2005年9月18日日曜日

この時代を生きるということ

もし僕らが百年前の時代に暮らしていたらと考える。
果たして僕らは幸福だろうか?
もし僕らが百年後の時代に暮らしていたら、僕らは幸福だろうか?

どちらも想像にすぎないが、恐らく次のことだけははっきりしている。
僕らは与えられた時代にしか生きられないということ。
逃げることも隠れることもできない。
その時代の条件の下で、その時代の矛盾の中で、その時代の空気の中でしか僕らは生きられないということ。

時代とはひとつの海のようなものだ。
生命を育みながら、押し流し、時にはその命を奪いもする。

東西南北もわからない時代という大海のただ中で、僕らは羅針盤も持たずに途方に暮れているのだ。
どの時代に生きても、人は絶えず途方に暮れてきたのだ。悩みながら、迷いながら、人は海の向こうをめざす。

だから、この時代を生きる中で、僕らが途方に暮れるのは当たり前のこと。
ただし、羅針盤がないときに、人が頼るべきなのは、己の内なる声なのだ。
海鳴りにかき消されそうな、そのかすかな声に耳を傾けるとき、人は北極星の存在に気がつく。
僕らを導いてくれるのは、指導者と呼ばれる人間なんかじゃない。
己の声と、空に輝くあの星の輝きだけが、僕らを未来へと導いてくれるのだ。

僕らはこうして、この時代を航海していく。

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