当たり前だが、人間はそもそも不合理な存在である。
だからこそ、できる限り合理的で論理的であろうとするのだろう。しかしながら、人間の試みる合理性や論理整合性には、必ず無理がある。
その無理を押し通そうとするところが、まさに、人間の不合理のもっとも典型的な顕在化である。
“It has been said that man is a rational animal. All my life I have been searching for evidence which could support this.”
Bertrand Russell
English author, mathematician, & philosopher (1872 - 1970)
哲学者バートランド・ラッセルは言っている。
『人間は合理的な生き物だと言われきた。生涯を通じて、私はその証拠を探し求めてきたのだ』
ちょっと英語の先生をやってみると、この言葉の面白さがわかる。
has been said、というのは「~と言われてきた」という現在完了で表現されている。更に、I have been searching、というところも「~を探してきたし、今もなお探している」という現在完了・進行形になっている。
ということは、ラッセルは結局人間が合理的である証拠を見つけられなかったという否定的内容を、肯定表現で皮肉っているわけだ。
独りよがりであるとか、自分勝手とか、思いやりのなさ、とは別に、人はもっと己の感情と向き合って良いのだと思う。感情と向き合うことは、人生に責任をとるということなのだ。己の感情を無視し、何事もなかったふりをしながら生きる現代人は、己の不合理を受け止めようとせずに、わざわざ、そしてむざむざと、自分自身が自分自身を誰よりもまず最初に裏切るという悪徳を働いているのである。
自分を殺すことに慣れてはいけない!
他人を殺すのはもってのほかだが、無意識に己自身を殺すことのなんと無惨なことか!
僕らの中に、一人として合理的で、良くできた存在などいやしない。
悟ったような顔をしている坊さんににしろ、神父にしろ、教祖にしろ、教師にしろ、そのたぐいは全員嘘をついている!全員もれなく不合理の徒である。
だから、安心してもらいたい。
まず、自分の気持ちを大切に生きようじゃないか。
実は、それだけが真実だ。
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