2013年2月20日水曜日

ボートに乗った日

笑っちゃうけど、俺だぜぃ☆
最近のこと、書庫を片付けているといろんなものが出てくるんだ。
数日前、ポロッと本の間から落ちた写真がこれ。

恥ずかしながら、僕の三歳頃の写真です。どこだっけ?と、あれこれ考えていると不意に鮮やかに思い出されたボート乗り場の風景。

あの日僕は、父とボートに乗りに行ったのだ。
たぶん、ボートに乗るのは初めてだったはず。僕は揺れる木のボートに恐る恐る乗って、父に「すぐにしゃがむんだ」と言われたのを覚えている。
正面に座った座った父が、僕と向かい合ったまま、ボートを漕ぎ出す。いつも見ている川の流れが、いつもとは違って見えた。
川には小さな魚たちがいた。オイカワやハヤやフナなんか。でも、その日僕がボートから見たのは、巨大な青く光る鯉だった。
悠々と流れに逆らって泳ぐ大きな鯉を見つめながら、こんな大きな魚がいるんだと、幼い僕は思っていた。

川は流れ、すぐ近くに蒸気機関車が通り過ぎる鉄橋が見えた。
父はゆっくりと片方の櫂を大きく動かしながら方向を変え、上流の方へ、もと来た方へとボートを動かしていった。


たぶん、ほんの数十分だったのだと思う。僕はその記憶を忘れないでいたようだ。
この写真は、アメリカ人の宣教師さんから頂いた服を着たその日の僕。
もう五十年も前のことです。
被っているハンチングも、母が背負わせてくれた肩掛け鞄も覚えているんだよな。


この写真を見ていると「It’s only a paper moon」ていう曲を思い浮かべた。
たとえ、紙でできたお月様でも、信じればそれは本物の月になる。そんな曲。
幼い頃は信じる力があった。それは今だって変わらない、はず。
それでも、大人になると人はとてつもなくリアリストになる。いや、リアリストにならなくていけないのだ。
しかし、そのリアリストの中にどうしょうもなく三歳の幼かった自分を感じる瞬間がある。
なにもかもが初めて、というあの感覚。
いい大人になって、リアリストとして責任をとり、それでもなお、紙のお月様を信じられる。初めての感覚を取り戻す。そんな生き方がしたいものです。
人生は、あるネーティブ・アメリカンが言ったように夢そのものだから。
紙は紙として見ながら、その紙を信じて本物の月にすること。
ボートに乗った日。遠いあの日。紙の月を信じることのできたあの日。初めて鯉を見て驚いて感動したあの日。
あの日から、実は今のこの瞬間まで、僕という人間は続いているのだ。

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