2012年8月3日金曜日

あれからもう・・・

あれからもう一年以上が経過して、過去のものになりつつあるのだろうか。
311である。

苦しみを癒やすには時の経過が必要だ。そして、楽しい明るい話題が必要なのだと思う。しかし、絶えず僕の心の中には棘があり、その突き刺すような痛みが胸を刺す。

僕の友人、岩手大学で教鞭を執る佐藤竜一君の著書を紹介したい。

『それぞれの戊辰戦争』現代書館 佐藤竜一著
この本の精神はその帯に強く表れている。
「戊辰戦争の悲劇は再び繰り返されるのか!! 2011年3月11日ー東日本大震災、続く原発事故。福島から多くの人々が転出せざるを得なくなり、苦しんでいる。140余年前の戊辰戦争の負の遺産を引き受けたのも、東の人々だった。戊辰戦争とは何だったのか?その意味を改めて問い、敗れた人々の誇り高い生き様を評価し、被災地の再興を願う。」
そして、
東北の、東日本大震災後の苦難と戊辰戦争後の辛酸が重なる。
「 ……その戦いで最も悲惨な目にあったのは会津藩の人々です。戊辰戦争後、会津藩の人々は斗南藩士(現青森県むつ市)として生きる者、会津に残る者、北海道へ渡る者など、離散しました。福島第一原発事故の影響で今、福島に住む人々は、それこそ、全国各地にちりぢりになっています、まるで百四十余年前のように……。盛岡藩や仙台藩の人々など東北に住む人々も、辛酸をなめました。戊辰戦争に敗れたために、「白河以北一山百文」と蔑まれ、東北の開発は遅れ、経済的にも苦しい時期が続きました。それでも、東北の人々は反骨心をバネにして自らの運命を果敢に切り拓いてきました。」本文より引用(海文堂書店日記ホームページより)

311後の様々な試練は、実は140年ほど前に日本の東が味わった悲劇と共通したものがある。
この言説は重い。少なくとも、福島の、いや東北の今は去年から始まったわけではないのだと思う。この書物で描かれた140年という過去の歴史的事実は、その後の様々な東北の状況と重なって見えるのである。
たとえば、昔、北海道に当時のソ連の戦闘機ミグが飛来したことがあった。
その時、一般市民の僕らはほとんど知らされることがなかったが、北海道に自衛隊の戦車部隊が集結し、北海道にその後飛来する可能性のあるソ連空挺部隊に備えていたのだ。北海道ないしは東北で食い止めるために。
かねてより噂されていたのだが、関越トンネルは日本海側から進入する敵戦闘部隊の進入を防ぐため爆破する準備がとられているらしい。すなわち、日本が北部方面から攻撃された場合、速やかに東北地方は閉鎖され、捨てられる体制が出来ていたらしい。
これが、単なる憶測や妄想であればいいとおもう。しかしながら、現実には日本の東側に対する「棄民」的な政策がこれまでもすでにあったのでは?と僕は思う。

小さな思い出をひとつ。
僕は岩手の小学校で六年生になるまで「脱脂粉乳」を飲まされました。戦後の食糧政策の一環で給食には付き物の脱脂粉乳。ですが、その正体はアメリカが日本に戦後もたらした「豚の飼料」でした。東京近辺では脱脂粉乳はいつまで飲まれていたのだろうと、実はいろいろ調べたことがありました。平均的には昭和33年生まれの小学生は小学校三年か四年で終了していたのです。教えていただきたいのですが、九州等の南や西の方ではどうですか?やはり小学六年生くらいまで飲まされましたか?
これまで聞き取りでは、圧倒的に最期まで脱脂粉乳の給食だったのは、東北地方のように思われます。
これは被害者意識でも何でもありません。
「東」は百年以上も前から同じだったのだということを忘れまい。
『それぞれの戊辰戦争』お勧めです!

詳しい内容に関しては、下記のホームページで☆
 

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