2013年2月3日日曜日

異端な人

2013年1月31日『朝日新聞』切り抜き

先日、朝日新聞に掲載されたちょっと興味深い記事がある。
現在、視聴率を話題にされているが、録画再生率については全く発表されず、いわんや議論の対象にすらならなくなっている。
これは実におかしい話だと思う。人々が録画再生で視聴することが多くなった昨今、放送時にテレビに齧り付いている割合のみをデータとして採用するのは、物事の半分しか見ていないことになるのでないだろうか。

近年、ビデオリサーチ社(「電通」子会社)による視聴率が取沙汰され、視聴率で番組の善し悪しを判断する傾向が強まっている。
日本最大の広告代理店がその子会社に視聴率を計るお手盛り機関を抱えているという事実も、そもそもおかしな話だと思う。が、そんな奇妙なこの国のいびつな形はさておいても、この問題は実に歪んでいると思われる。
テレビ自体をなんの疑いもなく受け入れる時代は過ぎ、市民の中ではテレビが「番組」を放送するのではなく、「広告媒体そのもの」であることが自覚されてしまった。かつてはCM自体を面白がっていた時代もあったのだが、そんな時代も遠い昔のような気がする。人々はもはやそれほどナイーブではなくなったのだ。
広告主である企業にとって番組が視聴され、CMを確実に見てもらうことが番組を提供するメリットである。もしも、CMを録画再生時に飛ばされてしまったら、企業にとって番組を提供する意味も旨味もなくなってしまうだろう。録画再生でどれだけの人々が番組を視聴しようと提供企業側には全くどうでもいい話なのだ。従って、今起きている視聴率の問題は録画再生率を含まない、放映時間にどれだけの視聴があったのかを計る純粋視聴率の問題なのである。多くの人々が録画再生で番組を視聴しても、それは現在の視聴率には反映されない。良い作品は録画されることが多いので、結果的に出来の良い番組も出来の悪い番組同様に視聴率が悪い「ダメ番組」の烙印を押されてしまう。結果、ここにきてテレビの質は限りなく落ち続ける可能性が出てきた。バラエティー番組の粗製濫造が今後ますます後を絶たなくなるだろう。

この問題は、単にテレビ業界に限ったものではないと思う。これは資本提供する株主と制作側、そしてその間を取り持つ広告業界という三者の関係が、完全に崩れ、制作側が一方的に立場が弱体化してしまった現在の反映と思われる。
かつてビル・クリントンは「本物の仕事はウォール街にあるのであって、他にはない」とまで発言しているが、社会の最も根幹にあるありとあらゆる製造業が、今「金融」の名の下に危機に瀕しているというのが実態なのではないだろうか。CMを提供する企業もまた製造業であるはずだが、一度資本の提供者になると、その創造された中身や質よりも経済効果ばかりが問題の中心に成り下がり、結果的に番組制作という製造業と共に、共倒れになっているのでは、と僕は思うのである。
しかしながら、視聴率を理由に、良い番組はこれからもどんどん削除されていくのだろう。視聴率が良ければ、その番組は成功なのだろう。
ほんのちょっと前まで、視聴率は悪いけど良い番組だったな~、なんて人は言っていたのに、視聴率が悪いから、ますます見なくなるのだろうか。ああ。


良いものを売る。それが大事。ある出版会社の代表は「売れるものが良いものだ」と仰っていますが、これは言い換えれば、宣伝の行き届いたものが良いもの、ということになりはしませんか?原点に帰りたい。「良いものを売れるようにする」が大事。僕は、心の中で、密かにそう思う。こんな単純なことが、今、この世界では「困難」で、しかも「異端」らしい。

以上、異端な人の異端な発言でした。


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