2005年9月19日月曜日

さんぽみち

阿佐ヶ谷。
駅の南口をでると、青梅街道へとのびる通りがある。
「中杉通り」だ。

僕は中央線沿線で暮らすことが多かったが、何故か阿佐ヶ谷に住むことはなかった。
リヤカーを引きながら、中野や高円寺をうろうろしながら引っ越したことはあったが、阿佐ヶ谷は僕にとって未知の街であった。

友人が三週間ばかり入院したので、阿佐ヶ谷を訪ねる機会があった。
ある日、僕は病院の帰りコーヒーが飲みたくて駅周辺を歩いてみた。駅前のロータリーをぐるりとまわり、木洩れ日の射し込む通りを歩いた。
街路樹が両側の歩道からはりだし、車道を囲むように枝と葉がのびている。
それはまるで自然のアーケードのようだ。
光がとにかくやわらかい。
もちろん、この地域の人々が計画し維持した結果が、中杉通りのその名の通りの美しい街路樹たちなのだろうが、どうもそれだけでもない気がするのだ。

今から30年前、原宿の表参道は街路樹の木洩れ日のなか、とても素敵な散歩道であった。
そして、今では見る影もない、と思うのは僕だけだろうか。

中杉通りの木洩れ日の中をしばらく歩くと、道沿いに小さなハンバーガー・ショップを見つける。
通りに面したそのお店は、ガラスの窓が開いて、小さな椅子とテーブルが通りに見えている。小さいのに開放的なのだ。店の中には笑顔の絶えない女の子や自然な感じの男の子が客の相手をしている。
僕はコーヒーを受け取ると、二階へあがる。
二階には、三組ほどの客がいたが、僕は窓辺のカウンターに座る。
荷物をカウンターに置き、コーヒーを一口すする。ふと目の前の広いガラス窓の外に、通りの木立とゆっくり歩く人、静かに流れていく車が目に入る。
それは、まるで三十年前に見た表参道の景色そのものだった。もう失われて久しいこの都会の静けさが、そこにあった。
デ・ジャ・ヴュ。
まさにかつて味わったあのさんぽみち。

コーヒーの香りとともに、僕は三十年前の、あの頃の自分に一瞬だけタイムスリップしていた。
この街にとって、この通りはなくてはならないもの。この街をこの街らしくしている大事な要素。決してなくしてはいけないもの。ひょっとしたら、この街の人々はそのことをはっきり認識しているのではないだろうか。
それが、この木洩れ日となって通りを優しく照らしているのではないだろうか。
僕はコーヒーをすすり、耳を澄ます。遠くから静かな排気音が聞こえてくる。
目の前を若者の乗ったバイクが通り過ぎていく。

出逢いは、そこでもまた、再会であった。

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