2013年2月4日月曜日

『自己信頼』について

Ralph Waldo Emerson (May 25, 1803 – April 27, 1882) was an American essayist, lecturer, and poet
“Ne te quæsiveris extra.”

Man is his own star: and the soul that can
Render an honest and a perfect man,
Commands all light, all influence, all fate;
Nothing to him falls early or too late.
Our acts our angels are, or good or ill,
Our fatal shadows that walk by us still.

「なんじみずからを外に求むなかれ」

運命の星はその人の中にある、
正直で完全な人間を作りうる神が
すべての光、すべての力、すべての運命を支配しており、
人の身にふりかかることに早すぎおそ過ぎはない、
人の行為が、よかれあしかれ、神の御使であり、
人を離れぬ宿命の影である。
   
「“ Self - Reliance “ in Essays : First Series, 1841」入江勇起男訳:より。
日本語タイトル『自己信頼』の冒頭部分のエピグラフ(箴言)

入江勇起男さんの訳もいいよね!


エマーソン。
といっても、その昔のロックグループ「E.L.P(エマーソン・レイク&パーマー)」ではありません。
哲学者ラルフ・ウォルド・エマーソン。
この文はエピグラフですから、引用に過ぎず、エマーソン自身の言葉ではありません。しかし、本文のテーマをすっかり言い切っているという意味で、エピグラフとしても非常に精度の高い的確なものと思われます。彼の伝えたいエッセンスがこの引用詩の中に凝縮しているわけです。
本文は十九世紀のアメリカを代表する哲学者であるエマーソンが1841年に表したものですが、その内容は実に興味深い。
テーマは「自己信頼」、すなわち「自分自身の基準を自分以外に置くな!」ということ。
人は己自身の考えを往々にして「自分の勝手な考え」だとか「自分の思い込み」だとか理由を付けて引っ込めてしまう。だが、エマーソンに言わせれば、それは愚か者の行為ということになる。どれほど立派な、例えばプラトンであれモーゼであれミルトンであれ、彼らは皆、他人の言葉や他人の保証の下で何かを述べたわけではない。彼らは、皆、自分自身の言葉を述べたにすぎない。実に勝手な、実にわがままな連中だったんだね。
だから、彼はこう主張する。

“To believe your own thought, to believe that what is true for you in your private heart is true for all men ー that is genius.”
「自分自身の考えを信ずること、人知れず深く考え、自分にとって真理であることはすべての人にとって真理であると信ずること、ー それが天才である」(入江勇起男訳)

ものすごく傲慢だ。だが、僕は好きだな。基準を自分の中に持つ以外に「基準」なんてものが他にあるのだろうか?
自分以外の何か、他を基準にした「相対性」は時として、恐ろしい不幸を生む。
最近放送されているドラマで「夜行観覧車」という湊かなえさん原作のショッキングな物語がある。崩壊していくコミュニティー(新興住宅街)の家族の姿を描いたものだが、この物語のテーマこそ、「自己信頼の欠如」ではないかと思われます。主人公の主婦はより良い生活スタイルを求めて、高級住宅街の片隅に家族で引っ越ししてきます。そして、娘の受験やご近所付き合いなどを経て数年後殺人事件に直面するという展開です。この主婦の思考形態がまさに「相対性」であり、自分以外を「~は、いいな」というのが口癖になっている人物として描かれます。そしてやがて、それは主人公一人の傾向ではなく、ほぼすべての登場人物の抱える特徴であることが分かってくる。つまり、彼らは皆、生きる基準を常に外に置いていて、自分を棚上げにしている人々なのです。そこにあるのは、かつて言われた「隣の芝生」どころではない「自己卑下」と、そこから生じる腐りきった「自尊心」に他なりません。僕はここに一つの典型を見る。自己信頼をなくし、他者に自己を投影し、そこから逃れられなくなった人間の姿を見る。エマーソンの語る「自己信頼」の傲慢さは、自己卑下と肥大化した自尊心より遙かに健康な思考だと、僕は思うよ。そして、自己に対する信頼感をなくしては、僕らは生きていけないのだとさえ思う。
人間の不幸の多くは「己自身の声」を聴かぬ所から始まるのかもしれない。
ともかく、自分自身の声を聴き、自分自身の言葉を持つことから、人生をはじめてもいいんじゃないか、とエマーソンは言うわけさ。
誰よりも先に自分自身が自己を否定する、そんな自己のあり方から抜け出したいものです。

時々、ひっぱりだしてエマーソンを僕は読む。
それは、僕の心の栄養になる。心のエクササイズでもある。決して心優しい言葉ばかりではないが、今の自分と向き合う「座標軸」をエマーソンは与えてくれるんだ。「森の生活」のヘンリー・ソローと共に、僕の大切な人生の書物の一つであることは、確かだ。


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