この季節になると思い出すことがある。僕がまだ小学五年生の時だ。僕は鼓笛隊でスネア・ドラムを叩いていた。夏が終わり、秋の風が少し肌寒く感じられる頃だ。
ある日、学校の近くの養護施設で文化祭があるので、ドラムを教えて欲しいと頼まれた。頼んできたのは「光」という名の女の子であった。不思議なことだが、彼女とは、小学校の一年生から中学三年までずっと同じクラスだった。そして、彼女も施設の子供の一人だった。
彼女は、事情は知る由もないが、孤児であるばかりでなく、口もあまりうまくきけなかったので、クラスのいじめっ子たちの格好の標的になっていた。いじめは、今に始まったものではなく、昔からあったように思う。僕もいじめたことがあったかもしれない。
クラスで写生をしていた時、僕は土手の上に座って遠くの山を描いていた。ほんの少し雪をかぶった山は僕の目には「ブルー」に見えた。夢中になって絵を描いていたので,近寄ってきた担任の若い女の先生に気がつかなかった。先生は,肩越しに絵をのぞき込んで、不意に「それは違う」と言った。それから、絵筆を取り上げると、僕の山を茶色で塗りつぶした。所々に緑の点を入れながら。
「あの山は何色?」と先生はクラスのみんなに聞こえるように、大きな声で叫んだ。「茶色よね!」と続けた先生に、皆うなづくのが僕には見えた。先生があきれた顔で僕の方を振り返った時、小さな声が近くから聞こえた。
「青く・・・見えるよ」
それは光の声だった。みんなどっと笑い、先生は「これは写生なんだから、嘘は駄目よ」とそう念を押すと、向こうへ行ってしまった。僕には茶色に塗られた山の絵と、光の声だけが残った。
秋になり、とんぼが飛び交うたんぼ道を、自転車に乗って、僕は一人で山の中腹に立つ施設に行った。急な坂を自転車で駆け上がるのを諦めて、降りて自転車を押した。坂の向こうに人影がちらりと見えた。そして、徐々に大勢の子供たちがいるのが判った。みんなが手を振っていた。ちょっと気後れしながら、入り口の所までやってくると、カトリックのシスターが僕に手をさしのべてくれた。
「ようこそ」
シスターの手は温かかった。
夢中になって教えているうちに、あっという間に二時間経ってしまった。普段学校で会う子も何人かいて、学校と違って、みんないきいきしていることに驚いた。光は遠くで見ているだけで、一言も口をきかなかった。でも、嬉しそうだということだけはわかった。シスターがお礼にカルピスを出してくれた。
「ここにいる子たちはみんな光の子です。あなたも光の子ね」とシスターが言った。
帰る時、また百人近い子供たちに「ありがとう!」と手を振られながら、僕は後ろを振り返り振り返り、転がるように坂を下りていった。自転車が石につまづき、思いっきりコケてしまった。後ろから子供たちの爆笑とシスターの心配そうな声が聞こえたが、恥ずかしくって振り返ることもせず、打った腰をさすりながら、ダッシュした。
中学三年の終わり、まだ季節が寒い頃、光は東京へ旅立った。集団就職だった。駅で彼女たちが出発する時、僕は遠くで見ていた。とうとう彼女と口をきくことはなかった。
僕はこの歳になって、少し思うことがある。光というのは、なにも暗闇を照らすものだけではないのだ、ということを。光は過去からやってきて、現在と未来を照らすものなのだ。光は内側から外を照らすものなのだ。一人の少女の思い出は、昔の物語だが、今の僕を振り返らせてくれるひとつの光だ。僕はこうした光に照らされた道を歩いてきたし、これからも歩いていくのだろう。
名もない僕ら一人一人が、それぞれの人生の光源であることを、僕は忘れまい。
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