2009年3月31日火曜日

雨の中の涙のように-like tears in rain-

Blade Runner:1982

八十年代で圧倒的に記憶に残る映画のひとつが、この「ブレードランナー」だと思う。
ちなみにもうひとつは「Blues Brothers」ですけど。

この映画だけを語る専門サイトがあったり、コアなファンを持つ映画であることは確かです。
P.K.ディックの原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」もよかったし、当時のサイバーパンクと呼ばれた電脳都市の表現に、この後出現するアキハバラが見事に予言されていたような気がします。
ギブソンのチバシティーより、この映画の未来のロスの風景の方がよっぽどアキハバラです。
もっとも、今ではこの風景はフランスの漫画家メビウスが描いたバンド・デシネ短編作品「ロング・トゥモロー」だと言われているんですが。
監督は原作を読んでないらしい。そんなお話しもあります。

“The line "like tears in rain" was never scripted. Rutger Hauer just said that while filming. It became one of the most famous scenes in movie history.”
これはYouTubeにこの映画の有名なシーンをアップした方のコメントです。
なかなか良いこと言ってるよ。

死ぬ間際に、レプリカント(人造人間)のバッティが雨に打たれながら、救った相手のデッカードに向かって語る台詞がこれ。

「俺はこれまでいろいろなものを見てきた。君ら人間には信じられないようなものを・・・でも、やがて、その全ての記憶も失われるだろう・・・まるで雨の中の、涙のように・・・」

埋め込まれた記憶を頼りに、人間になることを望んだ人造人間の、哀しみが思いっきり凝縮したシーンです。
コメントで述べられているように、これは元々脚本に書かれてはいなかった台詞。すべてここは俳優の即興で行われ、撮影されました。
俳優ルトガー・ハウアーは雨の中でレプリカントとして生き、レプリカントとして死んだ。
俳優の仕事の素晴らしさがここにある。
脚本家が脚本通りを常に主張する虚しさがここに見える。
人はそれぞれの場所で、より良くするために貢献すればそれでいいんだよな。
見栄やエゴや体裁や立場は、この際必要ないな!
そんなつまらないものに囚われている奴は、このシーンを見よ!
これこそ、インプロビゼーションの極致である。

撮影中は様々な問題と混乱に捲き込まれた作品だったようですが、記憶すべき、価値ある作品のひとつになりました。
九十年代初頭、アメリカがギブソンのサイバーパンク小説「New Rose Hotel」を映画化しようと頑張っていたのを僕は知っていますが、実現しませんでした。実現していたら日本を舞台にした、サイバーパンク活劇の傑作になっていたでしょう。
でも、このブレードランナーがあるから、僕は許せるな。
もう数え切れないほど、この映画を僕は観ましたが、また観たくなってきたなぁ。
そんな映画ですよ、これは。


二人


ディランとギンズバーグが語り合ってる写真。

いったい何を話しているんだろう?

二人はそれぞれ自分の世界を言葉に載せた詩人たち。

二人の道は似てはいても、違っていた。

それでいいんだよな、

それでいいんだ。


人は、人生のどこかで、ときどき、すれ違いながら、

生きる。

それでいいんだ。

そうやって、僕らは、二人になる。


僕たちは、孤独だが、

決して、

寂しくはない。


僕たちは、二人だ。

2009年3月30日月曜日

宇宙へつづく夕陽に

どうです?
今日の夕陽は宇宙に向かって光を放ってました!

実はこの数年で視力がだいぶ落ちました。それでも、自分の目でものが見えるというのは幸福なことですね。こうして、宇宙に広がるような夕陽まで見ることができるんですから。

娘がベランダから声をかけてくれなかったら、見逃していたはずの夕陽のスペクタクルでした。

でも彼女は僕が「夕陽倶楽部」のメンバーであることを知っているので、スッゴイ夕陽の時は必ず声をかけてくれるんだなぁ。

まだしばらくは、お嫁に行かないで。。。。

☆上野火山☆

空色


劇団のバナー作成にあたって、「SorairoTelegraph」さんにご協力頂きました!
この場を借りて、御礼申し上げます。
ありがとうございました!

今日も晴れて天気の良い日ですが、雲の輝きが美しい写真を頂きました。
海上に出ると、空と海の区別がつかなくなり、非常に危険だという話をどこかで聞いたことがあります。
確かに、こうしてみると、空色は海色でもあり、区別がつかなくなるかもしれません。
どこか吸い込まれそうな気がする。

雲は空の波。
空中で、水と空気はひとつになる。
空と海は地上を挟んだ対称形。

だから、空色はときどき海の色なんだ。

2009年3月29日日曜日

ギンズバーグが吠える!

Photo by John Hopkins 
in London
  • Allen Ginsberg's "Howl" 
  • I saw the best minds of my generation destroyed by
  • madness, starving hysterical naked,
  • dragging themselves through the negro streets at 
  • dawn looking for an angry fix,
  • angelheaded hipsters burning for the ancient 
  • heavenly connection to the starry dynamo in the
  • machinery of night,
  • who poverty and tatters and hollow-eyed and high
  • sat up smoking in the supernatural darkness of
  • cold-water flats floating across the tops of cities
  • contemplating jazz,..............................
ビート詩人と呼ばれたアレン・ギンズバーグの「吠える」の冒頭です。
二十代の後半、僕は友人と彼の朗読会に行ったときのことを忘れることができない。

ジャズベースとともに、そのビートに乗りながら、まさに吠えるように、汗を滴らせながら、彼は詩を読んでいた。
詩は声に出して初めてこの世に存在する事を許される。
それはプネウマ(息)そのものだ。

何故意味あるものが失われ、何故無意味がはびこり、何故愚かさが賢明さを破壊しようとするのか、
時代が変わろうと、不安は変わらず、むしろ、狂気の度合いは増しているのかもしれない。

現代という「狂気の時代」にこそギンズバーグは読まれるべきもののような気がします。

狂気の時代に、人は自分たちが狂っているという自覚を失っているものです。
だからこそ、この時代は、今という時代は、確実に狂っているのではないですか?

吠えるべき対象は、古い時代の誰かではなく、我々自身でしょう。
たとえば、ヒトラーやナチスが悪いというのは容易い。
むしろ、今目に見えないものの中にこそ、狂気の原因と、策略が隠されている。
我々自身の中に深く浸透している価値観にこそ、狂気の因子は潜んでいる。

ギンズバーグはこの世を去りましたが、残された我々がどう生きるのかが今試されているのだと思う。

酔狂な、そして同時に、真剣そのものの生き方が、今試されているのだと思う。

次に、この時代に向かって吠えるのは、僕らの番なのだ。

桜のアーケード

気温は相変わらず低いのに、近所の桜は満開です ♪

こんな春の日も、あっという間なんだろうな。

今日は午後一に、今後の仕事の打ち合わせ。

さてまた何かしら新たな流れが生まれるだろうか。

いずれにしても、5月本番まで1日も休みがありません(泣)
でも、走る時期だからこそ、走れるだけ走りましょう☆

最高の人生だなぁ!!


☆上野火山☆

2009年3月28日土曜日

アデンの想い出




ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどと誰にも言わせまい。

「旅にまっとうなものはひとつしかない。それは、人間に向かって進んでいくものだ。それがオデュッセウスの旅なのだ。僕が無駄に古典の勉強をしていたのでなかったのなら、そんなことはわかっていて当然だったのに。そしてこの旅はもちろん帰還することで終わる。旅の価値はその最後の日に決まる。」

          ーポール・ニザン『アデン・アラビア』より


僕に言葉の持つ真の美しさを教えてくれた師の一人がポール・ニザンだ。
そして、十九歳の人生をやり直すことで懸命だった頃、僕を支え、鼓舞してくれたのはアデン・アラビアだった。

この美しい本は、青春の屈折した感情を実に上手くすくい取り、僕たちに指先からこぼれ落ちる滴のように、煌めいて見せてくれた。
観念と詩とリアルが同居するあの青春の日々。
その時代に、この書物と出逢えて、僕は幸運だったと思う。
成人式に出る必要もないと結論づけたのも、まさにこの本の影響。
僕は二十歳を美しく彩ることを拒絶し、全てを諦めて、浪人していたのだ。
その惨めな暮らしの中で、腹を減らしながら読んだ言葉は、僕を更に一日生かしてくれたのだと思う。
飯が食えなくても、人は生きることができる。
勿論数日間ぐらいは。
ただ、生きた言葉がなければ、僕らは生きながら死に果てる。

ニザンの言う「旅」とは、人生だ。
人生の価値は、その最後の日に決まる。

青春とは、死を想うことなんだ。
死を想うことなしに、二十代を過ごすことがあるとすれば、それは青春を生きていることにはならないんだ。
逆に、死を想いながら生きる八十代は、見事な青春を生きているのかもしれない。

アデン・アラビアは光を屈折させる、一種のプリズムだったんじゃないかな。
全ての常識的価値観の転倒。
彼自身が、共産党員から、やがて脱退、そして
オードリュイクで戦死という三十五歳の短い生涯を選んだ。
イデオロギーに対する絶望感とそれを乗り越えようとする希望。
人は自分の選び取った人生しか生きることができない、というのが僕の二十歳の頃のこの本に対する感想だったような気がする。

決して忘れることのない一冊です。
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