、すぐに自分の勉強机に坐った。その時になって、やっといくらか怖さがおさまって、先生が、視学官の来る日や賞品授与の日にしか着ない、立派な緑色のフロックコートを着込み、細かいひだのついた胸飾りをし、刺繍した黒い絹の縁なし帽をかぶっているのに気がついた。その上、教室全体が何かふだんと違って、厳かな感じだった。
 けれども一番驚いたのは、教室の奥の、ふだんは空いている腰掛けに、村の人たちがぼくらと同じように、黙って坐っていることだった。三角帽子をかぶったオゼール老人、元村長、元郵便配達人、それからまだ多くの人たちも。その人たちはみんな悲しそうだった。そしてオゼールさんは縁がいたんだ古い初等読本を持って来ていて、それを膝の上にいっぱい開き、大きな眼鏡を両ページの上にまたがって置いていた。
 ぼくがそうしたことにびっくりしているうちに、アメル先生は教壇に上がり、さっきぼくを迎えてくれたのと同じ重々しい声で、ぼくらに言った。
 「みなさん、私がみなさんに授業するのは、これが最後です。アルザスとロレーヌの学校では、これからはドイツ語だけを教えることという命令が、ベルリンから来ました……。新しい先生が明日来ます。今日はみなさんの最後のフランス語の授業です。熱心に聞いて下さい」
 その言葉を聞いて、ぼくは強いショックを受けた。ああ!ひどい奴らだ、さっき役場に掲示してあったのはそれなんだ。ぼくの最後のフランス語の授業だって!…… ぼくときたら、やっとフランス語を書ける程度なのに! このままの状態でいなくちゃならないわけだ!……
 今になってぼくは無駄に過ごした時間のこと、鳥の巣を探して歩いたり、ザール川で氷遊びをするため、欠席した授業のことを、どんなに悔やんだことだろう!
 ついさっきまではあれほど嫌で、持って歩くのも重く感じていた文法や聖史などの教科書が、今では別れるのがひどく辛い友達のように思われた。アメル先生も同じだ。先生はいなくなり、もう二度と会いないのだと思うと、罰せられたり、定規でたたかれたことも、みんな忘れてしまった。お気の毒な人!
 先生はこの最後の授業のために立派な晴れ着を着て着たのだった。そして今になってぼくは、村の老人たちが何で教室の隅に着て坐っているのかが分かった。それはもっとしょっちゅうこの学校に来なかったことを、悔やんでいるらしかった。そしてまたアメル先生が四十年間も尽くしてくれたことに感謝し、失われる祖国に敬意を表するためでもあったのだ……
 そうした思いにふけっている時、ぼくの名前が呼ばれるのが、聞こえた。ぼくが暗唱する番であった。あのややこしい分詞の規則を、大声で、はっきり、一つも間違えずに全部言えるためなら、どんなことだってしただろう。だが、ぼくは最初からまごついてしまって、悲しみで胸がいっぱいになり、顔も上げられずに、自分の腰掛けのところで立ったまま体を揺すっていた。アメル先生の言う声が聞こえた。
 「起こりゃしないよ、フランツ君、もう十分罰は受けていはずだからね…… ほらそうして。誰でも毎日思うんだ。なあに! 時間はたっぷりある。明日覚えりゃいいって。ところがその結果はどうだね…… ああ! そんなふうに教育などは明日に延ばしてきたのが、わがアルザスの大きな不幸だった。今あの連中にこう言われたって仕方がない。なんだ! おまえたちはフランス人だと言い張っていたくせに、自分の言葉を話せも書けもしないじゃないか…… でもそうしたことはみんな、かわいそうなフランツ、君が一番悪いわけじゃない。われわれはみんなたっぷり非難されるべき点があるんだよ。
 君たちの両親は、君たちにぜひとも教育を受けさせようとは思わなかった。それよりほんのわずかな金を余分に稼がせるため、畑や紡績工場に働きに出す方を好んだ。私だって自分にとがめる点はないだろうか。勉強するかわりに、よく君らに私の庭に水をやらせなかったか? それから鱒釣りに行きたくなった時、平気で休みにしなかったろうか?……」
 それからアメル先生は、次から次へフランス語について話を始めて、フランス語は世界で一番美しく、一番明晰で、一番がっしりした言語であると言った。そしてフランス語を自分たちの間で守って、決して忘れることのないようにしなけらばならない。なぜなら一つの国民が奴隷となっても、その国民が自分の言語を持っている限りは牢獄の鍵を持っているのと同じだと…… それから先生は文法の本を取り上げて、今日の課業を読んでくれた。ぼくはそれがあまりによく分かるのでびっくりした。先生の言うことが、みんなやさしく感じられた。これほどぼくがよく聞き、先生の方でもこれほど辛抱強く説明したことはないと思う。気の毒な先生は、自分がいなくなる前に自分の知っている限りのことを全部教え、それをぼくらの頭に一気にたたき込んでしまおうとしているみたいだった。
 課業が終わると、次は習字だった。この日のために、アメル先生は真新しい手本を用意してきていた。それには美しい丸い書体で、「フランス、アルザス、フランス、アルザス」と書いてあった。まるで小さな国旗が勉強机の横棒にひっかかって、」教室中にひるがえっているみたいだった。みんな熱心で、それに静かだったことだろう! ただ紙の上を走るペンの音しか聞こえなかった。一度などは、黄金虫が何匹か入って来た。だが、誰も気を取られたりせず、うんと小さな子供たちさえそうだった。彼らはまるでそれもフランス語であるかのように、心を込めて、一所懸命、縦線を引っぱっていた…… 学校の屋根の上では鳩が小声でクークーと鳴いていた。それを聞いてぼくは考えた。
 「いまにあの鳩たちまで、ドイツ語で鳴けと言われやしないかな?」
 時々、ページの上から目を離すと、アメル先生はまるで目の中に自分の小さな学校の建物をそっくり収めて持って行きたいと思っているように、教壇の上でじっと動かずにまわりの物を見つめていた…… 考えてもごらんなさい! 四十年来、先生はその同じ場所に、中庭を正面に見て、まったく変わらない教室にいたのだった。ただ腰掛けや勉強机が、長年使われて、こすれて磨かれただけだった。中庭のくるみの木は大きくなり、彼が自分で植えたホップは今では窓を飾って屋根まで伸びていた。気の毒な先生にとって、そうしたものにみんな別れ、そして頭の上での部屋で妹が、荷造りのために行ったり来たりしている音を聞くのは、どんなに悲痛なことだったろう! なぜなら明日は二人は出発し、永久にこの土地を去らねばならなかったのだ。でも先生は勇気をふるって、ぼくらのため最後まで授業を続けた。習字のあとは歴史の勉強だった。それから小さな生徒たちが声をそろえて「バ・ブ・ビ・ボ・ビュ」の歌を歌った。あちらの教室の奥では、オゼール老人が眼鏡をかけて、初等読本を両手で持って、子供たちといっしょに字の綴りを読んでいた。老人も一所懸命なのがよく分かった。感激して声が震えていた。それを聞いていると実に奇妙で、ぼくらはみんな笑いたく、そしてまた泣きたくなった。ああ! ぼくらはその最後の授業のことをいつまでも忘れないだろう。
 突然、教会の大時計が正午を打った。それに続いてアンジェラスの鐘が。それと同時に、教練から帰って来るプロシア兵のラッパの音が、窓の下で鳴り響いた…… アメル先生は真っ青になって、教壇に立ち上がった。先生がそれほど大きく見えたことはなかった。
 「みなさん」と、彼は言った。「みなさん。私は…… 私は……」
 でも、何か胸につまった。終わりまで言えなかった。そこで先生は黒板の方に向き直り、一片の白墨を手に取って、全身の力を込めて、精いっぱい大きな字で書いた。
 「フランス万歳」
 それから頭を壁に押しつけたまま、そこに立っていて、口はきかずに、手でぼくらに合図した。
 「おしまいです…… 行きなさい」
                                (了)


 

2013年2月4日月曜日

『自己信頼』について

Ralph Waldo Emerson (May 25, 1803 – April 27, 1882) was an American essayist, lecturer, and poet
“Ne te quæsiveris extra.”

Man is his own star: and the soul that can
Render an honest and a perfect man,
Commands all light, all influence, all fate;
Nothing to him falls early or too late.
Our acts our angels are, or good or ill,
Our fatal shadows that walk by us still.

「なんじみずからを外に求むなかれ」

運命の星はその人の中にある、
正直で完全な人間を作りうる神が
すべての光、すべての力、すべての運命を支配しており、
人の身にふりかかることに早すぎおそ過ぎはない、
人の行為が、よかれあしかれ、神の御使であり、
人を離れぬ宿命の影である。
   
「“ Self - Reliance “ in Essays : First Series, 1841」入江勇起男訳:より。
日本語タイトル『自己信頼』の冒頭部分のエピグラフ(箴言)

入江勇起男さんの訳もいいよね!


エマーソン。
といっても、その昔のロックグループ「E.L.P(エマーソン・レイク&パーマー)」ではありません。
哲学者ラルフ・ウォルド・エマーソン。
この文はエピグラフですから、引用に過ぎず、エマーソン自身の言葉ではありません。しかし、本文のテーマをすっかり言い切っているという意味で、エピグラフとしても非常に精度の高い的確なものと思われます。彼の伝えたいエッセンスがこの引用詩の中に凝縮しているわけです。
本文は十九世紀のアメリカを代表する哲学者であるエマーソンが1841年に表したものですが、その内容は実に興味深い。
テーマは「自己信頼」、すなわち「自分自身の基準を自分以外に置くな!」ということ。
人は己自身の考えを往々にして「自分の勝手な考え」だとか「自分の思い込み」だとか理由を付けて引っ込めてしまう。だが、エマーソンに言わせれば、それは愚か者の行為ということになる。どれほど立派な、例えばプラトンであれモーゼであれミルトンであれ、彼らは皆、他人の言葉や他人の保証の下で何かを述べたわけではない。彼らは、皆、自分自身の言葉を述べたにすぎない。実に勝手な、実にわがままな連中だったんだね。
だから、彼はこう主張する。

“To believe your own thought, to believe that what is true for you in your private heart is true for all men ー that is genius.”
「自分自身の考えを信ずること、人知れず深く考え、自分にとって真理であることはすべての人にとって真理であると信ずること、ー それが天才である」(入江勇起男訳)

ものすごく傲慢だ。だが、僕は好きだな。基準を自分の中に持つ以外に「基準」なんてものが他にあるのだろうか?
自分以外の何か、他を基準にした「相対性」は時として、恐ろしい不幸を生む。
最近放送されているドラマで「夜行観覧車」という湊かなえさん原作のショッキングな物語がある。崩壊していくコミュニティー(新興住宅街)の家族の姿を描いたものだが、この物語のテーマこそ、「自己信頼の欠如」ではないかと思われます。主人公の主婦はより良い生活スタイルを求めて、高級住宅街の片隅に家族で引っ越ししてきます。そして、娘の受験やご近所付き合いなどを経て数年後殺人事件に直面するという展開です。この主婦の思考形態がまさに「相対性」であり、自分以外を「~は、いいな」というのが口癖になっている人物として描かれます。そしてやがて、それは主人公一人の傾向ではなく、ほぼすべての登場人物の抱える特徴であることが分かってくる。つまり、彼らは皆、生きる基準を常に外に置いていて、自分を棚上げにしている人々なのです。そこにあるのは、かつて言われた「隣の芝生」どころではない「自己卑下」と、そこから生じる腐りきった「自尊心」に他なりません。僕はここに一つの典型を見る。自己信頼をなくし、他者に自己を投影し、そこから逃れられなくなった人間の姿を見る。エマーソンの語る「自己信頼」の傲慢さは、自己卑下と肥大化した自尊心より遙かに健康な思考だと、僕は思うよ。そして、自己に対する信頼感をなくしては、僕らは生きていけないのだとさえ思う。
人間の不幸の多くは「己自身の声」を聴かぬ所から始まるのかもしれない。
ともかく、自分自身の声を聴き、自分自身の言葉を持つことから、人生をはじめてもいいんじゃないか、とエマーソンは言うわけさ。
誰よりも先に自分自身が自己を否定する、そんな自己のあり方から抜け出したいものです。

時々、ひっぱりだしてエマーソンを僕は読む。
それは、僕の心の栄養になる。心のエクササイズでもある。決して心優しい言葉ばかりではないが、今の自分と向き合う「座標軸」をエマーソンは与えてくれるんだ。「森の生活」のヘンリー・ソローと共に、僕の大切な人生の書物の一つであることは、確かだ。


2013年2月3日日曜日

異端な人

2013年1月31日『朝日新聞』切り抜き

先日、朝日新聞に掲載されたちょっと興味深い記事がある。
現在、視聴率を話題にされているが、録画再生率については全く発表されず、いわんや議論の対象にすらならなくなっている。
これは実におかしい話だと思う。人々が録画再生で視聴することが多くなった昨今、放送時にテレビに齧り付いている割合のみをデータとして採用するのは、物事の半分しか見ていないことになるのでないだろうか。

近年、ビデオリサーチ社(「電通」子会社)による視聴率が取沙汰され、視聴率で番組の善し悪しを判断する傾向が強まっている。
日本最大の広告代理店がその子会社に視聴率を計るお手盛り機関を抱えているという事実も、そもそもおかしな話だと思う。が、そんな奇妙なこの国のいびつな形はさておいても、この問題は実に歪んでいると思われる。
テレビ自体をなんの疑いもなく受け入れる時代は過ぎ、市民の中ではテレビが「番組」を放送するのではなく、「広告媒体そのもの」であることが自覚されてしまった。かつてはCM自体を面白がっていた時代もあったのだが、そんな時代も遠い昔のような気がする。人々はもはやそれほどナイーブではなくなったのだ。
広告主である企業にとって番組が視聴され、CMを確実に見てもらうことが番組を提供するメリットである。もしも、CMを録画再生時に飛ばされてしまったら、企業にとって番組を提供する意味も旨味もなくなってしまうだろう。録画再生でどれだけの人々が番組を視聴しようと提供企業側には全くどうでもいい話なのだ。従って、今起きている視聴率の問題は録画再生率を含まない、放映時間にどれだけの視聴があったのかを計る純粋視聴率の問題なのである。多くの人々が録画再生で番組を視聴しても、それは現在の視聴率には反映されない。良い作品は録画されることが多いので、結果的に出来の良い番組も出来の悪い番組同様に視聴率が悪い「ダメ番組」の烙印を押されてしまう。結果、ここにきてテレビの質は限りなく落ち続ける可能性が出てきた。バラエティー番組の粗製濫造が今後ますます後を絶たなくなるだろう。

この問題は、単にテレビ業界に限ったものではないと思う。これは資本提供する株主と制作側、そしてその間を取り持つ広告業界という三者の関係が、完全に崩れ、制作側が一方的に立場が弱体化してしまった現在の反映と思われる。
かつてビル・クリントンは「本物の仕事はウォール街にあるのであって、他にはない」とまで発言しているが、社会の最も根幹にあるありとあらゆる製造業が、今「金融」の名の下に危機に瀕しているというのが実態なのではないだろうか。CMを提供する企業もまた製造業であるはずだが、一度資本の提供者になると、その創造された中身や質よりも経済効果ばかりが問題の中心に成り下がり、結果的に番組制作という製造業と共に、共倒れになっているのでは、と僕は思うのである。
しかしながら、視聴率を理由に、良い番組はこれからもどんどん削除されていくのだろう。視聴率が良ければ、その番組は成功なのだろう。
ほんのちょっと前まで、視聴率は悪いけど良い番組だったな~、なんて人は言っていたのに、視聴率が悪いから、ますます見なくなるのだろうか。ああ。


良いものを売る。それが大事。ある出版会社の代表は「売れるものが良いものだ」と仰っていますが、これは言い換えれば、宣伝の行き届いたものが良いもの、ということになりはしませんか?原点に帰りたい。「良いものを売れるようにする」が大事。僕は、心の中で、密かにそう思う。こんな単純なことが、今、この世界では「困難」で、しかも「異端」らしい。

以上、異端な人の異端な発言でした。


2013年1月24日木曜日

ベランダにて

ベランダのヴィオラ

久しぶりに太陽が暖かく感じる日ですね。

陽の光に誘われて午前中ベランダに出ると、ベランダの端っこで妻の可愛がっている小さな花の鉢を見た。
「ヴィオラ」というスミレの一種。花言葉は「誠実」だって。照れるぜ(???)
その白くて柔らかい花びらに水滴が一粒。

まだまだ寒い日が続くけど、ちょっと和んだな。「癒やし」という言葉はあんまり好きじゃないんだけど、「和み」はいいな。


今年は政治も経済もガタガタな日本ではあるけれど、個人としては、あらゆる部分で仕切り直して行こうと思っています。
一月だって、後もう一週間で終わり。
変化の時代の、その変化の過程で、僕らは時々和む時間が必要だ。
生涯ロックしたいものだとつくづく思うが、それでも時には和みが必要だ。
茶番と嘘八百と偽善と偽装と陰謀で溢れた僕らの時代に、ベランダでヴィオラがひっそり花を咲かせているんだぜ。じっと見ているだけで和むじゃないか。

最近、昔読んだ本を引っ張り出して読んでいるだんな。新しい本よりかつて読んだ本をもう一度確認したくなっている自分がいる。

時代は本当に進歩しているのか?世界は本当により良くなっているのか?


数年前に百歳で亡くなったお祖母様に生前一冊の本を頂いた。「Shorter Poems - ALEXANDER」というタイトルのその本は、テニスンをはじめとする英文学上の数々の作家たちによる小さな詩を集めたアンソロジーだった。さながら詩の宝石箱のような本。
僕は数日前、書庫の本棚にその本を発見して以来、仕事机の上に置いて、眺めている。
表紙を開くと次のような書き込みがペンで書かれてあった。

「Wishing dear Jean
        a Merry Xmas
                        Margaret」
On the day of the Departure, Xmas, 1924

僕は、しみじみ思うんだ。1924年にアメリカの一人の女性から、日本人の一人の女性に手渡された一冊の詩集が、大きな戦争や様々な苦難の時代を経て、調子の良い時代、うっかりした時代、沈んだ時代を乗り越えて、今ここにある。ということを。
欲や見栄や世間体なんかどうでもいいな。人はこれまでもしっかり生きてきたし、これからもしっかり生きていくだろう。
重要なのは、君や僕がこの時代を作り出し、生きているということ。
あと百年も経てば、今のほとんどすべてが忘れ去られ、忘却の彼方に消えてしまうということ。
しかしそれでも、人の中にある微かな「誠実」は時として時代を超えることもあるのかもしれない。

たまたま開いたページがすべてを言い尽くしている場合もあるな。
今開いたページにはLongfellowのThe Buildersという詩が書かれている。

「All are architects of Fate,
                Working in these walls of Time;
Some with massive deeds and great,
                Some with ornaments of rhyme.
Nothing useless is, or low;
                Each thing in its place is best;
And what seems but idle show
                Strengthens and supports the rest……」

訳:あらゆるものが 運命を創り出し
                時間というこの壁の中で動いている
  あるものは強烈な行動や偉大さと共に
                またあるものはその周囲を彩るものとして
 なにひとつ無駄なものも 程度の低いものもない
                ふさわしい場所で それぞれが最高なのだ
 そして ただ下らないと思えたものが
          そのほかのものたちを強め支えてくれていることを忘れまい……。


2013年1月4日金曜日

凧揚げからはじまった!

  
冬の太陽に向かって凧を揚げる☆ 

一年の始まりが凧揚げだなんて最高だな☆

正月三箇日の三日目。
近所の広い広い公園に行く。ここは時々熱気球も上がるぐらい広い敷地面積を誇る場所なので、着いたときには、大勢の人たちがすでに「凧揚げ」に勤しんでいた。
僕が少年の日に楽しんだ奴凧なんか、今やなくなってほぼ元気象観察機器だったゲイラカイトがすべてを占めていた。
中に、ご老人が一人、手作りらしい和凧を揚げていたのが印象的でした。

僕らが持って行ったのは「アースカイト」という超小型の骨組みのない簡易凧。
にもかかわらず、これがなかなか飛ぶ姿が面白く、バランスを取るのがとにかく難しい。
試行錯誤しているうちに、空高く(?)舞い上がり、強い風の力を受けて、空を滑空し始めた。
時々、とんでもない回転を起こし、地面に急降下するものの、時間が経つうちに、良い感じで空に留まるようになった。
子供の頃を思い出す。
凧をどう飛ばして良いのか分からなかった僕は、ひたすら凧糸をひっぱりながら「走る」。それだけ、走っている間だけ、空中に留まるが、ハーハー!言って止まると途端に地面に落ちてくる。
やがて、糸をクイックイッと引っ張りながら、風の向きを考えて、引っ張りながら上空へ舞い上がらせる方法を身体で覚えていったようです。メンコ(僕の田舎ではパッタですが)で勝てるようになったのも、確かに身体で覚えた記憶がある。子供の教育はすべて身体と一体になっていたように思います。

子供たちと一緒に凧を飛ばしながら、僕は子供時代に戻り、あの広い磐井川の堤防で飛ばした凧を思い出していた。いい歳のオヤジになっても、幼い頃のあの日々から今が繋がっていることを実感する。技術も知恵も、夢中になって、損得勘定なしに取り組んではじめて身につけたものばかりだということに、今更ながら気がつくんだね。それは人に認められたいからでもなく、大儲けを狙った利益追求でもなく、出世するんでもなく、単純に修得する喜びと興奮に満ちていたような気がする。

この世界の喜びのひとつは「凧揚げ」から始まったのかもしれないね。


今年もよろしくお願いします!
良い年にしましょう!!


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